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二十七話 救世主には程遠く

「どうして、ここにいるの……?」

「チッ……!」

 

 常よりも弱々しそうな表情を浮かべ自分を見上げてくる少女に対し、カラールは舌打ちで答えた。

 びくり、と怯えたようにリリィの体が縮こまる。

 ――こうしてみると、本当にか弱くて儚げな……守ってあげたくなるような少女だ。

 

「ご、ごめんなさい……」

「それは、何に対しての謝罪だ?」

「え? あの――」

「まさかお前、僕がお前を助けに来たとでも思ってるのか? ハッ! だとしたら随分おめでたい頭だな! 僕が、僕を裏切った女を助けるなんて、そんな馬鹿げた事があるか! ――僕はな、……さっきから黙って聞いていれば、不愉快な事ばかりペラペラ喋る、そこの人間を始末しに来たんだよ……!」


 右腕を一振りして、カラールは炎をまとった。

 触媒も詠唱も不要とする、魔族の魔術。それを目にしたリリィの父は、悔しげに目をつり上げる。


「おのれ魔族かっ! 私の神聖な研究室に踏み入るな!」

「言われずとも、用を果たせばすぐに退散する。……こんな、胸くその悪い部屋、頼まれたって長居するか」


 言いながら、カラールは大きく右腕を振り下ろした。

 すると、炎はまるで蛇のように這い、たちまち地下室を取り囲む。


「やめろ! この研究が、どれだけ素晴らしいものかわからないのか!」


 意図を察したリリィの父が、悲鳴交じりに叫ぶ。

 わかるものかと、カラールは吐き捨てた。


「リリィ、なにをしている立て! はやく、その男を処理するんだ!」

「……コイツを動けなくしたのは、貴様だろうが」

「っ……! どこから見ていた……!」

「ほぼ、最初からだな。…………僕は、自分が恥ずかしい」


 呆けたように自分を見つめているリリィを一度だけ視界に入れると、カラールはまだ舌打ちして、今度はテーブルの上に火の玉を投げつけた。

 ぼっと音を立てて、炎はたちまちテーブルの上で燃え上がる。


「親は……たとえどんな人間であっても、親は子を慈しむものだと思い込んでいた」


 それが自分の当たり前だったからだ。

 隠れるように森に住んでいたが、両親は仲睦まじく、息子であるカラールの事を宝物だと言って惜しみない愛情を与えてくれた。

 カラールの中には、家族とはそういうものだという土台が出来上がっていた。

 そして、無意識にリリィとその父親にも、自分たち親子の関係性を当てはめて考えてしまったのだ。

 

 ――しかし、魔王に“任務に出るなら、いい物を見せてやる”と言われ水晶に映しだされた光景……リリィとその父親のやり取りを見て、自分の傲慢さを思い知った。

 

 お父様。

 リリィがそう呼ぶときに、なんの感情も込められていなかった事、彼女にとってはその言葉は、ただの言葉の羅列なのだという事に、目を向けていなかった。


 リリィにとっての父親は、カラールにとっての父とは、全く違うのだ。

 少なくとも、二人の間に親子の情は存在しない。

 娘の手をためらいなく切断しようとする男を目にして、カラールはとっさに「やめろ」と叫んだ。


『自分がどれだけ愚かしい真似をしたか、理解出来たか? ならば、さっさと行け』


 そばにいた魔王は、有無を言わせずカラールをこの屋敷に転移させたのだ。

 おそらく、リリィになんらかの印を付けていたのだろう。なにせリリィは魔王の手伝いとして、しょっちゅうかり出されていたのだから。


「リリィなにをしている! この役立たず!」


 がなり立てる男は、自身も杖を構え、術を構築しようとしている。しかし、水の魔術を使っても、カラールの炎は消せない。それどころか、怒りの度合いを示すかのように、一層激しく燃え上がった。


「どうする? はやく逃げないと、お前も丸ごけになるぞ?」

「くっ……よくもっ、よくもぉっ!」

「これは、報復だ。……散々命を弄び、コイツを傷つけてきた、その報いを受けろ」


 ふっ、と男が目を見開く。

 リリィとカラールを見比べ、そして口を三日月につり上げた。


「あぁ、そうか……、お前か。……お前が私の怪物を、駄作にしてくれた張本人……! リリィが執心していた魔族……いいや、合いの子か!」


 顔色を変えたのは、カラールではなく、座り込んでいたリリィだった。


「……見ないでよ」


 唇を戦慄かせるリリィは、震える手で取り落とした剣を掴む。


「……そんな目で、カラールを見ないでよ……」


 がくがくと膝が笑っているにもかかわらず無理矢理立ち上がるリリィを見て、男の顔に驚愕がよぎる。


「だから嫌だったの! お父様がカラールの視界にほんの少しでも入るなんて、絶対に許せる事じゃ無かったのよ! ――わたしのカラールが、穢れてしまう!!」


 ほとんど悲鳴に近い叫び声を上げ、リリィは剣を振りかぶった。


「見るな見るな見るな見るな見るなぁっ!!」

「馬鹿な! なぜ立ち上がれる……なぜっ……!」

「うるさい! お父様さえいなかったら……、あなたさえいなければ……! ――わたしは化け物になんてならずにすんだの! カラールの綺麗な世界を穢さずにすんだの! だから、あなたを殺してわたしも死ぬの! そうすれば、カラールの世界はとっても綺麗になるんだから……! きっと笑ってくれるんだから!」

「やめっ、……私はお前の父……ひぐっ……! やめろっ、やめ……っっ!」


 狂気と表現しても差し支えない。

 そんな表情でわめき立てたリリィの言葉を、彼女の父だった男は理解出来たのだろうか。

 驚愕と嫌悪を目一杯あらわにした顔で、男は怪物扱いしていた娘に斬り殺された。


 どさりと倒れた男に馬乗りになり、リリィはなおも剣を振るい続ける。


 ――男はきっと、最後まで怪物だった娘を理解出来なかった。する気もなかった。

 そして男に生み出された怪物……リリィもまた、理解を拒絶していた。

 行き着くだろう結末に、行き着いただけだ。


「……リリィ」

「…………カラール」

「……僕は、この“禁忌”に関わるもの全ての破壊を命じられている」

「――うん」


 剣を下ろし、憑き物が落ちたような顔のリリィは、静かに頷いた。


「じゃあ、リィのこと、カラールが壊してくれるんだよね? ……嬉しいなぁ……」


 子供のように、彼女が笑った。

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