花咲侠者 8
「花咲殿。本日はお忙しい中、ご足労頂きまして」
炎帝の寝起き亭に宿を取っている哲雄の部屋を訪ねると、奥さんが出迎えてくれた。楓さんという、身長の低い和服の女性だ。着ている紅葉の小袖と黒の羽織の色合いが華やかで、前分けにした量の少ないストレートの黒髪が少し儚い美人さんである。
この部屋を訪ねるのは二度目だった。初めて彼女に会ったときは子供を抱いていたので、哲雄のやつ、こんな和服ロリ美人を孕ませるとは侮れぬ男だと驚愕したものである。
よくよく考えたら転生してから二ヶ月も経っていないので、子供を作れるわけがないのだが。いや、それはそれで和服ロリ美人の人妻ないし未亡人を口説き落としたということですごいことではある。
実際は契約した剣の精霊で、彼女自身が戦えるのだと聞き、二度驚いた。どこからどう見ても、華奢な大和撫子である。
華奢なのにキョーシャびっくり、ってやかましいわ。
「いえ、とんでもない。ご家族の団欒中に恐縮ですが、今日もお邪魔致します」
「むさくるしい部屋でございますが、おくつろぎ頂ければ幸いでございますわ。奥様には初めてお目にかかります。盤台哲雄の妻にて、楓と申します」
「えっあっはい。ムームーです。よろしくお願いします」
挙措もたおやかに一礼する楓さんにどう反応していいかわからず、ムームーはしどろもどろになった。そう、今日は見ての通りムームーを連れてきている。家族ぐるみの付き合いを始めるのだ。
「やあ侠者、いらっしゃい。ゆっくりしていってくれ」
「お邪魔するよ、哲雄。ネタとして面白いかと思って、土産に牛肉の色々なところを買ってきた。今日は焼肉しようぜ」
行きがけに処畜人のところに寄って、未経産の仔牛の希少部位を譲り受けてきたのである。牛乳を取るために一度孕ませると牛肉は硬くなるらしく、子供の雌牛は貴族とかが食べる高級肉なのだそうだ。
日本のちゃんとした焼肉店で食うとアホみたいな値段を取られる希少部位も、こちらだと他の部位と値段は大差ない。むしろ、通な客だと思われたのか処畜人は上機嫌でおまけまでしてくれた。
「それはいいけど――どこで焼くんだい? 室内で焼くわけにもいかないし、バーベキューするにしても近くの炊事場を借りなきゃいけないんじゃ? 子供もいるし、遠出はどうかなあと思うんだが」
「そこはほら、俺の得意分野よ。下調べとか根回しとか超得意。前回帰るときにここの宿に聞いたら、チップさえ払えば持ち込んだ食材を調理してくれるそうだ。醤油が出回ってないから、特製の塩だれまで作ってきたんだぜ」
回復薬を入れたりする、金属のウィスキーボトルにたっぷりと塩だれを詰めてきた。塩とネギと柑橘系をベースにした自信作である。
「本当は離乳食まで作ってこようかと思ったんだけど、子供の口に入るものだろ?
俺が作るのはやり過ぎかなと思って、果物の詰め合わせも買ってきた。もはや後顧の憂いなし。酒盛りしようぜ酒盛り」
「気合入ってるなあ」
「仕方ないだろ、前回が楽しすぎたんだ。家に帰った後も、次回はこうしたらもっと楽しいだろうなって思うことが次々浮かんできて、正直寝れなかったんだぜ」
苦笑する哲雄に、超ハイテンションの俺。まるで正反対の俺たちであるが、妙に馬があった。
(前回――)
哲雄を迎えてヤハウェ君と行った会議が物別れになった晩、俺は約束通りこの宿を訪れた。
初めこそ社交辞令の応酬というか、カケラロイヤルの参加者同士ということもあって探りあいに似た会話が続いていたのだが、酒の力を借りてのぶっちゃけトークの末、俺たちは完全に意気投合した。今ではお互い名前を呼び捨てる仲である。
趣味が合うわけでもなく、人生の方針が似ているわけでもなく、気質や性格まで
ほとんど真逆の俺たちだったが、磁石のプラスとマイナスが惹かれあうように仲良くなった。
仕事の関係で数年以上も顔を合わせた同僚が上辺だけの付き合いで終わることもあれば、このように会ってすぐに打ち解け合える人間もいる。
正味な話、他人にこれほどまでに友情を感じるのは久々のことだった。
共に異世界からやってきた同胞かつ同年代という好条件もあるのかもしれない。
(久々に、ちゃんと遊んでるって実感があるなあ)
九人の嫁をローテーションで構わなければならなかったので、前世では友人と遊ぶ機会を中々作れなかったこともあり、哲雄と騒ぐ飲み会は実に楽しい。
「ご主人様、私と初めて会ったときよりテンションが高い」
ジト目のムームーである。友人と遊ぶことにかまけすぎて嫁から怒られる、そんな経験も久々で新鮮だ。
「殿方なんて、いつの時代も似たようなものでございますよ。わたくしも今日は台所に立たずとも良うらしゅうございますので、一献お付き合いくださる?」
「あ、はい。私でよければ」
ムームーの相手は、楓さんがしてくれるらしい。よく出来た嫁である。
「んじゃま、薄く塩振って肉を焼いてくれるように頼んでくるわ。肉だけじゃあれだろうから、つまみになるようにサラダとかも適当に作ってくれるよう頼んどく」
「了解。結構な出費だったろう、酒はこっちで出すよ」
「肉と酒と聞いて!」
淡い光を放って現れたのは、室内にも関わらずなぜか銀色の鎧を着込んだ大柄な女性である。兜の面頬から覗く、そばかすのある愛嬌の顔つきの彼女とも、前回顔合わせは済んでいた。
「お、クローベルちゃん。おいっすー」
「キョーシャ君、おいっすー。ご主人様、混ぜて混ぜて。こんな宴会をハブられたらさすがに泣きます。はよ、おかわりのマナ、はよ。二分過ぎたら消えちゃう私」
はいはい、と苦笑しながら哲雄は何もない空間をじっと眺めた。
ステータス画面で精霊契約の状態でも変えているのだろう。
ちなみに、剣が人に変わる瞬間を初めて目の当たりにするムームーは、俺の横で絶句していた。
「キョーシャ君、今日こそ負けませんからね。飲み比べ、勝負です」
「無茶言うよ」
俺は苦笑した。前世で付き合う程度にしか酒を嗜まなかった哲雄の酒の強さを10とすると、彼女は200ぐらいである。前回飲み比べてわかったのだが、文字通り桁の違う、大酒豪だった。
「多分ですけど、お母様の血ですね。すごい飲む人だったって聞いてますし」
「いつか、会う機会があるかなと思ってたけれど、その話を聞くと怖くなるな」
苦笑する哲雄と、ご両親への挨拶だなんてそんなあ、と照れて見せるクローベルちゃんである。
ちなみにだが、俺の酒の強さは無限だ。
俺が取得した特典スキルのうち一つ、毒耐性。これには、薬物であるアルコールも含まれる。ほろ酔いぐらいまでならばスルーされるが、一定以上の酩酊状態になると自動的に身体から酔いは消える。
そんなズルがありながら、前回の飲み会では彼女に負けかけた。
酒の強さではなく、単純に胃袋の容量の問題である。途中で飲むものを葡萄酒や麦酒から蒸留酒に変えていなければ負けていただろう。
「そういえば、本題がまだだったな。酔っ払う前に、済ませとこか」
焼きたてカリカリとまでは言わないまでも、ほっこり湯気を放つやわらかい焼肉と麦酒に舌鼓を打ちながら、俺は用件を切り出した。
「そうだね。侠者の提案は、こっちとしても助かるよ」
俺の提案――それは、転生者の死後、残された近しい人々が暮らしていけるシステムだ。ムームーを妻としてから、俺がずっと取り組んでいるテーマである。
俺の場合は、ムームー。哲雄たちの場合は、赤ん坊のディアナが対象となるので、彼らも乗り気だった。
「ヘリオパスル教会とカナン商会の提携は、今のところ上手くいってる。ただ、それだけじゃ足りないんだ。カナン商会が手助けしてくれてるのは、ソアラ嬢に跡継ぎのライオットが惚れてるって一点だけで成立してるから、そこが壊れたら撤退されかねない。カナン商会が仕事を回してくれてる今のうちに、教会だけで食っていけるシステムを考えなきゃならんわけだ」
ちょっと考えればわかることである。
カナン商会におんぶにだっこの現状、カナン商会が手を引くだけで教会は食い詰めてしまう。求めるべきは、永久だ。永久に食っていけるための商売を一つ、ヘリオパスル教会に残す。
それで、俺たちは後顧の憂いなく死ねる。
「ディアナのことがあるから、侠者の提案は渡りに船だった。魔物や山賊をかなり狩ったからね、資金には余裕がある。出せる限りは出すよ」
「おう、そうしてくれ。大工スキルを俺が持ってるから、木材さえあれば家なんかは一瞬で建てれる。そっちは生産系のスキルはないんだろ?」
すべてとは言わないが、特典のスキル構成を大まかに話す程度にはお互いに信用し合っていた。
「問題は、どんな物を作ったら教会の子供たちでも金が作れて食っていけるかだよな。自給自足が理想だから、今よりも広い畑をどっかに買っておくっていうのは鉄板だとしても、金を産むための商売となると、時代の流行り廃りがあるからな」
「今は安定してる商売でも、そのうちやっていけなくなるものなんて、いくらでもあるだろうしね。例えば小売業なんて、日本みたいに流通網が発展してきてコンビニとか大手スーパーとかが出来てきたら、軒並み潰されるだろう。駅前の商店街でやってる小さな老舗の飲食店が、ファミレスに潰されるみたいにね」
「だな。そうなるとやっぱり第一次産業か。海は遠いから漁業は無理。やっぱり牧場だろうな。肉と卵と乳が取れる。農業との相性もいいだろう。畑と、牧場。この二つを主軸として取り組むべきだろうな」
「それがいいと思うよ。あと侠者、ヘリオパスル教会は文字を教えてるって言ってたよね?」
「ああ。フェリオ神父が子供たちを働かせるのを好まないらしい。空いた時間で文字を教えてるって」
「そこは、規模を拡大させて続けていくべきだろうね。農業だけで人生を終わりたくないっていう、山っ気の強い子供たちなんかは、文字を覚えたら独り立ちして外の世界へ出ていくだろう。本人の努力次第で知識階級に加われる余地は残しておいてあげたいね」
「いいんじゃないかな。ただ、フェリオ神父には教会の管理者としての本職がある。教師の仕事まで押し付けると過労にならんかな?」
「文字を覚えた生徒を、教師役にするとか、最初のうちはセレス姉妹に代わってもらうとか、そういうやりくりは出来るだろう。孤児が増えるなら人手も増えて、彼女らが今までやってた仕事の補佐もやったりして――そんな風に、個人にかかる負荷は分散すべきだろうね。組織として円滑に回っていくようになるまでは、個々の綻びはそうやって繕うしかない」
「そうだな。学校を作ったら、空き時間とかに農業の手伝いとかをさせてもいい。児童労働になっちまうが、搾取にならんように気を使ってやるしかないな」
「多分、大丈夫だろう。この世界の貧しい人々の水準からすると、恵まれてる部類だと思う。労働のあとに乳製品のおやつを出すとか、給食をしっかり食べさせていくとか、そういう努力で学校や労働が楽しくなるように演出していくしかないんじゃないかな。農業なんかは、体力のない子供たちで畑を耕していけるかどうかとか、細かい問題は残るけれど」
「器具だね。牛に曳かせて畑を耕すとか、労力を出来るだけ減らすための手配はしておくべきだ。子供たちがやることは、種を植えて水をやり、経過を見守るだけぐらいまで整えておかないと」
「大体の方向性は、決まってきたな。一つは、畑と牧場、それに学校を建てるための広い土地。二つ目は、建物や家畜なんかの手配。三つ目は、学校の運営や、牧場で取れたものを売ったりする、いわゆる組織作り。この三つをクリアすればいけそうだな」
「一つ目の土地は、金次第でどうとでもなるね。建物は侠者がいればいいし、家畜は――最初から増やしすぎても意味がないね。教会の神父にまとまった金を渡しておいて、数が必要になればその都度買ってきて貰えばいいだろう。農作物や肉なんかを売る先は、実際に物が出来てから買い取ってくれる先を探しても遅くないと思う。現状は、農耕器具の改良と組織の形作りに力を入れればいいんじゃないかな」
「そうしよう。土地の選定が重要になってくるな。戦力にならない子供たちだから、魔物が出ない南門か西門のどちらかを外に出たあたりだな。首都の内側でそんな広い土地は買えないだろうし。広大な畑と、牧場と、少し離れたところに学校を建てて、毎朝この教会とかからそっちまで歩いていってもらう形になるな。人が増えたら寝泊りするための宿舎も必要か」
「どれぐらい経営が順調なのかにもよるけど、人手が足りなさそうだったら孤児じゃなくて普通に働きたいっていう一般人も受け入れてやっていくことも視野に入れるべきだろうね」
話はとんとん拍子に進んでいく。
自分と同じような目線の人間と相談しているので、話がまとまっていくのが早かった。
「ご主人様、何か難しい話をしてますねえ」
「花咲殿が色々考えているのは、ほとんどあなたのためですよ。果報者ではありませんか」
「わかっちゃいるんですけど、なんかご主人様が死ぬのが前提みたいになってて、なんだかなあって。私にとっては、まるで嵐みたいです。あっという間にご主人様がやってきて、私が生きていけるように整えてくれて、それで去っていくんです。私のことを見てくれているようで見てくれていないというか、取り残されてぽつーんと一人で生きていくような未来が見えて寂しくなるというか。子供が欲しいとは伝えてあるんですけどね」
「殿方と女子の幸せは、暮らした期間で決まるものではありませんよ。あなたがいつまで夫と暮らせるか不安に思うのならば、短い期間でも悔いを残さぬように燃え上がるのです。殿方の目を自分に向かせられるかどうかは、女の勝負ですから。頑張れとしか申し上げられませぬが」
「や、それがご主人様、ベッドの中では強すぎて勝負にならないというか」
「そこで諦めてはなりません。花咲殿だって、妻に最高の手管を求めているわけではございますまい? 伽の技は上手になればなるほど、殿方というのは喜ばしく思うものでございますから」
「なるほど。具体的にどのような技があるのか、ちょこっと教えて頂いても?」
「わたくしの知る限りで良うございましたら」
「おいおい」
俺と哲雄は二人揃って苦笑した。横の女性陣がまさかの猥談モードに突入である。反対側では、麦酒の樽をごっぱごっぱと一気飲みしつつ肉をかっ食らうクローベルちゃんが、ディアナちゃんも飲みますかーなどと赤ん坊に樽を近づけて折檻を食らっていた。
哲雄が操っているのか、赤ん坊の首にかけられたネックレス状のダガーがクローベルちゃんに向かって飛んでいき、彼女は兜の面頬を降ろしてそれを防ぐ。
その一連のやり取りが楽しかったのか、赤ん坊はきゃっきゃと笑っていた。
宴会が、賑やかになってきている。
「ヤハウェ君は、どうするかなあ」
ふと、我らが盟主の話題を口に出したのは、世間話の一環としてだった。
明確な目的があって言ったわけではなく、お互いの立ち位置の確認でもできればな、ぐらいの気持ちでだった。哲雄は少し苦い顔で、麦酒を呷る。
「ああ、あいつか」
「こっちがやろうとしていることの邪魔になるわけでもないし、放っておくのが一番かな。現地住民の生活を考えろと一度言ってみたが、聞き入れなかったよ。哲雄は、あの子と仲が悪いだろう? 戦うつもりとかあるかい?」
「本当は、やってやろうと思ってたんだけれど――その必要もなさそうだったからね、やめた」
「必要がない? いやそりゃまあ、教会で畑を作ったりする邪魔とかはしてこないだろうけどさ」
「そうじゃない。多分、遠くないうちに彼は死ぬだろうからさ。僕が手を下す必要がない」
俺は、麦酒を口に運びかけていた手を止め、哲雄にその真意を問うた。
ヤハウェ君が近々死ぬと、彼は言い切ったのだ。
「穏やかじゃないな。病死ってわけでもないだろ。誰に殺されるっていうんだ?」
「ああ、気づいてなかったのか。道理で君たちの同盟が破綻しなかったわけだ」
逆に、得心したとでもいった表情でうんうん頷く哲雄であった。
まったく話が見えてこない。一体どういうことだろう?
「君たちの同盟に、ソアラって子がいたろう? 僕の勘だけど、彼女がヤハウェを殺すよ」
「一体なぜ?」
ソアラ嬢が、ヤハウェ君を殺す。それは、俺にとって想像が付かない光景だった。しかし哲雄は、その確信を持っているらしい。
「彼女に、ヤハウェ君を殺害する動機なんて、ないはずなんだけど」
「気づいてなかったのか、ってさっき言ったろう?」
半信半疑で問いかける俺に、哲雄はかるく微笑んで告げた。
それは、俺にとって、この世界に転生してから最大の、爆弾的な発言だった。
「彼女が、忍者ルンヌだよ」




