白野百合 6
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「ほら、起きなさい、ドル公。あんた以外みんな起きて朝御飯も食べ終わってるのよ。一番下っ端のあんたが寝転がっててどうするの」
犬小屋の扉を、がんがんと蹴りつける。
週二回の、ファンクラブ魔物狩りデーであるというのに、ドルタスはまだ寝ていたようだ。行動を始めるのは明日の朝と大雑把にしか伝えていなかったあたしも悪いが、主をほったらかして従者が眠り込んでいるというのはよろしくない。もう朝の九時頃なのだ。
日付が変わる前に就寝させたし、睡眠時間は足りているはずである。本人曰く、朝は弱いらしいが、知ったことではない。
「おはざっす。うう、頭が痛い」
あたしとセレナおじいちゃん、それにクローベルの三人が住んでいる家の庭にあたしが十秒で建てたドルタスの家、通称犬小屋からのそりと出てきた駄犬は、頭に手を当てて呻いた。
昨日はセレナおじいちゃんの家で飲んでいたから、すぐに小屋に帰って寝れたであろうに、だらしないやつだ。三メートル四方しかない家とはいえ、あたしのマナを空っぽにしてまで建ててやったのだ、もっと感謝していきいきと働いてもらいたいものである。
「確かに自分は朝弱いですけど、今日の場合は二日酔いですよ。姐さん、毎日飲みすぎじゃないですか? タダ酒にありつけるから自分も最初は喜んでましたけど、毎晩ああだとちょいと辛いんですが」
「何よ、だらしないわね。二十歳そこらの若さで、あれしきのアルコールに負けてるようじゃまだまだよ」
朝まで飲んだわけではないし、酒もそこまで強要していない。むしろ自爆といっていいだろう。場を盛り上げようとしたのか、身の丈に合わないほど率先して飲んでいた態度は評価できるのだが、それが元で二日酔いになっているようでは意味がない。
ドルタスのことだから、あたしお手製の酒が美味しすぎて飲みすぎたというしょうもない理由の可能性も捨てきれない。もしそうなら躾が必要である。
「ほら、ちゃっちゃと行くわよ。最近忙しくて、仕事山積みなんだからね」
ここのところ、ファンクラブの活動は、にわかに忙しくなった。
資金繰りが上手くいっているのだ。
あたしが福利厚生として作っている食事、および酒の評判はとても好評、というか絶大な効果を発揮していて、ファンクラブのむくつけき元傷病兵のおっさんたちは、週二回の活動日を待ち遠しく思っているらしい。
クローベルが初日に気合を入れて魔物を狩ってきたおかげで、戦闘を希望しているメンバーにはみな最低限の装備を分配することができた。のみならず、口コミというか、既存の会員の紹介とかで、ファンクラブの人員はドルタスの後にも三人増えている。
彼らにも装備は行き渡っており、そして士気は上々で、居残りで事務作業をするおかん組から出稼ぎ組に移りたいという希望まで出て、いまや魔物狩りは十人近い大所帯で行われているのだった。
それほどに人数が増えてうまく狩りができるのかと疑問視していたのだが、そこは昔取った杵柄というか、元軍人のお偉いさんだったセレナおじいちゃんとクローベルがしっかりと部下に分担を割り振り、組織的に行動させていた。これがまたドンピシャではまっていて、みなきびきびと働くので、ファンクラブ会員のレベルは上がり続けており、収入はどんどん増え続けているのである。
「おかん組、増えてくれないかしらねえ。あたしとあんただけじゃ、結構辛いものがあるわよ」
「ですね。どんどん仕事量が増えてますから」
あたしは会員五番に話しかける。装備がなくて手ぶら状態、いわば無職だった四番と七番の補佐がなくなったので、今では総員一名のおかん組の柱石にして隊長であり、ファンクラブ唯一の事務員なのが彼、五番だ。
今も、あたしたち行きつけの酒場で一人、黙々と書類に羽ペンを走らせている。昼は軽食も出す店のようだが、やはりメインの稼ぎ時は飲んだくれが集まる夜なので、客は一人もおらず、店にはマスターと五番しかいなかった。見ようによっては孤独な作業である。
たまにあたしもフォローに回るが、あたしは出稼ぎ組についていって食事を作ったりする仕事もあるため、基本的にはファンクラブの事務作業はすべて彼に任せることになってしまっている。
今は何とか回せているとしても、遠からずキャパシティを越えて破綻することは目に見えていた。激務なのである。
「そのうち増員かけるから、今は我慢して頑張ってちょうだい。いつもお疲れ、これでも飲みなさい」
あたしは小樽を二つ、彼が書類を積んでいる机の脇にどんと置いた。中身は、あたし特性の葡萄酒と蜂蜜酒である。
気が弱いというイメージ通りというか何というか、おかん組――いや、組といっても一人しかいないのだから五番のことはおかんそのものと呼ぶべきだろう、彼ことおかんは甘口の酒が好みだった。
渡した蜂蜜酒は言うに及ばず、葡萄酒もアルコール発酵の進んでいない、糖分を残した甘いものである。
ちなみにあたしも味見したが、めっちゃ美味しい。ヤバいぐらい美味しい。特典スキルで作ったお酒は、どれもこれも極上の味だった。
売りに出すつもりはないので皮算用になるが、王様とか貴族とかにぼったくり価格で売れるのではないかと思うぐらいだ。
「ありがとうございます。実は、結構楽しみにしてたんですよ。出稼ぎ組の連中が、姫の作るものは何だって美味しいってやたらに言うもんで」
「福利厚生は均等に行き渡らせたいんだけど、あんただけ事務作業やってるから、ご飯を中々作ってあげられなくて悪いなあと思ってたのよ。いつでも作ったげるから、また欲しくなったら言ってね。ドルタス、あんた今日はおかんを手伝いなさい。あたしのパシリなら、書類作業も覚えること」
「了解っす、姐さん」
おかんこと五番に、悪いけどその駄犬に仕事仕込んでやって、と言い残し、あたしは酒場を後にする。事務作業をやることについてうだうだ言うようなら張り倒そうかと思っていたが、ドルタスは骨惜しみをしない男のようだ。そのあたりは評価できる。
次に向かうのは、食材の買い出しだった。
アイテムボックスに収納した精肉などは、いくら時間が経とうと劣化したりはしない。しかし、私のレベルは初期状態の30からほとんど増えておらず、容量が少ないので、買い溜めしておくというのは中々難しい。食材以外にも、入れておかなければならないものは多いのだ。
結果、ほぼ毎日市場に行き、出稼ぎ組の連中に作るご飯の食材を買わなければいけないので、それが結構な手間になってしまっている。生産系の特典スキルを使うのにMPも必要だし、あたし自身のレベルも、そろそろ上げなければならないだろう。
なお、普段はドルタスに荷物持ちをやらせているが、今日は彼がいないのでセレナおじいちゃんがやってくれている。
「今日は何作ろうかしら。みんな肉体労働の後だから、味の濃い、肉々しいものがいいかしらね」
「そうだなあ。若い者ならそれでもいいかもしれんが、みな良い歳だからな。あまりに脂っこいと胃にもたれてしまうかもしれんな」
「そう? じゃあパスタあたりにしようかしら。ぺペロンチーノとか? でもどうせ料理スキル使えば一瞬で作れるんだし、普段は食べられないような手間がかかったものがいいわよね。同じ理由で、高級肉のステーキとかも微妙よね。お金さえ出せば誰だって作れるものじゃ意味がないし」
味噌や醤油が出回っていないので、和食はほとんど再現できない。
料理スキルで省ける材料は、あくまで細かい要素のみで、味の大方を決めるほどの要素ともなると無視できないのだ。
結局、あたしは牛スジを大量に買い込むことにした。
赤ワインで煮込んでぷるっぷるになった牛スジ、今日はこれをメインにしましょう。付け合わせにかぼちゃか何かのポタージュを作れば栄養面もばっちし。
「それじゃあ、必要な食材はあれとこれと――」
海の街の一角にある、屋台がひしめく市場を歩き回りながら、あたしは買い物を済ませていく。
「のう、姫よ」
「なあに?」
本日も大好評のうちに終わった昼食後。たらふくご飯を食べた出稼ぎ組が意気揚々と森の中へと消えていくのを見送って、あたしは作水石の水流で皿を洗っていた。洗い終わった皿は、どんどんアイテムボックスに収納する。人目があるわけでもないので、出先ではセレナおじいちゃんに荷物持ちをしてもらわなくても大丈夫なのだ。
「提案があるんだがな」
「いいわよ、なに?」
見れば、セレナおじいちゃんは何やら真面目な表情をしていた。
いつも微笑を絶やさないおじいちゃんとしては、珍しい顔である。
「クラブハウスだったか、家を建てようという話があったであろう? あれな、首都に建ててみる気はないか?」
唐突な話だった。
しかし、言われてみれば、なるほどその選択肢もあったか、と気づかされる提案でもあった。
「それは、ファンクラブのみんなを連れて、首都に移住しようってこと?」
「そうなる。海の街は過ごしやすいところだが、どうしても人口が少ないからな。ファンクラブの規模を大きくしたいのであれば、頭打ちになってくるであろう?
それに、海の街で大人数を抱えてしまっては、移住もしにくくなる。会員によっては、故郷を離れることにもなるだろうからな。人数がどっと増える前の今なら、身軽にあちらへも行けるだろうから」
「いい案かもしれないわね」
元々は、カケラロイヤルの争いに巻き込まれたくないから海の街を転生地点に選んだのだ。セレナおじいちゃんとクローベル、そして配下のおっさんたちという心強い護衛を手に入れた以上、首都に行ってもまず安全は確保されると見ていい。
セレナおじいちゃんがこの世界で最も強い人間だからこそ、取れる選択肢だった。
「姫と活動をしばし共にしてきてな、ボクは確信したよ。これはいける、これからもファンクラブの人数は増え続けるであろうとな。そうすると、海の街では手狭になってくると思うんだ。首都は人口が多い分、噂が広まるのも早いし、貧しい民の数も多い。炊き出しなんかをやるのであれば、向こうでやる方がより効果的だと思うんだがな。ここは海が近い分、食べていくだけならあまり困ることがないから」
「いいわね。そうしましょう。今日の夜にでもみんなに聞いて、反対意見がないようならその方向で動くわ」
「即断なのは良いことだが、こちらで家族や両親を持っている者もおるからなあ。その者らがどうするかも聞いてみんと」
「もちろん聞くわよ。でもね、動けない事情持ちの人はそこまでいないんでしょ?
親と同居してたりするなら、首都に家を建ててあげればいいのよ。クラブハウスも建てるんだし、家の一軒や二軒増えたところでどうってことないわ。説得すれば何とかなるんじゃないかしらね」
あたしが楽観視していることを告げると、セレナおじいちゃんは笑い出した。
「姫は本当に、物事を決めるのが早いなあ。実に気持ちが良い」
「失敗したら、そのときはそのときよ。理屈としては十分にアリな選択肢なんだから、行動に移して実現可能かどうか試してみないとわからないじゃない?」
若さは、強いなあ、などと呟いて、セレナおじいちゃんは腰を上げた。あたしを見る目は、眩しいものでも見るかのように細められている。
「気づかぬうちに、老け込んでしまっていたようだ。ボクも、少し頑張るかな。姫よ、午後はボクと魔物狩りに行かぬか?」
あたしは驚いて、手に持った皿を取り落としそうになった。
セレナおじいちゃんは戦いが嫌になったから海の街で隠居生活をしていたと、クローベルから聞いていたのだ。それが、一体どういう風の吹き回しで、魔物を狩ろうなんて言い出したのだろう。
あたしと魔物狩りに行くといっても、あたしには戦闘手段なんてないんだから、魔物を倒すのはセレナおじいちゃん一人の役目になる。まさかあたしに剣術を教えようとしているわけでもないだろう。
「なに、レベルだったかな? 姫のそれを、少し上げておこうと思ったのよ。マナに余裕ができれば、家も建てやすかろう。ボクが魔物を仕留めるから、姫は死骸のそばに立っておるだけでいい」
「いいけど、大丈夫なの? 血を見るの、嫌いなんでしょ?」
「構わんさ。ボクもまだまだ、枯れていなかったようだ。若い者に任せっきりにしないで、少しは働こうと思ったのよ」
腕をぐるんぐるん回して、気合を入れるセレナおじいちゃんであった。
有難い申し出ではある。
いずれ、クローベルあたりに頼んで、パワーレベリングをしてもらおうかと思っていたのだ。ただ、クローベルは急造の部下を指導したりするお目付け役で、今は忙しい。
セレナおじいちゃんにやってもらえるなら、それに越したことはない。
「ん、じゃあお願いしようかしら。でもね、気分が悪くなったりしたら言うのよ?
無理されても、嬉しくないからね?」
「ボクを気遣ってくれるか。久しくなかったことだ、良いものだな」
何がおかしかったのか、セレナおじいちゃんはからからと笑い出した。




