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盤台哲雄 7

 一面の、墓。

 廃墟に満ちる、呻き声。

 曇天からしとしとと降る、静かな雨。 

 あちこちを徘徊する、腐った肉体と化した亡者の群れ。


 捨てられた墓という地名に相応しい、陰気で危険な場所だった。


「あなた様、基本をお忘れになりませぬよう」


「ああ、わかってる」


 僕は、背負った未熟者の剣――クローベルを背中から取り外した。


 身長ほども長い彼女を、僕は左肩から右脚にかけて斜めに背負っている。それを可能にしているのは、V字型のフックと、鞘の先端だけが通り抜けないような輪っかが付いた革のたすきである。


 革だすきの左肩にあるV字型の突起で両手剣の鍔を固定し、右尻のあたりにある輪っかに鞘の先端を差し込み、二点で斜めに背負う形だ。


 取り外すときは、鞘のどこかを持って軽く上に持ち上げるだけでいい。


「じゃあ、クローベル。少し鞘が汚れるけど、我慢しておくれ。後で実体化マテリアライズ物質化オブジェクティブを繰り返して汚れは消してあげるから」


「いいってことですよ。武器を汚さないように戦うなんて無理ですもん」


 可視化ヴィジュアライズ状態のクローベルとカエデが見守る中、僕は右手に柄、左手に鞘を持って、思い切り両手を左右に広げる。それだけでは抜けきれないほど剣が長いので、抜く勢いそのままに鞘は左手で投げ捨てる。


 四つ葉の彫り物が施された、カエデの身長ほどもある銀の鞘は、雨に濡れた泥土にべちゃりと落ちた。


 できるだけ鞘も汚したくはなかったのだが、戦場でそんな悠長なことを言っていられる余裕がないことも事実である。両手剣の持ち運びは実に困難だ。


 剣を腰に吊ることも考えたが、長すぎて地面を引きずってしまうので結果は変わらないし、何より歩きにくいことこの上なかったので、取り外しが容易な持ち運び方を僕とクローベル、カエデの三人で相談しあった結果、このように革だすきで背負う方法で落ち着いた。


 ちなみに、背負った状態からすぐさま抜刀しようとしても、僕の右腕の長さ分が鞘から出るだけで、両手剣の下半分が取り出せずに詰まる。これは腰に吊っていても同様で、鞘から完全に抜くためには、 剣と鞘をしっかりと両手で持っていることが最低条件だった。


「確かに、廃れた理由も分かる気がするよ。抜刀し終えた状態なら強いかもしれないが、持ち運びの利便性を考えるとね」


「あっ、ご主人様までそんなことを言うんですか。デカくて長くてぶっとい大剣、このロマンをわからないなんてそれでも刃物マニアで殺人衝動持ちのド変態ですか!」


 歯に衣着せぬクローベルの物言いも、慣れれば心地良くさえある。

 横でカエデがぎりっと歯ぎしりしているが、もはやこの二人の関係性も見慣れてしまった。


「わかるとも。廃れた理由を考えていただけさ。君はとても綺麗だよ、クローベル」


 両手剣の、刀身の根元あたりにある刃の付いていない部分(リカッソ)に僕が唇を押し当てると、まるで自分がキスをされたかのように「きゃっ」などと嬌声を上げてクローベルは頬を染める。


 カエデがそんな僕たちの様子を見て面白くなさそうな顔をしているが、夜はカエデの独壇場であるので、これぐらいは正妻として許して欲しいものである。


 余談であるが、毎晩の夫婦の営みにクローベルは参加していない。


 カエデ曰く、「哲雄様にすべてを捧げる心構えもない小娘が側室になりたいなどもってのほか」だそうで、実体化しているカエデと僕が交わっている後ろで、可視化すらも許されずに部屋の隅に剣を置かれたクローベルである。


 クローベル本人は夜の行為自体に興味津々であるようだったが、カエデは僕の上に跨りながら、シーツをマントのように広げてクローベルから僕たちの交わりが見えないようにするという念の入り様だ。


 クローベルに見せ付けているかのような挑発的な視線を彼女に送るのに、行為自体は見せず、上気した頬で勝ち誇ったように嫣然と微笑むカエデの姿態を思い出す。僕の視点からはとても良い眺めであった。


「あなた様も、軽々しくあの小娘を抱いてはなりませんよ。あの手の娘は、甘やかすと増長致しますゆえ。どうしても抱きたくなったならば致し方もありませぬが」


 釘を刺すカエデであった。女の争いというやつなのかもしれない。


 僕としても、未熟者の剣の刀身は美しいと思うし、クローベル本人もちょっとドジなところがあって可愛いとも思うが、いきなり身体を求めることには抵抗があったので、カエデの言葉に粛々と従っている。


 クローベル自身も自分を見初めてくれた僕に好意は寄せてくれているようなので、今のところはキスを交わすだけに留まっていた。なお、キスをしただけで照れるクローベルは可愛かった。


「っと――ここで考えることでもなかったな」


 僕にこのような桃色の時間が訪れるとは夢にも思わなかったので幸せを満喫していたいところではあったが、生憎と場所が最悪である。いま僕たちがいるのは、死体が動き腐臭満ちる陰鬱な墓場なのである。


 僕が両手剣の振り方を覚えるにあたって、最初は動きが鈍い敵を相手にして感覚に慣れるのが良かろうとのカエデの提案を受けて僕たちはここにやってきたのだ。


 最も墓の中央から遠い外周にいた一人――いや一匹の屍肉グールが、僕たちに気づいてのろのろと歩き寄ってきた。


「ふうっ――」


 基本の構えだけは、鍛冶屋の当代ゴーグに教えてもらった。


 左足を前に、右足を後ろに、正面に真っすぐ未熟者の剣を構える。日本の剣道とは足の構え方が逆だ。


(いいか、この剣は最小限の動きで振らなきゃならねえ。基本は突きだ。デカくて重いからって、ぶんぶん振り回すもんじゃあねえんだぜ――)


「――ふッ!」 


 ゆっくりと歩み寄ってくる屍肉が刃圏に入ってきたときに、僕は左足から前に踏み出し、最小の動作で両手剣を突き出す。無言で放った気合の乗った突きは、屍肉の胸を軽々と貫き通した。


 屍肉は、単なる腐った肉ではない。死体がマナによって強化された、見た目よりも頑丈な魔物だ。その頑丈なはずの肉体を、未熟者の剣は易々と貫いた。凄まじい刺突力である。


「う、うわっ」


 僕の身長ほどもある長い刀身の三分の一ほどまで、刃先は屍肉を貫いていたが、魔物はまだ死んでいなかった。胸元を貫き通されたまま、口元から腐った血汁をごぼごぼと溢れさせつつ、呻き声をあげて両手を僕に伸ばしてきたのだ。


 慌てて剣を引いたが、剣を手元に戻そうとする動きで屍肉の身体は剣から抜けなかった。むしろ、刀身を引いた分、僕の方へと近づいてきてしまう。


「蹴り飛ばして!」


 カエデの鋭い一声に、僕は我に返る。

 両手剣に屍肉を突き刺したまま、右足の裏を魔物の腹に当て、力いっぱい蹴り飛ばした。


 ずるりと刀身を肉体が滑る感触とともに、屍肉は後方へと蹴り飛ばされ、仰向けに倒れた。まだ屍肉はその活動を止めておらず、上半身を再び起こそうと動き始めたため、僕は両手剣を上段に振りかぶりつつ駆け寄った。


(突きよりも攻撃も威力が欲しいときは、上段に構えて振り下ろせ。力いっぱい振り下ろすんじゃねえぞ、最大でも膝ぐらいまでで止めとけ)


「相手が倒れてるんだし、仕方ないよな――」


 ふぉんっ、と風を切る音とともに、僕は両手剣を振り下ろした。質量のあるものを断ち切る、確かな手ごたえ。L字型に身体を起こし始めていた屍肉の肩口から腰まで、僕の一撃は一刀両断に斬り割っていた。


 さすがにほぼ真っ二つにされても生きているわけではないらしく、しばしの痙攣の後に屍肉はその動きを止めた。死んでいるのに生きているという表現なのも妙な話だと考えられるぐらいには、僕も平静を取り戻した。


「あなた様、お疲れ様です。剣の血を拭われませ。刃こぼれや刀身の歪みがないかも調べなければなりませぬ」


 言いつつ、晒しのような綿の布を差し出してくれるカエデである。

 彼女は和刀の扱い方には詳しいものの、未熟者の剣のような、いわば海外の武器の振り方は知らない。しかし、戦場での振舞いについては心得があるようなので、こうして先生のように助言をしてくれるよう頼んであった。


「本当に危なくなるまでは助太刀致しませぬので、お一人で戦ってみられませ」


 とのことであり、今しがた倒した屍肉がある意味で僕の初陣であった。

 カエデたちが戦ってる横で補助をしたり、操作マニピュレイトで紅葉切や未熟者の剣を操って敵を倒したことはあるものの、実際に僕自身が剣を握って敵と戦ったのはこれが初めてのことなのだ。

 今までは、動けなくした敵のとどめを刺すだけだったから。


「心苦しいですが、厳しく指摘させて頂きます」


「ああ、そうしてくれ。下手な気遣いをされても上達しないだろうから」


 戦闘後に、悪かった点を教えてくれと、僕はカエデに頼んであった。 

 助言が受けられるというのは、有難いものである。


「場数を踏めば直っていくであろう欠点は申し上げませぬ。例えば先ほどのように

一撃を加えた敵が反撃に転じてきたときなども、慣れていけば身体が動いて対処できるようになりますゆえ。されど、致命的な一撃を加えたからといって、気を緩ませていたのはもっての他です。此度は一対一の戦いでありましたが、戦場では四方八方から狙われていることも珍しくありませぬ。残心は欠かさず、常に周囲に気を配っていなければなりませぬぞ」


「カエデの言う通りだね。耳が痛いけど、気づいたことは全部言ってくれ」


 残心とは、剣道の用語である。有効打を相手に当てた後に、正眼、いわば正面に竹刀を構えなおして、打った敵の方に注意を払い続けることを指す。


「まだございます。屍肉にとどめを刺すにあたり、あなた様は全力で剣を振られました。あれは良うございませぬ。ゴーヴ殿も仰っていましたが、剣を振ったあと、必ず次の一撃を繰り出せるように体勢は整えなければなりませぬ。あれだけ力を篭めて剣を振っては、再び構えを取るまでに体勢が崩れすぎますし、力余って地面を叩いて刃こぼれが生じまする。此度は地面がぬかるんだ土でございますのでその心配はございませぬが、今後石畳の上などで戦う機会がやってこぬとも限りませぬ。剣を振り下ろしきらず、しっかりと柄を絞って剣先を止め、残心を忘れませぬように」


「わかった。倒れた相手だし、全力で叩きつければいいと思ってたよ。他には?」


「最後に一つ。斬り付けるときは、気合を入れて叫ばれませ」


 気合?と僕が首を傾げていると、僕とクローベルの見ている前でカエデは大きく息を吸い込んだ。


「キエェェェェイ!!」


 あまりの声量に、僕は一瞬耳がきんとした。

 物静かに喋る普段のカエデからは想像も付かない、甲高く切り裂くような裂帛の気合である。


「気合を入れる、という言葉がございます。こうして大声で叫ぶことにより、自らの弱気を打ち消し、敵の威勢を削ぎ、より力が入るようになりまする。現代風に申し上げれば、力みすぎて自らが怪我しないようにかかっている脳のリミッターを気合で外すのです。叫び声は何でも良うございます。慣れぬうちは恥ずかしいと感じるかもしれませぬが、斬り付ける際に叫ぶ習慣を付けられませ」


「わかった。怒鳴らないように習慣づけていたからすぐには無理かもしれないけど、やってみるよ」


「ではあなた様、お代わりが参りました。ご武運を」


 ふと墓の中心部を見ると、カエデの叫び声に誘われたのか、あちこちから屍肉グール骸骨スケルトンが僕たちの方へやってきていた。カエデにうろたえた様子はないので、この事態も想定して叫んだのかもしれない。スパルタンな妻である。


「一対多か――」


 一体一体の動きは遅いが、囲まれてしまっては危険である。大振りなどせず、最小限の動きで魔物をしとめて行く必要がありそうだった。


(革鎧を着てきて良かったな)


 今の僕は、甚平姿ではない。ゴーヴお勧めの仕立て屋で購入した、革鎧一式を着込んでいる。マナの移動を阻害する金属を身にまとっているとほぼすべての魔法を詠唱することができないので、鋲なども打っていない、なめしただけの100%革製の鎧を装備していた。


 頭装備もある。目鼻口を除き、頭から顎までくるりと覆うような革の頭巾コイフだ。


 麻痺毒を持っている屍肉グールを相手するためには頼もしい防具である。



【種族】グール

【名前】なし

【レベル】25


【種族】スケルトン

【名前】なし

【レベル】22


 ステータスで確認する限りでは、やはりこいつらは弱い魔物だった。

 駆け出しの冒険者の相手としてちょうどいいと言われているだけはあるが、しかし油断していると麻痺毒を食らいかねない。僕は特典で状態異常系の抵抗を取らなかったので、一撃でも食らってしまえば負けてしまう。


 僕が麻痺を食らって動けなくなったらカエデが助けに入ってくれるだろうので死にはしないだろうが、全身が動けなくなるほどの麻痺ともなれば少なからず痛いだろうし、何より彼女たちが見ている前でそんな無様は曝せない。


 僕は気を引き締めて襲い来る屍たちへと備えた。









 時間にして、わずか十分ほどの出来事だっただろうが、僕にとって亡者を殲滅しきるまで、とても長く感じた時間だった。


 のろのろと集まってくる亡者の群れから距離を取り、もっとも最前列に出てきた魔物を倒していく。最初の数体こそ胴体を両断するなどしていたが、効率が悪いことに気がついてからは、率先して脳天をかち割ったり、首を刎ねるなどして即死させていった。


 立ち止まって剣を振っていると包囲の輪が縮まってしまうので、ある程度戦ったら群れから距離を取り、両手剣の最大射程を活かして戦った。接近されすぎたら、

前蹴りで蹴り飛ばしたり横薙ぎの斬撃で吹き飛ばししながら、一心不乱に亡者を倒し続けたのだ。


「うえぇ、でろっでろだよ」


 墓場の入り口から幾分か離れた草原で、僕は血汁にまみれた革鎧を脱ぎ始めた。


 いかに距離を取って戦っていたとはいえ、骸骨スケルトンはともかく屍肉グールは文字通り死肉の塊である。斬れば肉片や血汁が飛び散るし、返り血も付く。

 乱戦に近かったので、すっかり僕の装備は赤黒くなり、付着した汚れが異臭を放っていた。


「それっ」


 手にした作水石ウォータージェムに巻き付いている鎖を外すと、魔法の篭った魔石からは勢い良く水が流れ出た。水を弾く革鎧の表面を、水流でだばだばと洗い流す。


「本当は自分で魔法を唱えられたら節約にもなるんだけどなあ」


「習得に長い時間がかかるみたいですし、仕方ありませんわ」


 ひと仕事終えた解放感から、自然と笑みが浮かぶ僕に、カエデも笑顔で応えてくれた。


 特典で覚えた場合、MPさえ足りれば習得している属性の魔法すべてを使うことができる転生者ではあるが、では一般人はどのようにして魔法を覚えているかというと、手探りで体内のマナを操るところから始めるらしい。


 転生者が魔法を使う場合、頭の中で呪文を唱えるだけで体内のマナが勝手に移動してくれるし、マナの移動が終わって魔法の詠唱準備が終わったら、呪文を口に出すだけで発動する。


 しかし、一般人は意識して体内のマナを動かし、どのような魔法を使うかをイメージした上で一箇所に集め、その上で身体を巡るマナの性質を唱えたい魔法の属性に合わせて変質させ、しかも一気に放出させるために円滑なマナの移動をさせねばならない――要するに、とても難しいのだ。


 一つの魔法を習得するのに、根を詰めても一ヶ月かかるなんてことはザラらしい。

 コツなんかを指導してくれる魔法ギルドや魔法書なんてものもあるらしいが、それでも難しいらしいのだ。殺し合いに巻き込まれる可能性のある僕が習得するには向かないという結論になり、素直にお金を出して魔法の篭められた魔石を使うようにしている。


 本当は攻撃用の魔石も欲しかったのだが、値段がとても高い上に扱うには資格と

冒険者ギルドが依頼の達成状況を見て発行するランクが一定以上必要で、すぐに使うことは不可能だったので諦めた。


 作級や矢級の魔法が篭められた魔石ならば、非攻撃用のものはすぐに買うことが出来たので、ほとんどの魔石は一通り購入して持ち歩いている。


「あなた様、魔石の回収は終わっておりますわ。これからいかがなさいますか?」


 魔物は死後、経験値を身体から発しているときに触れなければ、一定時間経てば死骸は消える。そのときに魔石だけが地面に残るので、それを拾っていけばいい。僕たちのほぼすべてといっていい収入源だ。


 逆に、魔物の皮や牙、肉などが欲しければ、経験値を発散させている段階で触れればいい。死体が消えることはなくなるが、そのかわり死体は魔石も産まない。


 大量の屍肉や骸骨の死体が大地に溶けて消えてしまった後に残された魔石は、カエデが拾い集めてくれていたようだ。


「一度帰って、昼御飯にしようか。短い時間しか戦ってないけど、少し疲れたよ。泣き言みたいだけどね」


「戦いとはそういうものですわ。不慣れなうちは、無理をなさらぬ方がよろしゅうございます。街に帰って休むことに賛成ですわ」


 完全にとは言えないものの、あらかたの汚れを流され、水を滴らせている革鎧一式を紐で一まとめにし、ぶらぶらと手に持ちながら僕たちは歩き出す。


 革鎧の下に着ていた長袖のシャツと股引きは汗を吸ってべったりと身体に張り付いており、僕の額にも浮いた汗にそよ風が心地良い。


 墓場から少し離れてしまえば、草原の街グラスラードから東門を出た先の森だ。

街から墓場までの道のりは草原などの平地を歩くだけで良く、森の中に入る必要はないので、帰り道はのんびりと歩きながらカエデとクローベルの二人とお喋りを楽しむ余裕があった。


 可視化状態で半透明のクローベルと、実体化状態で僕の横にぴったりと寄り添うカエデ。傍から見れば女性二人を侍らせている羨ましい男に見えるかもしれないが――そんな僕の幸せなひと時は、空を裂いて僕たちの行手に突き立った一本の矢によって終わりを告げた。


(――敵か!)


「動くんじゃねえッ!」


 前方二十メートルほどの先に、ぱらぱらと三人の男が現れた。

 幅五メートルほどの僕たちが歩いていた道、その両脇は森であるので、木陰に隠れていたらしい。


 へっへえ、などという声が聞こえたので森の中を見上げると、左右の森の中に一人ずつ、弓を構えた革鎧姿の男も見える。


「背中の獲物に手をかけたら射るぜ。動くんじゃねえ。身包みと女を置いてきな」


「なあに、素直に差し出しゃ命までは取りゃしねえよ。そっちの女たちも、痛くはしねえから安心しな」 


 にやにやと笑う男たちである。


 ふむ、と僕は考え込んだ。五人の賊に襲われている状況である。

 当然ながら全面対決になるのは確定しているのだが、それにしても脅し文句に気が利いていない。


 想像するだに不愉快なことだが、女を置いていけということはカエデとクローベルでお楽しみになりたいのだろう。僕の命を助けると言ったのも嘘に違いない。


 普通に考えて、僕を逃がしたとして、場所を変えずに女を襲う馬鹿はいない。


 街に駆け込まれて衛兵なりを呼ばれては向こうも困るだろうから、まず僕は殺すつもりでいると見ていいだろう。いや、あるいは近くに攫った女性を運ぶための荷車などを用意していて、僕が去った後に遠くまで逃げるつもりなのだろうか。そうなら、付近に賊の拠点があるということか。


「まあ、考えてもわからないか。本人たちに聞くのが一番早いしね」


 にやにやと笑いながらじりじりと近寄ってきている彼らは、僕が反撃に転じるとは思っていないらしい。


 すでに、賊五人のステータスは全員チェック済みだ。

 僕たちに動くなと、最初に声をかけてきたのが恐らく頭目で、レベルは236。脇の二人が121と143。左右の森の中から弓で狙いを付けてきている二人が、65と96。


 一般人の平均的なレベルが30であることを考えると、はるかに強い賊であると言えた。墓場の亡者を相手にしているような駆け出しの冒険者では、まず相手にならないだろう。


 魔物を狩る職業の人以外はほとんどレベルが変動しない事実を考えると、冒険者崩れなのか、あるいは賊になって人を殺めているうちにレベルを上げたのか。考えてもしょうがないことだ。


(僕のレベルは――亡者の群れを倒して、少し上がってるな。141だ)


 レベルだけ見れば、賊の頭目を含めた二人が格上で、飛び道具持ち二人から狙われているという圧倒的に不利な状況である。


「カエデ、弓二人を頼む。右からで」


 彼らに聞こえないようにぼそりと呟くと、カエデが頷く気配が伝わってくる。


 これから僕がやる方法では、左の弱い方、森の中にいるレベル65の弓兵から射撃を受けてしまう。革鎧でも着ていれば多少は違ったろうが、今の僕は薄手の布しか身に付けていない状態なので、当たり所次第では一本の矢で命を落とす可能性があった。


 しかし――だからどうしたというのだろう?


 他人様の命を奪うということは、自分もまた殺されるかもしれないという覚悟を持つことだ。

 ここからさほど離れていない森の中で、シェルという少女を殺めたときから、首筋に刃物を突き立てたあの感触、快感を覚えてから、いつか自分も殺される側になるかもしれない、そう何度も自分に問いかけて、覚悟はしてある。


 他人を殺したいなら、返り討ちにあって自分が殺されるかもしれない危険を呑むこと。殺し合いの場に出向くということは、そういうことだ。


「行くよ、カエデ――視野阻害ブラインド!」


 僕は、右の森の中で弓を構えているレベル96の弓持ちに魔法をかける。

 レベル差の問題もあったが、魔法抵抗の特典を持たない一般人や魔物が相手ならば、僕の魔法が抵抗レジストされる可能性はまずないので、失敗したときのことを考える必要はない。


「ぐっ!?」


 突然視野をふさがれてうろたえる右の弓に向かって、カエデが斜面を蹴って森を駆け上がる。 


 僕が抵抗するとは思っていなかったのか、わずかに驚きの表情を見せた後で、正面にいた三人の賊は武器を手に踊りかかってきた。


 僕が対応するべきなのは、その三人ではない。左の森の中にいた弓兵を先に無力化しなければならない。


視野阻害ブラインド――!」


 左の弓兵にも状態異常の魔法をかけるが――しかしその魔法を唱えきるよりも先に、引き絞られた弓から、ひと筋の矢が僕を目がけて発射された。


 僕は落ち着いて、両目をかっと見開き、飛んでくる矢の軌跡を見定める。

 正中線にさえ食らわなければ良いのだ、最悪の場合は手で受ければいい。


 しかし、賊の弓兵は焦っていたのか――矢は僕の身体を外れ、頬をかすめて地面に突きたった。その頃には、二人目の弓兵にも視野阻害の魔法がかかっており、無力化することに成功している。


「野郎ッ!」


 賊の頭目が、真っ先に僕へと駆けてくる。さすがにレベルが格上だけあって、その足は速い。二十メートルはあった距離が、瞬く間に詰められる。


操作マニピュレイト!」


 僕は焦らず、背中に負った未熟者の剣――クローベルを鞘から抜き、賊の頭目へと投げつける。


 屍肉と戦ったときに自分で剣を抜いたのは、あくまで一人で戦う練習のためだ。

 制限のない戦闘においてはこのように魔法で操った方が圧倒的に早い。


「うおっ!?」


 全長170センチの鋼鉄製の刃物が、切っ先を向けて突然宙を飛んでくるのだ、無視はできまい。

 僕の予想通り、賊は手にした舶刀カトラスを未熟者の剣、その横っ腹に叩きつけて刃線を反らす。


実体化マテリアライズ!」


「クローベルの見せ場ですっ!」


 賊の頭目と未熟者の剣が接触した瞬間に、僕はクローベルを実体化させる。


 銀の鎧に身を包んだ完全防備のクローベルは、賊三体の目の前に現れるなり、横薙ぎに両手剣をブン回した。


「なっ――ぎゃあああッ!?」


 森の中など、障害物のある場所での立ち回りを予想していたのか、賊はみな舶刀カトラスを持っていた。湾曲した刀身を持つ、片刃の片手剣である。小回りが効き、物を断ち切るのには便利な剣だが――三人の賊に襲いかかっている両手剣の長所は、その重さと長さである。それに加えて未熟者の剣は鋼の質が良く、切れ味までいい。


 そんな両手剣を、右端の賊は逃げ腰になりながら舶刀で受け止めようとして――両断された。


 しっかりと舶刀の腹でクローベルの一撃を受け止めたはずの賊は、未熟者の剣の重さに負け、あたかもボーリングの鉄球にピンを軽々と吹き飛ばされるがごとく――身にまとった鋲革鎧ごと、胴体をぶった斬られたのだ。


「ちいっ! いきなり現れやがって、何なんだこのクソアマがあ!」


「クローベルはクローベルです! 大人しく真っ二つにあひんっ」


 賊の頭目はさすがに手練れで、手下を両断して勢いの弱まったクローベルの一撃を受け止めると、返す刀で素早くクローベルの左耳のあたりを舶刀で斬り殴った。


 頭すべてを覆う銀の兜により致命傷を避け得ているものの、軽い脳震盪を起こしたのか、クローベルは足取りをふらつかせる。


「十分だ、クローベル!」


 突如として現れたクローベルに襲われた混乱から立ち直ったばかりの手下の賊に、僕は気奪エナジードレインの魔法をかける。


 僕の両手から放たれた漆黒のマナが、手下の賊にまとわりつくと、賊は呻きながら膝をついた。


 気奪エナジードレインは闇属性の矢級魔法である。視野阻害ブラインドに続く低位魔法で、効果は対象の生命力を奪う。

 生命力を奪うという表現はあやふやだが、何体もの魔物に使って効果を調べた結果――すさまじい虚脱感が全身を襲うらしいのだ。


 汚い表現だが、お腹を壊してトイレに篭ったあと、体力が失われている感触。あるいは、お腹が空ききって力が出ない状態。忙しい仕事に追われ、ようやく終わってへとへとのとき。


 それらの疲労、あるいは脱力感を、何倍にもしたような虚脱感を相手に強いる魔法のようだ。言葉で聞くと緊張感のない魔法だが、その効果は意外と強く、生存本能全開で逃げ出そうとする野生の獣すら走ることができなくなるほどだ。


「手下は無視しろ、クローベル!」


「あいあいますたー!」


 クローベルは身体を張って、賊の頭目の攻撃を受け続けている。

 密着戦にまでなってしまうと、両手剣は手数の面で舶刀に負ける。何度か綺麗な一撃を食らってしまっているが、銀の全身鎧で何とか耐えているようだ。


「クソッ、どけってんだよ!」


 賊の頭目は、一番危険な人物が僕であることをすでに見抜いている。

 そのために、致命傷を与えにくいクローベルを避けて僕を襲いたがっているのだが――突きなど、最小限の動きだけで隙を見せないクローベルを無視しかねているのだ。


「うおっ――らあ!」


「きゃあっ!?」


 しかし、技量が上回ったようだ。全身鎧のクローベルの上半身に掌底を当てると同時に内股に足を差し入れて引っかけ、いわゆる柔道でいう小内刈りに近い技で賊の頭目はクローベルを転ばせた。


「次はお前だ、このクソ野――!?」


視野阻害ブラインド


 僕の手を離れた漆黒のマナが、霧となって賊の頭目の顔面を覆い隠す。

 クローベルに誤射しかねなかったので斬り結んでいたときは使わなかったが、

今の状況なら外さない。 


 戦闘、終了だ。


「ちくっ、ちきしょう! ぐあっ」


 闇雲に走って逃げようとして、賊の頭目は道の端に生えている木にぶつかって転がった。視野阻害が消えるまで暴れまわられても厄介なので、気奪の魔法をかけてやると、頭目は呻きながらその場に蹲った。


「ご主人様、手下はどうしますか?」


「逃げられないようにしておいてくれ。後味が悪いなら、僕がやるけど」


 僕の気奪の魔法を受けた手下の賊は、ふらふらになりながらも逃げ出そうとしていた。


「殺し合いのために作られた剣の精霊をナメすぎですよ、ド変態のご主人様」


 クローベルが未熟者の剣を一閃させると、逃げようとしていた賊の右足首が斬り飛ばされた。

 絶叫に、別に絶叫が重なる。見れば、カエデが二人目の弓兵にとどめを刺して森から降りてくるところだった。


「どちらも、とどめを刺してしまいました。あなた様のために残しておくべきだったのかもしれませんが」


 人を殺めることに悦楽を覚える僕のために、とどめを譲るべきだったかとカエデは気にしているようだ。


「いや、負ける可能性のあった戦いだったし、余裕のあるときだけでいいよ」


 弓矢や短剣の投擲などで、僕を集中的に狙われていたら負けていたかもしれないのだ。そこまで欲を出していては足元を掬われるだろう。


「そう仰って頂けると。それにしてもあなた様、屍肉グールに近寄られて慌てていた方と同じ人とは思えませぬな。堂に入った武者ぶりでございました」


 言いつつ、カエデは地面に這いつくばっている賊の頭目のところまで歩いていき、躊躇いも見せずに両足の腱を紅葉切で斬った。悲鳴が上がる。


「楽しいことだと集中できるのかもね。人間が相手だと、興奮するからかな」


 血溜まりを作ってのたうちまわる頭目の首を抱え込んで、ずりずりとカエデが引っ張ってくる。


「さて、尋問の時間だ。生き残っているのは君と、こっちの親分の二人だけ」 


 賊は、二人並べて地面に転がされた。

 クローベルが地面に仰向けになった賊の頭目を足で抑えながら、両手剣の切っ先を喉に向け。


 カエデは、同じく仰向けになった手下の賊の横にしゃがみこみながら、紅葉切を首筋に当てている。 


「親分だけ生き残る可能性が高いっていうのはフェアじゃないから、最初に言っておいてあげよう。君は親分の口を軽くさせるために、見せしめに殺すつもりだ。ちょっとでも口ごもったり、仲間の情報を売るのを躊躇ったり、後で親分の白状したことと食い違いが出たら殺す、いいね?」


 ぶんぶんと首を振る手下と、それを見て「おい!」と慌て始める頭目である。クローベルの足で顔面をがつんと踏まれ、賊の頭目は押し黙った。銀とはいえ、金属の足甲で顔面を踏まれたのだ、さぞ痛かろう。


「まず、この場にいない仲間の数から聞いていこうか――」


 僕に加虐癖はないので、拷問はしない。他人をいたぶって喜ぶ趣味はないのだ。

 あくまで刃物で人を刺し貫いたときの感触が好きなだけだ。


(とっとと情報を得て、とっとと殺そう)


 当たり前の話だが、素直に話したからといって命を助けるつもりは微塵もない。仲間の有無や、賊の拠点がどこなのかを聞き出したら、もう彼らに用はない。


 盗賊団の規模次第では、襲撃をかけて潰すことも視野に入っている。


 貴重な、合法的に人を殺めるチャンスなのだ、逃すわけがないだろう?


 内心で嗤いながら、僕は淡々と賊たちに質問をしていった。

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