白野百合 生前
白野百合の死因は、溺死である。享年は二十九歳であった。
彼女を一言で表すならば、自分たちと同じ仕事をこなすと男性陣から認められていた女性、である。
これは口で言うほど簡単なことではない。仕事ぶりを認められている女性なら
数多くいるだろうが、男性陣と同じ仕事をこなすのは意外と難しいのである。
これは、男性の方がより高度な仕事をしているとかそういった問題ではなく、単純に役割分担の問題であった。
例えば、力仕事や汚れ仕事は男性陣がやるべきという風潮がある。
それは化粧が落ちてしまったり、あるいは腕力が男性陣より劣っていたり、あるいは女性は優遇されるべきだという考え方などに由来する風潮であったが、彼女は本当の意味で、まったく男性陣と同じ仕事をした。
彼女が働いていたのはパチンコ店で、アルバイトとしてである。
地域密着型の老舗といえば聞こえはいいが、要は老朽化した設備を誤魔化しながら使う小さな店であった。
パチンコ玉というものは鉄球であるからして、何箱も重ねるとかなり重い。
あまりに大量になれば台車を使って運ぶなどするが、数箱程度であれば店員が抱えて持ち運ぶ。もちろん、一人二人を対応すれば良いというわけではなく、程良い客入りしかない彼女の店でも、一日に二十件以上の玉運びをすることなどザラであった。
これは、結構な重労働だった。腰を壊して辞めるスタッフが年に一人は出るほどである。
客寄せという側面もあり、また景品カウンター内のスタッフは女性がやるべきという伝統のある店だったため、新しく雇い入れた若い女性たちは男性陣がなるべく力仕事を代わりつつ、適材適所の仕事をするのが常であったが、百合にとってはそんなことは関係なかった。
彼女は、その太ましい肉体を駆使して、男性陣以上の玉を一度に運んだ。
トイレ清掃も、埃だらけの倉庫の整理も、休日出勤や残業も、脚立に昇って高所で行う作業も率先してやった。契約上は女性扱いであるために、制服がズボンではなくスカートであったにも関わらず、作業効率を重視して床の雑巾がけや椅子の清掃はむき出しの膝のまま行った。結果、彼女の肌は日本人としてはとても白く、体重のせいもあって張りのある肌だったものが、膝のあたりだけ黒ずんで色素が定着してしまった。しこたま汗もかくので、彼女は化粧もしなかった。
なぜそこまでして男性陣と同じ仕事をこなしたかというと、単純に女性扱いされるのが嫌だったからである。
彼女は、ありとあらゆる場所で耳にする男女平等という言葉について、違和感を持っていた。男女平等という建前を持ち出して権利を主張するのであれば、本当に平等にするべきであると。
生理痛とか、力が弱いとか、そういった性差から生じる違いがある以上、役割分担が発生するのは当然のことである。
男性は男性らしい仕事、女性は女性らしい仕事、それでいいではないかと彼女は思っていたが、生来の負けず嫌いであった彼女は、女性スタッフだけいわゆる「お客様」扱いされることに耐えられなかった。
彼女は要領のいい人間ではない。どちらかといえばミスの多い方である。性格もがさつであった。細かいことを気にしなさすぎて上司に怒られることもしばしばあった。
しかし、彼女には誰よりも根性があった。
体育会系の職場であったから、男性スタッフが怒鳴られるなんてことはしょっちゅうだったが、彼女も同じように怒鳴られた。あまりにひどいミスをしたときは、近くの椅子を蹴られながら怒鳴られることもあった。
なんだかんだ言って、根は女子である。ショックで泣いてしまうこともあったが、彼女はめげずに男性陣と同じように仕事をし、同じように怒られ続けた。
結果として、男性陣からは絶大な信頼を得た。
男と同じように扱っていい女性スタッフというのは、男性陣にとって実に気が楽な存在である。その外見から恋愛対象として見てくれる男性とは巡り合えなかったが、ただの友人以上に仲の良い男性スタッフはしばしばできた。
反面、女性陣からは眉をひそめられることが多かった。
「お客様」扱いされている若くて綺麗な女性スタッフたちからは、そのふくよかさと色白い外見から、白フグさん、いうあだ名で陰口を叩かれたりもしていた。
なお、彼女が太っていることに関しては彼女に非はない。
それは体質であり、彼女の持病だった。れっきとした病名のある病気で、食事を減らしたところで痩せるものではなく、むしろ彼女は小食な方であった。昼御飯を彼女は食べない。かわりに、毎日薬を飲む。持病の進行を抑える薬であった。
糖尿病などと違い、生活習慣病ではなく先天的なものであったので、むしろこの場合、女性にとって極めて重要な容姿というものに強い悪影響を及ぼす病気であった彼女を哀れむべきである。
彼女が死んだのは、バカンスに来ていた南の島の海であった。
無人島の近くまでモーターボートでやってきて、足ヒレやシュノーケルなどの装備を身に付けてスキューバダイビングを楽しむという企画に家族で参加していたときのことである。
ひとしきり澄んだ青い海で熱帯の魚たちと戯れたあと、彼女たちは島へと辿り着き、バーベキューの昼食を取りながら談笑していた。
魔が差した、というのかもしれない。
島からほんの少し先の沖に漂っていたボートに忘れ物をしたことに気づいた彼女は、足ヒレなしで泳いで辿り着けるか挑戦してみようと思ったのだ。
小さいころ、彼女はスイミングスクールに通っており、それなりに泳ぎに自信を持っていた。ボートはせいぜい50mほど先、そんな遠くではない。これぐらいなら簡単に辿り着けると思い、彼女は得意のクロールで沖へと向かって泳ぎだした。
結果として、彼女は途中で沈んだ。
距離としては50mほどだったのかもしれないが、波があることを彼女は忘れていたのである。穏やかに見えて、上下する波は彼女の体力を普段よりも多く消費させていた。
体力が尽きかけ、身の危険を感じ始めたころには、ちょうど島とボートの中間あたりで、水底に足が付かなくなっていた。
何とか泳ぎ着こうと必死に海を掻いていたものの、息継ぎに失敗して盛大に塩水を飲んだのを皮切りに、彼女は呼吸を乱して溺れてしまった。
凄まじい苦しみの中、死を覚悟した彼女が最後に思ったのは、自室の押し入れの奥に隠したボーイズラブ系の同人誌たちを処分してくればよかった、ということだった。
彼女は家族にも趣味を隠す派であったので、彼女の死後に遺品を整理していた家族が山のような単行本や同人誌を発見して驚きのけぞることは確定である。
申し訳ありません、よしなが先生。自分の大奥を築くことが適いませんでした。
なぜか彼女の混乱しきった最後の思考は、心の師と仰ぐ作家への詫び言であった。




