白野百合 1
「ヒック、あたしじゃ雇えないって、どういうことなのよ、ヒック」
とある酒場の隅の席。本来は四人用と思われる広々とした机には、あたしが飲み散らした麦酒やら葡萄酒やらの空樽が散乱していた。
転生してからおよそ三時間。
海を見下ろすような階段状に作られたのどかな港町で、のんびりと飛ぶ海鳥や街角の猫溜まりで目の保養をしていたわずかな時間が、あたしにとって唯一の癒しだったのかもしれない。
「いやあ、うちじゃ雇えないよ。音楽ギルドで登録をしてないんだろ?」
「もちろん大歓迎ですよ、あなたみたいな綺麗な人が店にいてくれたら客も喜びます――え、音楽ギルドに登録をしていない? 憲兵にしょっぴかれたくはないんで、それはちょっと――」
「音楽ギルドへようこそ。ご登録をご希望ですね? ではこちらの書類に必要事項を記入の上、向こう三ヶ月の見習い養成期間の履修費用を納めて下さいますよう――え? もちろん必須です。下積み期間にのべ六十回の座学を受けて頂いた後に試験を突破しないと吟遊詩人の資格はお渡しできません。もちろん吟遊詩人の資格がないと、どこかの酒場なりに雇われて演奏をした場合違法になります。いえいえ、金だけ払うから資格が欲しいと言われても無理ですよ、規則ですから。あなたがもしどこかの酒場で、ギルドの教えていることを無視して問題を起こしたらギルドの責任ですから、しっかりと座学を修めて頂かないと」
「無理は言わんでくれ。あんたが報酬なんていらなくてもこっちにゃ関係ないんだ。家の中で小声で歌の練習するのとはわけが違う。客の前で歌うなら、店から金を払ってなくても、あんたがギルドに未登録なら法に触れるんだ」
以上が事の経緯であり、あちこちの酒場に片っ端から突撃した結果、けんもほろろに断られた。
どうやらこの世界では、何かしらの商業活動をする場合、必ずギルドとやらに登録が必要らしい。例えば剣を鍛えるなら鍛冶ギルド、家具を作るなら大工ギルド、仕入れた商品を他所で売るなら商業ギルド、パンを焼くなら料理ギルド、といった具合だ。
びっくりしたのは、資格がなければ自分でパンを焼いて売ることすら出来ないらしい。
自分の家で細々と料理をするぐらいなら目こぼしされているものの、試しに焼いたパンがよく出来ていたので他人に売りつけた場合、その時点で違法だとか。
人前で歌うということ、それだけであっても音楽ギルドに登録しないといけないのだ。酒場で歌って大勢の固定ファンを獲得する作戦は失敗に終わったのである。
「徒弟制度ってやつなのかねえ。ったく規則規則規則、めんどくさいったらありゃしない。すぐにでもプリンセスとして注目を浴びたかったのに、まさか研修期間があるなんて。日本もこの世界も、新人時代ってのは厳しいもんなのねえ。それにしても融通が利かないわよね、先輩は新人のケツ拭いてなんぼでしょうに」
大きさで言えば中ジョッキぐらいの麦酒の樽を一気飲みし、ごどん、と乱暴に机に置く。何か訳有りだと思われたのか、ひたすら酒を呷ってぐちぐちと独り言を呟くあたしに酒場のマスターも他の客も近づいてこず、遠巻きにしながらおっかなびっくり様子を見ているといった感じだ。
飲み干した酒が何樽目か、もはや覚えていないが、体調のことを気にせず酒が飲めるのは素晴らしい。あたしは酒には強い方だが、持病のせいで身体に負荷がかかる飲酒は、いつも身体が壊れないギリギリの量を狙って飲むチキンレースだったものだ。自棄酒ではあるが、好きなだけ飲めるというのは良いものである。
「はあ、研修三ヶ月か。一応申し込んで、料金も支払って来たけどさあ。今すぐあたしは歌って踊れるアイドルになりたいってのに、三ヶ月は長いわよねえ。欲しいものが目の前にあるのにすぐに手に入れられないのって、なんでこんなに辛いのかしら。にんじんをぶら下げられた馬って、こんな気持ちで走ってるのかしらねえ。はあ、あたしは馬よ、馬なんだわ。このにんじんウマいわね、ヒヒーン」
前のめりになって机にあごを乗せつつ、酢漬けのピクルスをぽりぽりとかじるあたしである。にんじんのピクルスは、バルサミコ酢みたいなほんのり果実の風味があってウマい。
「やあ、店主。お邪魔してもよろしいかな?」
日本の居酒屋は蜂の巣をつついたように賑やかなものだが、この世界の酒場はずいぶんと静かだ。もちろん世間話に興じている集団が何組もいることはいるのだが、店に入ってきた客の台詞が聞き取れる程度には落ち着いている。
もしかしたらあたしがいるせいで若干盛り下がっているのかもしれないが、知ったことではない。
「――ふむ?」
机の木目を数えながら人生が思う通りに行かないことを儚んでいたあたしだったが、何やらカウンターの方から視線を感じる。
大方「あの客はなんだ?」「いえそれがね」みたいなやり取りが、マスターと入店客の間で交わされているのだろう。アラサー女子が飲んだくれてるだけですよーだ。
「ふむ、面白そうだ。マスター、行っても構わんかね?」
それは構いませんが、などといった会話が、カウンターの方から漏れ聞こえてくる。ひそひそ話ならせめて聞こえないようにやんなさいよね、まったく。
「お嬢さん、相席よろしいかの?」
とん、と軽い音を立てて、机に顔を乗せていたあたしの目の前に、料理の皿と樽が二つ置かれた。
「んあ?」
上半身を起こすのも面倒だったので、机に顔を乗せたまま上目遣いで視線を上げると、みぞれのように髪に白いものが混じった初老の男性がにこやかな笑顔を浮かべてあたしを見つめている。
「なんか用? おじいちゃん」
ざわ、と一瞬酒場に不穏な空気が流れたような気がしたが、あたしにとってはどうでもいい。アルコールで脳の回転が鈍くなったあたしに空気を読むような力は残っていない。
そういえば、日本で働いていたころも、あたしは酒癖が悪いので有名だった。
普段我慢していることを何でも言い出すようになるので、先輩や上司たちが面白がってあたしに酒を飲ませるようになったんだっけ。
一例としてはこんな感じである。
「岡田さんはね、このご時勢にパワハラがひどすぎます。ここ最近はどこもね、部下から訴えられたりしないかってビクビクしながら仕事してるのに、いまどき椅子ドンとか一体何様なの? 上司なの?」
「上司です」という返答に外野がドッと沸く。
「もうね、ガラパゴスですよ。ガラパゴス岡田。ガラパゴスなサラリーマン、略してガラリーマンですよ。偉ぶるだけじゃなくてもっと部下を労わんなさいよ」
あたしの歯に衣着せぬ台詞に、またしても外野が大笑いするというわけだ。
あんな連中でも、もう会えないとなると懐かしいものだ。なんだかんだ、長いこと一緒に仕事してきたし。
「んあ、なんだって?」
「うん、もう一度言うが、お一ついかがかな? これがボクの好物でな」
気がつけば、目の前に差し出された皿には、サザエみたいな小振りな巻貝がいくつも乗っている。
初老の男性の、深い皺が刻まれたにこやかな笑顔に、あたしは少しだけ我に返る。そういえばここは日本ではなく、異世界だった。
「頂くわ、おじいちゃん」
巻貝は茹でてあるようで、殻からはほんのり磯の香りがする。
おじいちゃんを見習って、殻から顔を出した身の部分に鉄串を刺し、引っ張り出したところを口に含むと、茹で汁から磯の香り、白ワインの風味、バターのコクが舌の上に広がった。
身を噛み締めたまま巻貝を引っ張ると、そのまま身だけがつるりと抜けて口の中に納まる。
コリコリした食感が何とも言えず、あたしは差し出された麦酒をぐびりと呷った。
「おいしいじゃない。いい趣味してるわね、おじいちゃん」
思わず何も言わずに飲んでしまったが、見れば、差し出された麦酒の樽はあたしが頼んだものではない。おじいちゃんが差し入れたくれたもののようだ。気の利くおじいちゃんである。
「気に入ってくれたようで何よりだ。それにしてもどうしたかの、ずいぶんと荒れているようだが。ボクで良ければ話相手になるぞい?」
「どうしたもこうしたもないわよ」
麦酒をぐびりと呷る。そろそろ酔いのせいで味覚が鈍り始めていたが、きんと冷えた麦酒はまろやかで味が濃く、喉を通るときにフルーティーな香りが花開く。
水のように飲めるほど薄くはないので、本来はあたしのようにぐびぐび飲む酒ではないのだろう。
「あたしはね、歌姫になりたかったの。みんなの前で歌って踊って、男たちからちやほやされたかったのよ。でもね、人前で歌いたかったら資格がいるんだってさ。
三ヶ月も我慢しなきゃいけないのよ。それで飲んだくれてるの。あと、あたし病気持ちだったんだけど、それが治って好き放題お酒が飲めるようになったから、勢いでつい、ね。だからグチグチ言ってるけど、本当は大したことない悩みなのよ」
人前で歌うことだけが、男からちやほやされる道ではあるまい。
想定していたプランが実行に移せなくて消沈していただけだ。
「ふむふむ、なるほどのう。わかるとも、なりたい自分になれないというのは、中々に辛いもんじゃ。しかし病が治ったというのは喜ばしいじゃないか、おめでとう」
にこにこしながら麦酒の樽をこつんとあたしの樽にぶつけるおじいちゃんである。
「むう。おじいちゃんいい人よね、律儀に女の愚痴聞いてくれるなんて。女は話すのが好きだけど、男は愚痴を聞くのが嫌いなのよね、あたし知ってる。よっしゃ、愚痴はやめたわ。おじいちゃん、あんたも飲みなさい。あたしだけ酔っ払ってるのも不公平よ」
「わはは、気持ちの良いお嬢さんだ、よろしい、付き合いますとも。マスター、おかわりを」
渋面を作った酒場の店主が新たな樽を両手に持ってやってくる。
「セレナさん、何かあれば仰ってくださいね。飛んできますので」
「へえ、おじいちゃんセレナって名前なんだ。なんか女みたいな名前ね」
「わはは、良く言われるよ」
それまであたしに話しかけてこなかった酒場の店主は、堪忍袋の緒が切れたかのように声を荒らげた。
「君、いくら何でも『守護者』様に失礼だろう、セレナ様のお名前ぐらい聞いたことがあるだろうに。『守護者』様が温厚だからといって好き放題に言いすぎだ。酔っていても限度があるよ」
これこれ、ボクの飲み相手だからいいんだよ――などとセレナおじいちゃんが言いかけるのを遮り、あたしはそろそろ据わってきた目を店主に向けた。
「なによ、知らなかったから何だってのよ。あたしにとっちゃただの気の良いおじいちゃんよ、肩書きなんて知ったことじゃないわ。こちとらこの世界に来て日が浅いのよ、どんだけ偉い人かなんて知るわけないでしょうが。だいたいマスターね、あんた今まであたしに話しかけもせずに引っ込んでた癖に、お得意さんが来たから注意しようだなんて虫が良いのよ」
あたしとマスターのやり取りは酒場中に響き渡っているらしく、周囲がどよめく。
「周囲のあんたたちもあんたたちよ、文句があるなら女々しくひそひそ話してないで直接言いに来なさいな。それでタマ付いてんのかしら? マスターも早いとこ空樽片付けてよ、あんたが取りに来ないからテーブルが狭いじゃない」
「わはは、良く言うた。マスター、すまんがボカぁこのお嬢さんが気に入った。勘定はボクに付けといてくれ、また飲みに来るよ」
セレナおじいちゃんに手を引かれ、あたしは立ち上がる。
「何よ、どこ行こうっての?」
「なに、もっと気持ちよく酒を飲める店を知ってる。二軒目にはしごに行こうではないか」
「はしご。はしごならしょうがないわね、付き合ったげる」
手を引かれるまま、セレナおじいちゃんと二人で店の外へと歩き出る。酔いは回っていたものの、ギリギリ真っすぐ歩けたので、あたしは醜態を晒さずに済んだ。
酒場に入ったのは夕暮れ前だったというのに、いつの間にか空は暗くなっていた。熱を持った頬に、外気が心地良い。
「ちと聞くが、これから行く酒場はボクの仲間たちが良く行く店でな、あまり行儀の良い店ではない。騒がしい飲みになるかもしれんが、ええかの?」
「なに言ってんのよ、あたし以上に行儀の悪い客がいたら見てみたいわ。ほら、きりきり案内しなさい、酔いが醒めちゃうじゃない」
からからとセレナおじいちゃんは笑い、よしきたとばかりに歩き出す。
「うむうむ、本当に気持ちの良い女性よ。お人形みたいな貞淑な夫人より、よっぽど魅力があるわい。では、とっとと行くとしましょうかの」
「なに、あたしの魅力に参っちゃったわけ? あたしってば罪作りな女ねえ。でもごめんねおじいちゃん、あたしを口説くには三十年は遅いかも」
かっかっか、そりゃ残念じゃ、とセレナおじいちゃんは高笑いである。
「あっ痛あ!」
目を醒ましてベッドからはね起きるなり、あたしの頭部に激痛が走った。
物理的な衝突ではなく、芯から湧き出でるようなずきずきとした痛みである。
「なに、これ――そうか、二日酔いか」
実は、あたしは二日酔いになった経験があまりない。
持病に配慮して酒を飲む必要があったため、そこまで頭痛がひどくなるほど前世では酒を飲めなかったからだ。
限界を見極め損ねて飲みすぎてしまうと、頭痛なんか目じゃない体調不良に襲われるので、ある意味で頭痛だけで済む二日酔いなんて平和だなと思えてしまう。
周囲を見回すと、ベッドにも家具にも見覚えがない。見知らぬ部屋だ。
「やば、なんか変なことしなかったでしょうね、あたし」
痛む頭に鞭打って、昨日に何があったか、いや何をしでかしたかを思い出そうとするが、酒場でセレナおじいちゃんと意気投合し、どこをどう歩いたのかも覚えていないが、次の酒場に入ったところまでしか覚えていない。
「絶対、何かやらかしてるわよねえ。取り返しの付く範囲だったらいいんだけど」
酒癖が悪いことは自分で知っている。記憶をトバすほど飲んだのなら、粗相をしていないということはまずないはずだ。今日になって冷静に考えたら、セレナおじいちゃんへの言動がとても失礼だったことは自分でもわかる。
「ほい、邪魔するよ――おお、起きとったか。昨日は楽しかったのう」
扉をノックする音の後に、そのセレナおじいちゃんががちゃりと姿を現した。トレイに乗せた金属のウィスキーボトルのようなものを手にしている。
「おはよう、セレナおじいちゃん。先に謝っとくわね。あたし昨日、ずいぶん粗相したでしょ? 酒癖が悪いって、知人からもよく言われてたから知ってるのよ。一軒目の酒場を出たところから、記憶がないわ」
「だはは。二軒目の酒場に連れていったことは覚えとるかの? あそこの連中には
お嬢さんの飲みっぷりが大評判でな、みんなして宴会芸まで始めて大賑わいじゃった。あそこの連中は無礼講が大好きでの。ほれ、お嬢さんの言っていた、何じゃったか――ふぁんくらぶとかいうのに入ったのも何人かおる」
あたしは血の気が引いた。記憶を失くして酒場で暴れただけでは済まなかったらしい。
「その様子じゃ、覚えとらんか。ボカぁふぁんくらぶの名誉会員とやらに認定されたよ。記念すべき一番目のふぁんだとな」
「色々迷惑かけて、ごめんなさい」
しおしおと縮むあたしに、セレナおじいちゃんは金属の瓶を差し出してきた。
「素面のときは、ずいぶんしおらしいんじゃの、お嬢さんは。気にするでない、昨日はみなで楽しく飲み騒いだだけじゃ。ほれ、飲みなさい。解毒薬だ」
言われるがまま、金属の瓶を傾けて中の液体を少し口に含んでみる。
特に味のしない、無臭の液体だ。要するに水だ。
二日酔いで水分を求めていたあたしは、ごっごっと瓶の液体を飲み干す。
「あれ?」
液体を飲み干してから身体に違和感を覚えたので、あたしは頭をぶんぶんと振ってみる。先ほどまで心臓の鼓動に連動してずきずきと痛んだ頭が軽い。頭痛がなくなっている。
「すごっ、何この液体。二日酔いがさっぱり消えたんですけど」
「何と言われても、解毒石を粉末状に砕いて水に溶かした解毒薬じゃ。知らなんだかの?」
「昨日言わなかったっけ。遠いところからこっちに来たのよ。この世界の常識なんて知らないわ。でも――すごい便利なものね、まさか綺麗さっぱり二日酔いが治るなんて」
「飲み薬を知らんのか。飲むだけで大怪我がたちどころに治る回復薬や、どんなに混乱したり深い眠りに陥っていても肌にふりかけるだけで正気を取り戻す鎮静薬なんかもあるぞい。魔法を篭めた魔石を粉末状にして水に溶かしただけなんじゃがな。その解毒薬もボクのお手製じゃ。作るには資格がいるんじゃがの」
「はあ、便利なのねえ――ともかく、色々お世話になったわ、ありがとう。ここはセレナおじいちゃんの家?」
「うむ。丘の上の、街から少し離れた小さな一軒家じゃ。お嬢さんをここまで運ぶのは、ボクの仲間の女性に頼んだから安心するといい」
「あたしの身体に魅力があるとは思わないからそこらへんはまったく気にしてないけど――ああ、そうだったわね。今のあたし超絶美女なんだった」
「ふむ、お嬢さんはときどき面白いことを言うのう。ずいぶん若く見えるが、昔は違ったのかな?」
事情を話すべきかどうかあたしは少し迷ったが、この老人が悪人には見えないし、恩もあるし、何よりファンクラブの名誉会員らしい。隠し事はしなくていいや。
「あたしね、この世界で生まれたわけじゃないのよ。地球って星の日本って国で
生まれ育ったんだけど、一度死んじゃってね――」
セレナおじいちゃんからすれば、突拍子もない話だろうに、彼は口を挟むこともなく、あたしの話をふんふんと頷きながら聞いてくれている。
「何とのう。創世神様が、異世界から連れてきなさったか」
セレナおじいちゃんは、磁器のカップでのんびりと茶を啜りながら頷いた。白いティーカップの中に入っているのは、緑茶である。
日本人としては緑茶は湯呑みに入れて飲むものという固定概念があるので違和感があるが、こちらの人々は緑茶だろうと紅茶だろうと、黒茶と呼ばれている烏龍茶だろうと、使うカップは変えないらしい。
「信じるの? どう考えても胡散臭いヨタ話だと思うんだけど」
疑念を持っているようならば、料理スキルなどの特典を見せてあげてもいいと思っていたのだが。
「信じるとも。理由は色々あるんじゃが、お嬢さんが言っていることが真実だとすると、そのどれもこれもが納得できるからの。これでも長いこと生きてきとるでな、人が嘘を吐いておるかどうか見抜くのは朝飯前じゃ」
「そんなもんかしらね。今のあたし、肉体年齢は十六歳だけど、前世では二十九歳だったわ。それだけ生きてても、他人の嘘なんてほとんどわからなかったけれど」
「なに、年の功さね。これでも七十年生きておる」
「うっそ、そんな歳なの? 五十代ぐらいかと思ってたのに」
あたしはまじまじとセレナおじいちゃんの顔を見つめた。
彫りが深く、皺の多い、陽に焼けた好々爺然とした顔つきで、身軽な半袖シャツの胸元は痩せて骨が浮いている。七十歳と言われれば納得できなくもないが、曇り空のように黒がわずかに残っている白髪からもう少し若いかと思っていたのだ。
「うむ。城勤めで兵隊をやっていたんだがの、引退して悠々自適の毎日じゃ。一つ提案なんだがお嬢さん、行く当てがないならしばらくうちで寝泊りせんかの? 部屋は余っとるし、お嬢さんなら、同居人も否やはないであろうし」
「その申し出は嬉しいんだけど――同居人?」
「ほれ、お嬢さんをここに連れてきた女性がいると言うたであろう。兵隊をやっとった時分の仲間なんじゃが、今はボクの養女になっとる。歳は四十間近でな、お嬢さんとよく似た血の熱い女じゃよ、気が合うと思うんだがのう」
セレナおじいちゃんが言い終わらぬうちに、階段をどどどどっと駆け上がる音が聞こえてきた。ここ、二階だったんだ。
「おっす、邪魔するぜえ。酒おっぱい、起きたって?」
どぱぁん、と勢い良く木の扉が開かれ、くすんだ赤毛の女性が姿を現した。
歳は四十手前ぐらいだろうか、そばかすのある顔で明るく笑う、朗らかで勝気な女性である。
「まさかとは思うけど、その酒おっぱいってあたしのことかしら」
「そうだぜ? 覚えてねえのか、『この乳袋重いわね!』とか言って、机に両胸を乗っけて酒飲んでたじゃねえか。机に乗せにくいからって下着まで脱いでたしな。あんたの姿、酒場の連中に大ウケだったぜ」
あたしは血の気が引いた。本日二度目である。
「酒の場とはいえ、まさか半裸で飲み騒いでたなんて――」
「いや、服は着てたぞ? 単に下着を脱いでたってだけで」
「ああ、んじゃいいわ。ノーブラごとき気にしててもしょうがないし」
だっひゃっひゃ、と笑う彼女である。なるほど、確かに男の視線を気にしないあたり、あたしと相通じるものがある。
「おかげで、運ぶときは巨乳が背中でばいんばいん跳ねて大変だったけどな。なんか癪だったんで、一通り揉みしだいたが」
「ちょっと!? あたしにそっちの趣味はないわよ!?」
ボーイズラブは好きであるが、あたしの性癖はごくノーマルである。
白野百合十六歳、名前は百合だが薔薇が好き。
「うっせえな、まだ若いあんたと違ってこちとら男日照りが長いんだ、察しろよ」
「ああ、わかるわかる。なんか女子高みたいなノリ、あるわよね」
「女子高ってのは良くわかんねえが――なんかあんたとは気が合いそうだな。なあオヤジ、あの話はどうなった?」
「うむ、お前さんさえ良ければ共に住もうと言ってある。お嬢さんも、どうかの?」
セレナおじいちゃんとそばかすの女性、二人が見守る中で、あたしはぺこりと頭を下げた。
「住まわせてくれるって申し出、有難く頂くわ。あたしは白野百合、シラノが苗字よ。趣味は男からちやほやされること。これからよろしくお願いします」
「うむ、よろしくの。セレナは愛称での、本名セレニアル・カザーヴじゃ」
「それと、あたしはクローベル・カザーブ。この人の養子なんだ、よろしくな」




