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関兵太 6

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「ペズン隊長。例の一件のことで、話があります」


 翌日に光の日、つまるところ休日を控えた夜半に、狩りから帰って来たばかりの隊長を捕まえて俺は話しかけた。魔鋼で作られた特注の金属鎧が、至天の月――氷姫セレニアスに照らされて煌々と輝いている。


「ヒョウタか、どうしたこんな夜更けに。緊急か?」


 ペズン隊長が訝しむのも無理はなかった。日付が変わろうかとしている深夜なのだ。そして、ペズン隊長は狩りから戻って間もなく、見ての通りに完全武装した姿のまま。手入れをされる前の鎧は、雑に拭った返り血であちこちがくすんでいる。


 そんな状態の自分に話しかけてきたのだから、緊急の用件なのかと思うのは当然である。


「緊急ではありませんが、早めにお話したいことがあります。例の件についてです」 


 武力衝突が予想されている、裏路地の一斉摘発。

 それが近々行われるということは、内示されていた。外部には情報を漏らさないように、と簡単な緘口令が布かれているので、俺たちの間ではその一件を大々的に話すのは禁忌だった。どうしても話したいときには、例の件、などという言い方をする。


「わかった。着替えてからで構わんか?」


「落ち着いてからで構いません。ただし、ベアバルバ教官にも同席して頂きたいのです。呼び出して頂くことはできますか?」


 ベアバルバが、コンスタンティ家から依頼された護衛任務を失敗したという話は知れ渡っていた。裏路地の一斉摘発は、そこから出てきたものだからだ。その一件以来、ベアバルバは守護隊の宿舎にはほとんど戻ってきていない。

 

 先方の逆鱗に触れ、缶詰めにされて仕事を振られているのだろうとみな噂し合ってはいたが、バンダイ氏という転生者の話を聞いてからというもの、俺はそこに作為の臭いを感じるようになった。


 指揮系統的に、俺たち守護隊の上――ピボッテラリア皇家、あるいは筆頭貴族コンスタンティ家は、何かを隠しているのではないか、そう俺は疑っているのだった。


 ベアバルバ教官に直接話を聞きたいところだったが、俺にその権限はない。別部署で任務中であるかもしれない上官を呼び出すには、ペズン隊長の権限が必要だった。


「わかった。国からは、しばらくベアバルバを借りるとは言われていたが、呼び出して話を聞くぐらいは出来るだろう。使いを出しておく。一時間後に談話室で」


「了解しました。酒肴は整えておきます」


 ペズン隊長には、軽く寝酒を飲む習慣がある。

 この時間だと食堂も空いていないので、いつもペズン隊長は自分でつまみを調達していた。みんなが寝静まった深夜、何やら食堂から物音がするので誰何したらペズン隊長だった、そんな笑い話があるぐらいだ。


 食堂で働く職員も軍属には違いないので、国家の最高戦力であるペズン隊長が一声かければどんなときでも跳ね起きて駆けつけてくるだろうが、そこまでさせるのは不憫だと言って、ペズン隊長は毎晩こそこそと氷冷庫から燻製肉などを持ち出すのである。まるでくすねているようだ、などと笑いの種にできるのは、ペズン隊長が人格者だからなのであった。

 ベアバルバ、ナーヴ両教官と違って、いまは部下の訓練に関わっていないということもあり、彼は慕われる上官だった。


 そんなペズン隊長を、複雑な気持ちで眺めていた両教官の何とも言えない目つきは、思い出すだけで笑いが出る。ペズン隊長が教官の時分、彼らに鬼のようなしごきをしていたのは有名な話だった。


 ともかくも、俺の都合で時間を取ってもらう以上、酒の用意ぐらいはしておくのが気転というものであろう。前世では疎かったこういう気配りも、軍の生活に慣れてきてからは自然と出来るようになっていた。








「それで、だ。俺を呼び出してまで、聞きたいことというのは何だ、ヒョウタ?」


 ぴったり一時間後。


 談話室には、俺、ペズン隊長、ベアバルバ教官、そしてなぜかナーヴ教官まで含めて四人が揃っていた。軍の最高幹部が勢ぞろいという状況に、俺は頬を汗が伝うのを感じた。特別嫌いな人物がいるわけではないが、これほどの面子を俺の都合のために呼びつけたかと思うと、さすがに圧迫感を覚えてしまう。 


 ちなみに、俺がナーヴ教官に感じていた嫌悪感は、かなり薄れた。

 一人前として魔物の狩りに出始めてからというもの、ナーヴ教官は俺のことを新兵扱いしなくなったし、よくよく人物に慣れてみれば、むしろ本人は繊細な気質で、新兵虐めなどを一番嫌がるタイプの人間だとわかってきた。

 ベアバルバ教官などは面倒見がいいように思えるが、実のところがさつな点が多々あり、しごきに当たって部下のメンタル面を気にしたりしないので、慣れると両教官の評価はひっくり返ってくるのだ。


「まあ、自分はおまけですがね。ヒョウタがお二方に面白そうな話をすると聞いたんで、お邪魔しますよ。まさかヒョウタが、この二人を前につまらない話をするとも思えませんしね」 


 ナーヴ教官はにやにや笑いながら、硝子ガラスの器に入った氷を、からりと揺らした。俺を肴に酒を飲むつもりらしい。


 俺にプレッシャーをかけてきているように見えるが、実は逆で、いつでも俺を助けに入れるように身構えているのだろう。


 軍のお偉いさん二人を呼びつけておいて下らない話をするようなら、二人が怒る前に俺を張り倒して、罰を与えた」という事実を作ってやろうとしているのだ。


 上官を呼びつけるというのは、軍においては軽いことではない。

 俺がどうでもいい話をするようなら、シバき倒して罰を与えないと示しが付かない、それが軍の不文律である。ベアバルバ教官はともかく、ペズン隊長の「指導」はちょっと洒落にならないので、もしそんな事態になったら、先んじて自分がヒョウタを殴り倒してやろうという、ナーヴ教官一流のツンデレ気配りなのである。


「では率直に。裏路地が抱えている暗殺者についてです。ベアバルバ教官の護衛をくぐり抜けて、コンスタンティ家の縁者を殺害した人物について」


 俺が話し始めると、ベアバルバ教官の眉がぴくりと動いた。

 この反応は、間違いなかった。腹芸が得意な人ではない。


 バンダイ氏の言う通り、彼には心当たりがあるらしい。


「先日、とある筋から、ベアバルバ教官がその暗殺者と知己であり、詳しい素性を知っていると聞きました。しかし、我々守護隊には、裏路地が暗殺者を匿っているという情報しか下りてきていません。このことについて、お聞きしたいのです」


「それを聞いてどうする、ヒョウタ?」


 返事をしたのが、ベアバルバ教官ではなくてペズン隊長であったことに、俺は愕然とした。

 この情報を聞いて、そんなことを言えるということは、ペズン隊長はすでにこれを知っていたことになる。ぱっと見、大した違いはないように思えるが、あえて俺たちにこの情報を知らせていないということは、よくよく考えると重大な意味があるように思われるのだ。そしてそれを、ペズン隊長も納得しているということになる。


「両者には大きな違いがあります。ベアバルバ教官が暗殺者の素性を知っているのであれば、その人物だけを捕縛、ないしは殺害すればいい。にも関わらず、我々に回ってきた話では、裏路地が暗殺者を匿っているということになっている。この差は何を意味するのか?」


 三人とも、何も言葉を差し挟まなかった。

 それがかえって、彼らは真実を知っているということの証明になっていた。


「やろうと思えば、暗殺者だけを処理することはできるはずです。腕利きを潜入させてもいいですし、正面から裏路地に圧力をかけて差し出させてもいい。それをしないということは、俺たちに、暗殺者ではなく、裏路地そのものを攻撃させるつもりなのではないですか?」


 俺の懸念はそこだった。

 軍の命令に従って、暗殺者と戦うのはいい。しかし、民衆と戦わせるつもりとなると、話は別だ。


「犯罪者と戦い、これを捕らえ、あるいは殺害することに抵抗はありません。しかしその巻き添えで、無辜の民を傷付ける必要があったり、あるいは――」


「もういい、そこまでだ」


 俺の会話を強引に打ち切ったのは、ペズン隊長だった。

 どうしてですか、そう言い募りたいのを、ぐっと飲み込む。


 部屋に訪れた静寂の中で、ペズン隊長が飲み干した盃の氷が、からんと鳴った。


「男子三日会わざれば、などというが本当だな、ナーヴ?」


 何を納得したのかはわからないが、ペズン隊長とナーヴ教官は、穏やかに談笑しながら酒を酌み交わしている。


 話してもいいですか、という風にベアバルバ教官は二人をちらと見た。

 ペズン隊長が頷くのを見届けてから、咳払いを一つしてベアバルバ教官は語り始めた。


「言うまでもないが、機密だ。ここで見聞きしたことは他言無用。いいな?」


 俺は頷いた。他言無用というからには、フェルペス、ニーナ、カーターらにも言うことはできない。彼らに伝えたければ、それもまた、許可を得ねばならないだろう。


「まず、暗殺者の素性について話しておこう。結論から言うと、ヤハウェ氏の知人だった。それも、かなり親しい間柄だ」


 ヤハウェ氏の名前は知っていた。

 ベアバルバ教官が護衛を務めていたコンスタンティ家の貴族である。その護衛対象が、暗殺者を引き入れていた、ということだろうか。


「暗殺者は、少女だ。ソアラという名前で呼ばれていたな。まだ十五にもなっていないぐらいで、身のこなしや雰囲気に、武の臭いを感じない少女だった。その少女を含めて、ヤハウェ氏は数日に一回、三人から四人で何やらはかりごとを巡らせていた。そのときだけは、俺も場を外すように言われたものだ」


 それから、ベアバルバ教官は、順を追って彼らがどんな面子で会合を行っていたのかを説明してくれた。


 ヤハウェ、キョーシャ、ソアラという三人の子供たちが主な参加者であったこと。テツオという人物を仲間に引き込もうとしたが、拒絶されて険悪な雰囲気になっていたこと。それから間もなく、ソアラという少女がヤハウェ氏との密談を希望し、ヤハウェ氏もそれを受け入れて、二人きりで屋敷の一室に篭もったこと。いつまで経っても出てこないので見に行ったら、すでにヤハウェ氏が事切れていたことなど、だ。


(テツオ――)


 その名前がベアバルバの口から出てきたとき、俺は頭の中で、線が一本繋がったような気がした。

 

 それは、リザードマンが多数出没する湿地帯において、俺が偶然出会った転生者だった。暗殺者――ソアラという少女のことをベアバルバ教官が詳しく知っているという情報も、彼から得たものだ。


 つまるところ、彼らは転生者の集まりだったのだろう。

 軍の宿舎に泊まりこみで、連日魔物を狩り続ける生活を送っている俺とは違って、彼らには交流の機会があったのだ。


 ヤハウェ、キョーシャ、ソアラ、そしてテツオ。彼らは四人全員が転生者で、そして何らかの仲間割れがあったからヤハウェ氏が殺されたとみるべきだった。

 

「そして、ここからがお前の知りたがっている情報だろうが――上は、このことを知っている」


 上というのはもちろん、上位系統の命令者、要はピボッテラリア皇家、あるいはコンスタンティ家のことである。彼ら王侯貴族の中でも、軍を好きなように動かせる権力を持っている人物はそうはいない。確か、当主のみがその権限を持っていたはずだ。

 

「それは、どちらが」


 つまり、皇帝か。筆頭貴族コンスタンティ家の当主か。軍を動かせるのは、この二人のどちらかだ。


「両方だ。お二人のおわす場所に、軍の上から三人――俺たちが呼び出されて、内々に命令が下された。ヤハウェ氏を殺害した暗殺者が裏路地とは無関係であることをご存知の上で、お二方は裏路地の規模を縮小するべく軍を動かすつもりであらせられる」


 ベアバルバ教官の皇帝に対する口調は、とても丁寧なものだった。

 それは、軍そのものに対する、逆らい難い命令だったのだということを、間接的に俺にわからせた。


「皇帝陛下よりも、コンスタンティ家現当主のジブリール氏が特に乗り気だった。法の目が行き届かない裏路地という組織が、ここのところやりすぎだと感じていたようだな。これを奇禍として、あの一帯の治安を向上させたいようだ。ヤハウェ氏が裏路地の手の者に襲われたのは事実だし、暗殺者も裏路地に雇われていた、ということにしてな」


「裏路地に冤罪を着せて、ということですか?」


「そうなるな。実のところ、裏路地からはほとんど税が上がってこない。貧しい人々の逃げ込み場所になっているという事実を考慮に入れても、ここ最近の裏路地は、やりすぎているというのがジブリール氏の考えだ。首都の中に、衛兵の目も、皇家の威令も届かない地域があるという現状を変えようとしているのだろう。つまりな、政治の話なんだよ」


 政治の話。それを言われると、軍人は辛い。

 軍の力はとても強大で、やろうと思えばクーデターを簡単に起こしてしまえる分、国への絶対忠誠は念入りに叩き込まれる。上からの命令には従わなければならないのが、軍人という存在だ。


「なにも、裏路地に住んでいる人々を虐殺して回れとか、そういう話ではない。我々軍の精鋭が、裏路地を練り歩く。くだんの暗殺者が仕掛けてくるかは不明だが、恐らくは来ないと見ている。そして、要所要所に、衛兵の駐屯地を建てて回る。衛兵が頻繁に見回りを行って治安を向上させるとともに、裏路地の幹部らがどこにいるかといった密告を推奨する、そういった形になるだろうな。あちらから襲ってこない限り、無辜の民を傷付ける心配はない」

 

 説明を聞いてなお、釈然としないものが、胸の内に残っている。

 裏路地がやってもいないことを、やったと決めつけるというのだ。


 ヤハウェ氏に別口の暗殺者をけしかけたという点を重く見ての処置であろうとは思ったが、ヤハウェ氏が商売で荒稼ぎをしたせいで食い詰めた民が多く出たという事情を考慮に入れると、あちらにはあちらの言い分があろう。

 冤罪を着せてまで裏路地を潰すのが正しいことなのかどうか、俺には判断が付かない。


 しかし、ベアバルバ教官の言う通り、ことは政治の範疇に入ってしまっている。

 餓える民を減らすのが政治ってもんじゃないのか、とも思うが、もはや俺のような一兵卒が口を出すことでもなければ、どうにかできることでもなくなっていた。


 命令があればその通りに動く、それが軍というものだからだ。


「飲むか、ヒョウタ?」


 ペズン隊長が、硝子の器に酒を注いでくれる。俺たちが普段使いにしているような、木や陶器の器ではない、彫り物の施された高級なグラスだった。ペズン隊長の私物である。


 胸にうずまくわだかまりを消すかのように、ひと息に酒を飲み干した。

 普段飲みなれているものよりも濃い、灼けるような酒精が喉を通っていって、俺は少しむせた。


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