第百訓 決められた休憩時間はきちんと取りましょう
食堂で冷め切ったトンカツ定食を食い終わった俺は、一文字がチラチラ未練がましげな視線を送ってくるのに気付かないふりをして大学を出た。
今日は、バイトのシフトを入れている。
俺は、その足で駅前まで歩くと、そのままバイト先であるビックリカメラの店舗通用口に入った。
事務所で支度を整え、打刻と唱和を済ませてから、昨日さんざん品出しをしたおかげで幾分かスッキリしたバックヤードを抜けて売り場へと出る。
そして、通路を通るお客さんに「いらっしゃいませ~」と声かけをしつつ、中央レジへと向かい、サッカー台でプライス用紙を切っている男性社員に挨拶をした。
「ご苦労様っす。本郷、出勤します。よろしくお願いしまーす」
「あ……ご苦労様です、本郷さん」
俺の声に気付いた男性社員は、プライスを切る手を止めると、律儀に顔を上げて挨拶を返してくる。
彼は、OAコーナー所属の一年目正社員、葛城轟さんだ。
『轟』という名前の厳つさとは裏腹に、俺以上にひょろひょろとした体つきをした男性である。
俺の顔を見た葛城さんは、その童顔にぎこちない笑みを浮かべた。
だが、すぐに不思議そうな顔をして首を傾げる。
「って……あれ? 今日はいつもより早いですね?」
「あぁ……今日はレポートの提出だけで学校終わりだったんすよ。だから、いつもより早めにバイトに来ました。……つーか、シフトでもそうなってますよね?」
「あぁ……ホントですね」
俺の言葉を聞いて作業台に貼ってあるシフト表を確認した葛城さんは、はにかみ笑いを浮かべた。
「いやぁ、いつも夕方からのシフトだったんで、てっきり今日もそうなんだと思い込んでました。今日も入荷が多いみたいだから、本郷さんが早めに入ってくれて助かります」
「あぁ……そっか。今日は四十万さんが休みの日でしたっけ」
「そうなんですよ……」
俺の問いかけに頷くと、葛城さんは少し表情を曇らせた。
「今日は、私ひとりの日です……。おかげで、午前中は大変でした……」
「あ、それは……ご、ご苦労様っす」
げっそりとした顔でぼやく葛城さんの様子から色々と察した俺は、どう言葉をかけるべきか困りながら、とりあえずぺこりと頭を下げる。
そして、レジ中に積んである折りコンを指さした。
「え、えーと……。じゃあ、とりあえずは、その入荷を売り場に出す感じでいいっすか?」
「あ……あ、はい」
俺の言葉に、葛城さんは一瞬だけ考える素振りを見せてから、コクンと頷く。
そして、何故か探るような目をして、俺におずおずと言った。
「じゃあ……あの、もし宜しければ、お願いしても……宜しいでしょうか?」
「あ、はい。もちろんっすけど」
「あ、ありがとうございます。じゃ……じゃあ、その、宜しくお願いいたします……ハイ」
「……はい」
俺は、葛城さんのおどおどした態度に何となくモヤモヤしながらも、頼まれた品出し作業に取りかかるのだった。
◆ ◆ ◆ ◆
「ふう……このくらいかな?」
今日の入荷分と、昨日手が回らなかった分の在庫の品出しをあらかた終えたのは、閉店まで一時間を切った午後八時過ぎだった。
もちろん、品出しだけに専念できれば、もっと早く片付ける事が出来るはずなのだが、お客さんに声をかけられる度に手を止めなければならないのでなかなか作業が進められず、結局こんな時間までかかってしまった。
……まあ、俺が一週間休んでいる間に溜まってた分がめちゃくちゃ多かったっていうのもあるんだけど。
ともあれ、何とか休む前と同じ景色に戻ったバックヤードを見回した俺は、満足げに息を吐いた。
と、その時、
「わぁ、随分キレイになりましたね。さすが本郷さんです」
三時間ほどずっとご案内していたお客さんからようやく解放されたらしい葛城さんが、力無い笑みを浮かべながら、俺に声をかけてきた。
彼は、バックヤードの業務用エレベーターの呼び出しボタンを押しながら、いかにも疲れた声で俺に言った。
「あの……すみません。遅くなっちゃったんですが、今から休憩に入ってきます」
「あ……了解っす。ごゆっくり」
振り返った俺は、壁にかかった時計をチラリと見て、葛城さんに頷く。
すると、そんな俺の視線に気付いたらしい葛城さんが、慌てた様子で付け加えた。
「あ、大丈夫です! ちょっと水分を取ってくるだけで、すぐ戻ってくるので……」
「あ、いや、そんなに急がなくても大丈夫っすよ。ちゃんと時間通りに休憩取って下さい」
「え? で、でも……もう、あと少しで閉店ですし、レジ締めの準備とかも……」
「あと少しって言っても、まだ一時間近くあるじゃないっすか。休憩が終わってからレジ締めの準備しても全然間に合うでしょ」
「ですが……まだ、売り場にお客様もいらっしゃいますし……」
「大丈夫っすよ。もうピークは過ぎてますから、俺ひとりでもこなせますって」
「そ、そうかもしれないですけど……」
俺の答えを聞いても、なお逡巡する葛城さん。まるで、その疲れ切った顔とは裏腹に、休憩をちゃんと取るのが嫌で、何とか理由を付けて売り場に戻りたがっているかのようだ。
そんな彼を内心で訝しみつつ、俺は尋ねる。
「……どうしたんすか? 休憩したくないんすか?」
「あ、いえ……。そういう訳では……」
葛城さんは、俺の問いかけに気まずそうに視線を逸らしながら口ごもった。
「ただ……他の方が頑張って働いているのに、自分だけ休憩を取るのが心苦しいというか何というか……。じ、自分はまだ、入社したばかりの新入社員ですし……」
「いや、そんなの関係無いでしょ」
俺は、思わず呆れながら首を横に振った。
「他の人は、もうとっくの昔に休憩取ってるんだから、葛城さんが気に病む必要なんて無いでしょうが。新入社員だからとか関係無いっすよ。……それに、今日日はそういう労務関係を疎かにすると、色々とヤバいらしいっすよ。『労基法怖い……』って、人事の壇さんもこの前言ってました」
「……」
「つーか、四十万さんなんかスゴいっすよ。あの人……コーナー責任者のクセに、たとえクレーム対応中でも関係なしに、休憩はキッチリ取りますから。……良い事なのかは分からないですけど」
「し、四十万さん……!」
俺の口から四十万さんの名が出た瞬間、葛城さんがハッと息を呑んだのが分かった。
「あ……あの……!」
彼は真剣な表情を浮かべて、俺ににじり寄る。
「あの……本郷さん!」
「ふぇっ? な、何すか……?」
彼の表情と態度に気圧されて、俺は思わず後ずさった。
そんな俺に、葛城さんは鬼気迫る表情で問いを重ねる。
「ま、前から本郷さんに訊きたかったんですけど!」
「ひゃ、ひゃいっ? な、何でしょう……?」
「本郷さんと四十万さんって、ひょっとして、つ――!」
彼がそこまで言いかけた時、
ピ~ン ポ~ン
というチャイム音を上げながら、エレベーターの扉が開いた。
それを見た俺は、これ幸いと叫ぶ。
「ほ、ほら、葛城さん! エレベーター来ましたよ!」
「あ……で、でも、質問がまだ――」
「いいからいいから! 早く乗らないと行っちゃいますよ!」
そう叫びながら、俺は渋る葛城さんの身体を半ば強引にエレベーターの中に押し込んだ。
そして、すかさず『閉』ボタンを連打する。
「ご、ごゆっくり~っ!」
「え? あ……じゃ、じゃあ、きゅ、休憩終わっ――!」
葛城さんが言い終わる前に、ガラガラと音を立ててエレベーターの扉が閉まり、バックヤードには静寂が戻った。
やれやれと息を吐いた俺は、
「……さて、そろそろ閉店準備に取りかかるかぁ」
と、心の中に湧き出した何とも言えない嫌な予感に気付かないふりをしながら、そそくさと売り場に戻るのだった……。




