花咲侠者 9
《転生者、ヤハウェが死亡しました。転生者は残り十人です》
アナウンスを聞いたのは、ヘリオパスル教会で食事をしている時だった。久々に聞いた、転生者の死亡報告である。やったのはソアラ嬢だろう。
哲雄の予想が正しかったことが証明されたというわけだ。
「どうしました、ご主人様? 火が通ってませんでしたか?」
料理を口に運ぶ手を止めて俺が真顔になったことで、ムームーが心配そうな顔をする。教会に持ち込んだ煮込みハンバーグは彼女の手料理だった。
「いや、美味しいよ、ムームー。腕を上げたね」
「焦がさないように混ぜすぎて、鍋の中のお肉、少し崩れちゃいましたけどね」
「それでも、すごい進歩さ。味は完璧だよ。大鍋で大量に作ったから、俺のより美味しいぐらいさ」
「ちょっとお二人さーん、目の前で甘ったるい雰囲気作るのやめてもらえます?」
木匙の柄の部分で机をこつこつ叩きながら、シーリィが口を尖らせる。それを見て、食卓を囲んでいる孤児の子供たちが笑い出した。笑顔の子供たちを見て、神父とシスターセレスも微笑む。和やかな空間だった。
男を釣るなら胃袋を掴めという格言があるが、俺もそれに倣い、子供たちに手っ取り早く俺たちを馴染ませ、受け入れてもらうべく、今日はムームーの手料理を持ってきて教会の人々に振舞っていた。
果たして予想通りというか、子供たちに煮込みハンバーグは好評であった。固いパンとの相性も良く、文字通り子供たちはハンバーグをがっついていた。次々とおかわりをされるので、多めに作ってきたのになくなりそうである。
(会社で、新卒の後輩相手にもよくやったなあ、この手口)
入社して少し経ち、ようやく仕事に慣れ初めてきたかなという世間ずれしていない新人を、よくフグ料理屋に連れていったものである。肉や寿司ではなく、いかにも高級だけど普段食べないフグというのがミソだ。じゃんじゃん飲み食いさせ、さも景気がいいように思わせつつ、ちょっと仕事ができるようになれば毎日こういうのが食えるぜなどと吹き込んでやれば、目を輝かせるモチベーション最高潮の新人の出来上がりだ。
恩を感じて従順な部下になってくれることがほとんどだし、やる気がある奴の方が実際に成果を出してきてもくれる。好循環の一歩目さえこっちで用意してやればいいだけなので、ほとんど手間でもない。
子供たちを相手に俺がやっていることも、似たようなものだ。
教会の経営状況を見るに、子供たちは日ごろ、美食とは縁がないだろう。そこに現れる、ムームーの肉料理。そりゃあもう夢中になる。
週に一度でもムームーが手料理を持っていけば、ムームーの株は爆上げ間違いなく、んでもって子供たちの目の前で牧農場の経営について俺と神父が話し合っていれば、いつの間にか俺も子供たちから信用され、仕事への抵抗感もなくなるという筋書きである。
「畑や牧場が完成したら、卵でも牛乳でも毎日食い放題だからなー」
「いえーい!!」
一石二鳥、三鳥を狙う餌付け作戦であった。
「シーリィ、ちょっと良いかい?」
「ん、わたし?」
晩餐の終わり際を見計らって、俺はシーリィを外に呼び出した。
「くっ、さては子供たちの胃袋を人質に取って、私にあんなことやこんなことをするつもりなのね! 私が従わなければ来週の手料理はなしだとか言って!」
「子供たちが本気にするからやめーや」
俺は苦笑する。世知辛い人生を送ってきた子供の常として、実は彼女は用心深い。油断させておいて、タダで自分あるいは姉のセレスを食うつもりではないかと本気で心配しており、それを冗談で紛らわせながら確かめてくる、そういった発言がしばしばあった。
「さっき、揚げ鳥の店をやってる貴族が死んだよ」
「ほんとに? いつ知ったの? ご飯食べてるとき、一瞬変な素振りしたけど、あのときかな? 連絡を受けてる様子はなかったけど」
「それは内緒。けど、ほぼ間違いないね」
「そっか。やっぱり」
「やっぱり?」
彼女は、ヤハウェ君が死ぬことを知っていたとでも言うのだろうか。
「今日の昼、ソアラさんて人がここに来たの。自分とキョーシャ君と、揚げ鳥の貴族――ヤハウェだっけ? が全員知り合い同士だって言ってた」
「あらら。バレてたのか」
今日ソアラ嬢がここに来ていたというのも驚きだが、それよりもヤハウェ君の知り合いだと露見してしまったことがまずい。
ヤハウェ君に対して、シーリィは憎しみに近い感情を抱いている。そのヤハウェ君と知り合いだということを黙っていた件で、この子が俺を恨みかねない。
そうなると農場などの件も疑われかねないし、面倒なことになる――そう思っていたのだが、意外なことに彼女はさっぱりした顔をしていた。
「初めは、あやうくキョーシャ君に騙されるところだったって思った。でも、ソアラさんが言ったんだ。自分やキョーシャ君が、私たちを騙そうとしていない証拠を見せてあげるって。多分、そのことだったんだね」
「そこまで聞いてるなら、話が早い。そうだね、ヤハウェ君をやったのは、多分彼女だ」
「明日になって、揚げ鳥の店がどうなってるかを調べるまでは保留にしておくけど――本当にあの貴族が死んでたら、信じるよ」
「ん、それでいいよ」
気になるのは、ソアラ嬢がこれからどう身を振るかだった。
こうしてシーリィにまで暗殺をほのめかしていたのなら、俺や哲雄が彼女の正体に気が付くことまで見越しているはずだった。
今まで通りに俺たちと接しようとするか、それとも口封じに俺たちを襲ってくるか。しばらくは警戒をしつつ、様子を見なければならないだろう。状況は、動いているのだ。
(――もっとも)
警戒したところで、自分の身は守れまい。
およそ100と500、俺と彼女のレベルの差は歴然で、ムームーと暮らしている俺の家も、カナン商会の情報網ですぐに調べられてしまうだろう。
(彼女は、どう出てくるかなあ)
しばらくの間、平穏だったこの首都が、新たな局面を迎えている実感があった。事態は少しずつ、動き出そうとしている。
状況の推移を見守りながら、三日が経った。
結論から言うと、ソアラ嬢は姿を消した。
彼女が寝泊りしていたカナン商会の事務所からも、いなくなっているらしい。
ライオット青年が教会を訪ねてきたときに、それを知った。
「ここにも来ていませんか――いえ、今は斡旋する仕事の話でしたね」
少し頬がこけていた彼は、ソアラ嬢がいなくなったにも関わらず、教会の子供たちでも就ける仕事の手配はしっかりやってくれた。義理堅い性格らしい。
牧農場の建設予定があることも伝えておいた。
いずれカナン商会が手を引いたときでも教会が食っていけるようにしておきたいと正直に話したところ、彼の興味を惹いたようだったので、詳しく牧農場を作る計画の全貌を説明した。
商売人として、計画が上手くいきそうだと判断したらしく、彼は子供たちの賃金を払おうと提案してきた。当座の食費などに充ててくれとのことだ。
俺たちに必要な農場を、俺たちが作るのに、なぜかカナン商会が給料を払う。
それでいて、経営に参加させろなどと権利の要求をしてくるわけではないので、有り得べからざる好意といっていい。
いくらソアラ嬢からの口添えがあるとはいえ、そこまでしてくれて大丈夫かと逆にこっちが聞き返してしまったが、将来的に畑や牧場から産まれる農作物などをカナン商会が買い取ることがあるかもしれないし、先行投資ですと言われてしまったので、ありがたくお言葉に甘えておくことにした。
「それにしても、ソアラが心配です。行く当てはあるのでしょうか。ちゃんとご飯、食べられているでしょうか」
俺は噴きそうになった。彼女が野垂れ死ぬ可能性など万に一つもないだろう。
「彼女なら大丈夫ですよ。ライオットさんも、ご存知だったんでしょう?」
彼に転生とカケラロイヤルについて打ち明けたと、ソアラ嬢自身が言っていた。殺人者であることを知ってなお、ライオット君はソアラ嬢に協力していたと見るべきだった。
「ええ。私はすべて知っていました。何とかやめさせようと、あの手この手は尽くしたのですがね。彼女を翻意させるには至りませんでした」
「私のことも、聞いていますか?」
そう問うと、初めてライオット君は少しだけ笑った。
「伺っています。キョーシャ君が大人だったんだよーってあたふたしてましたね」
確かに、初めて会ったときはライオット君に対して、ショタ口調で話をしていた。今は普通の口調である。どうせソアラ嬢を通じて、彼にはバレてるだろうと思ったからだ。
「教会が作ろうとしている牧農場への支援には、実は口止め料という意味もあります。コンスタンティ家に連なる人物に危害を加えたのが、カナン商会の食客だったと知られると不味いですから」
「ああ、なるほど。言われてみればその通りですね」
カナン商会ぐるみで貴族を襲撃したと思われたくはないだろう。
彼とて、カナン商会の実権をすべて握っているわけではない。いかにソアラ嬢を庇いたくとも、会社もろとも一蓮托生とは行くまい。
「独自に入手した情報なのですが――コンスタンティ家がいま、激怒しているようです。あの揚げ鳥の店、ヤハウェさんでしたっけ。身内である彼が殺害されたことによって、貴族である自家に弓を引かれたと感じたようですね。彼が死ぬ直前に、路地裏の人々に襲われたこともあって、コンスタンティ家ではいま、路地裏の人間が犯人だと断定し、敵対する方向で意思がまとまりつつあるようです。下手をすると、兵を出して一斉取締りに乗り出すかもしれません」
「ほう」
警察とヤクザの対決といったところだろうか。
「ヤハウェ氏の護衛についていたベアバルバ氏が、コンスタンティ家の当主からひどく叱責を受けたとも聞いています。彼を先鋒にして路地裏の弾圧に乗り出すのではないかと私は睨んでいるのですがね」
ヤハウェ君の護衛に乗り気ではなかった、筋骨隆々としたベアバルバ氏の姿を思い出す。仕事に私情を持ち込まぬ、立派な人柄だった。護衛対象が死んだので、彼は帰っていった。
「そういったわけでして、教会の方で、ソアラがうちにいたということを知っている人がいたら、それとなく他言しないように伝えては頂けませんか?」
ソアラ嬢がカナン商会と繋がっており、ヤハウェ君の襲撃犯がソアラ嬢であることを知っている人物。それは、シーリィと俺と哲雄の三人だけだ。
会合に誘うにあたってカナン商会の事務所を訪ねさせた哲雄はともかく、ベアバルバ氏は、カナン商会とソアラ嬢の繋がりまでは知らない。ヤハウェ君も、そこまで踏み込んで彼には話していなかったはずだ。
とはいえ、ライオット君としては、カナン商会が暗殺者に手を貸していたと噂が広まるのは、万が一にも避けたいところだろう。そのための口止め料だ。
「了解しました。情報を一手に握っているというか、その子にさえ話を通しておけば、しっかり子供たちをまとめておいてくれるだろうという人物がいます。彼女に話しておきましょう」
無論、シーリィのことである。彼女に釘を刺しておけば問題ないだろう。
「それにしても、ソアラは一体、どこに行ってしまったのか」
「そうですねえ」
無難に合わせた。二人して、どんよりと曇り始めた空を見ながら、嘆息する。
(――ふむ、まだこちらに心を開いているわけではない、と。まあ当然か)
彼がソアラ嬢を心配しているのは、行き先がわからないから――ではないだろう。
なぜなら、彼女が行く場所ぐらい、俺にだってうすうす見当が付くからだ。
言葉の端々から察するに、ソアラ嬢はとても責任感が強い女の子だ。それ故に、自分がヤハウェ君を殺害したことによって、ある意味では濡れ衣を着せられた形で路地裏の人々が弾圧されるのを見てみぬ振りはするまい。
なので、ソアラ嬢は、コンスタンティ家と路地裏の争いに近いところにいるはずだ。何らかの形でそこに関わるつもりでいるだろう。切れ物のライオット君がそれに気づかぬはずはない。
ライオット君が憔悴して見えたのも、ソアラ嬢の行き先がわからないからではなく、危険な争いに自ら身を投じていく様を案じているからではないだろうか。
(そこまで、腹の底は見せ合えないか)
ライオット君の立場は、ある意味でとてもわかりやすい。彼は常に、ソアラ嬢の味方だ。
ソアラ嬢に肩入れしているだけで、彼は俺たちに何の義理もない。
一定の距離は保っておこうと思っているのかもしれない。




