花咲侠者 3
「たーのしーっ」
背中まで伸びた栗色の長髪に、これでもかというぐらいにシャンプーをぶちまけ、わしゃわしゃと洗う。摩り下ろした石鹸に蜂蜜と香油を混ぜたシャンプーは、なめらかな手触りの泡が出る。石鹸としても使えるのだ。
元はクリーム色の泡だったものは、あっという間に灰汁のような色に汚れていった。
「あの、ご主人様。身体ぐらい、自分で洗えますよ?」
「こんな楽しいことを譲るなんてとんでもない! あと、俺は名前で呼ばれるのが好き。キョーシャって呼んでくれると嬉しいな」
「キョーシャ、様?」
「様付け要らない、ただのキョーシャ。はい、リピートアフターミー」
「きょ、キョーシャ」
「グッ!」
好き放題に女の子をいじって美しくしていく過程とは、なぜこんなにも楽しいのだろう。俺のテンションは上がりっぱなしである。思わず無駄にネイティブな英語を話したが、通じているようだ。さすが特典による翻訳機能、高性能である。
ここは連れ込み宿、いわゆるラブホテル的な施設の中の風呂である。
風呂といっても、浴槽はない。狭い個室の天井には金属のパイプが通っていて、
垂れ下がった紐を引くと蓋が開いてパイプからお湯がだばだばと落ちてくる。
この世界では湯を張った浴槽に浸かるという習慣がないようなので、風呂といえばこのシャワールームのことを指すようだ。
なお、わざわざ連れ込み宿に来たのは、男女間の行為が目的ではない。
入浴だけが目的なのであれば、娯楽施設等が立ち並ぶ文化街の大浴場に行けばいいが、そちらは浴室が男女別に分かれているのだ。
ムームーの身体を俺が洗うために、わざわざ浴室付きの連れ込み宿を選んだだけのことである。風呂だけを使うことは出来ないらしいので、一応部屋を取ってはいるが、使うかどうかは未定だ。まあ湯上りに涼むぐらいはしてもいいだろう。
「ここまで汚れが落ちると楽しくなってくるなあ。顔は自分で洗ってね、目に泡が入ると良くないし。耳の後ろとかもちゃんと洗うんだよ、ムームー」
はい、と素直に答え、ムームーはおそるおそるシャンプーの入った金属の瓶を傾け、少量の液体を手に取る。
彼女にとってシャンプーとは、贅沢品を通り越して貴重品に近いものであるらしく、指先を湿らす程度の雫しか取ろうとしない。それだけの量では、ほとんど泡立ちはしないだろうに。
「ふんっ」
「きゃあああ!?」
ムームーが握っている瓶を強引に傾けると、ヨーグルトみたいなシャンプーがどろりと溢れて彼女の手を満たす。恨みがましい目をされるが、からからと笑って非難をかわす。
「いやあ、楽しいなあ」
シャンプーをたっぷり染みこませた布で彼女の背中をこすると、面白いように汚れが落ちる。垢と埃が張り付いた浅黒い肌は、磨けば磨くほど小麦色の血色を取り戻していく。
あっという間に布が汚れてしまうので、その都度だばだばとお湯で流し、再びシャンプーをぶっかけ、こする。こんなこともあろうかと、シャンプーは大容量の瓶で買ってある。お値段にムームーは目を剥いて驚いていたが、一万円程度の出費でそこまで大袈裟にされても困る。確かに日本の基準よりは高いものの、女性の身だしなみに金がかかるのは当たり前のことだった。
「前も洗うよー」
後ろから抱きつくような形で、たっぷりと泡を立てた布を彼女の胸元に押し当て、こする。体重の割に豊かな胸に意識が行きがちであるが、すぐ下にはあばらが浮いていて、栄養状態の悪さがうかがえた。
(風呂から出たら、飯だな。いや、その前に服か)
汚れた状態ではあちこち連れまわすのも躊躇われたので、この連れ込み宿に来る前には、回復薬を扱っている店に寄って治癒ポーションを買ったのみである。
毒や麻痺など、肉体系の状態異常すべてに効く上位魔法の回復薬であるから効果も抜群であり、すでに顔の腫れは引き、熱も下がっている。まだ鏡は見せていないので、後で驚くかもしれない。
「あの、ごしゅじ――キョーシャ様」
「様?」
「きょ、キョーシャ。その、当たってます。いたしますか?」
当たっている、というのは、俺の股間部分のことであろう。いわゆる息子である。
状況を想像すれば一目瞭然であるが、狭い個室内に湯気が満ちており、入浴するのであるから、当然ながら俺とムームーは全裸である。それでいて至近距離で彼女に触れまくっているわけなので、下半身が反応しないはずがないのだ。例えるならば天高くそびえる富士の山、片仮名で表せば「ト」である。
「致したいのは山々だが、今はしない。また後でね」
腹を満たす、服を買う、生活用品を揃える、家を建てる。殺人蜂の討伐帰りだというのに、為すべきことが多い一日だ。
「はい。でもその、くすぐったいです」
胸元を洗っているわけであるから、それは手が触れることもあるだろう。
ちょっと手が滑ってしまったとしても仕方があるまい。先ほどから何度も滑っているが、まあ役得というものである。
さっぱりしてしまうと、汚れきったムームーの衣服および、血塗れのトランクスを再び身につけるのには抵抗があった。部屋までの道のりはタオルがわりの布を身体に巻きつけることで代用したが、さすがにこの姿のままで表通りに出ていく胆力は俺にはない。
結局、連れ込み宿の受付をしていた少年にチップをはずみ、ひとっ走り服を買ってきてもらうことにした。
二人分の簡素なローブを彼が買ってきたころには、ムームーの髪もすっかり乾いていた。追加料金を払い、送風石という風の出る魔石を借りて、彼女の髪を梳いていたのである。
思わぬ長湯になり、すっかりのぼせてしまっていた俺たちは、ローブに着替えた後に、連れ込み宿の一室でしばし休んだ。あまりに心地良すぎて、二人とも少しの間昼寝してしまったが致し方あるまい。二人とも疲れていたのだ。
この手の施設で、本来の意味でのご休憩をしたのは人生初である。
「さて、次は服を買いに行くか」
「そうですね。このままというのは、ちょっと」
浪費を怖がるムームーが買い物に同意するのも当然で、今の俺たちは頭から羽織るローブを着ているのみである。下着すら履いておらず、股間が妙にすうすうした。俺に露出系の趣味はないので、単純に落ち着かない。
俺たちがやってきたのは、ドロレスの薄衣亭という仕立屋である。
いくつもの支店を持つ仕立屋らしいが、ここ本店はとても大きな店を構えていた。オーダーメイドではないので最高級品というわけではないのだが、縫製の確かさや生地の質、そして仕立ての良さが評判の名店であるという。なお、連れ込み宿の受付をしていた少年の受け売りである。
チップをかなり弾んであげたので、彼の口も滑らかであった。
「いらっしゃいませ」
慇懃に頭を垂れる落ち着いた雰囲気の女性に出迎えられ、俺たちは店内へと足を踏み入れる。まるで受付の女性のように落ち着いた、沈んだ色合いの床と壁の店内はとても広く、あらゆる場所に衣服が展示してあった。
壁際には何着ものドレスをかけたハンガーや、衣類を重ねて収納した棚があり、
通路で囲まれた開けた場所には、衣服が平積みになったスペースが何箇所も点在している。
日本育ちの俺の感想としては、高級なユニクロだな、といった印象である。
「そんなにビクビクしなくてもいいと思うんだけど。安い店ではないけど、最高級店ってわけじゃないよ?」
「こんなお店に来たの、初めてで。場違いすぎて恥ずかしいです」
ムームーは、俺のローブの背中をぎゅっと握り、へっぴり腰でおっかなびっくり俺の後を付いてくる。
「二人ともお揃いのローブだし、恥ずかしいも何もないと思うんだが。それに、そもそもその服装を整えに来たのに」
「そんなこと言われても――ご主人様、見てくださいこのお値段。19,900ゴルドですよ。こちらの棚にあるドレスは29,900ゴルド、うわわわ、ハンガーで飾られてるこのドレスなんて、59,900ゴルドもしますよ。10,000ゴルドもあれば最低でも三ヶ月、やりくりすれば半年は食べていけるのに」
10,000ゴルド、日本円で言うと二万円で半年暮らすとか、どんな節約生活なのだろう。そして、ムームーの声が大きいために、必要以上に耳目を集めていることに彼女は気づいているだろうか。
入り口にいた落ち着いた雰囲気の店員に、ムームーから見えないように両手を合わせて詫びておく。店内での佩剣はご遠慮頂きたいと先ほど俺に申し出てきた彼女は、寛容な笑顔で騒がせたのを許してくれた。
彼女の傍らには、預けた剣を乗せた机がある。買い物が終わるまで見ていてくれるようだ。
「すまないが、服を見繕ってくれるかい? 事情があって、二人ともほとんど手持ちの服がない。普段着を二着ずつ、余所行きの服を一着ずつ、下着も三組ぐらい、僕たち二人とも。他に必要だと思える衣類があれば、追加してくれて構わない。予算はそうだな、200,000ゴルド前後で」
入り口にいた女性に声をかけると、彼女はかしこまりましたと一礼した後、別の店員に預かり物の管理を任せると、音を立てずにすっすっと急ぎ足で店内を歩き始めた。不思議な移動法である。
「にににに二十万ゴルド、駄目ですご主人様。そんな大金あれば一生暮らしていけるじゃないですか。私なんて布で十分です、布で。ほら、あそこに生地が売ってるじゃないですか。あれ買って帰りましょう、あれ」
彼女が指差した先にあるのは、ロール状に丸められた布の生地である。
確かに値段だけ見れば安いが、身体に布を巻きつけただけで生活する気だろうかこの子は。というか、さすがに四十万円ごときで一生暮らしてはいけまい。
「ほら、目立ってるよ、ムームー。公の場では静かにしようね」
長いこと開拓村で暮らしていたせいか、彼女には衛生観念とマナーが欠如してしまっていた。
一気にマナーだの作法だのを押し付けすぎてしまうと、今までの暮らしからかけ離れすぎて、彼女のストレスになってしまうかもしれないので、極力優しくゆっくり教育は施していくつもりである。新しい生活に慣れるまで導いてあげるのも男の役目だ。
「ムームー、大丈夫だから落ち着いて。君は磨けばすごく綺麗になれる女の子だ。
俺を信じて、しばらくは俺に任せてくれないかい?」
「ご主人様が、そう仰るなら」
いつの間にか、キョーシャと呼ばなくなってしまっている。出来れば修正したいが、何もかもを指摘しすぎては良くないだろうので、そこは言わないでおいた。
それに、俺の真骨頂はここからである。服を買い終えた後は、食事をした後に
化粧品を買い求めに行く予定なのだ。
俺の前世での仕事は、化粧品メーカーの営業販売である。いわば化粧のプロだ。
この世界にどのような化粧品が流通しているかはわからないが、材料を聞けば大体どのような効果が出るかは想像が付くし、ムームーの肌に合う合わないを考慮して
最適な組み合わせを選ぶことなど朝飯前だ。
手入れに無頓着な女性を化けさせるのは、何度やっても楽しいものだ。早くムームーの驚く顔が見たいものである。
「これが、私?」
食事を終え、靴屋に寄った後にやってきた理髪店で、仕上がった自分の顔を鏡で見たムームーは、呆然となった。
白を基調とした淡い色のドレスには緑色のフリルなどの刺繍が細かく施され、胸元の健康的な小麦色の肌がよく映えた。足元もすりきれたサンダルではなく、ニーソックスのような白い下履きにつや消しの革靴である。
化粧品屋を兼ねた理髪店では、伸び放題だった髪を少し削ってもらい、片耳の上に花を模した髪飾りで一まとめにしてもらう。日焼けした小麦色の肌に栗毛は少し重たく感じるが、これもしばらく経てば日焼けした皮膚が落ち着いて良いバランスになるだろう。
顔を剃り、眉を少し細くした後に、乳液を薄く塗り広げてやると、ムームーの顔は艶やかに輝いた。日ごろの手入れがなっていないために毛穴が広がり、肌は荒れていたが、肌年齢を見たところかなり若い。ムームーの年齢を聞いていなかったが、この分だと二十二歳前後といったところだろうか?
これから毎日手入れをしていけば、もっと美しい肌になれるだろう。
「ムームーの完成」
ぱちぱちと軽く拍手する俺の様子も眼中にないようで、彼女は食い入るように鏡を見つめている。
俺から見ると開拓村での苦労が抜けていないために馴染みきっていないが、彼女からすればまるで自分が別人に変身したかのような気持ちでいることだろう。
女性の美しさは、金で買えるのだ。
「帰ろうか」
理髪店から出たころには、買い物やら食事やらで色々なところを回ったせいで、日が沈みかけていた。俺は両手に服などが詰まった布の袋を提げている。荷物は自分が運びますとムームーが頑なに主張したので、小さめで軽いものしか入っていない袋を一つ渡してあげた。
彼女はどうも勘違いしているようである。召使兼性処理、いわゆる奴隷のようなものとして彼女を連れてきたわけではないのだが。あくまで嫁候補としてである。
一体どんな心境で彼女が俺の後を付いてきているかはわからないが、とぼとぼとした足取りだった。あまり軽やかなそれではなく、気になるといえばなるが、人通りの多い往来で話すことでもないので、俺も彼女に合わせてゆっくりとした足取りで歩く。
「俺の持ち家じゃないからあまり大きい声では言えないけど。狭くて汚いところなんだ、近日中には家を建てるつもりだから、それまではここで我慢してくれる?」
俺の取っていた宿は、あまり良いところではない。
壁の薄い、木造二階建てのアパートのような造りで、場所は西区の商店街からほど近い。
家賃が安いかわりに細かい不便が多いその場所は、女性を連れ込むには不適切な宿であったろうが、短い期間だけということでムームーにも我慢してもらうつもりだった。
言っては失礼だが、ムームーが今まで住んでいた場所よりはマシであろう。
「お金持ちの家の息子さんとかじゃ、なかったんですね。どんな豪邸に連れて行かれるかと思ってました」
椅子などない狭い部屋であるからして、四脚の木机に薄い布団を敷いただけのような簡素で固いベッドに二人して腰かける。ただの布団ではなく曲りなりにもベッドがあるのは、室内が土足という環境ゆえであろう。
「ごめんね、お金持ちの息子じゃなくて。がっかりしたかい?」
ムームーは、強くかぶりを振った。しっかりと身体を洗ったおかげで、ちゃんと彼女からは女性の香りがする。うむ、やはり俺の生活には花がなくてはならない。心底落ち着く。
「ごめんなさい、違います。お金持ちの人に身請けされたかったとか、そんなんじゃないです。お金が有り余ってるような人が、道楽で私を連れ出したなら、まだ納得が行ったんです。お金を大切に思ってないような人だから、私なんかに大金を使うのかもしれないって。でも、この暮らしを見たら、そうじゃないんだってわかりました」
俺は苦笑する。確かにムームーの言う通りである。この世界に来て日が浅いせいもあるが、この宿はあくまで自分の家を持つまでのつなぎとして使っているだけなので余分な家具などもない、殺風景なものだ。
「そりゃあ、ご主人様に身請けされて嬉しいですよ。嬉しいですけど、現実味が湧かないんです。こんなにしてくれて、私は何をすればいいのですか? この身なりなら、高く客が取れると思います。あの開拓村でしてたみたいに、客を取って稼いでくればいいのですか?」
「いや? 客を取らせるなんてするつもりはないし、そもそも身請け――にはなるのかな、一応。身請けしたとはいえ、行動を束縛するつもりもないし、俺が気に入らなければいつでも自由に出ていって構わないよ? もちろん、ちゃんと一人で暮らしていけるように当座のお金とか住まいとかは探してあげるし」
「では、一体何のために私にここまでしてくれるのですか? 私にそんな価値はないですよ?」
自分にそんな価値がないとまで言い切られては俺も苦笑せざるを得ない。
若さと美しさだけが女性の価値ならば、世の中の男性諸氏は次々と離婚せざるを得まい。
「ちょっとムードがないというか、予定とは違っちゃったけど。奥さんになって欲しいなって。召使とか奴隷とかそんなんじゃなく、ちゃんと対等な立場としての奥さん」
再び、ムームーはかぶりを振った。頑なな意志がその目に宿っている。
「信じられません。あれだけのお金を私に使う余裕があるなら、女の子なんて選び放題です。私よりもっと若い子も、美しい人だっていくらでもいます。私みたいに大勢の客を取った女じゃなくても、身体なんて売ったことない可愛い子がいっぱいそこらじゅうにいるじゃないですか。なぜ私を選んだのですか? 客を取ってこいって言うなら取ってきます。何でも言うこと聞きます。だから、本当のことを教えてください。じゃないと、気になって落ち着かないです」
俺は苦笑を引っ込めた。理由を知るまで、てこでも動かないという頑迷さが彼女にはあった。真面目に聞いてきているなら、真面目に答えてあげるべきだろう。
「まずね、俺は同時に十人以上の恋人がいたことがある。ちょっと前も、八人の奥さんと六人の子供がいた。事情があって、彼女たちとは離れ離れになってもう会えないんだけど、俺は多くの女性から愛されたい、いわゆるハーレム志望のある男なんだ。説明が長くなるからこのあたりはまたいずれ話すけど、ここまではいい?」
十人、と驚きながらも、彼女は頷いた。
「俺の女性の好みだけれど、かけた愛情がより多く戻ってくる子が好きなんだ」
「かけた愛情が、より多く戻ってくる?」
よくわからなかったようで、ムームーは首を傾げる。
「下世話なお金の話になってしまうけど、例えば恋人と一緒の家に住んで、彼女の生活費とかを全部負担したとして、その金額が仮に十万円――50,000ゴルドだったとしよう。毎月、俺は彼女のために50,000ゴルドを使っているわけだ。俺としての理想はね、その彼女から、50,000ゴルド分の愛情が返ってくることなんだ」
やはりよくわからなかったようで、お金の分の愛情?と彼女は頭を捻っている。
「お金だけのことじゃなくて、色々なところでもそうなんだけど。例えば、その恋人と休日に一緒に遊びに行くとしよう。色々とデートコース――遊ぶ場所を下調べとかして、食事をするところだってちゃんと予約を取って、服装とかも行く場所や相手に合わせてってすると、結構な手間になるよね。自分にどれぐらいの手間、言い換えれば愛情を注がれているのかを理解して、ちゃんと俺に愛情を返してくれる女性がいい」
「えっと、愛情を返すと言われても、どのようにですか?」
「何だっていいよ。家事を頑張ってくれたり、夜にちょっとサービスしてくれたり、一緒に働いて家計を支えてくれたり、ただ単純に抱きついてくるだけでもいい。これだけのことをされたんだから、私もちゃんとその分お返ししなきゃ、って思う女の子がいい。ケチ臭いなあと自分でも思うんだけど、たまに十の手間をかけても、二、三ぐらいの感謝しか返してくれない女の子がいて、そういう子が相手だと俺、冷めちゃうんだよね」
「何となくでしかわからないですけど。変わった趣味ですね、としか」
「そうかな? 例えば、俺が仕事に行くとしよう。仕事でお金を稼いで、そのお金を家庭のために使うわけだ。でもさ、自分が働いてるのに、家で妻が家事もせずにごろごろしてたらムッとしない? スーツのアイロンがけ――こっちだとトーガかな、服に皺が出来ないようにしっかり畳んでくれるとか、好きな食事を作ってくれるとか、家の掃除をするとか、相手にもそれなりの献身を求めるのっておかしいかな?」
「それは、家庭の女にもそれなりの仕事がありますから、やって当然だとしか」
「俺のいたところだとね、そう考えない女性も多かったんだ。男は家庭に尽くして当たり前って、盲目的に思ってる女性がそれなりにいたんだよ。苦労を知らない若い子に多かったけどね。俺は自分が多くの愛情を女性に注ぐ、言い換えれば手間をかけるのは嫌じゃないんだ。でもね、その愛情が返ってこないのは嫌なんだよ。いっぱいいっぱい、愛されたいのさ。無償の愛じゃなくて打算的だけど、かけた分の愛情を俺に返してくれる女性が好きだって言ったのは、そういうことさ」
「やっぱり何となくですけど、わかりました。要するにご主人様に尽くせばいいのですね?」
「そうだね。ムームー、君は苦労を知っている女の子だ。仕事の一環だったにしても、君はあの村で、しっかり俺をもてなそうとしてくれた。自分が受けた待遇の分、しっかり働こうとしていたからね。成り行きによる部分がないとは言わないけど、君を連れて帰ったのはそれが理由さ。君に色々なことをしてあげたら、愛情で返してくれるんじゃないかなって思ったのさ。もちろん無理強いはしないし、こんな俺だけど――ムームーさえ良ければ、奥さんになってくれないかい?」
俺の台詞を黙って聞いていた彼女は、しばしの沈黙の後、突然くしゃりと顔を歪ませて泣き出した。慌ててハンカチになるような布を探す俺である。
「すごく久しぶりに、苦労してるねって、言われました。最近は、父も言ってくれなくなりましたから。本当はもう、大して感謝もされてないのかなって、ずっと思ってたんですけど、他にやれることもなくて」
懐布を買い忘れていたことに内心舌打ちをしつつ、俺はムームーを抱き寄せた。
俺の胸の中で、堰を切ったように泣き出す彼女である。隣室の人の迷惑にならないか気を揉んだが、それを口に出すのは野暮というものであろう。許せ隣室の人。
とにかく、どうやら俺は、無事にこの世界で一人目の女の子を口説き落とすことに成功したようだった。
俺が例の地震騒ぎに遭遇するのは、その翌日のことである。




