盤台哲雄 8
「やめっ、やめ――ああああああがッ!?」
僕は、天高く掲げた未熟者の剣を無情に振り下ろした。
背にした木を傷つけることなく、賊の頭蓋から股下までを一気に斬り下げる。
なめした革の頭巾、頭蓋骨、鋲革鎧、肋骨、骨盤、それら硬い部分を鋭利な刃物で断ち、脳髄や心臓、股間などのやわらかな臓器や筋肉を斬り裂く手ごたえ。
賊は、左右に両断された。
(ああ――)
なんと甘美な一撃なのだろう。
背筋に走るぞくぞくという快感を押し殺し、一歩下がって剣を構える。残心は忘れない。
「お見事でございます」
カエデが懐から布切れを取り出し、手渡してくれる。
手に残った甘い痺れを味わいながら、僕は両手剣の血に濡れた部分を拭った。
「文句の付け様がない、快心の一撃だったのではありませぬか?」
「そうだね。相手が寝転がったりせずに、立ったまま木を背にしてくれたのが大きいかな。すごくいい手ごたえだった。地面に寝られちゃうと、どうしても急所しか斬れないからね」
地面を斬らないように心がけるため、地面に寝た相手の場合、どうしても手ごたえは減る。頭か喉、あるいは心臓などの急所を最小限の動作で突く、あるいは薙ぐだけで終わってしまうからだ。
僕が好むのは、命を奪い取る瞬間に剣を通して感じる手ごたえだ。
死体を斬りつけるのはただの肉塊の損壊であって、僕の快感には繋がらない。
さきほどの相手のように、立ったまま脳天から腰元まで両断できたのは初めてだった。今も、背筋を走り抜けた快感の名残りがある。
「終わってしまいましたなあ」
背後を振り向くカエデにつられるように、僕も後ろを向く。
見晴らしの良い森の中で、地面や木の根、簡素な小屋の中など――あちこちに血や臓物、髄液をまき散らした死体が転がっていた。
計、十八人。
この山賊の拠点において、殺害した賊の数である。討ち漏らしはない。
組織だった抵抗を打ち砕くために最初の数人こそカエデたちが討ち取ったが、それ以降は逃げ出す賊の足を斬るなりして彼女たちは足止めに専念してくれたので、十八人のうち過半数は僕がとどめを刺している。ただの一人も逃がしはしなかった。
「終わっちゃったねえ」
楽しい時間は、いつか終わりを告げるものである。
血の匂いを乗せた風が、森の中をひゅうと通り過ぎていった。
(また、山賊を探しに行かないとなあ)
先日僕たちを襲ってきた山賊を尋問して得られた情報があったので、拠点の場所を探しあてるのは楽だった。
たっぷりと人を斬る感触を楽しめた至福の時間であったが、次回からはこうはいくまい。
「一応、まだ残っておりましたな。どうなさるおつもりで?」
「ん、話を聞いてからかな」
「小屋の中でしたら――わたくしは短刀に戻っておいた方が良うございますな。あなた様、物質化を」
「うん」
カエデを短刀の状態、紅葉切に戻してから、僕は死屍累々の森の中を歩く。
山賊の一団が拠点としていたこの森の中には、いくつかの小屋が建っていた。
この拠点の場所を尋問した、先日殺害した五人と合わせて二十三人が暮らす拠点ともなると十は下らない小屋があり、それは小さな集落と呼んでもいい規模だ。
水がめや、竈もあったし、木々の間に縄を張って洗濯物を干していたりと、生活臭の溢れ出る拠点である。
賊といえども生活があるということなのだろう。
僕が目指しているのは、そんな拠点の中にある小屋の一つである。
戦闘時に中を確認したカエデからの報告で、そこに人がいるのはわかっていた。
「邪魔するよ」
一際大きな建物の扉を、こんこんと僕はノックしてから開けた。
山賊の下っ端が寝ている建物を小屋と表現するなら、丸太を積み上げて作ったここは、曲りなりにも家と表現できそうなぐらいには立派である。ログハウスとでも言おうか。
ここと同じぐらい大きな建物は賊の頭目が住み暮らしていた家ぐらいのものなので、お楽しみを行う場所は気合を入れて建てたというところだろう。
「あなたは――」
中には、一人の女性がいた。
人が入ってきたことで身体を強張らせた彼女は、僕の姿を確認して緊張を弛緩させた。
「全員、倒してくれたのね。本当はもう少し早く助けに来て欲しかったけど――いえ、仕方ないわ。依頼で来たんだろうけど、お礼を言っておく。ありがとう」
ぺこりと頭を下げた女性は、丈の短くて袖のない、ワンピースのようなローブを着ていた。むき出しの太ももや腕など、あちこちに痣がある。
彼女の後ろには、粥のようなものが盛られた皿が机に乗っていて、脇に手枷が置いてあった。普段は手を拘束されていて、食事時だから外されていたのだろう。鉄球のついた足枷を今もはめている。
(つまり、そういうことなんだろうな)
先日、僕が五人の賊に襲われたときにカエデを攫おうとしたことからもわかるように、山賊が襲うのは商人の荷馬車だけではない。
彼らは、若い女も攫う。用途については、言うまでもない。
もう少し早く助けに来て欲しかったと彼女が言う気持ちもわかろうというものである。
「何点か質問があるんだけど。ここにいる女性は君だけかい? 二十人からの男がいるんだったら、もう少し女性がいないと足りないと思うんだけど」
言いづらかったらごめん、と僕は頭を下げる。
「気にしないでいいわ、その通りだもの。ええそうよ、ここにいる女は私だけ。連中の相手をするのは大変だったわ、気が狂うかと思った。食事と寝てる時以外、ほとんどずっとだもの。もっとも向こうも女が足りないとは思ってたみたいで、見かけたら攫ってこいって指示を飛ばしてたわね。あなたがさっき、この家の入り口で倒してた山賊の親分がだけど」
すぐ外に転がっているであろう死体のことを思い出す。淡々と斬り殺していった賊のうち一人で、特に気にも留めていなかった。彼が親分だったのか。
「他の女の子は、みんな売られたわ。連中、やるだけやって飽きたら奴隷商人に売るのよ。私も多分、もう少ししたら売られてたでしょうね」
「犯罪者なのに、山賊と取引する商人がいるのかい?」
僕は、この世界に転生したばかりの頃に読み漁った法律の本を思い出す。
安くない入場料を払って入った図書館に置いてあったものだ。なお、本の貸し出し料金も別途必要である。
刑法第何条か忘れたが、そこにはこう書いてあったはずだ。
未済犯罪者への物資の譲渡など、一切の手助けを禁じると。
要するに、まだ捕まっていない犯罪者と取引することは罪に問われるはずなのだ。
「国から目こぼしされてるのよ。飽きた女を売る先がないと、山賊は女を殺しちゃうでしょう? あいつら女を洗って維持しようっていう頭がないもの。使うだけ使って、汚れてきたら殺しちゃうの。口減らしのために殺されるぐらいなら、奴隷としてでも売り戻される方がいいっていうんで、奴隷商人だけは賊との接触を黙認されてるってわけ。抜け道だって用意されてるわ。真っ当な取引じゃなくて、奴隷商人は金の入った袋を置いて、たまたま近くの木にでも縛られてた女を連れて帰るだけ。賊はそれを拾うだけ。双方とも取引してるわけじゃないって建前よ」
「なるほどねえ」
拠点から遠い場所でやり取りをすれば、ねぐらがバレることもないし、手に入れた金の使い道は、面のバレてない手下とか、あるいは街に潜んでいる協力者に食料なんかを買わせて拠点の近くに捨てていってもらえばいいと。
「いつか私も売られる日が来るから、それまで頑張ろうって思いながら耐えてたわ。売られたところで奴隷人生が始まるだけだけど、ここよりはマシだものね。飽きて殺されないように、賊に媚びだって売ったのよ。暴れなかったし、洗濯物みたいな細かい作業を率先してやったりね。そんな生活ももう終わり。あなたが来てくれたから、私は奴隷にならずに済むわ。奴隷商人に売られるわけじゃないからね。本当にありがとう」
「いやいや、お礼を言われるようなことじゃないよ」
そう、僕はこれから、礼を言われるに値しないようなことを君にするのだから。
「それよりも――さっき、山賊の洗濯とかを手伝っていたと言ったね。ということは、いま君は、犯罪者だということかい? いや、責める気はないんだけれど」
「そうなるわね。炊事とかも手伝ったから、物の受け渡しが成立してるし。賊に脅されて仕方なくやったってことで、司法に名乗り出れば恩赦があるでしょうけど」
「――そうか」
なら、問題ない。
法を破らないという、僕の中のルールに抵触しない。
「それより、足枷を外してもらえる? 鉄球が付いてて邪魔なのよ。草原街に帰ったらお礼もしなきゃね。私の父はそこそこ裕福な商人でね。一人娘の私のことを可愛がってるから、結構いい額の謝礼が出ると思うわ」
やっぱり護衛の代金をケチったらダメね、駆け出しの冒険者一人しか雇わなかったのは失敗だった、ちゃんと大手商人の後に付いていかないと賊に狙われるわ、などと彼女はぶちぶち呟くように愚痴っている。
「高い授業料だったけど、いい教訓だと思うことにするわ。はあ、子供できてないといいけど――ねえ、どうしたの? 足枷、そろそろ外して欲しいんだけど」
僕はそれには答えず、逆に彼女に一つ、質問を投げかけた。
「刑法の第四十二条を知ってるかい?」
「突然何なの? そりゃ商売やってるんだから、刑法は頭に叩き込んであるけど――」
怪訝な顔をした彼女は、おそらく頭の中で該当の法律の条文を思い出して――意味を察した途端、顔色を青ざめさせた。
刑法第四十二条。未済犯罪者への暴力、窃盗など一切の違法行為に対して、罪を問わない。
これが、この世界の法だ。つまり――
『兵士や憲兵にまだ捕まっていない犯罪者に対しては、何をしても許される』。
例えば、スリをしてきた相手をその場で叩き殺そうが、おとがめはない。
この世界の法は、日本とは違う。
もちろん法に触れないからといって、軽い犯罪しかしていない者をその場で殺しては騒ぎになるし、殺した相手の友人や家族などから恨みを買う上に、出頭して審判の魔法を受けるなどして加害が正当なものであったかを調べられるので、実際にはそこまでやろうとする奴はほとんどいない。
しかし、法に触れるか触れないかでいえば、やってもいいのだ。
この世界の法は、過剰防衛だの何だのと、日本の法のように入り組んではいない。法律の整備が進んでいないのか、それとも犯罪者の人権を保護するほど経済的にも心理的にも余裕がないのか、ともかく法を破らないという僕の線引きからすると、目の前の彼女は殺していい人物なのだ。
もちろん彼女は、やむにやまれぬ事情があって罪を犯したのだろう。
他者からの脅迫があり、実際に身体的な被害を蒙ってもいる。じゅうぶんに情状酌量の余地が認められるだろう。現に、街に帰って出頭すれば、おそらく罪に問われることもなく自由の身となるはずだ。
しかし、今はまだ犯罪者だ。
「言い残すことはあるかい?」
懐の紅葉切を抜いて、僕は彼女へと一歩一歩、近づいていく。
きらりと輝く刃を見て、彼女は怯えたように後ずさった。
「なん、なんで私が――」
「僕は人殺しが好きなんだよ」
理由は、それだけだ。
部屋の隅に追いつめられ、切っ先から我が身を守ろうと僕の腕をつかんだ彼女の胸に、僕はゆっくりと紅葉切を突き出していく。
精一杯の力をこめて抵抗する彼女の弱々しいあがきを腕力で強引に無視して、僕は刃先をゆっくりと彼女の胸に突き立てた。
絶叫。肉を裂き、肋骨を砕き、その奥の心臓を刃が食い破るやわらかな感触。
何度かの痙攣を残し、名前も知らぬ商人の娘は動かなくなった。
「――実体化」
血糊を拭うための懐布を取り出しても良かったのだが、帰り道はカエデと話しながら歩きたかったので、彼女を短刀の状態から人型へと実体化させる。白い輝きが拡がり、そして収まるとともに、僕の手にあった紅葉切は実体化とともに消え、彼女の帯へと差し込まれた。
実体化に伴い、鞘の中の血糊も綺麗さっぱり消えていることだろう。
「お疲れ様でした、あなた様」
「ああ、帰ろうか」
微笑むカエデと連れ立って小屋を出る。
生臭さと血の匂いが入り混じった小屋を出て深呼吸をすると、森の風、そしてカエデの香りがした。
ついつい僕はカエデの肩に顔をうずめて、彼女の匂いを嗅ごうとして――
僕が着ている鋲革鎧が返り血に塗れていることに気づく。
このままカエデを抱きしめては、彼女の着物が血で汚れてしまう。
紅葉切の鞘の意匠を思い起こさせる、紅葉色の小袖と黒の羽織に、賊の血が付いてしまう。
(ふう)
僕は首を振り、彼女との触れ合いを諦めて道を歩き出す。
「あなた様、作水石なら持っておりますが、汚れを流されますか?」
「ん――そうだな。所用で出かけてた山賊がいて鉢あわせしてしまう可能性もあるし、そのときに裸だと戦いにくいだろうから、もう少し歩いてここから離れたら洗おうか」
「かしこまりました」
無言で森の中をしばし歩き、見晴らしのいい平地を見つけたので、鎧を脱いで水をかける。
どす黒い血の汚れは、水を流してもすぐには落ちない。
血の塊などの固形物を今のうちにある程度流しておいて、宿に戻ったら再度、丁寧に洗うのだ。
「ねえ、カエデ」
「何でしょう?」
ぽつりと呟いた僕の言葉に、カエデは微笑みながら応えてくれる。
「僕は、間違っているかい?」
言わずと知れた、先ほどの女性――商人の娘を殺害したことである。
彼女には、死ぬべき理由はなかった。山賊の被害を受けた、弱者である。彼女が僕に何らかの無礼を働いたわけでも、危害を加えたわけでもない。倫理的にも、彼女は救われるべきだった。
しかし、僕は彼女を殺した。殺しても良かったからである。
「逆に問いますが――あなた様は、後悔していらっしゃるので?」
「いいや、していない。彼女を殺めた瞬間は、ただただ気持ちよかった。罪悪感も、ほとんどない。僕なんかに出会って可哀相だなと思うものの、罪の意識に苛まれたりはしていない。ただ、殺せる数が増えて『ラッキー』だと思ってる。だからこそ、聞いているんだ。僕は、間違っているかい?」
しばし、カエデは黙り込んだ。じょぼじょぼと作水石から出る水の音が響いている。
そよ、とわずかな風が吹いて、薄めのカエデの前髪を揺らす。
「正しくは、ございませぬな」
「そうか」
カエデが言うなら、そうなのだろう。どうやら僕は、間違っているようだ。
「この世界に来たばかりのあなた様は、たった一人を殺めただけで、深く興奮しておられました。いまは、十人を越えた人々を殺めたというのに、もう次の獲物を探しておられます」
確かに、その通りだった。最後に賊を両断して殺したときは快心の手ごたえを感じたが、それでもあのシェルという少女で初めて人殺しをしたときの、背筋から脳髄までびりびりと痺れるような凄まじい快感は、今回は得られなかった。
「今は良くとも、次第に、慣れてきてしまいます。殺める人の数は、どんどん増えるでしょうな。いずれ十人、二十人殺めたぐらいでは満足できなくなって参ります。あなた様は法を守ることを己の規律としていらっしゃいますが――いずれ、殺めても良い人の数が、足りなくなって参りましょうな」
「そうだね」
人は、快感に慣れる。より強い快感、より強い刺激を求めて、行為はエスカレートしていく。
「獲物が足りなくなったとき、あなた様はどうなさるのでしょう? わずかな罪を犯しただけの者を探し回っては、片っ端から殺めなさるおつもりで? それすらもいなくなれば、今度はこれから罪を犯すかもしれないという理由で、まだ悪事を働いていない者を手にかけるか、それとも合法的に人を殺めるために戦を起こすか――
どのみち、ろくな結末は待ってはおりませぬな。人斬りの快感に脳を焼かれてしまっては、もう元には戻りませぬ。行き着くところまで行き着いて、身を滅ぼすのが定めと言えましょうな」
「そうか」
まったくもって、その通りだった。
麻薬中毒と一緒だ。もう、僕は人を殺めない平和な生活に戻れる気がしない。
「わたくしは、人の強さというものを知っております。あなた様が生前、頑なに人を殺めず、法を破らずに生き、そして死ぬまで欲望を抱えきったことは、人の強さの顕れと言えましょう。されど、人の弱さというものも見てまいりました。あなた様には失礼な申し状ながら、わたくしはあなた様がいつか、法を破らぬという誓いを破ってしまうと思っております」
「ありえるね」
絶対に法を破らないと言い切ってしまうのは、簡単だ。
しかし、前世と違って僕は、人を殺める甘美さをすでに味わってしまった。
麻薬に一切手を出さないのは簡単だが、一度手を出してしまってから抜け出すのは困難だ。
いつか僕が、人を殺せない苦しみを味わうよりかは禁を破る方を選ぶ、じゅうぶんにありえる未来図だろう。つまり――誰彼構わず殺して回る殺人鬼になってしまうかもしれないのだ。
「それでも――良いのではないかと、わたくしは思っておりまする」
鋲革鎧の汚れをざっと洗い流し終わり、カエデは鉄の留め具をはめた作水石を懐にしまう。僕が革鎧の下に着ていた、キルティング加工された綿入り布鎧の胸元に、カエデはぽすっ、と顔をうずめた。
「あなた様は生前、じゅうぶんに耐えて参りました。もう、己を解き放っても、良いのではありませぬか? あなた様が修羅道を歩もうとも、血に餓えた獣になって人里を追われようとも、地獄に落ちようとも、わたくしはどこまでもお供致します。あなた様がなさりたいように凶刃を振るわれ、そしていつか、滅びる。それで良いのではないかと、わたくしは思っておりまする」
僕は何も言わずに、カエデを抱きしめた。カエデもまた、何も言わなかった。
どこか遠くの森の中で、りいん、りいん、と鈴のような声で虫が鳴いている。




