望月素新 4
街を、見て回っていた。
転生者が与えた影響を、自分の目で確かめるためである。
(たくましいなあ)
ジンという転生者が地震の魔法を発動させ、ほとんど更地になってしまった屋台広場はいま、新たにやってきた商売人の広げた屋台によって埋められていた。いくらか人通りは減っているが、それでも盛況といって良い賑わいである。
虐殺の舞台となった悲壮感は、そこにはない。
「いらっしゃいお嬢ちゃん、塊肉の炭火焼きだよ、やわらかくておいしいよ、買っていかないかい」
あちこちの屋台をきょろきょろ眺めながら歩いていると、あちこちから売り込みの声がかけられる。串に葉野菜と焼いた肉を刺したものを売っているその店に、私は近づいた。頬がこけた中年の店主だ。
「ん、それじゃあ二本ともください」
「ほ、ほんとかい? 毎度!」
客層からいって、声をかけてみたものの私が買ってくれるとは思っていなかったのだろう。
店主の声は、予想外にも売れたという喜びで弾んでいた。
向こうは私の顔を覚えていないようだが、私はこの屋台で一度、今と同じ串焼きを買ったことがある。今いる広場ではなく、外の通りにこの屋台はあったのだ。
あのときはライオットと二人だった。そして、この串焼きの屋台はそれなりにリピーターがいる人気店で、焼きあがったばかりの串焼きを積み上げておくトレイに二十本は商品が積まれていた。
今は私は一人だけで、屋台のトレイにも二本だけしか串焼きが積まれていなかった。何本も焼いたところで、売れないのだろう。
(ちょっと、ぬるいかな)
人目を気にせず、私は受け取った二本のうち片方の串焼きにその場でかじりついた。冷めているとまでは言わないが、少しぬるい。焼き上げてから時間が経っているのだろう。
この屋台は、量よりも質で売っている店だった。何日も寝かせて熟成の進んだ質の良い肉を、塩と香辛料をしっかり使って焼き上げる。炭火と香辛料の香る焼きたての肉は、極上の味だった。
景気が悪くなり、贅沢品に手が出なくなってきたら、真っ先に売れなくなる類の商品でもある。
店主は新たな肉を二本、網の上に置いて焼き始めた。
一度にそれだけしか焼かないのは、売れなかったときに食材を無駄にしないようにとの配慮だろう。私が買うときにも二本残っていたということは、しばらくの間、誰もこの屋台で肉を買わなかったのだ。
「向こうで屋台を出してたときに、おじさんの店で串焼きを買ったことがあります。あっちだと結構繁盛してましたよね?」
「ああ、常連さんだったかい。顔を覚えてなくてすまんね――そうさな、あっちの通りはもうダメだ。あの貴族がやってる揚げ鳥の店にみんな客を取られちまった。あの界隈の屋台はどこも撤退したよ。不謹慎だが、トチ狂った魔術師がここに前からいた屋台を一切合切ぶっ壊してくれなかったら、俺は行き場がなくて首を吊るしかなかったよ」
「あの揚げ鳥、売れてるみたいですね。別の場所にも店、作ったらしいですし」
「こっちは溜まったもんじゃないがね。前の店の流行り具合を知ってるお嬢ちゃんだから言うが、見ての通りまるで売れやしねえ。場所が良くねえってのもあるんだがね。人通りが多い中央のあたりは、前からこの広場を仕切ってた裏路地の元締めが確保してるから、俺みたいな新参はここみたいにあまり人の来ない隅っこしか使えねえ。たまたま前の店の常連が通りがかって買ってくれたりでもしない限り、中々売れねえなあ」
握り拳より小さいぐらいの肉の塊と、葉野菜を一枚付けて、400ゴルド。串焼き一本の値段だ。八百円と考えると割高に感じるが、ガスコンロがないこの世界において、煮炊き用の設備は高価な代物だ。
実際、この屋台は最高の味が良心的な価格で食べられる店だと人々に思われていて、それなりに流行っていたのだ。
立派な肉、しかも揚げてあって味が素晴らしく良いフライドチキンを100ゴルドで売る店が近くに出来るまでは。
「お土産にしたいんですけど、まとめて焼けたりします? 十本ぐらい」
「お、おう! できる、できるぜ!」
私の言葉を受けて、中年の店主は活き活きとしながら肉を網の上に並べ始めた。
「あ、やっぱり十二本お願いします」
「あいよお!」
心付けという意味で、5,000ゴルド大銀貨で支払おうと思ったのだ。
十二本で4,800ゴルド。お釣りはチップでいいだろう。
十本はこれから行くところへのお土産として、増やした二本は私が自分で食べるつもりだ。最初に食べた二本と合わせて、握り拳よりも少しだけ小さい、肉の塊が四つ。これではちょっと物足りない。
「こんにちは――って、すごい人」
初めて訪れるヘリオパスル教会は、人の山だった。
教会に入って右の礼拝堂の方へと、行列が続いている。
「あ、あの、ごめんなさい。礼拝じゃなくて、教会に用があるんですけど」
近くを通りがかったシスターを捕まえて声をかける。
(おっぱいのすごいお姉ちゃんがいた)
そうキョーシャ君が語っていた、シスターセレスとはこの人のことだろう。
なるほど、確かに凄まじいボリュームの肉であった。思わず自分の胸に手を当てて質量差を計りたくなる。
「それでしたら、私がご用件をお伺いします。今日は旅人が多く訪れる光の日。神父は礼拝堂に詰めているものですから」
「といっても、ほとんど私用みたいなものなので、お構いなく? っていうのも変ですけど。あ、これ、お土産です」
串焼きの入った焼き物の皿をシスターセレスに渡す。彼女はかぶせていた布をめくって中を見て、顔を綻ばせた。
「まあ、これは――よろしいのですか?」
「この教会のことは、キョーシャ君から聞いていまして。話は聞いてますか?」
「ええ。カナン商会の方が近々お見えになると神徒キョーシャからは伺っておりますが――それでは、お客人がその?」
「正確にはちょっと違うんですが、似たようなものだと思ってくれればいいです。えっと、あなたがセレスさんですよね? 妹さんと少し話したいんですけど」
今日この教会に来た理由は、他でもない。現状を知りたかったのである。
ヤハウェさんの店が出来たせいで、本当に人々の暮らしに皺寄せが行っているのかどうか。先ほどの串焼きのおやじさんの話を聞いたので、もうほとんど信じる気にはなっていたけれど。
「あなたが、キョーシャ君の言ってたカナン商会の人?」
「ええ。ソアラです、よろしくね。あなたがシーリィさん?」
セレス、シーリィ姉妹は、どちらも黒みの強い茶髪をばっさりと短くした髪型だった。姉の方は落ち着いていて色っぽく、妹の方は明るくて元気が溢れているような印象を受ける。
姉妹だからか、二人とも言うことが同じ――本当に私がカナン商会の人間なのか――だった。無理もない。私のような小娘がカナン商会の関係者だなどと、外見からは中々信じられまい。
そもそも、私はカナン商会に対していかなる権力も持ち合わせていないのだ。
大々企業の御曹司であるライオットが私に好意を抱いていて、そしてこっぴどく振ったにも関わらず、まだ私のためにあれこれと便宜を図ってくれているだけで――要は、ライオットの気持ちを利用しているだけだ。胸を張って、私がカナン商会を動かせますなどと言えた義理ではないのだ。
「えっとね、お仕事の斡旋については、また今度、別の人が来ます。書類を整理したり、畑を作ったり、お店で物を売ったり――色々な仕事を用意してあるので、自分に合ってるだろうと思われる仕事を選んで働けばいいようになってます」
ライオットに相談してみたところ、彼はあっさりと子供たちが働ける場所の手配をしてくれた。激務の最中だというのに、そして私に振られた後だというのに、彼は未だに私の言うことはすべて聞いてくれる。たまに、時間を見繕って私をどこかへ連れ出そうともしてくれる。
私をこのカナン商会に連れてきてくれたシュテファンおじさまは、今がライオットの大事な時期だと言っていた。カナン商会の後を継ぐために仕事を覚えるとか実績を作るとか、そういう人生の正念場というか、忙しい時期であるらしいのだ。
そんな中、ライオットは私のためにまめに時間を作ってくれる。
(――結局、恩は返せずじまいだったなあ)
私はもう少ししたら、ライオットの前から姿を消そうと思っている。
言い訳や理由をあれこれ並べることはできるけれど――口にするのはやめよう。
ライオットには、本当に良くしてもらった。そして私は、それに応えられなかった。それだけだ。
「今日ここに来たのは、それを話し合うためじゃないんだ。コンスタンティ家の揚げ鳥――あの店が出来たことで、生活がどれぐらい苦しくなってるのかを教えてもらいに来たんだ。キョーシャ君にはもう話したことなんだろうけど、もう一度教えてもらえる?」
キョーシャ君が成人だとわかってからも、私は彼のことを君付けで呼んでしまう。大人としての口調で喋っている彼より、お姉ちゃんお姉ちゃんと呼んでくれたキョーシャ君の方が思い出の中では多いからだ。
「いいけど――こっちからも一つ、お願いがあるんだ。孤児ってわけじゃないけど、
裏路地の知り合いが今、教会に来てるんだ。その子の説得を、ソアラさんもしてくれないかな?」
「説得?」
裏路地というのは、文字通り道外れを表しているのではなく、確か貧民街を中心にそれなりの勢力を持っている、いわば不良の集団としての意味があったはずだ。わかりやすく言えばヤクザである。
お土産を買った串焼き屋の店主も、広場のいい場所は裏路地の元締めに確保されているとボヤいてたっけ。
私が首をかしげていると、教会の裏手から、すっと人影が歩み出てきた。
「シーリィ、その人が例の?」
「うん。私たちに仕事を紹介してくれるんだって。だから、危ない真似はしなくても食っていけるんだよ。襲撃はやめておこうよ、大貴族の身内なんだし、相手が悪いって」
シーリィが必死になって説得を始める。相手はシーリィよりも少し年上、私と同年代ぐらいの少女だ。身なりは地味だが、肌はそこまで汚れていない。貧しいからというより、目立たない服を選んで着ているという印象がある。
忍者ルンヌが顔を隠すために全身黒ずくめの服を着ているとするなら、彼女は人ごみに埋没するために地味な服を着ている、そんな印象を受けた。スリか何かだろうか?
「もう少し早く、その情報を聞けていれば良かった。でも、もう遅い。すでに何人かがもう、街のあちこちに潜伏している。今頃は、実行に移しているころだろう」
「そんな!?」
襲撃。今ごろ実行。相手は大貴族の身内。
二人のやり取り、会話から断片を拾い上げて整理するに――ひょっとして、会話の内容はヤハウェさんの暗殺計画だろうか。
「あんたも、今日ここで見聞きしたことは忘れることだ。さもないと黒猫が忍び寄ってくるぜ?」
針のような鋭い視線で、私を射抜いてくる裏路地の少女だった。
「それは話さないけど、そんなことより、不味いよその計画」
「なんだと?」
「暗殺の相手、ヤハウェさんだよね? 揚げ鳥のお店を開いてるコンスタンティ家の。あの人、最近護衛を雇ったんだよ。ベアバルバっていって、すごく強い人。守護隊の訓練教官をしてたって言ってた」
私の台詞を聞くと、目に見えて裏路地の少女は狼狽した。
「『鋼身』のベアバルバか!? 軍の上から二番目じゃねえか、なんでそんな大物が――! いや、その情報は確かか? しかもあんた、口調から言ってあの貴族の知り合いか?」
「一緒にお茶を飲む程度の仲ではあるよ。だからこそ、あの人のせいで貧しい人たちが苦しんでるなら、知り合いの私がフォローしないとって思って仕事を探してきたんだけど――」
喋っている途中で、私の顔に向かって飛来してきたものを、私は難なくつまんで止める。見れば、鍔のついていない、投げナイフのような小型の刃物だった。
突然目の前で戦闘が起こり、シーリィは目を丸くしている。
「告げ口とかはしないから安心してくれていいよ。これは多分、キョーシャ君も一緒だね。あの人もヤハウェさんとは知り合いだし」
「そうなの!?」
初耳だったのか、シーリィは驚いている。
確かに500近いレベルの私にとっては危険のうちにも入らない投擲だったけれど、目の前で殺されかけた私の心配もしてくれていいと思うんだけど。
「仕事の斡旋とか、カナン商会がどうとか、そのあたりに嘘はないから安心してくれていいよ。ヤハウェさんと知り合いだからって、教会の人たちを裏切って安くこき使おうとか、そういうのはないから」
「信じられるか――いや、冷静に考えてみれば、事実なのだろうな。もしあの貴族の側に立っているなら、そもそも教会の手助けをする必要がない。早とちりで口を封じようとしたことを詫びよう」
そう言いつつ、裏路地の少女は頭を下げた。
殺意を持ってナイフを投げておいて、ずいぶんと軽い言いようである。
「あんた、かなりの手練れだったんだな。今は見逃してもらえないか? 本当にベアバルバがいるなら、相手が悪い。襲撃に失敗した仲間を逃す手伝いをしたい。後刻、首は差し出しに来る。必ずだ」
そうでもなかった。あっさり、自分を殺してもいいと少女は言ってきた。
他人を襲うのを軽く考えているわけではなく、単純に覚悟が決まっているから言動に乱れがないだけのようだ。
「首なんて貰ってもしょうがないし、一つ貸しにしておくよ。そのうち遊びに行くから、ご飯でも奢ってくれればいい」
「助かるぜ。あたしはシブという。貧民街の酒場で名前を出してくれればあたしの居場所はわかる。ボスに話は通しておくから、あたしがもし死んでても悪い扱いはされないはずだ。じゃあな」
言い残して、裏路地の少女――シブは足音をほとんど立てずに走り出した。角を曲がり、あっという間に彼女の姿は見えなくなる。
「行っちゃったね」
「大丈夫かな、シブ――ううん、それよりも今は大事なこと。カナン商会が私たちの仕事を回してくれるのは、確かなんだよね? 実はあの貴族と繋がってて、私たちを食い物にして嘲笑うためじゃないんだよね?」
「ヤハウェさんと繋がってるかどうかで言えば、繋がってるけど、仕事を回すことに嘘はないよ。といっても、信じられないかな――じゃあこうしよう。近々、信じられるようにしてあげる」
「信じられるように?」
「うん。多分、上手くいくと思う。もし、『ああ、これが私の言ってた証拠か』ってわかったら、私とキョーシャ君を信じて欲しいんだ」
「それなら、いいけど」
「もし上手くいかなくても、信じて欲しいけどね。どっちみち、仕事がないと食べてけないでしょ?」
言うと、シーリィは渋い顔をして頷いた。




