第百三訓 リクエストを聞かれて「お任せで」と答えるのはやめましょう
『ねえねえ、そうちゃん?』
受話口の向こうから聴こえるミクの鈴を転がすようなきれいな声に鼓膜を心地よく揺さぶられた俺は、向こうからは自分の顔が見えないのを幸いとばかりにだらしなく鼻の下を伸ばしつつ、努めてクールな声色で応える。
「ん……ん? な、何だ……何だい?」
『日曜日、こっちに帰ってくるんだよね?』
「え? あ、ああ……うん」
ミクに訊かれた俺は、思わずにやけながら頷いた。
そして、また胸の鼓動が高鳴るのを感じながら、さりげない口調を装いながら言葉を継ぐ。
「な、なんか、母さんに『誕生日会を開くから帰ってきなさい』って言われちゃってさ……。い、いや別に、この歳にもなって誕生日なんか祝われたくなんかないんだけど、まあ、たまたまバイトも休みだったし……せっかくお祝いしてくれるんだったら、帰ってやってもいいかなって……」
『あー、ホントに帰ってくるんだね? 良かった!』
『べ、別に祝ってなんかほしくないんだけど、せっかくだから祝われてあげる!』という、ラノベのツンデレヒロインみたいな俺の答えを聞いたミクは、嬉しそうに声を弾ませた。
――そして、
『……ねえ、そうちゃん?』
少し間をおいてから、ミクが少しトーンを落とした声で俺の名を呼ぶ。
そして、躊躇うような声で切り出した。
『実は……お誕生日会、私も真里さんに誘われたんだけど……私もいっしょにそうちゃんをお祝いしてもいいかな?』
「も……もちろん!」
俺は、ミクの言葉が終わる前に、上ずった声で叫び、大きく頷く。
「いいも悪いも無いよ! み、ミクが祝ってくれるんだったら、本当に嬉しいって、俺!」
『本当?』
思わず俺が吐露した素直な気持ちを聞いたミクは、安堵の響きを帯びた声を上げた。
『そうちゃんにそう言ってもらえて良かったぁ……。せっかくの家族団らんの邪魔になっちゃわないかって、ちょっと心配してたの、実は……』
「じゃ、邪魔だなんて、そんな事、絶対無いって!」
ホッとした様子のミクの声に、俺は慌てて声を張り上げる。思わず、そのまま勢いに任せて「だって、いずれミクは、ウチの家族に……」と口走りかけたが、さすがに暴走し過ぎと察して、すんでのところで口を噤んだ。
「と……とにかく、ミクが来るのを楽しみにしてるよ、ウン」
代わりに差し障りの無い無難な言葉に言い換えた俺は、にへらあと締まりの無い笑いを浮かべる。
それにしても……実は、「俺をどうしても実家へ帰らせたい母さんが吐いた嘘なんじゃないか?」と、心中秘かに疑っていたのだが、この前言っていた『ミクが日曜日に開かれる俺の誕生日会に来てくれる』という言葉は嘘じゃなかったらしい。
(疑ってゴメン、母さん。グッジョブだ!)
俺は心の中で母さんに詫びながら、グッと力強く親指を立てる。
と、その時、
『そうちゃん、何か食べたいものはある?』
「へっ?」
ミクに尋ねられた俺は、虚を衝かれながら首を傾げた。
「た、食べたいもの? いきなり何で……? ええと、今は別に何も……」
『今? ああ、違うよ~。今食べたいものじゃなくって、お誕生日会で食べたいものはありますか~って』
「あ、ああ、そういう意味か……」
くすくす笑いながらのミクの言葉に、俺は苦笑しながら納得する。
そして、改めて『誕生日会で食べたいもの』を考えようとするが……なかなかパッと思い浮かばなかった。
「う~ん……お、お任せで……お願いします」
『え~? リクエスト無いの? そういうのが一番困るんだよねぇ……』
「ご、ゴメン……」
困惑した様子のミクに謝る俺。
……とはいえ、『食べたいもの』はハッキリしている。
『ミクが作ってくれたもの』なら、何でも大歓迎だ。
でも、そうハッキリと言うのは、さすがに気恥ずかしい……。
そんな俺の内心も知らぬ様子で、ミクはスマホの向こうで一生懸命考えている様子で、それから少ししてから、『……そういえば、そうちゃんって、おいなりさんが好きだったよね?』と尋ねてきた。
「おいなりさん? ……ああ、いなりずしか」
ミクの問いかけに、俺はコクンと頷きながら答える。
「うん、好きだよ。……よく覚えてたな」
『小学生の運動会の時、必ずお弁当に入ってたのを思い出したの!』
思い出した記憶が正しかったのが嬉しかったのか、ミクは声を弾ませた。
『じゃ、おいなりさんをいっぱい作ってくるね! 楽しみにしててね!』
「う、うん、ありがと。……楽しみだよ」
嬉しそうなミクの声を聞いて、俺も顔を綻ばせながら答える。
ミクの作ってくれるいなりずし……絶対に美味いやつじゃん。
想像するだけで胸もおなかもいっぱいになりそうだ。
『……あ、そうだ』
「……ん? な、なに?」
至福に満ちて、空の上をフワフワ飛んでいるような心持ちになっていた俺は、ミクが上げた声で我に返り、慌てて訊き返した。
そんな俺の耳に、ミクのいたずらっぽい声が届く。
『サプライズもあるから、楽しみにしててね、そうちゃん。うふふ……』
「さ、サプライズ?」
ミクの言葉に、俺は戸惑いの声を上げた。
そして、“サプライズ”という魅惑的な言葉に胸をドキドキさせながら、恐る恐る訊き返す。
「な……何だよ、サプライズって? なんか企んでるのか?」
『うふふ。実はねぇ……』
と、素直に俺の問いかけに答えかけたミクだったが、慌てて息を呑んだ気配がした。
『……って! ダメダメ! バラしちゃったらサプライズにならないじゃん!』
「……チッ、気付いたか」
『「気付いたか」じゃないよ! ふぅ、危なかった……もう少しで、うっかり喋っちゃうところだったよぉ……』
ギリギリのところで俺の誘導を躱したミクが、安堵の声を漏らす。
『……とにかく、どんなサプライズなのかは、当日までのお楽しみ! どんな内容なのかは言えないけど、そうちゃんが知ったら、絶対にビックリすると思うよ!」
「そ、そっか……」
俺は、ミクの言葉にそこはかとない期待と不安を抱きながら、ぎこちなく頷いた。
「まあ……期待しない程度に楽しみにしておくよ」
『期待はしててよぉ』
俺の返事に、ミクは不満げな声を上げる。
その声を聞いて、スマホの向こうで口を尖らせるミクの可愛い顔がありありと目に浮かび、俺は思わず締まりの無い笑みを浮かべるのだった。
ああ……顔が見えないLANE電話で、本当に良かった……。




