第百一訓 未成年者を飲みに誘うのはやめましょう
それからきっちりニ十分後、
「あ……休憩終わりました」
と、何故か申し訳なさげに頭をペコペコ下げながら、葛城さんが売り場に戻ってきた。
その声に、俺はインクコーナーで商品の前陳作業をする手を止めて、彼の方に顔を向けて応える。
「あ、お帰りなさい。ゆっくり休めました?」
「あ、ハイ!」
俺の問いかけに、葛城さんは顔を綻ばせながら大きく頷いた。
「久しぶりで、社員一人の日にのんびり休憩が取れました。本郷さんのお陰です。ありがとうございました!」
「あ、そっすか……」
晴れ晴れとした顔の葛城さんにいたく感謝された俺は、戸惑う。
つか、俺は普通に「休憩に行け」と言っただけで、そこまで感謝されるような事をした覚えは無いんだけど……。
「じゃ……じゃあ、とりあえず――」
葛城さんに幼さの残る笑顔を向けられて、何となく気まずさと気恥ずかしさを感じた俺は、周りを見回すふりをしながら、さりげなく視線を逸らした。
「だいぶお客様も減ってきたみたいですから、そろそろレジ締めの準備を――」
「あ、かしこまりました!」
葛城さんは、格下であるはずのバイトである俺が出した指示にも嫌な顔ひとつせず、元気に返事をする。
そして、いったんはレジへ向かおうとした葛城さんだったが、
「……あ、そうだ」
と呟くと、再び俺の方に振り返った。
「あの……本郷さん」
「え?」
「その……さっきの続きなんですけど……」
「あ……」
葛城さんがおずおずと切り出した事で、俺はさっきのやり取りを思い出す。
その途端に、さっき薄々と感じていた“嫌な予感”が、再び胸の中で大きく膨張し始める。
――だが、葛城さんは、ハッとした表情を浮かべて、慌ててかぶりを振った。
「あ、やっぱりいいです! い、今はまだ仕事中ですし……私語とかはしちゃダメですよね!」
「あ……そ、そうっすね」
葛城さんの言葉に、俺は即座に同意する。
心中秘かに、(……まあ、あなたの上長である四十万さんは、閉店後だろうが仕事中だろうがお構いなしに無駄話をしに来るんだけどね)と思ったが、口に出すのは避けた。
まだ希望に溢れるマジメな新入社員である葛城さんに、そういうスレた正社員の現実の姿をバラすのも忍びない。
それに……何より、さっき彼が口にしかけた問いかけには嫌な予感しかしてないので、このままやり過ごせるのならば、それに越した事は無い……。
そんな俺の打算まみれの内心にも気付かない様子の葛城さんは、少し残念そうな顔をしながら頷いた。
彼が「じゃあ……」と言いかけたので、再び前陳作業に戻ろうとした俺だったが、
「じゃあ、今度一緒に飲みに行きましょう!」
「……はい?」
葛城さんがまったく予想外の言葉を吐いた事に虚を衝かれる。
唖然とする俺を前に、葛城さんはニコニコと微笑みながら言った。
「実は私、前から本郷さんと飲みに行きたかったんです。一緒のコーナーですし、色々と教えてほしい事もありますし。仕事の事とかもですけど、本郷さん自身の事とかも」
「え? え?」
「同期相手だと、なかなかぶっちゃけられないんですよねぇ。特に仕事の事とか……。本郷さんはバイトさんですから、社員相手には言えないような、色々と突っ込んだ話も出来るかなって」
「えと、あの……」
「私、ちょうど明日が休みなんで、今日上がったら行きましょうよ! この近くにある『あみーご』って飲み屋さんが美味しくて安いってネットの口コミにあったんで、そこに――」
「ちょ、ちょっと待って!」
俺は、ウキウキとしながら早口で捲し立てる葛城さんを慌てて制し、デジャヴを感じながら言葉を継ぐ。
「だ、ダメっす! 俺は行けないっすよ!」
「え? 何でですか?」
俺の反応を見て訝しげな顔をした葛城さんだったが、すぐに「あ……ひょっとして……」と呟いて、表情を曇らせた。
そして、がくりと項垂れると、弱々しい声で呟く。
「……そうですよね。私なんかと一緒に飲みになんか行きたくないですよね……。すみませ――」
「あ! ち、違いますって! そうじゃなくって……」
勝手に落ち込む葛城さんに、俺は慌てて言った。
「葛城さんと飲みに行きたくないとかじゃなくって、飲みに行けないんすよ、俺!」
「……はい?」
「あ……ええと」
(『飲みに行けないけど飲みに行けない』って、どっかの政治家かよ……)と思って赤面しながら、俺は改めて言い直す。
「その、だから……法律的にまだダメなんすよ。……俺、まだ未成年だから!」
「ええっ?」
俺の答えを聞いた葛城さんは、目をまん丸にした。
そして、信じられないという顔で俺に尋ねる。
「え? ひょ、ひょっとして、本郷さんって、まだ二十歳になってないんですか?」
「いや、知らなかったんですか? ……俺、まだ十九歳っすよ……ギリギリ」
「ほ、本当ですかッ?」
葛城さんは、俺の答えを聞くや更に仰天し、自分の事を指さした。
「わ、私の方が三歳も年上って事ですか? い、いやてっきり、私と同じか少し年上くらいなんじゃないかなって思ってました」
「……老け顔で悪うござんしたね」
「あ、いや、そういう意味じゃなくって……私よりも落ち着いてて、仕事も出来るから……」
「そりゃ、ここで仕事し始めたのは俺の方が先ですもん。……つか、俺が大学二年だって、葛城さんも知ってますよね?」
「それは……浪人してたり留年してるのかなって……」
「オイコラ」
「あ……申し訳ございません!」
思わず真顔でツッコんだ俺に慌てて頭を下げた葛城さんは、頭を上げると残念そうに首を傾げる。
「そうですかぁ……それは残念です。ぜひとも本郷さんと飲んでみたかったんですが、未成年じゃしょうがないですね」
「あ、まあ……すみません」
「いやいや! 本郷さんが謝る事じゃないです!」
葛城さんは、焦った顔で手と頭を左右に振り、それから前のめりになりながら、俺に向かって明るい声で言った。
「――じゃあ、二十歳になったら、一緒に飲みに行きましょう! 楽しみにしてます!」
「あ……えと、その…………アッハイ」
俺は、(実は明後日で二十歳なんだよなぁ……)と心中秘かに思いながら、素知らぬ顔で適当に頷くのだった。




