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盤台哲雄 17

3/3

「こんなところでいいかな」


 西門を出てから三十分ほど歩いたところで、僕は足を止めた。


 あたり一面の、草原だった。


 ここまで来れば、民家はない。耕地ではないから、農家もない。他の街へと続く街道から少し外れれば、人目のないだだっぴろい草原が広がっている。


 リングワールドの中心から遠ざかるように西門から出てきたので、魔物の類もまずいないだろう。まさに、決闘には持ってこいの場所だった。


「ソアラを説き伏せることができないと思ったら、彼女に賭けを申し入れます。僕のかわりに彼女と戦い、殺さずに勝つことはできますか?」


 事前に、そう言われていた。


 そもそも、裏路地と軍のぶつかり合いが近いと読んで、ライオット君に「ソアラ嬢に会いに行かないかい?」と誘ったのは僕だ。あのままソアラ嬢が死んだら、僕は腑に落ちない気分になるだろうし、ライオット君にはもっと後悔が残るだろう。


 そう思って、軽い気持ちでカナン商会の事務所を訪ねてみたら、予想外なことに、ライオット君はすでに遺書まで用意して、他人に分からないように身辺を整理していた。


 どうやら、一人で裏路地まで行くつもりだったらしい。

 場所が場所だけに、ソアラ嬢と出会うまでに命を落としてしまう可能性を考えていたようだ。


 そればかりか、僕という同行者を得て、水を得た魚のように、新たな一手をすぐさま考えついた。渋るようなら、賭けに持ち込んで、有無を言わさずかっさらってしまえばいいのだと。


「ソアラを殺さずに、無力化することはできますか?」


 できるから自分を誘ったのだろう、とライオット君は言外にほのめかしていた。

 

 結論から言うと、荒技になるが、多分、できる。一定の対策ができなければ、そもそもソアラ嬢のいる裏路地まで乗り込もうとは思わない。戦闘になる可能性が高いのだから。 


「では、お願いします」


 あっさりと、ライオット君は僕に頭を下げた。


 断るという選択肢はありえなかった。僕は彼に義理がある。ソアラ嬢がいなくなった後も、ヘリオパスル教会のあれこれに手を貸してくれたという義理が。


 僕や侠者、そしてヘリオパスル教会の人たち、そして提携先のギルガシ牧場。この三者と違って、カナン商会は牧農場との業務提携にあたって、かなり甘い条件で対応してくれた。


 それはひとえに、ソアラ嬢から頼まれたライオット君が、骨を折ってくれたからだ。それなりに高い値段で、農作物をカナン商会が買い取るという前提がなければ、成立しない提携だったと、侠者は言っていた。


 僕なども、彼のおかげでヘリオパスル教会に赤ん坊のディアナを預けておけるようになった。つまり、僕たちは、ライオット君に借りがある。


「教会の一件は、これで貸し借りなしだよ、ライオット君。もし、僕が負けて死んでもね」


 僕がそう言うと、ライオット君は再び、僕に頭を下げた。契約は成立である。


 そして今、僕はソアラ嬢と、生死を賭けた戦いを始めようとしていた。



「開始位置はどうするかい? もっとお互い離れてからの方がいいかな?」

 

 いま、僕の前方にソアラ嬢が立っている。距離は三十メートルといったところだろう。かなり離れているように見えるが、レベルが上がっている僕やソアラ嬢の身体能力なら、一歩や二歩で詰められる距離だ。真剣同士の果し合いとするならば、もはやそのまま剣を振れば相手を斬れる距離である。


「どこだろうと構わない」


「そう。じゃあここでいいね」


 距離を取るか、とわざわざ僕が聞いたのは、事前に隠身状態になりたければなってもいいぞ、という意味である。誰かに見られている状態では、隠身スキルは発動できない。これは特典スキルを選ぶときに、神様から直接説明を受けたから間違いない。


 しかし、ソアラ嬢はここで構わないという。


 草原に伏せる程度の遮蔽だけで隠身スキルを発動できるのか、それとも他に手があるのか。それはわからないが、ソアラ嬢が姿を消したまま襲ってくるというのだけはほぼ確定だろう。


 いくらソアラ嬢でも、正面から僕に斬りかかって楽勝できるとは思っていないはずだ。草原街グラスラードで出会ったあのとき、すでに彼女は、僕が剣の精霊を連れていることを知っていたはずなのだから。

 つまり、刀剣類を多く持ち歩いている見た目と違って、僕が魔術師系統のスキル構成であるとは、看破されているはずだ。


 それぐらいは彼女にもわかっているはずだから、それでも真っすぐ突っ込んでくる場合は、魔法はほぼ効かないだろう。多分、特典スキルでステータスの増強及び、魔法耐性を取得しているのだ。

 逆に、隠身スキルをどうにかして発動させて襲ってくるようなら、魔法抵抗スキルは持っていない、あるいはあったとしても万全ではないと推察できる。


(実際問題、接近されたらまず勝てないのは確かだ)

 

 僕は近接系の特典スキルを何一つ持っていない。

 それはすなわち、彼女と僕が斬り結べば一瞬で倒されることを意味している。


 そして、彼女は隠身スキルという、相手のすぐそばまで接近できるスキルを有している。常識的に考えれば、いかに彼女を近づけさせず、何とかして隠身状態を暴いて、魔法で攻撃するかという勝負になるだろう。


 常識的に考えれば、である。


「じゃあ、ルールの確認をしておこう。僕はライオット君の代理で、君と戦う。勝利条件は、僕かソアラ嬢、どちらかが死亡、ないしは戦闘不能になること。ライオット君を気絶なりさせたところで、僕がピンピンしていたら、僕たちの負けにはならない。これでいいかい?」


「構わない」


「他には――といっても、ほとんどないね。武器の持ち込みとかは、見ての通り自由。防具の類を装備するのも自由。何か質問があるかい?」


「何もない。強いていえば、寸止めなんて私はしない。確実にあなたの命を、私は奪う。今ならまだ、逃げても追わない」


 ほう、と内心で僕は感嘆した。


 別行動を取っていたこの二時間あまりの間に、彼女の内心にどういう変化があったのかはわからないが、どうやら胆はくくったらしい。人殺しをあれほど嫌がっていたというのに、今は僕を殺すつもりだ。


「私はあなたを殺す。そして今度こそ、ライオットと別れを告げる。これからも、この世界に仇なす転生者を、私は殺し続けていく。もうすでに、汚れきってしまった手だ。一人二人増えたところで、変わりはしない」 


 覆面越しでもわかる、濃厚な殺気が僕を襲う。


 うんうん、いいことだ。この期に及んで、やっぱり殺したくないとか、そんな腑抜けたことを言い出されたら困っていたところである。


「僕はライオット君との約束があるからね、君の命までは奪わないつもりだ、安心してくれていいよ。ただし、かなり痛い目に会うよ。それは覚悟していてね」


 半分は、ライオット君に向けた言葉だった。

 動けないほどの重傷を与える予定なのである。そんな乱暴にしないで、などとクレームが入っては困る。


「私が、あなたに負けるなんてありえない――お喋りはそろそろ終わらない?」


「うん、いいよ。それじゃ、開始の合図はライオット君にやってもらおうかな。ああ、殺し合いにルールなんて無用だ、っていきなり襲いかかってきてもいいんだよ?」


「そんな小細工は必要ない。私は真正面からあなたを殺し、この場を去る」


 そう言い放つ、覆面で表情を隠しているソアラ嬢を、痛ましいものを見るような目付きでしばらく眺めていたライオット君であったが、やがて意を決したのか、凛とした声で開始の合図を叫んだ。


「始めっ!」


 声に弾かれるように、僕は一歩跳び下がり、紅葉切を抜いた。左手はだらりと下げ、喉を守るように短刀を構える。


 対するソアラ嬢はというと――本気で、一瞬で決めるつもりであったらしい。


 喉元で縛ったローブの紐を指でゆるめたかと思うと、マントを脱ぎ捨てるかのように、ばさりと着ている衣服を宙に投げ上げた。ローブが力なく地面へと落ちたとき、そこにソアラ嬢の姿はなかった。


(なるほど、脱ぎ捨てた服で僕らの視線をさえぎって隠身スキルを使ったのか)


 たん、たん、と地面を蹴る音だけが近づいてくる。それも左右から聞こえる。 隠身スキルを使って透明になったとはいえ、真っすぐ接近してくるほど無用心ではないらしい。


(隠身状態には、なられてしまったな)


 透明になってからの、死角からの一撃に、ソアラ嬢は絶対の自信を持っている。事実、特典スキルの対策なしでは、彼女の暗殺はほぼ防げない。


 とはいえ――この程度は、織り込み済みだ。


 紅葉切を喉元で構えながら、僕は音のした方へと、めまぐるしく振り返る。

 ソアラ嬢の一撃から身を守るためでははない。食らってはいけない場所に、ソアラ嬢が悠々と狙いを付けることができないようにするためである。


(延髄と、脳だけはまずい)


 そこは、意識が一撃で刈り取られる。

 

 心臓ならいい。即死さえしなければいい。

 他ならぬ、僕の右手に握られている紅葉切によって、心臓を貫かれた経験から言うと、全身に血流が送られなくなっても、数秒は意識がある。


 ふいに、全身が総毛立った。

 何か、とてつもなく大きな気配を、自分のそばに感じた。


 同時に、全身を貫かれたような、電流に打たれたかのような、大きな衝撃が僕を襲った。


「終わりだ」


 気がつけば、覆面をしたソアラ嬢の顔が、僕のすぐ目の下にあった。

 彼女は右手に持った短剣を僕の胸に深々と突き入れ、そして右手の握力だけでぐりぐりと抉っていた。


 綺麗に、心臓のど真ん中をぶち抜かれていた。

 僕はゆっくりと、後ろへと倒れこんでいく。


 終わりだ、と彼女は言った。

 そう思うだろう。心臓は人体の急所だ。そこを破壊されて死なない人間はいない。抵抗できる人間もいない。だから、僕以外の人間に抵抗してもらえばいい。


「なっ――!?」


 僕が草むらの地面へと倒れこんだときには、カエデ、クローベル、クリッサの三人が、戦闘体勢のまま実体化している。


 間髪入れず、クリッサとクローベルが、ソアラ嬢に斬りかかった。

 カエデはと言うと、滅多に見ない焦った表情で僕に回復薬をどばどばと振りかけている。


 まあ、それはそうだ。いくら賊で人体実験をして、おそらく大丈夫だろうと結論付けていたとはいえ、少し処置が遅れたら普通に死んでいたのである。焦る気持ちもわかる。


 胸の傷が塞がった僕は、むくりと上半身を起こして状況を確認した。


(急がないと)


 見れば、クリッサとクローベルが左右から斬りかかるのを、ソアラ嬢は難なくいなしている。クローベルの斬撃をかわしつつ、クリッサの鋭い刺突は僕の血にまみれた短剣でさばいていた。想定外の事態に見舞われたというのに、大したものである。


 見たところ、ソアラ嬢の方が優勢だ。クローベルの重い両手剣の攻撃が、ほとんど当たっていない。一対一で斬り結ぶと自分が負けることをクリッサはわかっているのか、全身鎧のクローベルをうまく盾のように使って立ち回っているが、崩されるのも時間の問題だろう。


 今はまだ混乱から立ち直っていないようだが、腹を据えてクリッサだけに狙いを絞られたら、クリッサはやられてしまう。いくらクリッサが強いとはいえ、特典スキルを持っている転生者に武術の腕で勝てるわけがないのだ。


気奪エナジードレイン


 僕が魔法を唱える声が聞こえた瞬間、クリッサとクローベルは左右に跳んで道を開く。誤射を避けるための、打ち合わせどおりの動きだった。


 僕の手のひらから放たれた漆黒のマナが、ソアラ嬢へとまとわりつく。


 とはいえ、これはあくまで、魔法が効くかどうかの試しのつもりだった。もし彼女が魔法抵抗スキルを特典で持っていれば、レベル差もあって僕の魔法はレジストされてしまうだろう。だから、クリッサとクローベルは、効かなかったときのことを考えて、またすぐさまソアラ嬢に襲いかかる。


 だが――。


「ぐっ!?」


 気奪の魔法をかけられたソアラ嬢の動きが、目に見えて悪くなった。

 これはラッキーだ。どうやら魔法抵抗スキルは持っていないらしい。


 もし抵抗されたら、魔法で召喚した夢魔とカエデ、計三人と一匹の波状攻撃で

何とか仕留めなければならないところだったので、これは素直に嬉しい誤算である。いわゆる、勝ち確だった。


 棒立ちになったソアラ嬢に、クローベルが、両手剣を横薙ぎに振るう。

 クリッサのクリスダガーが、鎖骨のあたりを狙って突き出される。


 いくら特典スキルがあるとはいえ、物理法則を無視できるわけではない。同時に二点を攻撃されたら、ソアラ嬢の短剣で守れる場所は一箇所だけだ。


 果たして、クリスダガーの刺突は短剣で弾いたものの――クローベルの両手剣が、ソアラ嬢の腰骨のあたりを砕き割った。鮮血が散る。


「がっ――あああああああああ!?」


 腰骨からめりこんだ両手剣は、おへそのあたりまでを断ち割り、止まっていた。心臓ほどの重要器官ではなくても、普通に致命傷である。


 これでも、手加減していた方であろう。クローベルの本気の斬撃だったら、身体が上下に両断されていてもおかしくないのだ。


 激痛で痙攣し、身体をのたうたせるソアラ嬢の両腕を、背後からクローベルが抱え込む。そこにカエデがかけよって、僕にしたときと同じように、ありったけの回復薬をぶちまけた。


「勝負ありでいいね?」


 喉元に、クリッサが剣先を突きつけている。クローベルが、羽交い締めにして両腕の動きを奪っている。これで否だと言うようなら、ちょっとお仕置きも兼ねて拷問ショーがスタートするところだったが、荒い息を吐きながら、ソアラ嬢はこくりと頷いた。うん、素直なのはいいことだ。


「ソアラ!」


 駆け寄ってくるライオット君にソアラ嬢を委ねて、クローベルは立ち上がった。二人に見えないようにドヤ顔をしている。彼女の気持ちを意訳するのであれば、どうだしっかり仕事はしたぞ、これで文句はあるまいといったところであり、そしてカエデがゆっくりと首を振るのを見て、またもやきいーっ、となっている。


 命をやり取りしたばかりだというのに、マイペースなやつである。


「テツオさん、やりすぎです!」


 僕らと違って、ライオット君は必死そのものの顔つきであった。

 横たわるソアラ嬢の上半身を支えながら、血に染まった患部が無事かどうか、触りながら確かめている。


「大丈夫だって、内臓モツもはみ出てないし。それに、いい薬になるんじゃないかな。彼女は、一度心を折っておかないとまたやるよ?」


 のんびりと言った僕の台詞に、ライオット君は絶句する。

 彼の希望としては、なるべく穏便に無力化してほしかったのだろうが、それは無理というものだ。なんせ、レベルだけ見たらソアラ嬢は格上なのである。

 

 いやさ、魔法が効いた時点で、気奪エナジードレインの上に命奪ライフドレインを重ねて、降参を迫るというやり方もあったかもしれないが、それだと多分、彼女の心は折れない。不意打ちを食らったから負けたのだ、次は勝てるという意識が抜けないだろう。


 心を折ることだった。命のやり取りとは、そういうものだ。

 彼女もこれで、死の恐怖を思い出すだろう。そうそう簡単に、再び戦おうという気にはならないはずだ。


「ライオット君、依頼は果たしたよ。これで貸し借りなしだ。僕としては、その娘はカケラロイヤルなんかに関わらず、平穏に暮らしてほしいと思ってる。あとは、君の仕事だよ。上手くいくように祈ってる」


 行こうか、とカエデたちに目配せして、僕は首都へと続く道を歩き出した。

 後には、ぐったりとしたソアラ嬢と、彼女に何事かを話しかけるライオット君が残されている。


 僕にできるのはここまでだ。ソアラ嬢をどう説得するかは、ライオット君次第になるだろう。彼らに与えられたチャンスは、多分この一回きりだ。これを契機に、ソアラ嬢に戦いから遠ざかるよう説得できなければ、もう次はないだろう。


 その一回は、作れた。

 なんだか、すっきりとした気分である。


「替えの服、持ってくれば良かったな。血まみれだ」


 カエデが丹精こめて縫ってくれた甚平は、胸まわりがべったりと赤黒い。

 このまま首都の外門に戻ったら、不審者扱いされてしまうだろうか。案外、魔物を狩ってきた冒険者なんかだと思われて普通に通れるかもしれない。


「できるなら、お幸せにね」


 一度だけ、背後を振り向く。

 ライオット君が、横たわっているソアラ嬢に向けて、必死に話しかけていた。


 彼らがこれからどんな道を歩んでいくかはわからないけれど、できれば上手いところに収まってくれればいいなと、僕は思いながら、帰り道を歩く。

 草原を吹く風は、少し汗ばんだ身体に心地良かった。

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