関兵太 1
「お――っ」
逆U字型の巨大なアーチをくぐり抜けると、首都ピボッテラリアの街並みが視界へと飛び込んできた。
行き交う馬車、石畳の歩道、区画ごとに植えられた街路樹、鉄の手もたれがついた樫のベンチ。漆喰や木、煉瓦で造られた家々は整然と建ち並んでいる。
「さすが首都っていうだけあるなあ。綺麗な街並みだ」
景観が保存されているヨーロッパあたりの街並みと言われても信じてしまいそうだ。観光地にやってきたみたいで、なんだかうきうきとしてしまう。
しかもただの観光地ではない。言葉が不自由なく通じる異郷の景色である。
さらには観光で食っている土地でもないので、面倒な客引きや押し売りだっていない。薄汚れた服装で歩き回るようなホームレスめいた人物もおらず、人々の服装は清潔だ。
「うん、間違いない。ここはいいところだ」
惜しむらくは、ゆっくりと羽を伸ばす余裕がないことだ。
十六人の参加者のうち、カケラロイヤルを勝ち抜くのはたった一人である。
他人に負けないようレベルを上げて、戦い方を身に付けていかなければならない。サボっていたりすると、あっという間に他人に抜かれてしまうことだろう。
未だピンと来ないが――命のやり取りだって起きるかもしれないのだ。気を引き締めなければならない。
(受験勉強と一緒だな)
どれだけ真面目に勉強をしているかで、試験の出来が左右される。
ライバルとの競争に勝ち抜けなければ、カケラロイヤルでは命を落としてしまうかもしれない。
(もっと余裕があるときに来たかったなあ、ここには)
のんびり景色や街並みを眺めている暇は、俺にはない。
転生してから間もないせいか、未だに生死に関わる状況にいるという実感が湧いてこないが、だからといって優雅に構えているのはただの慢心だろう。
「んっと、今の俺に何が必要だろう」
まずは私服だ。
転生時に着ていた服は青いデニム生地のジャケットに、ユニクロの安物ズボンである。要するに通学用の普段着そのままで転生してしまったので、ちょっとばかり目立ってしまっている。
それに、宿。
この世界のお宿事情がどうなってるかわからないが、安さを狙いすぎると変な部屋をつかまされるかもしれない。個室で、静かで、部屋に鍵がかけられて、できれば店員の人柄がいいところ。
そして、武器防具。
ロールプレイングゲームの主人公でもあるまいし、日本人が本物の剣や防具を装備したことなどあるはずもない。早いところ買って、剣の振り方なんかを覚えなくっちゃあならない。
他にも、きっと回復薬を買ったり、冒険者や兵士にはどうやったらなれるかを調べたりと、やらなきゃいけないことは山ほど出てくるはずだ。
(もたもたしてたら、出遅れちゃうからな)
善は急げである。山積した用事を片っ端から片付けていくべく、俺は早足で石畳の歩道を歩き出した。
あっという間に、二日が経った。
初日は、宿や服装の手配など、身の回りのものを揃え、生活の基盤を作り。
二日目は、教会に行って戸籍を作り、冒険者ギルドに登録し、腕試しがてら簡単な魔物の討伐を行い。
「よし、行くか――」
三日目の今日、俺は首都東区にやってきていた。
雇う、という表現であっているか疑問が残るが、ともかくも兵士として雇ってもらえるよう交渉しにきたのである。
(ここらの街並みは、やっぱり西区とは違うなあ)
きょろきょろとあたりを見回してみる。
ここ東区にある建物は、お硬い印象を見る者に与えるものが多い。
俺が寝泊りしていた西区は、いわゆる住宅街だった。
一戸建ての家やマンションのような個人の持ち家、それに宿屋などが多く、それらに住んでいる人々の生活を賄うために料理屋や屋台の出店、それに服や日用品、家具なんかの雑貨を商う店が多かったものだが――
(こっちは何だか、お役所って感じだな)
事実、東区のうちほとんどは、行政関連の施設で埋まっている。
首都を含めて五つの街――草原街、火山街、林業都市、海の街、首都――と、海の街への窓口になっている大陸左右の二つの港、それらすべてを統括する王家がこの首都にあるからだ。
王家だけではなく、ここ首都ピボッテラリアの行政を王家から一任されている貴族コンスタンティ家もここ首都東区に屋敷を構えているからして、一般人が立ち入れる区域は東区にはほとんどないと言っていい。
王家(正式にはピボッテラリア皇家とか言うらしい)の城、貴族コンスタンティ家の屋敷、兵士の詰め所に厩舎、武器庫を始めとした各種倉――このあたりはもちろん、一般人は立ち入り禁止だ。
首都東区の中でも、東西南北の大通りが交わる中央広場にほど近い役所のあたり、つまり東区の浅い部分だけが一般人に立ち入ることが許されている。俺が今いるのもこのあたりだ。
(まあ、何にせよ例外ってのはありそうだけど)
ふう、ふうと息を上がらせながら、俺の横を追い抜いていく小太りの男性を横目でちらと見やる。トーガの色は黄色、商人である。肩に濃い紫色のスカーフめいたものを巻き付けているので、彼が王家の御用商人であることがわかる。薄紫色は貴族に、濃い紫色は皇家にのみ許された色だからだ。
静かなここ東区において何を急いでいるのかは知らないが、彼のような御用商人や、兵士の衣食住を賄う業者などもいるので、まんざら一般人が立ち入らないかというとそうでもない。それでもやはり他の区と比べると人通りはまばらで、閑静な地域となっている。
(まとめると、だ)
西区は、住宅街とか宿屋、それに商店なんかの区域。
北区は、娼館を含む歓楽街、それに貧民街。
南区は、ビジネス街っぽいところ。商店だけでなく、鍛冶や戦士、冒険者ギルドなどの本部もここらしい。
東区は、王城や貴族の屋敷、それに兵舎や倉庫がある公的な区域。
ここ東区の中でも中央広場にほど近い役所が、俺が今日訪ねてきた目的地というわけである。
「うおっ、でかいなあ」
役所は、見上げるほどに大きく、威圧感のある佇まいであった。
日本の役所もそうであったが、この世界の役所も、やはり大きい。
イメージ的には、大きな百貨店というところだろうか。
五階建てぐらいの高さで、横は百メートルはあるのではなかろうか。
俺が通っていた中高一貫の私立学校が、やはりこれぐらいの大きさの校舎だったと思う。
(なんでこう、お役所ってのは威圧感があるんだろうなあ)
外壁や柱は、総石造りである。
コンクリートにも似た冷たい色合いのそれらは、ところどころに細かな彫刻が施されている。役所なんて最低限の機能さえ備えていればいいんじゃないかと俺なんかは思うのだが、なぜこうも凝った造りになっているのだろう。訪問者を威圧させるのが目的なのではないかと勘繰ってしまう。
「あの、すいません。兵士になりたいと思って来たんですけど、どこに行けばいいんでしょう?」
とりあえずビビっているだけでは何も進展しないので、中に入り、受付のような仕事をしているお兄さんに俺は話しかけた。
彼は、ちらと俺の服装を眺めた。今日の俺は、鋲を打った革鎧と、腰に吊った長剣を身に着けている。どんな服装で来ればいいかわからなかったので、魔物を退治するときの装備で来てしまった。
果たして、この服装が兵士希望者にとって正しい訪問着であったか自信がない。
この世界のTPOがわからなかったのでこの服装をしてきたが、他に適した服装があったかどうか、もっと下調べをしてくるべきだっただろうか。
「担当の部署にご案内しますので、何点かお答え下さい。まずはお名前と年齢を」
「え、ええと。ヒョウタ・セキ。年齢は二十一です」
「本籍地の教会と、現在の寝泊りしている場所を」
「西区の、ドロアテ教会です。宿は、鮫魚の岩穴亭」
なにやら面接をされているようで俺は緊張しっぱなしであったが、切れ者の気配を漂わせた受付のお兄さんはお構いなしに俺に質問を続けていく。
「守護隊への編入を希望しますか?」
「しゅ、守護隊?」
「ええ。もちろん、平の兵士と違って訓練も過酷ですし、いくつかの試験が課されますが」
思い出した。確か、この世界のエリート兵のことをそう呼んでいた気がする。つまり、俺がなろうとしているのが守護隊だ。ただの兵士で終わるつもりはないのだから。
神様と世間話をした中で出てきた単語だったが、聞き流さずに覚えていて良かったとしみじみ思う。
「はい、希望します」
俺がそう告げると、受付のお兄さんは一瞬、ぴくりと止まった。
お前には分不相応だとか思われているのだろうか。失礼な話である。
「では、この受験票を持って、午後四時から始まる試験に臨んでください。場所は、別棟の一階です。試験の代金は3,000ゴルドになります」
硬貨を入れるらしい木の箱をことりと置く受付のお兄さんに、金取るんかい、と思わず突っ込みそうになる。ともかく表情には出さないように気をつけて硬貨の入った袋を取り出す。
あと、受験票っていう単語もどうかと思う。
まんま、受験勉強の日々を思い出してしまうじゃないか。
(まあ、いいか。無事に手続きできたことを喜ぼう)
この世界の常識を知らない以上、なにかトラブルが起きる可能性もなくはなかったし、あとは現場に行って試験に受かってしまえば晴れてエリートの仲間入りなのだから。
「ああ、それと」
ひと仕事終えて、肩が軽くなった俺がうきうきしながら踵を返すと、後ろから受付のお兄さんが俺を呼びとめた。
「装備はこちらで用意しますので、私服で構いませんよ、おのぼりさん」
そう言いつつ、ふっと鼻で笑うかのように口角を上げるお兄さんだった。
失礼しちゃう話である。
およそ三時間後。試験会場である役所の別棟の待合室めいた場所で、俺は木の香りのする机に突っ伏していた。
「あんなの、わかんないよ」
猛毒蛙の毒袋から抽出した液体に、解毒石の粉末を混ぜ、殺人蜂の蜜を加えた後に乾燥させたものは何であるか――
渡魔の魔法を篭めた魔石を砕き、水と混ぜたものを何というか――
そういった、わかるわけがない問の数々が、試験用紙には書かれていた。
「誤算だったなあ」
兵士になるにあたって、剣を振り回したりする実技試験しかないと思っていた。まさか、この世界の常識を問うてくる筆記試験があるとは思ってもいなかった。
この世界での兵士はエリート職であるからして、頭脳もそれなりに求められるのだろうかい。脳筋はお断りらしい。
「できたのは、計算問題だけか」
手渡されたのは算数、歴史、錬金術の三枚であるが、そのうち俺が回答を記入できたのは算数のみである。この世界の歴史や錬金術などわかるはずもないので、そちらは白紙のまま提出した。
自身の名前や出身地、希望する任務などを記入する紙も渡されたのでそちらにも記入はしたが、まず合格することはないだろう。
余談だが、試験用紙はちゃんとした「紙」だった。
さすがに千枚数百円で売っている日本のそれよりは高いものの、この世界でも紙というものはそこそこ安く買える。数枚で100ゴルドだ。
首都を横断する川の水流を利用した水車で植物の繊維を挽き、それを水に溶かしたものを升目が区切られた機械で持ち上げるように梳いて作る――そんな伝統的なやり方で紙を作っている、そのものズバリ「紙屋」という店があちこちにあるのだ。
とはいえ、タダ同然に使えるほど安いものではないので、試験用紙の枚数は少なく、問題数も少なかった。算数歴史錬金術、各五問ほどで、制限時間は二十分だ。
「なあ、お前さ、試験問題、どれくらいできた?」
ふと横を見ると、知人同士らしい二人組の若者が、試験について感想を漏らしていた。
「計算問題は、わかんなかった。なんだよ五十ゴルド銅貨が三百二十二枚あったらいくらですか、って。そんなの頭の中で数えられるわけないじゃん。四十枚ぐらいまで数えたところで断念したぜ」
「だよなあ。でも錬金術の方は簡単だったな。問二の答えが栄養剤で、問三は魔回復薬だろ? 下手したら子供でも知ってるよな、あんなの」
子供でも知っている、の一言が、見えざる重しとなって机に突っ伏している俺の上にのしかかる。彼らは算数こそできないものの、世間的な常識という点では俺よりも詳しいのは間違いない。
つまり、俺は算数が出来ない奴以下の男ということになる。
心の中で泣いた。
「面接を始める。名前を呼ばれた者から中へ。一人目、ヒョウタ・セキ」
いの一番に俺が呼ばれたので、面接官らしきトーガ姿のおっさんに付いて別室へと入っていく。面接をする場所は先ほどとは別のようだ。
案内された部屋は、かなり広かった。コンビニより一回りほど広く、天井はバスケットボールのリングより高い。作光石をはめ込まれたランプがあちこちにあるので昼のように明るいものの、床や壁が黒っぽい木材で作られているので、なんだかどこかの道場にでも来たような印象である。
そんな広い部屋の隅に、向かい合わせに椅子を配された小さな机があった。
(え、マンツーマンで話すの?)
やけに部屋が広いせいで威圧感がすごいというのに、さらに面接官と一対一。すごいプレッシャーである。すでに胃がきりきりと痛い。
俺に着席を促した面接官の彼は、俺が書いた試験の解答用紙を手で持ち、しげしげと眺めた。
「ふむ――貴様は、ふざけているのか? 計算は全問正解。それも、あっという間に解いていたな。しかし、歴史と錬金術は白紙だ。答えるまでもない簡単な問題だから書かなくてもいいと思ったのか?」
怖え。
超怖い、この面接官。
筆記試験の監督官もこの人だったので、俺が試験に苦慮していたのはばっちりと覚えられていたようだ。兵士となるための受験者数はたった五名しかいなかったので、俺のこともしっかり見られていただろう。
「いえ、その。物凄い田舎で暮らしていまして、その、常識がなくてですね。本当にわかりませんでした」
異世界で生まれ育ったのでこの世界の常識なんぞ知りません、と言えたらどんなに楽だったろう。
「ふむ――」
俺がしどろもどろになりながら弁明している最中も、面接官の彼は一言も発さずに俺をじっと見つめてきた。
面接官は、三十後半ほどの精悍なおっさんだったが――視線で射抜かれる、とはこういうことを言うのだろう。
目力がものすごく強い。視線を浴びている場所が痛いほどだ。
「ヒョウタ、嘘をやめろ」
ずばりと言われ、俺の心臓は飛び上がりそうになった。どくどくと早鐘のように鼓動が鳴る。
「兵士に嘘は許されん。答えたくないならば、そう言え。抗命罪になるが、嘘を吐かれるよりはマシだ」
「はい、すいませんでした」
俺は素直に謝った。嘘を吐いていることを認めたのと同義であったが、面接官の彼はそこを詳しく追求してくることはなかった。
「守護隊に入りたいか。なぜだ?」
俺の名前や希望配属先などを記入した紙を一通り眺めてから、彼は俺に問いかけた。
国を守るためだとか何とか、綺麗事を答えようかと一瞬迷ったが、俺は素直に話すことにした。何というか、この人には嘘が通用する気がしない。すべてお見通しにされているような気がする。
「ええと、兵士って、人から尊敬される仕事じゃないですか。それも精鋭が集まる守護隊に属しているとなれば、見栄を張れるっていうか、他人から尊敬されるというか」
「ふむ。私欲のために地位を望むか。いや、別に責めているわけではない。給料と待遇の良さを目当てに兵になる者が多いのは事実だからな。動機なんぞ何でもいい。兵として何ができるかが重要なのだからな」
言いつつ、彼はさらさらと紙に何かを書き込んでいる。俺の評価だろうか。
「もう一つ聞いておこう。金、名誉、強さ。守護隊になれば様々なものが手に入る。お前は何が一番欲しい?」
「いきなり言われても困りますが――あえて言えば、強さ、でしょうか」
少し考えてから、俺は答えた。
カケラロイヤルを生き抜くために強くなるのが、最優先にされるべき事柄だ。そのために兵士になれば、エリートコースに乗れる上に強くなれて、一石二鳥だと思ったのだ。
「俺は、強くならないといけない理由があるんです。兵士になれば強くなれるでしょうし、それに、何ていうか、人からもちやほやされるというか、立派な仕事してるなって思われるでしょうし」
「ほう? 意外だな、てっきり立身出世を目指しているのかと思ったが――まあいい。では、実技に入ろう。好きな武器を手に取るがいい」
彼は、壁に立てかけてある幾本かの武器を指しつつ、自分は木刀を手にした。
剣、槍、斧、弓、ハンマーなど色々な得物があったので、俺はどれを取るか迷った。ウェポンマスターの特典を持っている俺は、すべての武器を扱えるからだ。
(とりあえず、これでいいかな)
無難なところで、剣を手にして鞘から引き抜き、俺はぎょっとした。
てっきり訓練用の模造刀かと思ったら、鋭い刃のついた真剣だったからである。
「あ、あの。これ、真剣じゃないですか?」
「そうだが? 刃引きをしていない真剣だ」
変なことを言うものだ、と言わんばかりの彼に、俺は焦って訴えた。
「いやいや、そっちは木刀じゃないですか。怖くて斬りつけられないですよ」
「私の心配をしてくれているのか? 大丈夫だ、殺す気でかかってきて構わん。ある程度は剣筋を見極めるために受けてやるが、かすり傷一つ俺には付けられんよ」
すごい自信である。手元が狂って斬られるかもしれないと思わないのだろうか。
「それより、自分の足を斬らないようにな。怪我をさせないように相手をするつもりだが、自分で自分を傷付ける分には責任は持てんぞ?」
この人、木刀で真剣を受けるとか言っちゃってるんだが、本当に平気なんだろうか。木刀がすっぱり斬れてしまったらと思うと、どうにもいきづらい。
「そういえば、名乗っていなかったな。守護隊長を務めるペズンだ。先代の隊長たちはすでに引退したので、いま軍で一番強い男といえば私になる。どう攻めてきても構わんぞ」
軍で一番強い男と聞き、俺は慌ててステータス画面を開いた。
そこには、驚きの情報が表示されていた。
【種族】人間
【名前】ペズン・シスルーシク
【レベル】2158
口の中に茶でも入っていたら、盛大に吹き出してしまっていただろう。
レベル2158という数字は、レベル60に満たない俺とは比べるのもおこがましいほどに差があった。
「入隊希望者の兵士を、いきなり守護隊に編入することは本来はない。その他大勢の兵士と共に訓練をさせ、その中から見所があるやつに昇進試験を受けさせているのだが――今日の試験で俺に傷を付けられたら、即座に守護隊に入れてやる。遠慮せずにかかってこい」
「そこまで言うのでしたら」
ふつふつと、やる気がこみ上げてくる。
木刀をぶら下げたまま棒立ちの彼に向かって、俺は剣を構えた。
といっても、剣の正しい構え方なんてわからないから、剣を両手で握って足を開いただけだが。
(頑張れ、俺の特典スキル)
レベル差がありすぎるので、恐らくは剣で斬りつけてもダメージなんか通りゃしないだろうし、殺すつもりで思いっきりやってみればいい。
特典の斬術スキルがあれば、うまくいけば腕前を認められて、一気に守護隊になれるかもしれないのだ。
「どのような手を使っても構わんぞ。魔法を使うなんてのは序の口で、歴代の受験者の中には、口の中に含んだ茶で目潰しをしかけてきた者、麻痺毒を持ち込んで武器に仕込んだ者、会話で気を反らしているうちに斬りかかってきた者、様々だった――そうそう、俺の言ったことを真に受けて、その扉を開けて役所の職員を人質に取ろうとした者もいたな」
思わず俺は笑ってしまった。どんな修羅の国だここは。
「お前も、何か隠し技を持っている顔をしているな。遠慮せずに見せてみろ」
「そうですか。じゃあ――遠慮なく!」
真っすぐ、俺は斬りかかっていった。
「ふむ、素直な剣筋――ぬっ!?」
どこからでもかかってこいと言わんばかりに、彼はだらりと剣を降ろしていたので、懐ががら空きだった。
(どんな攻撃をされても即座に守れる自信があるから、わざと受けようとしてるんだろうが)
俺相手に、それは悪手である。
俺が意識していたのは、「相手の裏をかく奇襲」だ。そう意識さえしていれば、あとは特典スキルが自動的に最善手を選んで身体を動かしてくれる。
俺は袈裟がけに、右上方向から左下へと長剣で斬りかかり、パズン氏はそれを難なく手にした木刀で受けようとして――手ごたえがほとんどないことに驚きの表情を見せた。
「でいッ!」
次の瞬間には、振り下ろしたはずの俺の長剣が、勢いそのままに跳ね上がって彼の腕を斬り上げる。
いわゆる、ツバメ返しである。
斬り下げる一撃目はフェイントで、ほとんど力を入れていない。相手がそれを受けようとしたら、相手の武器をすり抜けるように一度下段まで剣を持っていき、そこから本命の二撃目で斬り上げるのだ。
「ちいッ!」
俺の二撃目が難なくペズン氏の右手を斬り付けるかに見えた瞬間――彼は十メートルは跳び下がった。ちりっ、と剣先がかすめた感触はあったものの、有効な一撃にはならなかった。
(どんだけ跳ぶんだよ)
内心で俺は呆れていた。
いくら緊急回避のバックステップとはいえ、十メートルは跳びすぎだ。剣の間合いからはまるで遠ざかっている。
予備動作のないほぼ棒立ちの状態から、一瞬であんな跳躍ができるとは、どんな身体能力をしているのだろう。
「ふむ」
パズン氏は、俺の剣先がかすめた右手首をしげしげと眺めている。
そこには――傷一つ付いていなかった。
彼は、防具を何も身に着けていない。素手である。
それなのに、かすめた剣先――もっとも重さが乗っているはずの先端での一撃で、皮膚一枚裂けていなかった。
(なんだろう、さっきの感触)
先端だけとはいえ、しっかりと剣を当てた感触はあった。
ただし、彼の肉体の表面を覆っている、薄い膜のようなものをなぞっただけだ。
(あれが、レベルの恩恵か? マナによる防御力の底上げってやつか)
目に見えない薄い膜めいたものは、彼の身体を覆っているマナなのだろう。
当たったはずの俺の攻撃は、その膜に遮られて彼の身体に傷一つ付けられていない。
「素直に驚いた。剣を振り慣れているようには見えなかったのだが――偽装か。そこまで素人であるかのように見せかけるとは、熟練の偽装だな。裏路地の出身か?」
いえ、それはただの勘違いです。
剣を振っていないときの俺は、まったくの素人で合っています。
(ていうか、裏路地の出身かって何だよ。暗殺者とかそういう、非合法な出身だと思われてるのか?)
「そうは見えんのだがな、剣ダコなんぞない綺麗な手だ。力仕事とは無縁の手のひらに見える」
ペズン氏は、長剣の柄を握り締めた俺の手にじっと視線を注いでくる。
実技試験はこのような形式であるからして、俺は綿の半袖シャツという私服姿であり、防具を着けていないので手はむき出しだ。
なるほど、鋲革鎧で身を固めていった俺を受付のお兄ちゃんが笑うのもやむなしというところである。
「まあいい、打ち合ってみればわかることだ。こちらから行くぞ、守ってみろ」
言うや否や、ペズン氏は軽やかに床を蹴り、距離を詰めてきた。
肩を狙って斬りつけてくる一撃を、構えた長剣で横に反らすようにして守る。
かつん、と木刀と剣がぶつかる軽やかな音を立てた。
(これなら、反撃できそうかな――うおっ!?)
最初の一撃は、俺でも見て取れる速度だった。
彼が本気で剣を振ったら、俺が反応できるわけもないので、手加減してくれていたのだろう。
しかし――横に払い除けたはずの彼の木刀は、あるときふっとかき消えた。
気がつけば、俺はジャンプしていた。
ジャンプしようとも思っていなかったが、身体が勝手に跳んだ。
(回避術スキルが、発動したのか!)
宙に浮かんだ俺のつま先をかすめるように、一筋の線が走ったのが何とか見て取れる。
「ほう。今のに反応できるか。緩急を付けて狙ったつもりなのだがな」
「いやいやいや」
意趣返し、ということなのだろうか。
あえて一撃目を遅く見せかけておいて、俺がそれを払った後に、速度をあげた一撃で足を払う。意地の悪い攻撃だと言えよう。大人気ないぞペズン隊長。
「次は連撃で攻めるぞ。お前が守りきれなくなったらそこで終了だ」
(ひいい――)
俺に向かって迫り来る木刀から身を守るべく、俺は長剣を構えなおした。
なんだこれ、帰りたい。
二分後。
俺は地面に倒れ伏していた。
「はひー、はひー。無茶、させんで、ください」
連撃で攻めるといったペズン氏の言葉に嘘はなく、俺は上下左右から攻められ続けた。それも、ただの攻めではない。少しずつ回転率というか、斬りつけられる速度が上がってくるのだ。
最初のうちは全力で防御に徹し、何とか攻撃を払うなり受け止めるなりできていたのだが、やがて目に見えないまでに彼の木刀は速度を増していった。しまいには一撃を受け止めても、次の瞬間には別の場所を攻められるといった始末である。
最終的に、右肩と左腰をほぼノータイムで同時に攻撃され、俺は守りきれずに被弾した。木刀の先端でちょっとつつく程度の攻撃で済ませてくれたのは優しさなのだろうか。
「あいででで」
手のひらが痛い。
突かれた肩と腰ではなく、武器を振り回して酷使した手のひらが痛かった。皮が剥けているかもしれない。
いくら特典で斬術スキルをマスターしているからといって、ペズン氏が言ったように俺は素人である。剣を振るための手がまだ出来ていないというのに、全力で剣を扱ったらそうもなろうというものだ。
「ふむ、概ねお前の実力はわかった。色々とちぐはぐだな」
「さいですか――」
まだ息が上がっている。どこまで受け止められるか見てやろうというつもりだったのか、情け容赦のない攻撃だった。
(しかし、負けちゃったな)
いいところを見せようとしたのだが、現状はこの通りである。
ペズン氏に勝つどころか、一方的に攻められ続けて二分ももたなかった。
彼は呼吸を乱してすらいない。涼しい顔であった。
さすが軍最強を自称する男である。
「明日から並の兵士と共に訓練に加わってもらう。週に一度、光の日は休みになるが、それ以外は基本、兵舎に泊り込みだ。宿から手荷物等をまとめて来い」
「了解しました。はあ」
俺はため息を吐いた。
並の兵士と共に訓練するということは、つまり兵士として雇ってはやるが、守護隊に入るにはまだ早いということだろう。
「ん、ああ、言い忘れていたな。守護隊だが、いつでも好きなときに入ってきていいぞ」
「へ?」
「なんだ、足音に驚く猫のような顔をして。私に傷を付けられたら守護隊に入れてやると言っただろう。最初に私は手首を斬られている。あれで合格だ」
「え、それじゃあその後、めちゃくちゃ打ち込まれたのは何だったんですか?」
あのツバメ返しだけで入隊試験をパスしたというのならば、息を上がらせて必死に彼の連撃から身を守った苦労は一体何だったというのだろう。
「それはもちろん、実力を見るためだ」
あっさりと言い放つペズン氏に、俺は肩を落とした。
仮面でも付けているかのようにほとんど表情を変えないからわからなかったが、ひょっとしてこの人、嗜虐癖でも持っているのだろうか。
「そうだな、一週間ほど普通の兵士に混ざって訓練を受けたら、守護隊に入ってくるがいい。いきなり守護隊に入れないのは、先に兵士としての生活に慣れてもらうためだ。規律やしきたりぐらいは覚えておいて欲しいからな」
「わかりました」
何やらぐっと疲れてしまったが、結果だけ見れば上々と言えるだろう。
庶民の憧れ、エリート職としての花形である、兵士の中でも精鋭部隊にあたる守護隊に入れることになったのだから。
明日から兵舎暮らしが始まるということにまだ実感が湧かなかったが、ともかくは今は、実技試験をクリアしたことを喜ぼうではないか。
「言っておくが、訓練は厳しいぞ? 剣が多少使えたところで分け隔てなぞせんからな。むしろ、思いあがりを正すために、自信を持っている者はより厳しく指導されるのが軍というものだ」
せめて今ぐらい、素直に喜ばせてください、ペズン隊長。




