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盤台哲雄 12

「くっ、まさかご主人様からこのような辱めを受けようとは――!」


「辱めも何も、顔を出して街を歩いてるだけだよ、クローベル?」


 僕は苦笑した。冗談で言っているわけではなく、本当に恥ずかしいようで、僕と腕を組みながら街を歩くクローベルの顔は真っ赤に染まっていた。可愛い。


「顔もそうですけど、腕もですよ腕も。あああ、脇から外気が入ってくる、落ち着かないいいい」 


 言いながら、できるだけ空気と接しないようにぎゅっと脇を締めつつ歩くクローベルである。


 彼女が何をこんなにも恥ずかしがっているのかというと、彼女のトレードマークとも言うべき銀の全身鎧の一部――兜と腕当てを外しているからである。

 正確には、首当ても取り外したので、残っている部位は胴体と腰から下だけだ。


 腕全体と首から上は、僕も初めて見るクローベルの私服姿である。

 

 綿の入った、少しもこっとした茶色い長袖――紐でタイトに縛った鎧の下地ともいうべき服を着ているので、素肌が晒されているわけではないのだが、彼女にとってはそれですら露出であるらしい。

 少し丸みのある、愛嬌のあるそばかす顔。それがきょろきょろと左右を見回すたび、赤毛の短い三つ編みが不安そうにふりふり揺れた。


(鎧を全部脱いだら、侠者でも誰だかわからないんじゃないかなあ)

 

 そう――今日は、クローベルと二人きりの外出だった。

 侠者に急かされていることもあり、主目的としては精霊契約をする四本目の武器の買い出しである。

 カエデが赤ん坊のディアナに付きっ切りで身動きできない現状、外出時のお供はクローベルになる。今までは実体化させたカエデと二人で行動することが多く、クローベルは剣の状態でお留守番をしていることが多かったので、ようやく二人きりで外出するとあって「デートですよ、デート!」と出発前からクローベルはご機嫌な様子であった。

 

 僕としてもクローベルに惹かれており、そんな彼女が僕とのデートを楽しみにしていてくれる。これが嬉しくなかろうはずがない。

 ないのだが――あまりにクローベルがはしゃぎすぎてカエデの逆鱗に触れてしまい、正妻の強権によって鎧を一部剥がれた状態での外出を強いられてしまった。


「常在戦場、悪いとは申しませぬが、旦那様の前でも鎧を着込むなどという無礼、言語道断! 斯様な有様で、側室になりたいなどと、ようもまあ申せたもの!」


 確かに、四六時中鎧を着ていないと落ち着かないという性格には問題がなくもないので、カエデの主張は正論ではある。極めてしぶしぶながら、クローベルもそれを受け入れた。


「あああ、すーすーする、落ち着かないよおおお」


 未熟者の剣――僕の身長ほどもある両手剣の精霊である彼女は、閉所恐怖症の逆バージョンである。銀製のフルプレートアーマーで全身をくまなく覆っているときに無上の安心感を得て、逆に鎧を着ていないと落ち着かないのだそうだ。

 日頃から、屋内にいるときでも全身鎧を着込んでいるのはそのためである。銀の足甲であるので、もちろん歩くときもガチャガチャ足音がする。


 本人は細かいことを気にしない、というより大雑把な性格であるので、絨毯などの敷物がない宿の床などを歩くときはこちらがハラハラする。床を傷付けてしまいそうだからだ。


 そんなクローベルの性格が、カエデの気に入っていなかったようで、今回は脱衣ならぬ脱鎧を強制する運びになった。二人はなぜか相性が悪い。顔を突き合わせては何かしら言い合っている。どちらも僕と契約した精霊なのだし、クローベルは嫁候補なのだし、仲良くして欲しいものであった。


 脱鎧と言っても、脱いだのは兜と、腕から首までの鎧だけだ。それ以上脱がせようとすると、まるで全裸に剥かれようとしているかのようにクローベルが暴れまわって拒絶するので、カエデも仕方なく諦めたようだ。


 カエデは不満そうだったが、段階を踏んで少しずつ慣らしていこうという僕の仲裁もあり、何とかその場は収まった。賊に襲われているところを間一髪で助けられた少女みたいな瞳でクローベルが僕を見ていたが、彼女にとって鎧を脱ぐということはそこまで嫌なことなのだろうか。


「というかクローベル、ゴーヴさんの武具屋で展示されてたとき、鞘に入ってなかったよね? あれは平気だったの?」


「ぜんぜん平気じゃないです。抜き身に剥かれた状態で見世物にされる羞恥ときたらもう。お父様、駆け出し時代の未熟な作品を展示することで初心を忘れないようにしてたらしく、飾ってはいても私を売り物にするつもりはなかったですからね。

ご主人様にはわかりますか? 失敗作として見世物にされ、買い物客に私のどこそこが悪いって品評され続ける日々の悔しさと屈辱が」」


 ああ、なるほど。あの頑固な職人なら、そういうこだわりもあるだろう。

 クローベルの全身鎧着ていたい病はそういう劣等感の裏返しなのだろうか。


「たまーに私を買おうかなって興味を持ってくれる人がいても、やめとけやめとけってお父様は追い返しちゃうんですよ。私を作り出してくれたお父様には感謝していますが、あの仕打ちだけは嫌でしたね。早く売れて家を出たかったのに、微妙に器量が悪くて長いこと売れ残ってましたし。なので、そこを押して私をご主人様が買ってくれると聞いたとき、嬉しくて仕方なかったんですよ」


(それで、最初から好意を持たれてたのか)


 未熟者の剣を買って間もない頃から、僕は彼女に好かれていた。

 赤ん坊のディアナの守り刀であるロベリアが、術者としての主である僕に敵意を隠そうとしないように、精霊契約した相手が無条件で無上の信頼を寄せてくれるわけではないので、クローベルが僕を好いてくれる理由がいまいちピンと来ていなかったのだが、ようやく疑問が氷解した。


 要するに、自分を認めてくれた最初の人だという理由なのだろう。


「そうかな? 愛嬌があって可愛いと思うけどな、クローベルは」


「ご主人様ったらー!」


 ぎゅーと、腕をより強く絡めてくるクローベルであった。可愛い。

 

(それにしても――さすがは侠者直伝の会話術。効果てきめんだなあ)


 いつぞや、侠者と二人で飲み明かしたときに、お互いの前世についてよもやま話をした。彼が、ハーレムマスターだったという話になったとき、戯れに「じゃあ女性陣の口説き方でも教えてもらおうか」などと言ってみたところ、よっしゃ任せろーなどとノリノリで会話術を教えてくれたものである。


 彼いわく、最初のステップにして究極奥義、それはホメ殺しだというのである。


「とりあえず褒める。超褒める。照れずに褒める。可愛いねって言っちゃう。褒めとけば何とかなるっていうのはあながち間違いじゃない。ただし、考えなしに褒めるなよ? 『可愛いって、どのへんが?』って聞かれたら、具体的に答えられるようにしておかないと、なんだ適当に言ってるだけじゃないって逆に怒られるからな。紳士かつ真摯に褒めるんだ」


 彼の教えは確かであった。クローベルはとても上機嫌で、鎧を一部分だけとはいえ脱いでそわそわしていたのを忘れてしまっているかのようだ。

 

「もうクローベルはご主人様にメロメロです。そんな私を連れて、ご主人様は今から――何と、新しい女を買うために市場へ行くのです! きゃー外道ー!」


「人聞きの悪いことはやめてくれるかな、クローベル」


 僕は苦笑した。彼女は女性であるからして声が高く、よく通る。

 そんな彼女がご機嫌に騒いでいるので、道行く人々が足を止めてざわめく。群衆から僕に注がれる視線は、色情狂の外道男を見るようなそれであった。


「でも、あながち間違いでもないかな。武具市に良い娘がいるといいなって思ってるし。店売りの武器は、なんだかしっくり来ないんだよね」


 首都ピボッテラリアには、鍛冶屋も多い。

 軍に武器を卸す工房、冒険者向けによろず商いをする工房、包丁や鍋などの日用品を作る工房――店ごとに特色は異なるが、この広い首都には十件は下らない鍛冶屋がある。


 もちろんその中には、草原街グラスラードのゴーヴ一派といい勝負をする熟練の名工もいるのだが、ずらりと店内に並ぶ数打ちの武器を見ても、いまいち食指が動かないのだった。


(なんだか、アイドルグループのライブ映像でも見ている気分だ)


 彼女たちは確かに綺麗である。でも、それは画一的に飾られた綺麗さであって、作り物感がどうしても否めない。手にとって愛で、妻にしたいという欲望が湧いてこないのだ。


(なんか、しっくり来ないんだよなあ)


 美食に慣れた人間がより美味い食事を求めるように、僕も舌が肥えてしまったのかもしれない。刃物のギラつきを見ると今でも心は躍るものの――紅葉切の小さな刀身に凝縮された美しさや、未熟者の剣の豪快なインパクトの前では、やはり霞んでしまう。


 かといって、妥協すべきだとは思わないのだ。

 間に合わせの剣を買って、精霊契約をして戦わせようとは、思わない。


 これから家族として迎え入れるのだ、こいつが欲しいって僕が思うような一振りを見つけ出し、愛でたいものである。


「さっきからぼーっと、何を考えてるんです、ご主人様?」


 無口に道を歩いていた僕を不審がったクローベルが聞いてくる。

 

「ん、クローベルよりも可愛い子は中々見つからないなあって思ってたんだ」


「ご主人様ったら口が上手いんだからー」


 満更でもなかったのか、組んだ腕を一層絡めてくるクローベルであった。

 

 僕とクローベルは、身長がほとんど変わらない。その僕たちが腕を組んでいるので、顔はかなり接近する。普段は兜の面頬を上げた隙間からごく一部分が見えるだけなので、赤毛の三つ編みまで含めた顔の全体像を見る機会は中々なく、僕にとっても彼女の素顔は新鮮であった。


 そんな彼女の顔が近づくと、僕は年甲斐もなく、少しどきりとしてしまう。

 何のことはない、僕もデートを楽しんでいるのであった。


「普段と比べて、今日はやけにご主人様が褒めてくれます――はっ! これはまさか口説き!?」


 表情がくるくる変わる、面白い娘であった。見ていて飽きない。


「ご、ご主人様が無言でにやにやしています! やはり間違いありません! どうやらクローベルは今日、大人の階段を上ってしまうようです! 武具市に行く行くといいながら、いつしかご主人様の足は連れ込み宿に向かうに違いありません!」


「あっはっは」


 我慢しきれず、僕は笑い出してしまった。

 あれこれ想像して頬を赤らめるクローベルが可愛くて仕方がない。


 カエデが夜伽禁止令を出していなければ、本当に彼女を連れ込んでしまっていたかもしれない。カエデは未だに彼女のことを認めておらず、僕にも彼女を抱かないようにと再三念押ししてくるのである。


「クローベルがカエデと仲良くしてくれるとね、僕も嬉しいんだけどな」


「仕方ないですよ。あのロリババア一号、やけに私を目の敵にしてくるんですもん。きっとあれですよね、ご主人様に愛されてる私に嫉妬しているんですよ。陰険な奴です!」


 この調子である。本当に二人は仲が悪い。反りが合わないという奴だ。


(そういう意味では、侠者は鉄人だなあ。すごいよ彼は)


 侠者はハーレムマスターである。前世の嫁の数は九人、恋人だけなら全盛期にはもっといたという。

 それだけの女性を娶っておきながら、女性間の確執はほとんどなかったそうだ。女性だって馬鹿ではない。自分が愛されていないと判断したら、彼の元からは去っていってしまうだろう。そうならなかったということは、九人もの嫁、さらには彼の子供たちまでも、不満が出ないようにしっかりと構っていた上に、女性同士で不和が起きないようにメンタルケアも充実していたということだ。


 彼とて社会人である。そう余暇があるとも思えないし、どこをどうしたらそんな離れ業が可能になるのかまったくわからなかったが、ハーレム生活は実際に成り立っていたようだ。

 

 たった二人だけで板ばさみになってしまっている僕も見習わないとなるまい。


「でも、ご主人様もずるい人ですよね」


 クローベルはくすりと笑った。彼女は意識していなかったのだろうが、その仕種に妙に艶があって、僕はどきりとする。


「ごく当たり前のように二股宣言してますもんね。それでいて、更に女の子が増えるかもしれない。けど、みんな欲しいから仲良くしてくれって言うんですもん」


「あ、あはは」


 乾いた笑いしか出てこなかった。多分僕の頬は引き攣っていたことだろう。侠者だったら上手いこと言いくるめることも出来たかもしれないが、とっさに良い言い訳を考えつくほど僕は女性に慣れているわけではなかった。


 複数の女性と関係を持ちたいと思っていることは、まったくの事実なのだから。


「――うん、そうだね。我がままだと自分でも思うよ。でもね、僕はどうしても、カエデとクローベルの二人が欲しいんだ。どちらかなんて選べない。何とか、仲良くしてくれないかな? ダメ?」


 言っていて、苦しい台詞だと思う。しかし、二人とも欲しいというのは偽らざる本心だ。カエデと別れたくはない。しかし、クローベルの明るさは、僕にとって無くてはならないものだ。クローベルに言われた通り、ずるいとは思うのだが、僕は二人とも繋ぎとめていたかった。 


「んー。それはさすがに嘘ですね。本当にどちらか選ばないといけなくなったら、ご主人様だったらカエデさんを選びます。私じゃなくてね」


 頬を一筋、冷や汗が流れていく。否定できない。

 どうしても二人のうちどちらかを選ばざるを得ないなら、カエデを選ぶだろう。


「まあ、いじめすぎるのも何ですしね。このあたりで許してあげます。たまには釘を刺しておかないと、都合の良い女扱いされちゃいますからね。少しは私のことも構おうって気になってもらわないと」


「降参だよ、クローベル。肝が冷えた」


「んふふ。ご主人様には侠者さんみたいな手管なんてないんですから、精一杯構ってくれないと女の子、離れていっちゃいますよ――なんてね。今日もし新しい武器が見つかって後輩ができるなら、私もそのあたり主張しておかないと、いつの間にか構われなくなっちゃいそうでしたからねー」


 なるほど、家庭という領土において、女性陣にも縄張りみたいなものがあるらしい。僕からの愛情とか、構ってくれる時間とかを、彼女たちは分配し合うのだ。


 後輩が出来ると聞いて警戒するクローベルの気持ちだってわかるし、すでに持っていた自分の領土を後輩に分け与えざるを得ないカエデの気持ちだってわかる。

 というよりも、正妻だからと悋気を病む様子を表に出さないカエデがむしろ例外といえるかもしれない。


 カエデは、僕に良く尽くしてくれる。僕はそれに甘えて、彼女に了承を取ったとはいえ、どんどん女の子を家に増やそうとしているのだ。カエデだって内心では面白かろうはずがないことぐらい、ちょっと考えればわかることなのに。

 

 そういう意味では、カエデとクローベルの仲が悪いのは、ある意味で僕のせいなのかもしれなかった。自分の縄張りを荒らされる不満のはけ口が、至らぬ後輩への厳しい指導という形になってクローベルに向かっているのだとしたら、それは僕の甲斐性不足が原因と言える。


 愛情という領土を僕はもっと広げて、彼女たちが縄張りの大きさに不満を持たないようにしないといけないのだ。


(帰宅したら、一度カエデとしっかり話し合おう)

 

 そう、深く思った。身体の繋がりだけでは解決できないことが、家庭には多くあるのだ。不和の種があったら、それを取り除かなければならない。それが僕の役目だと、今まで僕は気づけていなかった。


(それにしても――)


 ちょっとクローベルから釘を刺されただけで、僕はあたふたしてしまっている。

 この通り、僕は二人だけで一杯一杯なのに、九人も嫁を抱えてたのか、侠者は。


 改めて思う。僕の友人は鉄人である。 







「ううん、微妙」


「微妙ですか、ご主人様」


 手に取るまでもない刃物の数々に、僕はため息を吐いた。

 武具市ということで、何かしら掘り出し物があるかと思ったが、僕の眼鏡には適わないものしか並んでいない。


 ここは武具市の会場となる、闘技場コロシアムの一角である。

 闘技、及びそれの観戦という本来の用途で使われなくなって久しい首都のコロシアムは、今日では多人数が収容できるイベント会場という要素が強いらしく、大きな催し物がある日はここで行われていることが多い。


 今日の武具市では、大小数十を超える出店がある。

 机の上に絨毯や布を敷き、その上に得物を並べているだけの簡易な屋台が、最低限の通路を残してコロシアムの中にひしめいていた。


 当然ながら、武具を安く買えるチャンスということで人出も多いのだが、賑わいに比例して僕の期待も高まっていただけに、実情を知ると落胆せざるを得ない。


「大きな声では言えないけれど――メンテナンスの悪い刃物が多いね」


「ほほう、手入れがなっていないと」


「うん。ちゃんと使っていれば、もっと長持ちしただろうなっていう刃物が多くて、別の意味で目に毒だね。不憫になってくるよ」


「不憫と来ましたか」


 僕が屋台に並んでいる刃物をざっと見て回るのを、クローベルは一歩下がって見守ってくれていた。彼女にとっては、これから買うのは後輩であり、嫁候補というライバルでもある。それを僕が真剣に探すのは内心では面白くないはずなのだが、そんな素振りはおくびにも出さない。


 先だって、クローベルをもっと構わないとな、と決めたばかりではあるが、侠者と連れ立って狩りに行くという約束もあり、戦力の増強は急務なので、武器の購入を放り出してクローベルとデートを楽しむだけというわけにもいかないのだ。


「例えば、そこの店に並んでる中古品の刃物は全部良質の鋼を使っているけれど、砥ぎ方が悪いものが多いね。切れ味の良い部分、刃の付け方が雑だし、うち二、三本は刀身が歪んでしまってる。砥ぎの扱いが雑だったから、刃物としての寿命を縮めてしまったんだろうな。ひどい店だと、刃こぼれを通り越してヒビが入ったような剣を、正規品の半分の値段とか言って堂々と売りに出してる。あれだと、鎧とか剣を斬ろうとしたらすぐに折れるよ」


 刃物を研ぐのは、前世での僕の趣味の一つであった。


 僕が日常的に使っていた包丁は、良質な鋼を使った一品物である。

 それを、品質の良い砥石を使って丁寧に仕上げていく行程が、僕にとっては何よりの癒しであった。


 包丁に使っている鋼の種類だとか、天然と人口砥石の違いだとか研ぎ方だとか、そういうウンチクを語り出せば小一時間どころか丸一日は余裕で喋り続けていられるので割愛するが、丹念に時間をかけて研ぎ上げた包丁の、しんとした輝きを見るのが僕は大好きである。

 

 曇り一つなく輝く鋼に、指先を押し当ててほんのり指紋を付ける瞬間など、乙女を汚しているかのような背徳感さえ覚えたものだ。


 そも、刃物と研ぎとは、切っても切り離せぬ関係にある。

 研ぎの技術が悪いと、刃物は本来秘めている性能を引き出すことが出来ない。


 カエデやクローベルは精霊なので、どれだけ本体の武器を酷使したところで、実体化と物質化を繰り返せばすぐに最高の切れ味の姿を取り戻すのだが、普通の刃物はそうではない。メンテナンスがなっていないと、あっという間に刃物は死ぬ。

 質の良い剣が、扱いの雑さによってどれほど短命に散っていったことだろう。


「ご主人様、眉間に皺が寄ってますよー」


「ん、ごめんごめん。世の中を嘆いてたんだ」


「そこまで!? 研ぎ方を憂いていたのかと思ったらどこまで飛躍してるんですか!?」


「世界には、悲しみが溢れているね」


「戻ってきて! 戻ってきてくださいご主人様!」


 ひとしきり漫才を楽しんだところで、僕は素に戻ってため息を吐いた。

 お目当ての、僕が気に入るような刃物が見つからないのである。


「いい娘、いませんでした?」

 

「うん。もう諦めて、店売りの刃物を探した方がいいのかなあ」


 質の良い数打ちの剣ならば、熟練の職人が構えている店に行けば手に入る。鉄ではなく、大陸の中心地に近い奥地の鉱山から採取できるという魔力鋼を使った高級品ならば、切れ味に不足はないだろう。


 それで我慢しようと考えつつ、僕が肩を落としながら、武具市にもはや見るべきものはないと、踵を返そうとしたときのことだった。


「さあ、もう間もなく! 間もなく、コンスタンティ家の御蔵出しを始めさせて頂きます!」


 脚立に上り、一段高いところから声を張り上げている売り子の叫びの中に、知った貴族家の名前があったことで、僕はぴくりと反応した。


「コンスタンティ家? ヤハウェのところか」


 この首都を国王に代わって治めている、貴族家である。

 御蔵出しとは、一体何だろうか。武具市にやってきている以上は売り物があるということだが、あの家が何かしら武器防具に関係しているような商売をやっているとは初耳である。


「詳しく聞いてきましょうか? ご主人様」


 僕が興味を惹かれていると思ったのか、クローベルはそう言うや否や、脚立の売り子のところへとたたたっと走り寄っていった。脚立の下から彼に声をかけ、しばし何かを話し合った後に、僕のところへと戻ってくる。


「聞いてきましたよー。何でも、あの貴族家に秘蔵されていた、高級武具を売りに出すらしいです。それがどうも、今日の武具市の目玉だったみたいですね」


「ほう? いつもこういうことをやってるのかな、コンスタンティ家は」


「いいえ、今回が初めてらしいです。私たちは知らなかったですけれど、事前の告知はあったみたいですから、調べればわかったと思いますよ。家宝とか、一品物で特注の武器とかを売りに出すらしいです。見て行きませんか?」


「うん、それはもちろん、そうするけど」


 僕は引っかかりを覚えて、少しばかり考え込んだ。


(このタイミングで、家宝を手放す?)


 今まで一度も御蔵出しとやらが行われたことがなかったというなら、今回それを行うだけの理由があったということになる。


 その目的は何か――考えるまでもない。金が必要なのだ。

 家宝を売りに出す理由なんて、他にあるわけがない。 


(ではなぜ今、まとまった金銭を欲しているのか?)


 それも、ヤハウェが死んだばかりの、このタイミングにである。

 決して別々の理由からではなく、ヤハウェの死とまとまった金銭を欲しているということを繋げて考えれば、おおよその内情が見えてくる。


 ――コンスタンティ家は、戦の準備をしているのだ。

 そう考えるのが、自然である。


 恐らくだが、ヤハウェを路地裏に暗殺されたと思い込んでいるコンスタンティ家が、復讐を果たすべく資金繰りをしているのではなかろうか。


 得た金銭をどう使うかまではわからないが、王家への根回しとか、兵隊を養うとか、そういう使い道をするに違いなかった。

 ここまで大っぴらに資金を集めるならば、路地裏へ何かしらの対処をすると、コンスタンティ家の意思が統一されているものと見ていいだろう。


「――まあ、僕が気にしたところで、しょうがない。ちょっと見に行ってみようか、クローベル。貴族家の家宝なら、いい武器もあるかもしれない」


「そう来ると思ってました。競り形式らしいですよ」


 連れだって、僕はコロシアムの一角を目指して歩いていく。

 コロシアムを正方形だと仮定して、コンスタンティ家の競売会場は、右上の角に

かなり広いスペースを使って作られていた。

 

 会場の外周には人が入り込めないように荒縄でぐるりと仕切りが作られていて、

階段状になっているコロシアムの観客席から競売会場を見下ろすような形で競りを行うらしい。


 すでに高級そうな絹などの布包みが次々と解かれていて、売り物が何本か、観客席からも見やすいように競売会場に並べられている。遠目からでもすぐにそれとわかる、業物の数々だった。思わず胸が高鳴る。


「どうです、ご主人様? 良さそうなのありました?」


「うん。かなり期待が持てるね。貴族家の家宝って言うだけはあるよ。どの刃物も、姿が凛としてる。それも魔力鋼みたいだね。鋼の色が違うから」


 基本的には鉄と同じ色なのだが、陽の光を照り返したときの輝きが、わずかに違う。例えばもっとも前面に飾られている長剣は、銅に似た力強い光沢がある。


「武器以外にも、鎧とかも売るみたいですね。金属鎧だけじゃなくて、魔物の革とかを使ったものもありますよ。うわ、すごいですよご主人様。あの鎧、革鎧の上に加工した竜の鱗を貼り付けてあるそうです」


「おお、ドラゴンとな」


 ファンタジー世界の定番ではあるが、僕はこの世界に来てからというもの、一度も竜の姿を見たことがなかった。実在はしているらしいのだが。


 どんな姿かは知らないものの、竜というぐらいだから強大な種族なのだろう。

 人類の生息圏には、彼らはやってこない。竜が生きていくには、このあたりのマナは薄すぎるのだろう。


 してみると、もしあの竜の鱗で作った鎧が本物であるとするならば、わざわざ竜の生息圏にまで足を伸ばして鱗を入手したことになる。どれだけの値段が付くのだろうか。


「竜の鱗って、実際のところどうなんでしょうね。すごく強い素材だとは聞いてますけど」


「僕もそれは知りたいな。触ったことももちろん、見たこともない」


 武具市に来て良かったと、今なら思える。どんな出物があるのかと、胸の高鳴りを抑えきれない。


「では、始めさせて頂きます。一本目は、鈍魔鋼ウーツ製の長剣です。鍛えは五代ゴーヴ。草原街グラスラードに居を構え、代々最も力量優れた弟子に名前を襲わせる一派です。五代ゴーヴは先代にあたりまして、繊細かつ優美な仕上げを得意とする鍛冶として名を馳せています。この長剣は全盛期の一振りでして、コンスタンティ家が当代随一の名を欲しいままにしていた五代ゴーヴを招聘し、特注にて誂えさせた逸品でして――」


 よく通る声の司会が、拡声機も使わずに朗々と出品物の解説を読み上げる。


「始まったね。先代のゴーヴっていうと、クローベルを作った人の師匠かな」


「そうですね。質実剛健、力強さが売りのお父様と違って、剣の美しさを求めた方でした。今でこそお父様は細かい彫刻も得意ですけれど、それでも先代様にはまるで追い付けていませんね。あそこで展示されてるのは、司会の人が言った通り、全盛期の品で間違いないです。極限まで無駄をそぎ落とした、軽くて凄まじい切れ味を誇る一振りですね」


「お、いつにもまして真剣だね、クローベル。眼の色が違うよ?」


 同門かつ、自分を作った当代ゴーヴの師匠ということで、クローベルは食い入るように壇上の長剣を見下ろしている。僕やカエデとじゃれてる時にはほとんど見せない、真面目な顔だ。


「欲しいなら、買うかい? 多分だけれど、一本だけなら狙って競り落とせるお金を持ってきてるよ?」


 二十万、二十五万、とどんどん値段が吊り上がっていく様子を眺めながら、クローベルはかぶりを振った。


「先代の作だから見入っているだけで、ご主人様におねだりするほど欲しいわけじゃありません。彫刻の細かさや打った剣の美しさこそ先代様に劣りますが、お父様の作品はどれも力強さに溢れていて頑丈です。先代様は先代様、お父様はお父様でそれぞれの良さがありますからね」


「そうか。じゃあ、見送ろう。僕が欲しい一本が見つかったら競り落としにかかるけれど、クローベルも良さそうなのが見つかったら教えておくれ」


 商魂逞しい売り子が首から下げたトレイに麦酒の樽を乗せて売り歩いている。

 このお祭り騒ぎに便乗して酒を売ろうというのだろう。


「一杯くださいな。ご主人様も飲みます?」


「ん、じゃあ少し付き合おうか」


 侠者と酒を飲むことが増えてからというもの、クローベルはすっかり酒の味を覚えてしまった。彼女いわく、母親が酒豪だったので、きっと血ですねとのことだ。


 凄まじく酒が強い上に、酒が好きなので、今のように機会があれば飲みたがる。

 依存症ではなく、飲まない日はまったく飲まないので、それも個性だろうと思って好きに飲ませることにしていた。


「うん。悪くない。こういう場所で飲むのも、いいね」 


 僕には昼酒の趣味はない。というより、付き合い以外では酒をあまり飲まない。ここのところ、侠者やクローベルに付き合って飲酒量が増えてはいるのだが。


「やっぱりお祭りといえばお酒ですよ。ほんのり陽気な昼下がり、競りを見ながらキンと冷えた麦酒! 天国ですね!」


 休日にテレビで野球を観戦しながらビールを飲むおっさんみたいなことを言いつつ、くはーおいしーなどと快哉を叫ぶクローベルであった。 


「ふと思ったんだけど、クローベルの元になった母親っていうか、当代ゴーヴの片思いの相手も、クローベルって言うんだよね?」


「そうですね。言われてみれば名前、変えませんでした」


 どうやら自分の名前は自分で付けたらしい。それも母親の名前を。


「もし僕が母親の方のクローベルに会ったら、何て呼べばいいんだろう?」


 難しい問題ですね、と額に指を当てて悩み始めるクローベルである。


「ちょっと変えておいた方が良かったですかね。確かに紛らわしいかも。ううん、母ベル子ベル、ママンベル、娘ベル――語呂が悪いですね。適当でいいんじゃないですか? クロちゃんベルちゃんとかで」


「ちゃん付けである必要性がわからないけど、とりあえずわかった」

 

 そんな他愛無いことを話しているうちに、一本目の競りが終わったようだ。


(落札か。予想よりも高いな)


 先代ゴーヴの長剣は、900,000ゴルドで落札された。日本円にして百八十万である。クローベルの製作者、当代ゴーヴが打った鉄製の長剣が150,000ゴルドだったので、一つ質の高い魔力鋼を使っていることを加味しても、600,000ゴルド程度なのではないかと目利きしていたのだが、予想が外れた形である。


「や、相場はそんなもので合ってると思いますよ。お父様が鍛えた鈍魔鋼の長剣、500,000ゴルドで売ってましたもん。コンスタンティ家がわざわざ作らせたってところとか、先代様がもう剣を打ってないっていう希少性とかを考えても割高なんで、お祭り気分で値段が上がってるんじゃないですかね?」


「そんなものか。すると、欲しい武器が出てきても手持ちが足りるか心配だなあ」


 山賊というものは賞金がかけられていたりするので、討伐できればいい収入になる。拠点に溜めこんでいた現金や物資は、討伐者のものになるので、副収入も美味しい。 

 草原街の付近にいる賊は軒並み討ち果たしたので、僕はちょっとした小金持ちだった。だからこそ、侠者との牧農場共同出資を了承したのだが、競売の出物によっては有り金をはたく必要があるかもしれなかった。


 何せ、競売というものは後になればなるほど本命の高級品が出てくるものである。一本目でこの額だと、後に出てくる武器を競り落とせる資金が足りるかという不安が出てくる。


「次の出品は、守護隊仕様の戦斧ハルバード、鈍魔鋼製になります。鍛えは王家お抱えの鍛冶師。軍に所属している兵士の方々の武器は、みなこのお抱え鍛冶師の工房で作成されます。この戦斧は実際に守護隊の方々に支給されるものと同型かつ、隊長格向けに彫刻を入れた品でありまして、近接戦闘を担当する花形の戦士たちが――」


 進行していく競りを、僕は上機嫌で眺めていた。

 さすがに貴族家に秘蔵されていた武器というだけはあって、どれも素晴らしい品ばかりなのだ。


「ご主人様、本来の目的、忘れていませんか? 私は楽しいからいいですけど」


 すでに三本目に突入しているクローベルの脇には、空き樽が二つ転がっていた。僕がにこにこしながら競りを眺めている中、ちょろっと抜け出して屋台でおつまみまで調達してきている。

 麦酒の売り子からはすでにお得意様として認定されており、彼はちらちらとこちらを流し見てきて、クローベルの酒が減ってきたら新たな樽を売りつけるべく近づいてくるのだ。


「デートっていう目的もあったしね、いいんじゃない? 僕も結構楽しいよ」


 色気とは程遠いものの、クローベルと二人で外出してほろ酔い気分、これはこれで悪くない。ピンと来る出物があれば競りに参加すれば良いか、ぐらいに今は思っている。

 武器を買出しに出たはずの僕たちが、ほろ酔い気分で帰宅してきたらカエデは怒るかもしれないけれど。


「さあ、それではどんどん参りましょう。次にお見せするものは、ちょっとした変り種となっています」


 売れ行きが好調なのか、競りの司会者も乗りが良い。

 変り種と聞いて、どんなものが出てくるのか興味を持って僕は眺めていたが――

コロシアムの観客席からよく見えるようにと、角度を付けられた机に飾られた武器を見た瞬間、僕は思わず立ち上がってしまっていた。


「この世界に、あったのか!?」


「ど、どうしました、ご主人様、急に? 確かに見たことがない武器ですけど」


 クローベルが何事かを話しかけてきていたが、生返事をして、僕はじっと壇上の出品物に見入る。間違いなかった。前世でも欲しい欲しいと思っていたが、ついぞ入手の機会がなかった武器である。


 小型のランスにも似た、閉じた傘のように根元が太い独特の形状。

 蛇のように波打つ刀身と、鋭い切っ先。あれは――


「皆さんの中には、ご覧になったことがない方も大勢いらっしゃるのではないでしょうか。こちら、短傘剣クリスダガーという刺突用の武器になります。これを鍛えたのは人間の鍛冶師ではありません。鉄火街フラマタルからステュクス山脈に沿って大陸の中央へ向かうこと半日、山中に居を構えるドワーフの鍛冶屋が鍛えたものになります」


「すまない。ちょっと通してくれ。すまない」


 階段状の石段に座り込んで競りを眺めている観客たちを押しのけるようにして、僕は壇上へと近づいていく。もっと間近であのクリスを眺めたかった。


「先代の守護隊長であり、『守護者』の通り名を持つセレニアル氏の一行がかのドワーフ族と交誼を持った際、友好の証として贈られた一振りになります。何と、材質には緑魔鋼ミスリルが含まれており、鈍魔鋼、黒魔鋼、緑魔鋼と硬度の違う三種類の金属を重ね合わせるように鍛えられたものだと聞いております。いや、ドワーフの方々の鍛造技術はさすがの一言ですな。わたくし、商品の説明をするべく

首都にいる鍛冶屋にこの武器の詳細を伺いに行ったのですが、説明が難しすぎて覚え切れませんでした」


 笑いを誘う司会のトークに応えて、観客がどっと沸く。

 そんな中、僕は最前列にまで近づいて、じっとクリスダガーに見入った。


 あれは本来、インドネシアやマレーシアのあたりで伝統的に作られている武器である。日本刀などと同じく、柔らかな芯鉄と硬い外刃の複層構造で鍛えられているため、刀身には美しい波紋が浮かぶ。その美しさから、日本刀と並び立つほどに洗練された武器と呼ばれているほどだ。


 最大の特徴はやはりその波打った刀身で、傘の柄のような持ち手で刺すようにして使うのだが、全体の重量が切っ先の一点に集中するように作られているので、凄まじい貫通力を誇る。


 ただしその反面、普通の剣などと違い、刀身の芯が真っすぐではないために、耐久力という点ではひどく脆く、横合いから斬るように斬撃でも受ければ耐えられない。日本刀と同じく複層構造で鉄自体は粘り強いので、ぽっきり折れはしないだろうが、やすやすと曲がってしまうはず、なのだが――。


(いや、このクリスに関していえば、かなり頑丈に出来ている)


 ドワーフが作ったというこのクリスダガーは、特定の一部分のみ弱い、といった箇所がない。潤沢に金属を使っているので、切っ先の細さとは裏腹に、刀身の根元は分厚く、十センチにも及ぶ。それ故に、ショートソードといい勝負の短さの割にはかなり重いだろうが、耐久性と貫通力は上がっていることだろう。

 物によっては刀身を薄くして刃を付け、斬り付けることもできる武器なのだが、

このクリスダガーは切っ先以外に刃はない。完全に刺突専用になっていた。


(――欲しい!)


 ものすごく欲しい。


 前世でも、僕はこのクリスダガーを欲していた。しかし、本場で作られた年代ものはおろか、レプリカですら日本ではほとんど出回らないのだ。

 それが今、手に届く範囲で目の前にある。


 ああ、あの刃を一切付けていない潔さ。切断用としては使えず、先端で突くのみしかできないあの武器は、全体の重量をただ一点、切っ先に乗せることだけを考えて作られた浪漫の塊だ。


 美しい刃を求める僕をしてこれほどまでに魅せる、あのわずかな切っ先の輝き。あの、ほんの数センチの輝きに、この武器のすべてが凝縮されている。なんと美しいのだろう!


「では、競りを始めさせて頂きます。まずは十万から参りましょうか。武器というよりも、美術品として飾られた方が良いかもしれませんな。柄や鞘の精緻な彫刻に嵌めこまれた宝石、これはもちろん本物でございますので」


 黙ってろ小僧! 

 浅薄な知識でこの武器を語るんじゃないッ!


「はい、十万出ました、二十万、そちらは二十五万――」


「百万ッ!」


 勢いよく挙手しながら全力で叫んだ僕に、会場はおおおお、とどよめく。

 

「おっと、百万出ました。他にはいらっしゃいますか。はい、そちら百十万、そちら百十五万――」


二百万にひゃくまあん!」


 二回目の入札を僕が叫ぶと、会場からは再びのどよめきと共に拍手が起こった。ライバルはもはやいない。僕の後に続けて入札を行う輩はいなくなった。


「うん、この空気は決まりですかな。一応聞いておきましょう、二百万以上の方?

はい、いらっしゃいませんな。では緑魔鋼製、ドワーフのクリスダガー、こちらの熱心なお客様に落札でございます!」


「よっしゃーい!」


 握り拳を振り上げてガッツポーズを取ると、会場から再びの拍手が沸き起こった。


「では、落札者の方は、こちらへ」


 僕は興奮で胸をときめかせながら、係員に案内されて競売場の裏手へと歩く。

 背後では、次の競りが開始されていて、新たな歓声が起こっていた。


 もはやそんなものはどうでもいい。クリスだ、あのクリスを早く僕の元へ。


「では代金を――」


 みなまで言わせず、目にも留まらぬ素早さで500,000ゴルド大金貨三枚、100,000ゴルド金貨五枚、計2,000,000ゴルド、八枚の金貨を机にばちーん、と叩きつける。


「早く! 早くクリスを!」


「ただいま、お持ち致します」


 苦笑顔の係員がうやうやしく鞘ごと持ってきたクリスを受け取ると、僕はそっと鞘から抜き出して中身を改めた。間違いない、飾られていたあのクリスだ。


 今、このクリスが僕のものになった――思わず感無量になり、ぎゅっと僕はクリスを抱きしめた。ああ、今日はいい日だ。なんて幸せな日なのだろう。


「うん、確かに受け取りました。いい買い物だったよ、ありがとう」


「いえいえ、こちらこそありがとうございました。今後とも、コンスタンティ家をご贔屓に願います」


 もちろんである。ヤハウェが僕に残していったコンスタンティ家のマイナスイメージは、今、完全に払拭された。なんていい貴族なんだ、君たちは。


「さて、早く家に持って帰って精霊契約しないと。一体どんな娘が出てくるんだろう。すごい綺麗な子なんだろうなあ。刀身が波打ってたから、女性形なのは間違いないだろうし」


 本場では、クリスダガーは儀礼的な側面が強く、男女の違いも明確に決まっている。刀身が真っすぐなものは男性、今回買ったこのクリスのように波打っていれば女性形である。


「クローベルー! 家族が増えたよー!」


 会場の外周をぐるり回って元の場所に帰りつつ、石段に座っているクローベルに手を振った。片手でしっかりクリスを抱いている僕の姿に苦笑しながら、クローベルは苦笑顔で手を振り返してくれた。

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