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盤台哲雄 11

 キョーシャ・ハナザキという名の少年が仲裁に入ってくれたのでいったん場は静まったものの、室内に流れている険悪な雰囲気まで一掃されたわけではない。


 ヤハウェというふざけた名前の青年は、僕と目を合わそうともしなくなった。

 

(それで構わない)


 軽々しく宗教の神を名乗るような輩と語ることは何一つない。


 キリスト教の最高神であるヤハウェは、イスラム教では最高神であるアッラーと同一視される。要するに、地球における世界三大宗教のうち、二つの教派でヤハウェは最高神なのである。


 熱心な信仰者は、ヤハウェなどと軽々しく神を呼ばない。聖書にその名があるときでも、ヤハウェは何々をした、ではなく、我が主は何々をした、と言い換えるほどに敬う。

  

 神聖四文字テトラグラマトン、という言葉を彼は知っているだろうか?

 彼らにとっては、ヤハウェという言葉は軽々しく呼んではならないほどに神聖なものなのだ。その名を、すごい神様の名前だからと軽々しく名乗るような奴が、まともな奴であるはずがない。


(こういう無神経さは、日本人特有のものだなあ)


 金銭目当ての新興宗教が雨後の筍よろしくあちこちにでき、彼らが引き起こしたトラブルをマスコミが面白おかしく報道した結果、日本人は宗教というものが嫌いになった。

 日本人にとって、宗教とは胡散臭いものであり、金を騙し取ろうとする営利集団であり、毒物を精製して人々を無差別に殺そうとする犯罪者の集団であるというイメージが根付いてしまっているのである。


 しかしだ――その考え方が世界的には少数派マイノリティだということを、日本人は忘れすぎている。

 地球のあちこちで宗教というものは今も幅を利かせている。

 神を侮辱した、という理由だけで相手を殺害する民族も多い。

 

 日本にだって、天皇陛下を侮辱されれば怒る人々が一定数いるだろう。


(僕は、一時期、宗教にのめりこんだ時期がある)


 刃物しか愛せない。

 人を殺めたくて仕方がない。


 そんな風に生まれた自分は欠陥品であり、生きている価値がないのではないかと、思春期のころは深く悩んだものだ。あるいは宗教が自分を救ってくれるのではないかと考え、様々な宗教の教義を調べたりした時期がある。


 結局のところ、キリスト教と仏教と神道が程よく混ざり合った日本人特有のゆるい死生観のまま、自らを律して生きていけばいいのだと悟り、そしてそれはいつしか、決して法を破らないという己の中のルールに昇華されていくわけだが――思考に沈みだすと切りがないのでこのあたりにしておこう。


 要するに、僕にとって、あるいは日本人以外の人にとって、宗教はそれほど大きなものである。自分にとって大事なものではないから、他人にとって大事なものを茶化していいわけではない。このヤハウェを名乗る青年と僕は、決して相容れることはないだろう。


(期待外れだったな)


 この同盟が、である。


 もっと指導者がしっかりしていて、強固な同盟体制を築き上げており、抗いようがないほどの大きな力を持っているか、あるいはそうでなくとも仲の良い人物同士であるとか、力の弱い人々が助け合って生きていこうとしている同盟ならば、僕も傘下に入って同盟のために力を尽くすという選択肢もあった。

 

(しかし、まあ――)


 ヤハウェ青年が頭を張っているうちは、僕と共存することはないだろう。

 いずれ彼が犯罪に手を染めたら、護衛の目をかいくぐって何とか殺害してやろうと思う程度には、僕は彼を敵視している。


(このまま、席を立って帰ってしまってもいいんだが――)


 それでは、実りがない。

 わざわざここに来た意味がなくなってしまう。


 彼らの情報を、できるだけ今のうちに得ておくべきだろう。

 味方ではないことは確定しているのだから。

 

(とすると、気になるのは――)


 残りの二人である。キョーシャ・ハナザキ君と、ソアラ・モチヅキ嬢。

 見た目は中学生ぐらいの子供たちであるが、年齢退化の特典が存在する以上、見た目で判断するのは危険である。


(カマをかけてみるか) 


 そう僕は決めた。まずは、キョーシャというこの少年から試そう。

 絶妙なタイミングで仲裁に入ってくるあたり、ただの少年だとは思えない。 


「で、茶の一杯も出てこないわけだが。客人扱いされていないのならば、もう帰ってもいいかな?」


 悠々と十人は輪になって囲めそうな大きなテーブルを、とんとんと指先で小突く。ヤハウェ青年は露骨に舌打ちをしつつ、脇に控えてきた執事に声をかけた。


「ミハイル、奴に茶を持ってきてやってくれ」


「すまないが喉が渇いていてね。ポットごと貰えるかな? ああ、砂糖とか余計な物(・・・・)は入れないでくれ」

 

 図々しい客だ、とヤハウェ青年が吐き捨てる声が聞こえる。

 毒を入れるなと釘を刺したのだが、それすらこの青年はわかっていないようだ。


「お待たせ致しました」


 主とは違って、うやうやしさを崩さずに執事のミハイル氏は茶を持ってきてくれた。注文通り、注ぎ口から湯気の上がるポットもだ。


「ふむ、いい茶葉だ」


 出し殻ではない、良い香りのする一番出しの紅茶だった。

 自らカップに注ぎ、少しだけ口を付ける。


 茶を頼んだのは、もちろん飲みたかったからではない。これからが本番だ。


 僕は両手でポットを持ち、隣に座っているキョーシャ少年に注ぎ口を差し出した。彼のカップには、まだ半分ほど茶が残っている。


「ハナザキさん、どうです、もう一杯?」


「や、これはどうも」


 咄嗟に、彼はまだ残っている茶を飲み干そうとカップを手にとって口に近づけ――

途中でカマをかけられたことに気づき、「しまった」という顔になった。


 社会人としてのお酌のマナーは、色々ある。地域や会社によっても異なるので一概には言えないが、新たな酒を勧められたら器に残っている分を飲み干してから注いでもらう風習が一般的だ。


 つまり――咄嗟にその風習通りに行動してしまった彼は、社会人として酒の席に慣れている。見た目通りの年齢ではない。


 ここまで完璧に引っかからなくとも、反応に迷う素振りを見せるかどうかを観察しようと思っていたので、予想外に上手くいったようだ。


「いえいえ、どういたしまして」


 僕は微笑した。彼も、苦笑を浮かべた。

 僕は言外に「わかったぞ」と伝え、彼は「バレたか」と苦笑いで答える。


 ほんの僅かなやり取りの間で通じ合う、サラリーマン言語であった。


(と、いうことは――)


 先ほどの口調、ヤハウェ青年のことをお兄ちゃんと呼んでいたことから、ハナザキ氏は自分の実年齢、ひいては特典の内訳を正しくヤハウェ氏に伝えていない。


 酒の席での風習が身に付いている社会人が、人を見る目がないはずがない。ヤハウェ青年の危うさは、彼も感じ取っているはずだ。それにも関わらず同盟に参加し続けているということは、何かしらの打算があるのだということが見て取れる。


(予想よりも脆そうだな、この同盟)


 もう一人の構成者であるソアラ嬢はどうか、と言うと――詳しく調べる(・・・・・・)までもない(・・・・・)

 今の今まで、彼女はほとんど言葉らしい言葉を喋らなかったし、僕と目を合わせたのもほんの数回だけだが、それだけで僕には十分だった。僕には彼女の(・・・・・・)すべてがわかる(・・・・・・・)


 何故か、と問われると、僕にもうまく説明できない。

 しかし、何となく彼女の目を見ているだけで、彼女の人となりのすべてが、僕にはわかってしまった。そのままじっとソアラ嬢の顔を見つめていると、彼女は怯えたように目を反らす。


「うちの同盟員に、何ガン付けてるんだ、あんたは?」


「いやあ、とても綺麗だと思ってね。つい見惚れてしまったよ」


「言っとくが、俺がいる限り、俺の同盟員には手を出させやしない。覚えておけ」


 もはや敵意を隠そうともせずこちらを睨み付けてくるヤハウェ青年の視線を受け流し、僕は席を立った。


「おお、こわいこわい――歓迎されてもいなさそうだし、僕はそろそろ帰るとするよ。じゃあ、お茶はご馳走様、ミハイルさん」


 机に立てかけてあった未熟者の剣(クローベル)を背負い、僕は部屋を後にした。後ろで何かしら、ヤハウェ青年たちが話し合う声がしているが、聞き耳を立てる必要はないだろう。


 同盟に参加することはできなかったし、どちらかといえば敵対的な関係になってしまったが、見るべきものは見た。それが今回の成果といったところだろう。


「テツオさーん」


 コンスタンティ家の屋敷を出て、しばらく通りを歩いた頃に、後ろから僕を呼ぶ声がした。見れば、ハナザキ氏が僕を追いかけてきている。


「おや、ハナザキさん。どうされました?」


「喧嘩別れは良くないと思って、追いかけてきたんだ――どうせバレてるんだし、ショタ口調は面倒臭いな、戻すか。いや、単純な話ですよ。私はどっちつかずでいたいから、バンダイさんとも名刺交換ぐらいはしとこうかと思いましてね」 


「なるほど。私も、ハナザキさんとは気が合いそうだと思っていました」


 これは事実である。あくまで何となくだが、彼とは仲良くやれそうだと感じていた。紅茶を注ぐカマかけの一件で、お互い言葉にせずとも通じ合う会話があったせいか、心の壁を彼との間に感じないのだ。


「恐らくですけど、僕とハナザキさんは、前世では同世代ぐらいだったのではないですかね? 私は三十二でしたが」


「私が死んだときは、三十四でしたね。まあ、この歳になると微々たる差でしょう。これから私はヤハウェ君をなだめに屋敷に戻らねばならないので今は無理ですが、そのうち一杯いかがです?」


 意外だった。久しくなかった、酒のお誘いである。


「ああ、良いですね。酒は弱い方ですが、お付き合いしましょう。炎帝の寝起き亭という宿の四号店でいまは寝泊りしています。気が向いたら訪ねてきて頂ければ」


「おっ、宿まで教えて頂けるとは、恐縮です。ご迷惑でなければ、今晩でもよろしいですか?」


 相手も乗り気だった。この歳になると、知り合った当日に相手の家に遊びに行くというのは中々ない。ハナザキ氏も、どうやら僕に親近感を抱いたようだ。


「ええ、もちろんです。歓迎しますよ」


「それは嬉しい。では今晩、お伺いしますよ。それでは」


 会釈を残して、ハナザキ氏はぱたぱたと通りを走り去っていった。

 

(宿を教えたのは、多少不用意ではあったが)


 年齢を偽って同盟に参加しているあたり、ハナザキ氏としても、同盟にそこまで愛着はないのだろう。ヤハウェ青年たちも一応穏健派ではあるようだし、ハナザキ氏が同盟で僕の宿の場所をバラし、いきなり襲撃をかけてくるといった展開はまずあるまい。


 同盟には参加できなかったが、コネの多さが強みであるというのはハナザキ氏と同意見である。気が合いそうな人でもあったし、仲良くしておくに越したことはなかった。彼も何となくそう思ったからこそ、会ったばかりの今日いきなり家に訪ねてくると言ったのだろう。


 そうしてみると、草原街グラスラードくんだりから首都まで来たのも、無駄ではなかったと言える。

 自分以外の転生者の情報を、僕はほとんど持っていないのだから、曲りなりにも複数人で構成されている同盟に所属中の彼と話すことには大きな価値があるのだ。

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