関兵太 5
穂先の陣形で、森の中を駆ける。
槍の頂点は重戦士の俺。左翼にカーター、右翼にニーナ。
その後ろに、医療部隊から派遣されてきた治癒魔術師を置き、最後尾をフェルペスが守る。
総勢五名のフェルペス小隊は、ざざざ、と茂みをかき分けて、森の奥地へと進軍していた。
「そろそろ領域だ。戦闘準備、消音移動に変更」
兜の中に仕込んだ念話石から、フェルペスの声が聞こえてくる。後方から魔石を通して指示を出すのは、フェルペスの役目だった。リーダーだということもあるが、最後方から戦況を見渡すことが出来るからだ。
俺は右手に握り締めた剣の切っ先を、天に向けてちょいちょいと突き出す。了解のハンドサインだ。もし今、俺が後ろを振り向けば、俺と同じように全員が了解のハンドサインを出している様を見ることができるだろう。
(歩調を落として、と――)
俺はゆっくりと歩く。道中、邪魔な枝は鉄の篭手で握り折っておく。
ぺきんという枝が折れる音も本来は避けるべきだろうが、鉄の兜で守られている俺の顔面と違い、魔術師の四人は革の頭巾しか身に着けていない。葉で顔面がかぶれる可能性だってあるし、邪魔な枝や茂みは排除しながら進んでやるのも前衛の気遣いだった。
そもそも――俺たちの目標である、矮竜は知覚に優れた魔物ではない。大声で話し合ったり、攻撃魔法の轟音をさせでもしなければ、遠距離からこちらに気づくことはまずないと見ていい。
(いた!)
止まれ、物陰に隠れろ。
俺のハンドサインを見て、小隊員は物も言わずに近くの木陰に張り付く。
(目標発見、二時の方角、数は二、っと)
木々の隙間から、遠くの岩山で翅を休めている一対のワイバーンの姿が見える。まだ豆粒ほどの大きさにしか見えないが、縄張り争いをしている様子はない。つがいなのだろう。
「消音維持。回りこんで接近する」
フェルペスの指示を受け、俺たちは森から抜け出てしまわないよう、茂みに隠れながら目標の岩山へと近づいていく。本職の特殊兵科ではなくとも、ワイバーンに気づかれない程度の隠密行動なら簡単なものだ。訓練の成果である。
(ワイバーンの特徴は――)
矮竜などという名前の通り、すべてにおいて劣化した竜である。
牙には猛毒があるが、息撃は吐けない。
翅はあるが、長時間の飛行ができず、滑空するように空を跳ぶ。
身体もふた回りは小さく、肉体の頑健さもかなり劣る。
歳経た竜と違い、魔法を唱えてくることもない。
あの龍と比べてしまっては、まるで大人と赤子の差がある。
ペズン守護隊長が、挨拶代と称して持ち込んだ酒などの大量の物資、そしてドワーフの通訳まで雇って俺を連れていった大陸の深奥――その秘境の門番だと称する、苔むした巨大な岩石群のような、あの龍。
矮竜どころか、竜ですらない、年経た龍。
原初の三龍という、この世界で最も強い魔物のうちの、一体らしい。
ステータスを見るまでもなく、本能が全力で警鐘をかき鳴らすほどの、圧倒的強者の風格。かの龍はただ寝ているだけなのに、あたり一帯には神域のごとき、淑とした静けさに満ちている――
あの龍を一度見てしまうと、ワイバーンなどは巨大なトカゲである。
つがいだろうと、どうとでもなる。
(念のため、見ておくか)
【種族】ワイバーン
【名前】なし
【レベル】686
(原初の三龍の名前を継いでもいない。異常レベルの個体でもない)
もう一体のワイバーンはメスだったらしく、更にレベルが低くなって639である。問題ない。狩っていい相手だ。
(いける)
ハンドサインで、準備が出来たことを後衛に知らせる。
最大射程50メートルのステータス画面が開けたことからもわかるように、すでに俺たちはかなりワイバーンのつがいに接近していた。まだ気づかれていない。
「小さい方、メスからやる。オスはカーターで足止め。抑えきれなかったらヒョウタはオスに切り替えてくれ。その場合は俺とニーナだけでメスをやる」
妥当な作戦だった。了解、とハンドサインを送る。小隊員もそれに倣う。
「カーター、始めろ」
こくりと頷いたカーターは、立ち上がり、両手にマナを集め始めた。
「氷結」
氷属性色級魔法、氷結。
不意を打てるときは、カーターのこの魔法から戦闘を始めることが多い。ワイバーンほどの巨体ともなれば一撃で完全に凍りつきはしないだろうが、それでも足の一本ぐらいは使えなくなるだろう。カーターは氷魔法をメインで習得していて、主にパーティ内での足止めや分断を担当している。
オスのワイバーンの前脚に氷結が命中し、氷の華を咲かせるのを見て取った俺は、森から出てメスのワイバーンに向かって走り出す。
今頃はオスの方に、追撃で視野阻害の魔法をフェルペスがかけている頃合だろう。そしてカーターが、二発目の氷結を詠唱中――数え切れないほどやってきた連携だ。見なくともわかる。
俺の仕事は、オスを足止めしてもらっているうちに、メスを仕留め切ることだ。
「ふんっ!」
前脚の爪による振り下ろし攻撃を避け――俺は身体ごと、長剣をワイバーンに突きたてる。その巨躯の心臓まで刃よ届けとばかりに、全力で突きこむ。
(浅いか!)
鈍魔鋼製の長剣は深々と胸にめり込んだが、内臓を突き破った感触はない。重傷ではあるが致命傷を与えられてはいない、といったところだろう。
「――――!!」
荒々しく吼えながら、胸に長剣を突きたたせた雌のワイバーンは激しく暴れまわった。身体ごと叩きつけるような前脚の振りまわしを避けれず、俺は跳ね飛ばされて地を転がる。
「風刃」
俺と入れ替わりに、風の刃がワイバーンの顔面を襲う。ニーナの援護だ。
風魔法をメインで習得している彼女は、攻防両面での援護ができる。
風刃で狙ったのは目だったが、失明はさせられなかったようだ。それでも顔面を切り刻まれて、ワイバーンは悲鳴を上げて怯んでいる。絶妙な援護射撃だ。
「ニーナ、愛してる!」
ナイスアシストと言おうとしたが、なぜか俺の口から出てきたのはそんな台詞だった。深く考える暇もないので、俺は手ぶらのまま、ワイバーンに向けて再び奔る。その巨体に取り付き、胸に突きたった長剣の柄を持ち、腹を力いっぱい切り下げた。
再び、ワイバーンが吼える。今度のは、痛覚を伴う悲鳴だった。ワイバーンの腹から、血以外のどろどろとした固形がはみ出てきている。
「おおおおッ!」
間髪入れず、俺はワイバーンの喉に向けて刺突を放つ。
血でぬめり、滑りやすくなっているはずの長剣は、狙い過たず首の芯を貫いた。そのまま、喉を斬り破るように長剣を振り回すと、ワイバーンの首は半分ちぎれたようになった。地面に伏し、狂ったように暴れまわる巨体に接近し、とどめの一撃を振り下ろす。首の付け根を長剣が深々と断ち割ると、ワイバーンはびくびくと身体を痙攣させるのみとなった。
(メスは終わった、次はオス!)
長剣を引き抜き、俺は反転して駆ける。フェルペスとカーターが足止めしておいてくれた、オスの方に。
もはやオスのワイバーンは、為す術もないだろう。二人の魔術師だけで足止めされていたというのに、俺とニーナが加わって四対一になるのだから。
「お疲れーっす」
「うーいうい、今日も良く働いたな俺ら」
行きつけの酒場にて、俺たちは乾杯しあった。鎧は脱いで、みな私服がわりに支給されたローブ姿である。
全身鎧でしこたま蒸らされた後なので、きんと冷えた麦酒が身体に沁みた。
「ぷはあ――今日の戦果は上々だな。ワイバーン二匹を筆頭に、細かいのも数を狩れたし」
「常々思うが、ヒョウタの成長は本当に早いな。化け物じみてるぐらいだ。俺たちじゃ、まだワイバーンは二人がかりでも倒せないぐらいだってのに」
ひがみっぽいフェルペスの台詞に、俺は苦笑を返す。
成長が早いのはレベル成長促進の特典があるからで、俺以外の小隊員が二人がかりでもワイバーンを倒せないのは、彼らが支援魔法を主に覚えているからだ。
「別に俺が凄いわけじゃない。みんなだって、火属性魔法を覚えればワイバーンぐらい狩れるよ。みんなが支援系の魔法を先に覚えてくれたおかげで、俺が楽できてるだけさ」
一般人が、魔法を一つ覚えるのにかかる時間は、平均して一ヶ月。
俺の小隊員は、援護系の魔法こそ豊富に覚えているが、反面、直接的な攻撃力となる魔法の使い手がいない。火力を担当するのは俺の役目だった。
「知ってるか、ヒョウタ? お前、結構な有名人だぜ。狩りを許されてから一月そこらでワイバーンを狩れるようになった新人がいるってな。この前も、先輩の守護隊員にお前のことを聞かれたりしたよ」
「やだなあ、悪目立ちしたくないんだけど。期待されるのって、嫌じゃないか? 微妙な戦果だったときに言い訳しにくいじゃん」
気の知れた仲間たちとの憩いのひと時である。物言いも率直なものだ。
斬った張ったの毎日なので、俺の言葉遣いもずいぶんと荒っぽくなった。
(ほんの二、三ヶ月前まで、平和に学生してたっけなあ)
嘘みたいな、環境の変化である。
ちなみに拗ねた風を装っているフェルペスだが、本気で俺のことを妬んでいるわけではない。
いや、嫉妬は多少なりともあるのかもしれないが、それを向上心に転化させる前向きさが彼にはある。多少相手に突っかかるのも、じゃれ合いみたいなものだ。
「いやよ、真面目な話、引き抜きの話、結構来てるんだぜ。力量に差がある同士で組んでたらいずれ辛くなるだろうから、こっちでヒョウタ引き取ろうかみたいな、そんな話が俺のとこに降りてくるんだよ」
「やだ。俺はニーナといる方がいい」
鼻息も荒く言い切ると、まんざらでもなさそうな素振りで、ニーナがけたけたと笑った。
「あのワイバーンと戦ってたときのヒョウタの台詞、何だったの? 何で突っ込むときに私への愛を叫んだわけ? 噴きそうになって、詠唱失敗するとこだったよ」
「ああごめん、つい愛が口から漏れた」
「馬鹿じゃないのー」
ニーナには、気持ちを伝えてあった。
大前提として、ニーナは出世を希望していて、軍から離れるつもりはない。
そして、女性は軍にいる間、妊娠対策として性交を禁じられるので――俺が気持ちを伝えたところで彼女とどうこうなれるというわけではないのだが、何となく言っておきたいと思ったのだ。
ただ、俺はニーナに女として好きだと告げ、ニーナはふうん、と頷いただけだ。
それだけなのだが――憎からず思われていると感じることがしばしばあった。先ほどのような、他愛ない言動の端々から、それを感じるのだ。
もちろんすげぇ嬉しい。仕事面でも、魔物を狩って日々成長しているのを実感できており、俺としては公私ともに幸せ絶頂といった毎日を過ごしている。
「見ろよあの発情期どもを。古来から友情を破壊するのは金と女だっていうけどよ、ありゃ真実だな。俺らを放っておいて甘ったるい空気出してやがる。カーター、あいつらは放っておいて、娼館行こうぜ娼館。いやな、お前の容姿とかを話したら、おねーさん達がすごい勢いで興味を示してな。きっとモテるぜお前」
「だから、行くなら一人で行ってくださいって。人を話のタネに使わないでくださいよ。前も言ったと思うけど、僕は親がうるさいんですよ、病気貰うから娼館はやめとけって」
「おいおい、いい歳こいて親がダメって言うからダメはないだろ、カーター」
「いいんですよ、軍人の父親を僕は尊敬してるんですから。言うことが間違ってるって思ったこともあまりないですからね。それに言ったでしょう? 僕は身長が低い自分が嫌なんですよ。隊長に連れてかれたところで、いい玩具にされる未来しか見えませんし、夜のお店は遠慮しておきます」
「物は試しってことでだな――」
ナーヴ教官のしごきに耐え、初めての魔物狩りを許されてから、一月とそこら。
時を経て、俺たちの小隊の人間関係は、こんな感じで落ち着いた。悪くない空気になったと思っている。
率直に言って、俺はまだまだ子供である。
ナーヴ教官に噛み付いた一件では小隊員にも迷惑をかけたし、今だってフェルペスが上手いこと話術で小隊内の空気を良くしてくれているからいいものの、本当は小隊内で惚れた腫れたの話をされるのは嫌なはずだ。
フェルペスが俺の上にいないと、俺は問題児になりかねない。
ニーナと同じ小隊がいいというのも事実だったが、フェルペスのいない小隊に配属されるのも、それはそれで願い下げだった。フェルペスたちへ気兼ねしているわけではなく、本当に俺はこの小隊のままが良かった。転属なんて嫌である。
(そういえば――)
小隊内に色恋を持ち込んだことを、カーターに詫びたことがあった。
嫌な顔をされるかと思っていたら、気にしなくていいと肩を叩かれた。
聞けば、戦力として重宝する俺のことを使いでのある人材だと評価してくれていたらしい。自分で言うのもなんだが、戦士としては確かに俺は優秀で、カーターはそんな俺と組み続けたいと言ってくれた。
見た目ショタなので誤解しがちだが、彼はビジネスライクな男である。
任務に支障が出ない限り、自分は気にしないと俺に言ってくれた。有難い話だ。
こんな感じで、軍での俺の生活は、いい具合に回っている。
「あれ、ヒョウタさん。ご無沙汰です」
「ん――おお、ドルタスじゃん。珍しいな、こっちまで飲みに来るのは」
突然呼び止められたので振り向くと、そこには顔なじみの兵士の姿があった。
実家が宿屋だかをやっている兵士で、守護隊ではなく一般兵である。犬っぽいというか、人懐っこい顔つきをした彼と初めて会ったのは、彼が見回りの任務に就いていたときだった。
先輩だからという理由で俺は最初、彼に敬語を使い、彼は俺に対して上官だからと敬語を使った。しばしお互い妙な譲り合いをしたという経緯があり、今は仲の良い顔見知りのようになっていた。
「こっちは値段が張るからって滅多に来ないのに、どうした? 給料日、まだ遠いだろ?」
この酒場は、宿屋ギルドと提携している大手商会が軍の敷地内に作ったものなので、一般人は入ってこず、出てくる酒や飯も質が良かった。要するにちょっといい店なのである。
一般兵のドルタスにとって、ここは好きに飲み食いできるような店ではないらしく、普段は街に出ていって飲んでいるようだ。
「挨拶回りを兼ねて、ですかね。クララ・クリマへの出向が決まりまして」
「この時期に? 何か異動が起きるような理由ってあったか?」
「栄転っちゃ栄転ですね。あっちで近々街を広げるらしいんで、兵士の数が足りなくなると。小隊長格にしてやるから行ってこいって感じですよ」
「お、そりゃめでたい。今日は一人か? 奢るぜ?」
「マジっすか、と飛びつきたいところなんですが――ペズン隊長に呼ばれてまして。店の二階にいるらしいです」
守護隊長、ペズン・シスルーシクが、この酒場に、いる。
今まで知らなかった情報を耳にした俺たち四人は、目に見えて狼狽した。
数々の武勇伝を作った若かりし頃とは違い、今のペズン隊長は軍のてっぺんにどっしり腰を据えているので、俺たちとの接点は少ないのだが――ベアバルバ教官の馬のケツなめさせ事件などを筆頭に、情け容赦ない苛烈な性格であると刷り込みがされているため、ペズン隊長の名を聞くと思わず背筋を伸ばして立ち上がってしまう俺たちなのであった。
俺に社会人経験はないが、下っ端社員のところに会社重役級のお偉いさんが抜き打ち視察に来たときなど、きっと似たような気持ちなのではないだろうか。
「や、任務の話ではないそうです。何でも、クララ・クリマには引退した先代の守護隊長がいるそうで、時候の挨拶をしたためた手紙を言付かって欲しいんだとか。雑用にかこつけて、自分の栄転祝いをしてくれるんでしょう。自分みたいな下っ端まで気にかけてくれるなんて、有難い話ですよ」
「お、おう」
身近で接すれば接するほど、畏怖の念が膨れ上がってしまうのがペズン隊長という人物である。ある意味、気楽にあの人と話せるドルタスが羨ましい。
「自分も緊張するっちゃしますけどね。何せ手紙を運ぶ先が、あの先代様じゃないですか。引退するときに先代様から譲ってもらった剣の前で、ペズン隊長が毎朝黙想する話なんて有名ですし、それこそペズン隊長が敬愛する先代様に粗相があったらどうしようかなって不安ですよ。先代様は許してくれても、ペズン隊長がぶち切れそうじゃないですか」
有り得る。
俺たちは真顔でうんうんと頷いた。
ペズン隊長が、先代の守護隊長を範として敬愛しているのは有名な話である。すべてにおいて自分は先代に及ばないと話しているところを、俺も見たことがある。
「まあ、向こうに行っても元気でな。どうせなら、綺麗な姉ちゃん引っかけて帰ってこいよ」
「何言ってんですか――って言いたいところですけど、自分も二十歳を超えましたしね。そろそろ嫁見つけて母親安心させてやらないとって思いますよ」
「実家、宿屋だったか。看板娘、見つかるといいな」
「はは、どうも。ペズン隊長待たせても悪いんで、自分はもう行きます。ヒョウタさんも、お元気で」
またな、と去っていくドルタスを見送る。
人懐っこいというか、喋る前からにこにこしているので、親しみやすい性格の男である。ああいう人間は、どこへいっても好かれるだろう。願わくば、いい嫁が見つかりますように。
彼の前途に幸あれ、と酒樽を持ち上げて祝福する俺であった。




