第百九訓 コミュニケーションはきちんと取りましょう
それから三十分後――。
「……」
「……」
「……」
リビングのソファに並んで座った俺たちは、芸能人のスキャンダルを面白おかしく伝えるワイドショー番組を垂れ流すテレビを、ひたすら黙って眺めていた。
……正直、気まずい。
本来なら、ここは三人で和やかに談笑しながら、お互いの親交を温めるべきところなのだろう。
……だが、筋金入りの陰キャである俺の辞書には『社交性』という項目など存在していないし、『気の利いた会話を切り出す』という、陽キャなら大抵の者が習得しているであろうチートスキルも有していない。
それは、隣に座る小太りの陰キャ男も同様のようだ。
「は……は、はは……」
俺と同じ“ロード・オブ・ダークサイド”のひとりである一文字一は、時折テレビのスピーカーから上がる、いかにも後付けした事がバレバレのガヤに合わせて、ジャングルに響く猿の奇声のような渇いた笑い声を上げている。
もちろん、本当に番組が面白くて笑っている訳では無く、彼なりの空気を読んだアクションのつもりらしい。
……逆に言えば、あの傍若無人な一文字が気を遣うほどに、このリビングに垂れ込める沈黙の重苦しさは異常だったという事か。
「……」
そして、父さんもまた、妙に表情を強張らせたまま、しきりに新聞のページをめくり続けている。
時折新聞紙のページを見返したり、また開いたり、今度は縦に二つ折りしたりしているが、実はロクに中身を読んでいない事は一目瞭然だった。
その証拠に、さっき折り返した時に、新聞紙が逆さまになってしまっている事に気が付いていない。
「ほ、ほー……へぇ~……」
と、時々思い出したように唸ってたりするが、逆さまになった新聞紙のグラビア写真集の広告に対して、何をそんなに感銘を受けているのだろうか……?
「……」
一方、俺はと言えば、そんな奇行に耽るふたりに挟まれて、この上ない居心地の悪さを感じながら、現実逃避するように、ひたすらスマホをポチポチしていた。
開いているのは、匿名掲示板のまとめアプリ。
あわよくば、アプリの記事の中から何か面白いネタを見つけて、この鉛のように重たい空気を打ち壊す会話の端緒にしようとも思ったが、こんな日に限ってロクな記事が載っていない……。
「……はぁ」
これ以上まとめアプリを読むのを諦めた俺は、ちらりと目線を上げて、壁の掛け時計に目を向ける。
時計の長針と短針は、今の時刻が十一時だと示していた。
(げ……まだ十五分も経ってねえ……)
てっきり一時間は経過しているものと思い込んでいた俺は、目算の四分の一ほども刻が進んでいない事を知って絶望する。
あと何分、この雰囲気の中で耐え抜く拷問を受け続けなければいけないのか……。
「……」
俺は、助けを乞うように、台所の方に目を遣る。
こういう時の助けになるのは、母さんの存在だ。
あの人の底抜けの明るさは、人付き合いの苦手な俺と父さんが纏う闇の深さをきれいさっぱり吹き飛ばし、場を和ませる力を持っている。実際、俺たちは母さんの陽キャパワーに何度も救われてきた。
だから、今回も……と期待したのだが……、
「あ、そうだ! グラタンもそろそろ準備し始めないとねぇ♪」
母さんは、鍋でカレーを煮込みながら唐揚げを揚げつつ、更にグラタン作りにも手を付けようとしている。
……この分では、すべての料理を作り終えるまでには、まだまだ時間がかかりそうだ。
(って事は――まだ当分の間、この拷問は続くという事か……)
と、天井を仰いで観念した俺は、某柱の男よろしく『考えるのを止め』て、ご飯が出来上がるまでの刻をやり過ごす覚悟を決めた。
――と、その時、
ピ~ン ポ~ンッ!
不意に、玄関のチャイムが鳴る。
それを聞いた母さんが、台所から顔を覗かせて、ニッコリと笑いながら俺に言った。
「颯く~ん! お客さんが来たみたい。出てくれる~?」
「え……客? 客ってだ――」
母さんがわざわざ俺を名指しした事と、妙に何かを含んだような満面の笑みに訝しさを感じて、『客って誰だよ?』と訊き返しかけた俺だったが、ふと開きかけた口を噤む。
そして、次の瞬間、
「……あッ!」
と小さく叫ぶや、跳ね上がるように立ち上がり、ソファの背もたれを飛び越した。
そして、壁に据え付けられたドアホンモニターに映った外の様子を確認し、思った通りの顔が映っているのを確認するや、「お、おい? いきなりどうしたんだい、本郷氏?」という一文字の声をまるっと無視して、まるでトラ〇ザムを発動した○○ガンダムもかくやというスピードで玄関へと急ぐ。
「い、今開けますッ!」
そう扉の向こうに聞こえるよう叫びながら、靴も履かずに三和土に下りた俺は、勢いよくドアを開ける。
その向こうには――俺が待ち望んだ想い人が、軽くメイクを施した顔に優しい微笑みを浮かべて立っていた。
「こんにちは、そうちゃ……じゃなくて、颯大くん!」
「み、ミク……!」
肩まで伸ばした髪の毛をフワフワした白いシュシュで後ろに束ね、膝丈くらいの紺色にチェック柄のワンピースを着たミクの声を聞いた途端、俺の左胸の奥がドキンと跳ね上がる。
「え、ええと……その、ひ、久しぶり……」
ミクに見惚れたのと、心拍数が一気に上がった事でボーっとした俺は、気の利いた言葉ひとつ言う事が出来ず、壊れかけのロボットのようにたどたどしく言った。
そんな挙動不審な俺がおかしかったのか、ミクはぷっと吹き出す。
「どうしたの、颯大くん? なんか様子が変だよ?」
「あ……い、いや、別にふ……普通だよ……」
ミクの問いかけに、目を泳がせながらすっとぼける俺。
と、ミクは「あ、そうだ」と呟くと、俺の目をじっと見つめながら、少し改まった様子で言った。
「あの、お誕生日おめでとう、颯大くん!」
「あ、え、ええと……ど、どういたしまして……」
急に誕生日を祝われて、俺はドギマギしながらぎこちなく頭を下げる。
そんな俺に、ミクははにかみ笑いを向けた。
「ごめんね、言う順番を間違っちゃった。最初におめでとうを言うべきだったかも」
「あ、いや……大丈夫だ、問題ない……あ、いや……」
謝るミクに、どこぞのゲームの主人公のようなセリフを吐いてしまった俺は、気恥ずかしさで頬が熱くなるのを感じながら、誤魔化すように手招きした。
「と、とにかく……こんなところで立ち話もなんだから、ウチに入れよ」
「うん!」
俺の誘いに大きく頷いたミクは、なぜか後ろを振り返った。
そして、道路に立っている電柱に向かって声をかける。
「どうしたの? いっしょに入ろ?」
「……」
ミクが声をかけた電柱の向こうで、何かが動いたように見えた。……どうやら、電柱の影に、誰かが隠れているらしい。
「……え? 誰かいっしょに来てるのか?」
「えへへ、実はそうなんです!」
俺が尋ねると、ミクは悪戯っぽく笑いながら頷いた。
それを見て、俺はピンとくる。
「……ひょっとして、この前の電話で言ってた“サプライズ”って、その人……?」
「うふふ、実はそうなんでーす!」
そう答えたミクは、更に楽しそうに顔を綻ばせた。
その楽しそうな……嬉しそうな表情に、俺は更にピンときて……僅かに顔を顰める。
「……ひょっとして」
俺は、予想が外れている事を願いつつ、恐る恐るミクに尋ねた。
「あの人……藤岡……さん?」
「……ぶっぶー! 残念ながら、ハズレですー」
ミクは、もったいぶるように一拍おいてから首を横に振る。
それを聞いて、俺は思わずホッとした。
全然『残念ながら』じゃない。むしろ『最高な事に』だ。
せっかくの誕生日に、恋敵と同席するなんて、最悪以外の何物でもない。
……と、安堵すると同時に、俺の脳味噌に疑問が再び浮上する。
「じゃあ……誰なんだよ? あそこに隠れてる奴は……」
「じゃ、答え合わせしよっか。呼んでくるね!」
ミクはそう言うと、電柱の影に潜んだ人影に向かって駆け寄った。
「ほら、行こ? ……え、やっぱ帰る? ダメだよぉ。ここまで来たのに……え、来たくて来た訳じゃないって? えー、でも、会いたかったんでしょ? ……そんな事無い? でもさ……」
ミクと電柱に潜んだ人は、何やら揉めているようだ。ミクの説得に対して、謎の人は懸命に抗っているって感じだ。
ふたりのすったもんだは、それから数分ほど続いた。
「……はぁ」
その間ずっと待たされ続けた俺は、待つのに飽きて、もう自分から動く事にした。
こっそり足音を忍ばせて、謎の人とミクが押し問答している電柱に近づき、タイミングを見計らって急に顔を出した。
「ねえ、いつまでやってんだよ。っつうか、一体誰な……」
誰何する俺の声は、途中で急速に萎む。
まるで蝉のように、電柱に身をぴたりと押し付けた人物が、ビックリした顔で俺の事を見上げた。
猫のような円らな瞳に、明るい茶色に染めたボブヘアの小柄な少女――。
そう……ミクの仕掛けた“サプライズ”の正体は――、
「た……」
ミクの彼氏である藤岡穂高の幼馴染にして、目的を同じくする俺の盟友である
「立花……さん?」
――立花瑠璃だった。




