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花咲侠者 10

 引き締まった朝の空気、人通りもまばらなとある広場。

中央に堂々と立つ一本の街路樹の下で、俺は人を待っていた。時刻は、朝の九時前である。


 まだ相手は来ていないかときょろきょろしていたら、一つ向こうの角から、すぐに待ち人の姿が現れた。きっちり待ち合わせの数分前だ。


 こうして書くとデートのようだが、相手は哲雄である。色気のない話だった。


「おはよーっす」


「おはよう、侠者」


「待たせたかな?」


「ううん、いいの。今来たところ」


 身体をくねらせ、女声を出してみた。

 付き合い立てのカップルみたいな会話だったという自覚はあったのか、哲雄は苦笑している。


「それはそうと、前から話してたことは、考えてくれたか?」


 以前から彼にしていた提案――それは、二人連れ立っての魔物狩りである。

 ヘリオパスル教会主導の牧農場の建設資金を溜めつつレベルを上げる腹だ。


 ヤハウェ君殺害の一件以来しばらく状況を静観したが、ソアラ嬢が新たな動きを見せる様子がなかったので、俺は次の行動に移ることにしたのである。


「考えはしたけれど――実を言うと、今も気が乗ってないんだ。買い物には付き合うし、安定した狩場が見つかるまで一緒に行くぐらいは構わないんだけど、ずっと二人で狩りをするのはパスしたいなあ」


「んー? 他の転生者から襲われる危険がお互い減るし、悪くない話だと思うがなあ。まあいいさ、朝飯は食ったか? そのへんで何か食いながら話そうぜ」


「そうしようか」


 二人して連れ立ち、手ごろな料理屋リストランテに入る。

 注文をしてからすぐに料理は運ばれてきた。


 朝に焼いたばかりなのか、ふわふわとして柔らかそうなバゲットが二切れずつと、ベーコンと野菜を似たスープ、それにかりっと表面を焼いたソーセージを三本と、ゆで卵がまるっと一個。


 ホテルの朝食のようだった。

 屋台と違って値段が張る分、店を構えている料理屋ではまともな飯が出てくる。


「んで、何が嫌なんだ? 効率は少し落ちるかもしれんが、安全性はかなり向上するぞ?」


 出会って間もない頃から、哲雄に打診していた提案――連れ立っての狩り。

 俺としては、かなり良い案だと思っている。

 

 まず、俺も哲雄も、レベルだけ見るとそこまで高くない。

 俺が100ちょい、哲雄が200ちょいであるのに対して、ソアラ嬢などはレベル500である。


 俺と哲雄、どちらか片方だけで動いているときに襲われてしまっては勝てないだろうが、二人がかりでなら何とかなるかもしれないぐらいの戦力にはなるだろう。

つまり、自衛しながらの狩りが可能となるのだ。


「確かにお金は必要だから、狩りをするつもりではいるよ」


 男同士、気兼ねすることなどない。二人してガツガツと食事を平らげつつ話す。


「牧農場を作るための初期資金もまだまだ足りない。別々の場所で狩るぐらいなら、一緒に魔物を倒した方が安全じゃないか? 獲物の取り合いになって効率が落ちるかもしれないが、そこは一匹あたりをすぐに処理すればいい。俺はウェポンマスターの特典持ちだから、弓で援護ができるから、邪魔にもなりにくいだろうし」


「ふうむ」


 熱弁してみたが、哲雄の反応は芳しくない。 

 諦めるか、と俺は内心で嘆息した。


 ここまで言っても同意されないとなると、哲雄の方に何かしらの事情があると見るべきだろう。


「お察しの通り、僕と侠者が一緒に狩りに行くにはちょっとした不都合があってね。言いたくないことがあるんだ。侠者との関係は壊したくなかったから、なあなあの関係でいたかったんだけれど――そうも行かないか」


「む」


 俺は頬を掻いた。哲雄の言うことにも一理ある。

 俺はちと、哲雄に踏み込みすぎた。大人同士の態度とは言いがたい。


 同年代の友人ができたということで、年甲斐もなくはしゃいでいたことは否めない。カケラロイヤルの参加者同士、いずれ敵になるかもしれない間柄としては、そこまでずかずかと自分の領域に入りこまれると困る部分もあるだろう。


「そういうことではなく、僕の趣味がちょっと特殊でね。性癖と言い換えてもいい。それが、他人から忌避される類のものだから、あまり言いたくなかったのさ」


「ふむむ?」


 断る理由に、性癖と来たか。

 しかも俺と一緒に狩りに行くにあたって、その性癖が障害になるという。


「さては哲雄、貴様ガチホモか。さすがの侠者君も、ケツは貸せないぞ」 


 おちゃらけて言ったみたが、哲雄は苦笑するだけだった。

 楓さんという嫁もいたし、夫婦仲は良好に見えたので、本当に同性愛の気があるとは思っていないが、その性癖とやらは気軽に話せないほど重いのだろうか。


 どんなアブノーマルな趣味なのかと面白半分で彼のことを推し量ろうとしていると、ごくあっさりと哲雄は口を開いた。


「――単純な話さ。僕は、刃物で人を刺すのが好きなんだよ。殺人鬼シリアルキラーなんだ」

 

 思わず、俺は咥えていたパンを取り落として、固まった。

 

 哲雄が人を殺めたことがある。そればかりか、人を殺すのが好きである、と彼は告白した。もちろん初耳である。


「冗談で言ってるってわけじゃ――なさそうだな」


 薄く微笑んではいたが、その表情はどこか諦念に似たものが漂っていて、俺をからかっているようには見えない。


 不意に緊迫した空気に、俺は戸惑った。


「君を襲うつもりは今のところないけれど――魔物よりかは、山賊なんかの犯罪者を狩りたくてね。それが、侠者のお誘いを断ってた理由になるのかな。魔物狩りには、あまり興味がないんだ。知られて嬉しい性癖でもないし、そっちとしても嬉々として人を刺す奴が隣にいると困るだろう?」  


 しばし、俺は黙り込んだ。

 突如として訪れた重い沈黙をどう扱うか決めかねて、とりあえずもーむもむもむ、と声に出しつつパンを噛む。張り詰めた雰囲気は、まるで和らがなかった。


(むう)


 なんだそんなことか、と笑い飛ばすには、哲雄の性癖は重すぎた。


 人殺し、という単語は、妙に重い。

 

 盗みとか傷害なんかの犯罪とは一線を画すほどの、どう言い繕っても拭えないレッテルであり、忌避すべき罪であった。

 

 人は本能的に、同族殺しを拒絶しようとする。

 どれだけ俺が哲雄に友情を感じていようとも、それは変わらなかった。自らが人殺しであると表明した哲雄に対して、埋めがたい溝を感じる。


(気づいておくべきだっただろうか)


 哲雄はカケラを三つ持っている。

 スタート時から比べて二つ増えているということは、同じ転生者を殺害して奪ったものなのだろう。


 ヤハウェ君が開催した会合にて初めて哲雄と顔を合わせたとき、哲雄は親切な他人からカケラを貰った、と言っていた。それを頭から信じていたわけではないが、ヤハウェ君が棚ぼたでカケラを手に入れたように、合法的に入手したものなのかもしれないよな、と深く考えていなかった節がある。


「じゃあ、その三つのカケラは、そういうことか?」


「ちょっと違うかな。一つは、忍者ルンヌから貰ったものだ。聞きたければ後で詳しく教えよう。もう一つは、僕を襲ってきた他の転生者を返り討ちにして手に入れたものだね。僕はこの世界に来てから、犯罪を犯したことはことは一度もないよ」


「どういうことだ?」


 ちょっと言っている意味がわからない。

 人殺しが趣味だというのに、自分は犯罪者ではないと哲雄は言う。


「つまりね――」


 哲雄は自分なりのルールを俺に話してくれた。


 彼は殺人が好きである。

 ただし、犯罪者にはならないというルールを己に課している。

 よって、この世界の法に照らし合わせて、自衛及び犯罪者への加害以外で殺人を犯したことはない。


「ちょっと待ってくれ、飲み込むから」


 もちろん咀嚼中のパンのことではない。哲雄の言ったことを、である。


 哲雄の言っていることに嘘があるとは思えない。そんなまだるっこしい、しかも筋道の通っている嘘を人はそうそう考えつかない。

 そもそも人殺しというからには、彼は越えてはならない一線を越えてしまっているわけで、隠すならばそっちを隠すだろう。自分ルールなんか考えて他人を納得させる必然性がない。

  

 短い付き合いながら、一連の発言が真実だということは俺にもわかる。

 理論に矛盾がないし、哲雄の人となりからしても嘘だとは思えない。


「あーっと、つまりだ。山賊とかをぶっ殺して回りたいから、一緒に狩りはできないと?」


「そういうことになるね。レベル上げや金策としては効率が悪いし、付き合いたくもないだろう?」


「まあなあ」


 最大限の譲歩として、俺の預かり知らないところで勝手にやっててくれ、と言ったところである。隣人が人殺しであると判明して、なおかつ今まで通りの付き合いができるかというと、それは無理というものだった。


 自分に被害が出ないからいいじゃないか、と割り切れるものでもない。

 人殺しという行為は、そんなに軽いものではない。法に触れていなかろうとだ。


「それを聞いた上で、どうしたいかは侠者に任せるよ。付き合いを考え直されても、恨みはしないさ」


「むむ」


 正直に俺に伝えたのは、哲雄なりの友情の表れである。それは俺にもわかる。

 そのうち俺を切り捨てる――文字通り斬る腹積もりであったならば、それこそ殺人者であることを俺に隠しておいた方が都合がいい。哲雄は俺に害意を持っていない。これは確かだ。


 さりとて――何も気にしません、一緒に狩りに行きましょう、とはならない。


 話を聞く限りだと、刃物で人を刺すときに恍惚感を得ているらしいし、そんなところを他人に見られたくはないだろう。俺だって好き好んで嫁との性交を他人に見せ付けたいとは思わない。


「一つ聞かせて欲しいんだが。悪党を殺して回ってるのは、世直しというか、人助けのつもりなのか?」


 いい歳をして厨二病を発症していて、仕事人を気取っているのだろうか。


「いいや? 僕はね、例え悪党だろうと犯罪者だろうと、僕が勝手に殺すのは悪いことだと思ってるよ――彼らだって、罪を償って更正する可能性があるからね。つまりね、僕は悪いことだとわかっていてやってるんだ。悪いことだと分かっていて、法に触れていないという一点を言い訳に使って、僕は人殺しを続けている。例え万引きみたいな軽犯罪であったとしても、相手が子供だったとしても、僕は殺せる相手を見つけたら殺しにかかるだろう」


 俺は腕を組んで唸った。

 倫理感が欠如しているわけではないらしい。自分のしていることが、法に触れずとも悪事であると彼は言い切ったのだ。


「ということは、俺がそのへんの道端で立ち小便でもしたら、哲雄は襲い掛かってくるのか? 確か、道路を許可なく汚すのはこの世界でも犯罪だったろ?」


「僕にだって、保身の感情はあるし、空気を読んだりもするよ。侠者はレベルや特典の関係で一撃で殺せないから手間取るだろうし、やったらやったで他の転生者から好戦的って思われて警戒されるから動きにくくなるし、そもそも僕たちが進めてる牧農場建設の障害になっちゃうからやりたくはない。何より――こう見えて、僕だって侠者にはちょっとした友情を感じてる。殺しが大好きなだけで、何が何でも絶対に犯罪者は殺さなきゃならないって決めてるわけじゃないから、侠者を襲うことはまずないね」

 

 食後のコーヒーを啜りながら、「とは言っても」と哲雄は続けた。


「侠者以外に対しては、君が言ったような対応をしていると考えてくれていい。見ず知らずの人間が、うっかり僕の目の前で犯罪者になったのであれば、僕はそいつを襲うだろうね。無闇に敵を作りたくはないから、人通りの少ない路地とか、森の中とか、目撃されないように襲う場所は選ぶだろうけれど」


「激しいなあ」


 何と言っていいかわからず、自分でも良くわからない返しになった。

 激しいなあ、ともう一回呟く。言われたことを飲み込む時間が欲しかった。

 

 むむむむむ、と唸って思考を巡らせる俺へ、落ち着いた声で哲雄は語りかけた。


「麻薬中毒みたいなものでね――人を殺して満足した後は、しばらく禁断症状は出ない。だから、落ち着いているときに、一緒に狩りに行こうと誘われたら、同行できるといえばできる。でも、そこまでの間柄になるんだったら、僕の性癖も話さざるを得ない。我ながら、打ち明けるには躊躇する趣味だからね。これで、君からの狩りのお誘いをはぐらかしていたことへの返答になるかな?」


 俺は考えるのを諦めた。

 倫理だの道徳だの、難しいことを考えていたら切りがない。それは哲雄が自身で考えて決めればいい問題で、俺が関わるべきところではない。


(俺が決めるべきなのは――)


 哲雄とどう接していくかという、その一点だけだ。

 すなわち、哲雄との付き合いを切るか、続けるかの二択である。


 友情と嫌悪、利益と危険性を天秤にかけて、どちらに傾くかを心の中でじっと見つめる。


(人殺しだとわかってて付き合うか、危険だからと遠ざけるか――)


 異世界における数少ない同郷の男性同士であり、気の合う友人同士であり、同年代でもある。それは、決して軽い要素ではなく――今回は、決め手になった。


(よし)

 

 俺は迷いを振り払うように首を振り、正面から哲雄を見据えた。


「付き合いは今まで通りでいい。狩りは、都合の良いときに一緒に行こう」


 そう俺は結論付けた。無難な判断とは言えない。

 現に、哲雄は予想外だと言わんばかりに驚きの表情を作った。


「それでいいのかい? 僕が言うのも何だけど、人殺しだよ?」  


 確かにその通りだ。俺以外の人間なら、哲雄を気持ち悪がって拒絶するのかもしれない。しかし、彼の告白を聞いた上で俺は決めたのだ。ならばもう迷うまい。


「そりゃあな、いきなり全部受け入れろって言われても厳しいよ。それでもまあ、節度を持って人斬りしてるみたいだし、要経過観察ぐらいで留めておこうかなと。納得はできないけど一定の理解は示して、とりあえず友人付き合いは継続かなと」


 酌量の余地があるとすれば、哲雄が人殺しを悪いことと思っていることだ。


 法に触れていないのだから殺して回ってもいいだろう、と開き直るようであればダメだったが、法に則ってはいても人殺しは良くないことだと哲雄は認識しているようだった。倫理感がズレているわけではないのだ。

 ならば、後は哲雄個人の問題である。悪趣味ではあるが、彼の趣味なのだ。

 俺に火種が飛んで来ない限り、関わらなければいいだけである。


「よし、この話はおしまい。済んだことだ、切り替えよう」


 胸を張って堂々と宣言すると、哲雄は苦笑した。


「君は変わってるねえ、侠者。僕に言われたくはないだろうけれど」


「褒め言葉だな。他人と同じだって言われて喜ぶのは日本人だけだぜ。無個性なんて糞食らえだ」


「まあ、いいさ――それじゃあ、近々、一緒に狩りに行こうか。新しい武器を買う必要があるから、それからになるけれど。都合が良くなったら連絡するよ」


「武器を買う? また増やすのか?」


 食卓に立てかけられている、一本の巨大な剣――哲雄がいつも肌身離さず持ち歩いている、クローベルちゃんに視線を移す。てっきり、この両手剣を使って哲雄は戦うものだと思っていた。


「効率の問題でね。本気で狩りをするなら、二振り以上あった方が楽なんだ」


「ふうん? そんなものか」


 二本以上あった方が効率が良いと言われて、俺は首を傾げる。

 こんな大きな剣を二刀流でぶんぶん振り回すところなど、想像も付かない。


「カエデが、赤ん坊――ディアナに付きっ切りになるからね。今までは、カエデとクローベルの二人で狩りをしていたんだ。その穴埋めってところかな」


「そうか。良くわからんが、早めに買い揃えてくれ」


 俺はコーヒーを啜る。濾しが中途半端なので、底の方に砕いたコーヒーの粒が沈殿していた。


「そういえば、もう一つ聞きたいことがあったんだった」


「なんだい?」

 

 哲雄に対して、疑問が一つ残っていたことを思い出した。

 俺ですらわからなかったことを、なぜ哲雄がすぐに看破できたのだろうか。


「ソアラ嬢が、忍者ルンヌだって、なんでわかったんだ? 一目見ただけで分かったような素振りだっただろう?」


「ああ、あれか。そうだね、今なら侠者にも教えられるか――彼女はね、僕の同類だったからさ」


「同類って、人殺しってことか?」


 俺が問うと、哲雄はゆっくりと頷いた。

 その目は、初めて俺たちが出会った日、同盟会合の様子を思い出しているかのように遠くを見ている。


「人殺しになるとね、相手が同じ人殺しかどうかわかるようになるんだよ。相手の目を見れば、経験済みかどうかがわかるようになるのさ。何となく、ピンと来るんだよ。ああ、こいつは同類だなって」


「本当かよ? オカルトじゃないのか?」


 俄かには信じがたい。人殺し同士がお互いのことを見分けられるようになるなど、初耳だ。


「それが、本当なんだ。侠者もいつか人を殺したらわかるようになるさ」


「勘弁してくれ」


 俺は苦笑した。合いの手がわりにコーヒーを飲もうとして、すでに飲み干してしまっていたことを思い出した。

 もう少し話し込むことになりそうなので、店員を呼び止めておかわりを頼む。


「哲雄は?」


「これを飲み干してから自分で頼むよ――ソアラ嬢の話だったっけ。人殺し同士の中でも、彼女のことは、特に良くわかったよ。なんていうのかな、彼女を初めて見たとき、僕は鏡を見ているような気分になったんだ」


 鏡ってなんだ、と俺は聞き返した。


「それもただの鏡じゃない。僕と彼女は、まるで正反対なんだ。合わせ鏡っていうのかな、僕のすべてを裏返したら彼女になるってぐらい、何もかも逆なんだ」


「どういうことだ?」


「僕は法を守るかわりに、楽しんで人を殺す。彼女は法を守らないけれど、人を殺めたことを苦にしている。僕は人を殺したい。彼女は人を殺したくない。僕は望んで人を殺す。彼女は望まないけれど人を殺める。僕は人殺しが悪だと思っている。彼女は、自分のしたことを正義だと信じたがっている。僕には迷いがないけれど、彼女は迷いを抱えている。そんなあれこれが、彼女の目を初めて見たあの一瞬だけで――すっと僕の中に入ってきたのさ。それこそまるで、鏡を覗き込んだような気分になったよ。彼女も同じ気分だっただろうね」


 ごくり、と俺は唾を飲み込んだ。

 食卓には、湯気を立てる新しいコーヒーが置かれていた。店員がいつ置いていったかも気づかなかった。


「その一瞬でね、僕は思ったのさ――ああ、こいつは同類だなって。きっと、ソアラ嬢もそう思ったはずだ。だからこそ、ヤハウェの暗殺を急いだんだろうね。自分のことを人殺しだと、目の前にいる僕に気づかれたと彼女は思っただろうから」


 良く言うだろう、目と目で通じ合うって。

 そう言って、哲雄は微笑んだ。冷めてしまったコーヒーを彼は口に運ぶ。


「今頃、彼女は悩んでいるんじゃないかなあ。自分がしたことは本当に正しいことだったんだろうかって。馬鹿だねえ、短絡的に人を殺してしまうから、そんな風になるんだ。いつだって性急に物事を解決しようとしたら、どこかに綻びが出るものさ。彼女は、幼すぎたね。力に頼りすぎた。社会に出て十年も揉まれていたら、もっと違う選択ができる大人に育ってたろう」


「まるで、見てきたかのように話すんだな?」


 俺もコーヒーを啜る。

 哲雄とソアラ嬢は、あの一瞬だけしか会ったことはないはずだった。

 

 それなのに、ここまでお互いのことをわかるものなのだろうか。

 まるっきりの当てずっぽうだと思えないあたり、何だか背筋が寒くなってくる。 

「これは今だから自分のことを分析できるんだけれど――君が同年代の社会人に出会ったことを嬉しく思ってくれたように、僕も彼女に会って嬉しく思ったものさ。同類がいたってね。どう表現したらいいかわからないが――僕は彼女のことを、とても可愛く思っている」 


 意外だった。

 以前に、哲雄は刃物しか愛せないのだと、自分で語っていた記憶がある。

 現に、彼女の奥さんはみな、契約した精霊で元は刃物だった。


 それなのに、ソアラ嬢のことを女として見ているというのは、心底意外だ。髪を下ろしたソアラ嬢は確かに、瑞々しさに溢れている魅力的な少女ではあったが。


「多分、侠者が考えている可愛いと、僕の言っている可愛いは、別物だね。なんていうのか――僕のは、家族愛みたいなものだ。僕はね、あの子のことを妹みたいに思うんだ」


「妹? 一応聞くけれど、血の繋がりとかないよな、彼女と」


 言ってから、愚問だったと思った。

 前世で俺を刺し殺した恋人の一人が、俺と面識があるという理由だけでカケラロイヤルの参加者から弾かれたと神様は言っていた。血の繋がりはおろか、面識すらないはずなのだ。


「もちろんないよ。あれが初対面だった。不思議だね、ほんの数分、一緒の席に着いただけで、一言たりとも会話を交わしていない。それなのに、理想と現実の狭間で苦しんでる彼女のことが、僕は可愛い妹みたいに思えるんだ」


 言いながら、哲雄はコーヒーを飲み干し――満足げに、一息吐いた。

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