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盤台哲雄 6

 僕がこの世界へ転生してから二週間が経とうとしていた。


 あのシェルという少女と戦って以来、ルンヌという忍者を含めて他の転生者とは一切出会っていない。草原街グラスラード以外の街では今頃、転生者同士の熾烈な争いでも起きているのかもしれないが、僕たちのいる街は平和そのものだった。


 そんなある日のことである。

 

「一体どうしたいんだい、カエデ、これは」

 

 夫婦揃って宿の朝食を摂った後に自室に戻った僕たちであったが、カエデが見せたいものがあると衣装入れとして使っている木製のチェストから取り出したものは、一着の和服であった。


 帯を締めるようなワンピースの着物ではなく、上下に分かれた甚平のようなデザインである。甚平や浴衣の類は藍染めが基本であるが、この服も例外ではなく全体的に淡い青色である。


「あなた様が眠りについた後に、手遊びで縫いました。どこへ行くにもトーガを着させているようでは、撫子なでしことしての面子に関わりますもの」


 僕が寝静まった後に、手縫いで和服を縫ってくれたという話を聞いた僕は、がばとカエデを抱きしめた。僕は果報者である。


「ありがとう、カエデ。着てみてもいいかい?」


「もちろんでございます。採寸が違っているといけませぬゆえ、袖を通してみてくださいな」 


 一通りキスの応酬をした後、僕はカエデに言われるがまま、甚平に袖を通した。


 生地は木綿なのか、さらさらとして着心地がいい。下半身も着物のような一枚布ではなく、ズボン状になっていて片足ずつを通していくタイプだった。


 腰の部分だけ、左右に布が余るように縫われており、前で結べばベルトがわりにもなる。紅葉切を懐に差し込んでおくこともできそうだ。


「浴衣のようにしようかとも思ったのですが、戦場では足を取られて動きにくいかと思いまして。履けるように致しました」 


「うん、とてもいいよ。今までのトーガよりも動きやすい。それにしても、よく藍染めなんてできたね? こちらの世界の仕立屋では染織も請け負ってるのかい?」


「いいえ、どうしても染め物ですと色落ちが出てしまいますから。元から青に染めた布玉を購いまして、それで縫っただけで。恥ずかしゅうございます」 


「とんでもない。嬉しいよ、カエデ。大事に着るね」


「大袈裟ですよ、あなた様。普段着ですもの、手荒く扱うぐらいで丁度良うございます」 


「そんなことはないさ、しっかりと最後まで着潰すよ」


 日本人は物を捨てすぎるようになったと僕は思う。僕の小さい頃は、穴の開いたズボンや靴下は、つぎはぎを当てて丈が合わなくなるかボロボロになるまで履き潰したものだ。それが物への感謝であり、生産者への礼儀だと僕は思う。


 もっとも、バブル時代にも物を大事にしない成金はいたというから、人は豊かになると驕ってしまうものなのかもしれない。


「妻としては、夫に着飾って頂きたいと思いますから、素直には頷きかねますけれど――そう言って下さること、嬉しゅうございますわ。物を大事になさる旦那様で、カエデは果報者にございます」


 再び、ひしと抱き合う僕らであった。


(そういえば――)


 カエデを抱きしめつつ、肩口に顔をうずめて彼女の匂いを嗅ぎながら、ふと、先週に僕が殺害した少女のことを思い出す。二丁拳銃使いで、確か名前はシェルと言った。


 ある意味では、彼女もまた、平和な日本に生まれ育つという豊かさに驕っていたと言えるかもしれない。最後には助命を請うたが、犯されはするものの命は助けられて当然のように思っていたような気がする。


 他者に武器を向けるという行為の取り返しのつかなさが、彼女には果たしてわかっていたのだろうか。






「そういえば、あなた様。一つ提案があるのですが、旦那様が振るう刀を買いに行きませぬか?」


 しばらくの間、思うままに触れ合った後に、思い出したかのようにカエデは口を開いた。


「僕が使う――? 前に言っていた、二本目の精霊契約のためにってことじゃなくてかい?」


 カエデは首を振り、それもございますが、あなた様自身が使う刀です、とはっきり言った。


 僕を戸惑った。

 僕は武道の類をたしなんだことはない。一時期、剣道を学ぼうかと思ったこともあるが、振り回せるのが真剣ではなく竹刀であったことから剣道部の門を叩くことはなかった。


 せいぜい、体育の授業で必要最低限の剣道を習ったぐらいである。


「出過ぎたことを申し上げますが、付け焼刃の刀術では戦場いくさばでは役に立ちませぬ。慣れぬ刀を振り回すぐらいなら、魔法に専念なさった方が良いと存じます」


「僕もそう思うよ。それじゃあ、なんで新しい武器を買えなんて言うんだい?」


「一つには、先ほども申しましたように新たな精霊契約の依代として。いま一つを語る前に、妻としてお聞きしたいことがございます」


 すっ、とカエデは正座した。あらたまった話があるときなど、カエデは必ず姿勢を正す。そのままだとカエデを見おろすようになってしまうので、僕も彼女に倣って正座した。


 椅子を横目に見ながら、絨毯の敷かれた木の床に正座をするのは、どこか滑稽だといつも思う。

 玄関で靴を脱ぐ習慣はこの国にはないが、僕たちは部屋の入り口で靴を脱ぐようにしているので、そこまで床が汚れているというわけではないから、衛生上は気にならないのだが。


「あなた様は、人を殺めることがお好きでございますね? それも、御自ら手を下されるのが」


 急に、核心を付かれた気分だった。言葉が出てこずに、僕は黙り込んでしまう。


 カエデに、僕の性癖を語ったことはない。刃物が好きだということは知っているが、人を刃物で殺害しないと欲情できないという性癖は知らないはずだった。


 カエデは様々なことを知っていた。身動きできぬ短刀であったころの記憶が今でも残っているらしい。目も耳もない脳もない無機物の金属でありながら、自分の周りで起きたことはすべて覚えており、僕の死とともに神様の特典によってリングワールドに召還されてからも、地球での出来事を思い出すことができたというのだ。


 しかし、僕は日本で住み暮らしていたころも、自分の黒い欲望を彼女に語ったことはない。取り置きの代金を払うために、毎月一回訪れていた古美術商で眺めているだけだったし、満額を払い終えて彼女を手にした後も、すぐさま僕は自殺してしまったから、僕自身のことを彼女に語る機会などなかったのだ。


 それなのに、彼女は僕の性癖を見抜いている。


「うん。好きだ。日本で住んでいたころは我慢してたんだけどね。罪に問われなければ、例え何百人だろうと喜んで殺して回ると思う。軽蔑したかい?」 


 自分の悪癖を告白し、カエデに嫌われるかもしれないと想像することは、とてつもなく恐ろしかった。

 自分の夫が快楽殺人者であると知って、恐怖を感じない妻が果たして世の中に一人でもいるのだろうか?


 しかしそれでも、僕は彼女には誠実でありたかった。

 嘘を吐いて誤魔化したくもなかったし、誤魔化せるようにも思えなかった。


「罪の意識を感じておられますか?」


「正直に言うとね、ないんだ。罪悪感に苛まれたことはない。例えば先日の女の子を殺めたときも、前途ある若者の将来を閉ざしてしまうことは少し胸が痛んだけれど、それは微々たるもので、殺していいんだっていう嬉しさが圧倒的に勝つんだ。実際に彼女を刺したときも、僕は興奮してしょうがなかった。手に残る、刃物で人を刺し貫いたときの感覚がたまらないのさ」


 僕は淡々と語った。じっと僕を見つめてくる黒い瞳が、僕を拒むのではないかと怯えながら。


「よくわかりました。ですので、やはり二本目の刀を購いに参りましょう。とどめを刺すために、わざわざわたくしを使うのは効率が悪しゅうございますから」


「ん?」


 僕は首を傾げてしまった。てっきり人殺しの習性を糾弾されるのかと思ったら、殺害用の二本目の武器を買えと勧められた。


「戦場で最も危険なのは、首を取るときでございます。組み伏せた首を刈ろうとするときに、横合いから襲われて命を落とす武者が多いと聞き及んでおります。それゆえ、あなた様がご自身で振るわれる武器をお持ちであれば、私は自身の刀を自由に扱えますゆえ、横槍をすべて防いでご覧に入れまする」 


「うん、それはいいんだけど、論点が違わないかい? 僕はてっきり、人殺しを非難されるとばかり思ってたんだけれど」


 カエデはきょとんとした顔つきになって、それから牡丹のように微笑んだ。


「人斬りを楽しむ武士もののふや武芸者など、珍しくもございませぬ。それは確かに悪い癖だとは思いますが、だからといって、あなた様にとって必要な行為なら止めたりは致しませんし、むしろ率先してお手伝い致しますとも」


「そうかい? 僕はカエデに気持ち悪がられると思ってたよ。怖くて仕方がなかった」


 僕が安堵のため息を吐くと、カエデは真顔になった。


「わたくしはあなた様の妻でございます。あなた様が修羅道に落ちようとも、共に歩み、支えて参りますわ。地獄の底までご一緒したいと思っておりますのに、あなた様に信じて頂けないのは、悲しゅうございます」


 僕は少なからぬ衝撃と感動を覚えた。僕から彼女への愛は揺らぐことなどないし、疑う余地もない。しかし不覚ながら、彼女からここまで愛されていると思っていなかったのだ。

 一方的に注ぐだけであった愛情が、それ以上に大きな愛となって返ってくるこの喜びを、どう表現したらいいだろう。


「何でもお話し下さい。あなた様がどれだけ汚れようと、血に手を染めようと、わたくしはあなた様の妻でございます。当世風に言うと、愛しておりますわ――」


 みなまで言わせなかった。

 気づいたら、僕は彼女を抱きしめていた。強く、強く。

 己を受け入れてもらえるということが、これほどに幸せな気持ちをもたらすのだと、僕は初めて知ったのだ。


「まだ、日も高うございますのに――」


 気づけば、僕はカエデの帯を解いてしまっていた。

 すぐそばにベッドがあるというのに、床に彼女を押し倒している。


「僕はね、自分のことをずっと、人を殺さないと欲情できない欠陥品の人間なんだと思っていた。でもね、僕は今、カエデが欲しくて仕方ない。君を抱きたいんだけど、いいかい?」


 すっかり、僕の下半身は屹立していた。痛いほどに。


「ご存分に――あなた様に求められるのは、嬉しゅうございますわ。いちいち念を押さず、いつなりともお抱き下さいませ。私は、あなた様の妻でございます」


 カエデの両腕が、僕の頭を包みこむように回される。

 僕の耳元で、激しくなさっても大丈夫ですよ、とカエデがぼそりと呟いた。


 カエデの胸元に顔をうずめながら、僕は年甲斐もなく、猛った。








「おお、おおおおお」


 きっといま、僕の目は漫画みたいにキラキラ輝いていることだろう。


 短剣、長剣、長柄武器、鈍器、盾、鎧、兜、ありとあらゆる戦いの道具としての鉄の塊が、眼前に広がっている。

 すべて実用的な造りになっていて、余分な飾りが少ない無骨さが素晴らしい。


「あの、あなた様。よだれが。流石にちょっと恥ずかしゅうございます」


 ハンカチのような懐布で口元を拭われたので、僕は赤面する。

 三十四歳にもなって人前でよだれを垂らして拭いてもらうなど、どう考えてもダメな人だった。


 しかし、あえて言おう、許して頂きたい。


 一般人にとってはただの鍛冶屋――正確には工房と隣接した売店のようなところであるが、これは僕にとっては、美女があられもない姿を晒しながら所狭しとくつろいでいる大浴場や、あるいは高級風俗店で際どいランジェリーしか身に着けていない女の子たちが「買ってぇ、私を買ってぇ」なんて流し目やらウィンクやらでばちんばちん僕を誘ってきているようなものである。


 生前、日本にいたころに、同僚やら部下がそういった店に行ったときのことを、にやにやと話しながら盛り上がっているところに何度か遭遇したことがあるが、異性の身体に興味がなかったせいでろくに話に付き合ってやらずに流してしまったことを僕は後悔し始めた。


 この感動、この素晴らしさ、一回でも体感してしまったならば、誰かに話したくなって当然である。誰かに自慢し、その良さを喧伝したくなって当たり前というものではないか。すまん鈴木、今なら僕もお前の話に付いていける。あれは良いものだ。


 ここは桃源郷であり、僕にとっての夢の地である。


 インターネットで収集した武器の写真や、参考書に載っているイラストなどで妄想するしかなかったありとあらゆる刃物の実物がここには揃っているのだ。きっと一般人で例えるならば、せっせと集めたエロ画像がとつぜん実物となって目の前に現れたかのような、強い強い感動である。


 さあ行かん、未知なる楽園へ。いざ飲まれよう、幸せの大渦に。

 父さん、母さん、テツオは今日、獣になります――!



「あなた、あなた様。落ち着いてください。あなたったら」



 ゆさゆさと全身を揺さぶられつつ頬を叩かれたことで、僕は我に返った。

 見れば、カエデが困惑した表情で僕の襟元をつかんでいた。片手が紅葉切の柄に伸びていたので、僕は間一髪のところで正気を取り戻したらしい。生前の死因が今生の死因にもなってしまうところであった。


「あ、ああ。すまない、取り乱したね。もう大丈夫だ」


 僕が何とかその場を取り繕うべく咳払いをすると、カエデはやれやれといった体でため息を吐いた。


「あなた様にはでりかしぃが足りませぬ。刃物を愛するあなた様をここに連れてくるのは、わたくしにとって側室をお勧めするような物でございますよ? 恨みがましく申したくはございませんが、もそっと構って頂いてもばちは当たらぬと思いませぬか?」


「すまなかった、カエデ。もちろんだが、僕にとっては君が一番だとも」


 ひしとカエデに抱きついてみるも、反応が悪い。いつもなら抱き返してくれるのに、今日は棒立ちである。


「女遊びが露見したときの藤四郎どのと言うことがまったく同じです。はあ、殿方はいつの時代になっても」


 くそっ、吉光の野郎、要らんことしやがって。ご機嫌取りが通じなくて大変じゃないか。


「で、お取り込み中のところ悪いんだがね。あんたらは何しに来たんだ。営業妨害か?」


 はたと気づいて声のした方を見ると、風格のある中年の鍛冶職人が、鉄粉で汚れた前かけの胸で腕を組みながら、冷ややかな視線で僕らのことを眺めていた。明らかに迷惑であると目が語っている。








 一時間ほど時を遡り、僕とカエデが真昼間からいたしてしまった身体を拭い清めた後のこと。


 ここ草原の街グラスラードにはいくつかの鍛冶屋があるそうだが、放蕩息子の里帰り亭の女将、パルマ未亡人に聞いてみたところ、茶を啜りながら色々なことを教えてくれた。

 彼女いわく、ゴーヴ派の店ならば外れはないという。


「ゴーヴ派というのは、一門みたいなものですか?」 


「ええ。初代のゴーヴ氏は、弟子を厳しく仕込むことで有名な方でございましてね。その伝統を継いでいるので、見習いを卒業して自分の店を持って独立するお弟子の方も、それはしっかりするお仕事をなさるそうですよ。何でも、かなり腕が良くないと独立を認めてもらえないとか」


 なるほど、徒弟制度か。人から人へ技術を受け継ぐ職人の世界ならば、さもありなんである。


「当代のゴーヴ氏は、独立したお弟子さんの店をときおり抜き打ちで視察するようですね。素行が悪かったり、腕が落ちていたりすると、容赦なく一門衆の名乗りを取り上げるのだとか。そういった店は客足が遠のいてすぐに潰れますので、武器をお探しならゴーヴ派を名乗る店に入れば間違いございませんとも」


「厳しいものですね。そのおかげで、我々消費者――客としては粗悪なものを掴まされずに済むのでしょうが。予算はいくらぐらいあれば足りるでしょうか?」


 ずず、とパルマ未亡人は茶を啜った。


 僕とカエデにも、彼女は茶を出してくれる。転生に関する事情はぼかしてあるが、彼女が僕と契約した精霊だということは彼女にも伝えてあり、一個の人間としてカエデを扱ってくれる。


 宿の経営は話し相手に困るもので、と彼女自身が言った通り、色々とこの世界の常識に疎い僕が世間話を兼ねて質問に伺っても、嫌な顔一つせずに彼女は茶を淹れてくれるのだ。


「はて。ドルタスが兵士になれると決まったときは、両刃剣ショートソードを息子に贈りましたが、そのときは100,000ゴルドほどだったかしら? 槍と防具は支給されるらしいので、護符がわりに買い求めたのですが、素人目にも良いものでしたよ。他の街と比べても、そうお値段が張るということもないと聞きますし」


 ゆっくりと喋るので、パルマ未亡人と話すときは結構な時間が過ぎてしまうのだが、僕はそれが嫌ではなかった。彼女の身にまとっている落ち着いた空気に浸り、ともに茶を啜ってくつろぐのは、ともすれば最高の贅沢なのではないかと思うことがある。


 カエデもそれは同様なようで、和服で椅子に座りながら紅茶を啜る顔は、うっすらと微笑んでいた。


「ショートソードで十万か。どんな武器を買うかは決めてないけど、全財産持ってこうか」


 僕の所持金は約600,000ゴルドである。日本円に換算すると約二倍の価値であるから、百二十万円だ。十日あまりで稼いだ額としては、この世界の人々と比べると破格であろう。


 特典による魔法スキルと、同じく精霊魔法で契約したカエデの技能があって初めて為せる稼ぎである。


「道中、お気をつけて行ってらっしゃいませ。首都の方で、何やら物騒な事件が起きたらしいですから」


「物騒な事件、というと?」


 首を傾げる僕に、パルマ未亡人は声をひそめながら教えてくれた。


「何でも、頭がおかしくなってしまった魔術師が、人の集まっていたところで魔法をやたらめったら使ったのだとか。結構な被害が出たようで、首都では修復にかかりっきりだとか――」








「いや、誤解だ。ここの武器があまりにも素晴らしかったもんで、つい錯乱した。申し訳ない」


 謝りつつ、少しおだててみたのだが、嬉しくもなさそうに腕組みした職人はふんと鼻息を吐いた。


「てめえみたいなヒョロっとしたやつに褒められても嬉しくも何ともねえよ。どうせ剣なんざ振ったこともないんだろう? 不断草アイデアルみたいな細い腕に平べったい胸板ときた」


 ほうれん草に似た、丸みを帯びた皺のある葉野菜を僕は思い浮かべる。

 ファミリーレストランでの接客業とはいえ、仕事の過程で最低限の筋肉は付いていると思っていたが、職人の彼から見れば、戦士としてはまるで落第なのだろう。確かに、剣など振ったこともない。


「次に騒ぎを起こしたら叩き出すぜ。冷やかしなら帰んな」


 のしのしと、職人の彼は店の奥へと去っていってしまった。鍛冶の作業に戻るのだろうか。もしかしたら刀剣類を打っていた最中だったかもしれないし、仕事の手を止めさせたことは事実だったので、後ろ姿に深く一礼して詫びる。


「静かに見ようか、カエデ。僕が悪かった」


 はい、と二人して囁き声になり、店の中へと歩を進める。

 他の客や店員からの不躾な視線を時たま感じるが、身から出た錆ということで甘受せざるを得ない。


「ふむ、かねが分厚いな」


 とはいえ、そこは刃物を愛する僕のことである。

 購入する品を探すべく数々の刀剣類をじっと眺めるだけで、僕は没頭していられた。他人からの視線など、気にしている暇はない。


「手に持って眺めても?」


 商品に触れる許可を店員に貰ってから、僕は机に並べられている一本の剣を手に取った。


 展示台を兼ねている机には、文鎮のような置物で羊皮紙パピルスが固定されていて、黒のインクで商品の説明が書かれている。長剣ロングソード、魔物用、はがね製、刃渡り92cm、重量2800グラム、短鍔ショートガード、当店の一番人気、であるらしい。


「重いな」


 スペック上は3kgもないはずなのに、片手で持つとずっしりと鉄の重みを感じる。振り回せないほどではないが、ペットボトル二本分にも満たない剣がこうも重いとは思わなかった。


 造りも、僕の知っている地球のロングソードよりも頑丈に、分厚く出来ている。

 刀身の幅は、指二本から三本の間ぐらいで、中央付近の厚みは指一本分ほど。軽量化の工夫もなされていて、刀身の中央は溝のようにへこんでいた。


「魔物を相手取るために、頑丈に作ってあるのか」


 元いた世界で普及していたロングソードと比べると、この世界のそれは分厚く重い。中世ヨーロッパにも分厚いロングソードは存在したが、それは質の悪い鉄の耐久性を底上げするために仕方なく重く厚く作っただけであって、質の良い鋼が手に入るようになった後期のものになるほど刀身は薄い。


 しかし、この店のロングソードは、良質な鋼をふんだんに使っているにも関わらず、分厚いのだ。きらりと白く輝く刃の光。良いかねである。この重さ、この鉄、一体どれほどの切れ味を誇ることだろう。鍔が短いのは、きっと対人用ではなく、刃物同士の斬り合いを想定していないからだろう。


 僕は、次の刃物を観賞すべく、息がかからぬように口元を押さえていた布を外し、長剣をそっとその場に戻した。手の脂が移らないように、ちゃんと布で柄を巻いてから握っていた。


「あなた様、あれなんて格好良くないですか?」


「お、カエデ、やっぱりそう思う? 日本にはほとんどなかったタイプの剣だからずっと気になってたんだけどさ、お楽しみは後に取っておこうかと思ってたんだ」 

 カエデが指差した先に鎮座しているのは、一本の両手剣ツーハンデッドソードである。

 例えばブランド品のバッグを売るような店でも、高級品は見栄えの良い棚などに飾られるように、その両手剣は机の上には並べられておらず、わずかな傾斜を持って作られた店の壁に立てかけられていて、つばの左右に輪のような鉄の止め具をはめて固定されていた。


 僕たちは、その両手剣の前に移動する。


「いいよなあ、浪漫だよなあ。こういうの。たまんないなあ」


 もはや僕の両頬はゆるみっぱなしである。 


 剣の全長は170cmぐらいだろうか、僕の身長とほぼ等しい。ロングソードと比べると、倍近くも長いために、通常よりは分厚く作られているはずの刀身すら細く見える。


 それでも間近に寄ると、先ほどのロングソードよりも一回りは刀身の幅が広いのがわかる。ロングソードよりも長く、ロングソードよりも分厚く幅が広い。一体どれほどの重さになるのだろう。


 両手で握るために、柄も長く、鍔もわずかながらに長いが、記憶の中にある地球のものと比べると、鍔が短い分、十字架ではなく一本の直線のように見えてしまう。


 これほどの大きさになっては、もはや腰で吊ることもままならないだろう。

 背中に両手剣を背負って歩く自分の姿を想像して、僕はうっとりした。


 正直なところ、今すぐにでも欲しくてたまらないが、ぐっと我慢する。お値段も大したもので、550,000ゴルド。百十万円だ。全財産をはたけば買えなくもないが、購入しない理由はそれではない。


「なんでえ、まだいたのか。しかも見てるのがよりによってそれたあな。そいつは別名、未熟者の剣だ。世間知らずで冒険者志望のガキが真っ先に見入るのがその一振りだからな」


 ふと横を見ると、先ほどの職人が再び腕を組んでいた。作業がひと段落したのだろうか。やはり、不機嫌そのものといった顔でこちらを睨み付けている。


「大方、でかくて長い剣に憧れたんだろうよ、お前もその口だろう? そんな扱いづらい剣を喜んでもてはやす奴の気が知れねえ」


 先ほど店を騒がした引け目もあったので、文句を言われるようならば大人しく退散しようかと思っていたが、彼の言に僕はかちんと来た。こいつは今、僕の前で両手剣をけなしたのだ。


「この店の所有物なのかもしれないが、両手剣をけなすのはやめてもらおう。確かにこれは習熟の難しい剣だが、射程を活かして槍のかわりに突く、力任せに叩きつけて体勢を崩す、その切れ味で強引に鎧を切断する、ちゃんと使いどころのある優れた武器だ」


 僕の言葉が意外だったのか、職人の彼は片眉を上げて怪訝そうな顔をした。


「素人かと思ったら、意外と物を知ってやがる。それじゃあ、その剣が良い物だってのか? どうせ買う金もない冷やかしなんだろうが」


 僕は静かに首を振った。僕のその様子を見て、職人の彼は興味をなくしたようで、なんでえ、と言いながら去ろうとする。


「勘違いしないでくれ。買おうと思えば金はある。ただ、この剣は低品質だ。職人の腕の悪さを、両手剣そのものへの侮辱にすりかえるのはやめてもらおう」


 僕の言葉に、去りかけた職人の足が止まった。こちらを振り向くその顔は、憤怒に染まっている。僕らのやり取りは店中に聞こえているので、店員や買い物客は隅の方でこちらを遠巻きにしている。


「いま、聞き捨てならない台詞が聞こえた気がするが。お前、職人の腕が悪いと言ったのか?」


 完全に怒り心頭といった体の彼であったが、僕もこと刃物に関しては引く気はない。たとえこの店を追い出されたとしてもだ。


「その通りだ。訂正する気もないからもう一度言うが、両手剣は悪くない。鍛冶の腕が悪いだけだ」


「面白え。その剣のどこが悪いか言ってみろよ。見当違いだったらそれなりの報いは受けてもらうぜ?」


 鍛冶仕事で鍛えたのか、筋骨隆々とした両腕をいからせ、指をぼきぼきと鳴らす彼である。


「簡単なことだ。この剣は、使っている鋼の質が悪い。いま並んでいる他の剣と比べても、明らかに一段落ちる。材質自体は同じ鉄鉱石から作っているようだから、鋼を鍛えた職人の腕が悪いのだろう」


 この両手剣に使われている鋼は、どこか清冽さに欠ける。うっすら曇っているというか、いまいち輝きがボケてしまっているのだ。それは磨きとか、砥ぎの問題ではない。


「ついでに言うと、剣を鍛えたのも同じ人かな? 全体的な姿がぎこちないというか、剣を鍛え慣れていない人間が打った習作に見える。優れた職人が打った刀は姿に統一性が感じられるものだ」


 あくまでイメージであるが、熟練の職人が打った刀は、一つの目標、完成形の姿に向かって無駄なく作られていくのに対して、未熟な職人が打った刀は、途中であれもこれもと寄り道をし、全体像があやふやになりがちなのだ。


「しかし、それでいながらこの両手剣は、実は悪くない。駆け出しの職人が、自分の持てる力を駆使して、自分の理想となるような剣を追い求めながら作ったような、微笑ましい一振りだ。仕事に未熟なところはあっても、投げやりなところはどこにもない。未熟ながら精一杯の気合を篭めて作られた、実に味のある一本だと思う。僕の感想としてはそんなところだが、どうだい?」


 僕が語っている相手であるはずの職人の顔からは、いつの間にか紅潮と青筋が消えていた。

 すっかりしょげているというか、真顔になってしまっている。 


「ついでに――これは剣の目利きとは関係のないことだが。あんたがこの両手剣を見る目は、どこか優しい。多分、これはあんたが鍛えた剣だろう? 柄や鍔の劣化からして、かなり昔に打ったもののようだが」


 はあ、と大きくため息を吐いて、彼は頭にかぶっていた手ぬぐいのようなものを取り、刈り込んだ茶色の短髪をがしがしと掻いた。


「参ったな。てっきり剣を知らんやつだと思ってたが、そこまで見抜かれたのは初めてだ。奥に来いよ、茶ぐらい出してやる」


 僕とカエデは顔を見合わせたが、特に断る理由もなかったので、のしのしと店の奥へと姿を消した彼の後に付いていく。周囲の客が僕らを見てひそひそ声で何やら話しているのは相変わらずだが、精算所を兼ねたカウンターの中から僕らを眺める店員の態度は少し変わっていて、軽く会釈をされた。





 店の奥にあったカウンターの脇を通り、関係者以外立ち入り禁止の看板がぶら下がった扉を開けると、通路の両脇にいくつかの扉があり、正面には広い空間があった。左右の部屋には、備品置き場や倉庫と乱暴な文字で殴り書きのされた看板が懸かっている。


「よいせっと。ここから奥は従業員の寝泊りする部屋と、工房だ。ここいらが応接間っつうか、まあ俺らがくつろいだり、客人が来たときはもてなす広間になってる。まあ、座んな」


 通路正面の広い空間に来るなり、ソファの一つに、彼はどかりと腰を降ろした。円形に並べられたソファの中心には、これまた大きな机が置かれている。


 僕とカエデは、机をはさんで彼と正面から向かい合うようにソファに腰かけた。


 茶ァ、と工房の方に向かって職人の彼が一声怒鳴ると、奥の方から転げ出るように若い職人が現れた。どうやら彼が僕らの湯茶を用意してくれるようだ。


「さっきは絡んで悪かったな。俺はゴーヴ・オットーだ。ゴーヴって呼んでくれて構わねえ。当代のゴーヴと言やあ、俺のことだ」


「ほお。あなたが親方でしたか。私はこの街に来てから日が浅いのですが、弟子をしっかり指導する厳しい親方だと聞いていますよ。この街で武器を買うなら、ゴーヴ一門の店で買えば間違いがないと」


「それがうちの一派の伝統だからな。先代から躾けられたことを忠実に守ってるに過ぎねえから、別に褒められることじゃあねえ。そんなことより、さっきはあんた呼ばわりだったのが、急に馬鹿丁寧な口調になりやがって、一体どうした? 気持ち悪いぞ、ゴーヴって呼び捨てで構わねえよ」


 大急ぎで運ばれてきた茶を、礼一つ言うことなくずずっと啜るゴーヴである。


「これが素の喋り方ですよ。以前は料理店の店長をしてましてね、接客時の癖がついてしまって、他人と喋るときはいつもこんな感じです。さっきは興奮して口調が荒くなりましたがね」


「まあ、無理してねえならいいや。たまにいるんだ、ゴーヴって名前を聞くと急にへりくだり始めるやつが。肩書きで態度を変えるようなやつは信用ならねえ」


 どかっとソファに座って大股を開き、バスローブのような一枚布の服をはだけ、大柄な肉体に相応しい腹筋を見せびらかしながら、ゴーブは茶をずずっと啜る。

 茶の味がわかっているのかどうか、乱暴な吸い方というか、啜り方であった。


「僕は比較的、肩書きに弱い人種だとは思っていますが。それとは別の理由で、あなたには敬意を払っていますよ、ゴーヴ。あの両手剣を鍛えたのがあなたなら、あなたはきっと真っ当な職人なんでしょう。今なら、あなたの性格まで何となくわかる気がしますよ」


 まず、一本気で向上心に溢れている。あの両手剣は、技術が未熟だった時代に、一念発起して打ち上げたものなのだろう。

 大胆に槌を振るうべきところと、繊細に仕上げなければいけないところの切り替えができる。

 彼はがさつに見えて、意外なところで細やかな気配りができる男のはずだ。

 また、一度手がけたことは、最善を尽くして最後までやり遂げようとする男のはずだ。あれだけの剣を打てる職人ならば、自らの技術が未熟であり、打っている剣が完璧とは程遠いこともわかるはずなのに、仕上げに至るまで手を抜いた様子はない。当時のベストを尽くしたのだろう。


 僕がこうなのではないかという推論を話すと、意外にも彼は赤面し、照れ隠しに音を立てて茶を啜った。


「やめろい、恥ずかしいな。確かにありゃあ、見習いだったころに、一通りの技術を覚えた俺が、初めて師匠から鍛冶場で剣を打つことを許されたときの一本だ。気合入れて打ってみたものの、どうにも師匠みてえに綺麗に打てねえ。それでも最後まで付き合ってやろうかと必死に槌を振るってな、出来上がったあの剣を師匠に見せたら、あんたと同じようなことを言われたよ。腕未熟なれど見所あり、ってな」


 少し、当時を懐かしむような微笑を浮かべて、ゴーヴは続けた。


「そんときの師匠――先代のゴーヴの言葉を励みにずっと修行して、ようやく自分でも一人前かな、と思えたころに師匠は引退して俺を当代のゴーヴに指名したのさ。あの剣は、初心を忘れねえようにと、ああやって目立つところに飾ってある。未熟者の剣と名付けたって言ったが、その未熟者ってのは俺のことさ」


 武器の目利きもできねえ新人がでかさと派手さに惹かれて寄ってくのには笑ったがな、とゴーヴは破顔した。


「まあ、この店の名物みたいなもんだ。それにしてもあんたにゃ驚いた、どこでその目利きを覚えたんだ? あそこまで的確にかねの質から鍛え方の癖まで見抜かれたのは初めてだ。あんたが冒険者にゃあ見えねえって言ったのは嘘じゃねえ。学者みてえに綺麗な手をしてる、武器なんざ握ったこともねえだろうに。刀でも商ってたのか?」


 どこまで彼に伝えようかと、僕は一瞬悩んだものの、自らの鑑定眼を信じることにした。

 刃物を愛する僕の勘が、彼は信用すべき人物だと告げている。ある程度ならば話しても問題ないだろう。


「僕はね、刃物が好きなんですよ。人斬りも大好きです。一言でいえば、変態ですね」


 特に驚いた様子には見えなかったが、関心は示したようで、僕を覗き込むように茶を啜りながら、続けて、と彼は呟いた。


「僕の故郷は平和なところでして、武器の類を持っている人はほとんどいません。

せいぜい、日用品の包丁やのこぎりを所持しているぐらいでしょうかね。そんなところで生まれ育ったにも関わらず、なぜか幼いころから僕は刃物が好きでした。愛していると言ってもいい。色々な文献を調べたり、古今東西の武器が現存していたらそれを見に行ったりね。目利きができると先ほど仰って頂きましたが、下手の横好きのようなもので、刃物の良し悪しはある程度見分けられるようになったというところです。専門的なことになると、そこまで詳しいわけではないのですが」


「わかるぜえ、俺なんかも多分そうだ。ガキの時分に、火と鉄に魅せられちまった。親に相談もせずに鍛冶場に飛び込んで、気づいたらこの歳よ」


 歳は四十の半ば頃といったところだろうか、ゴーヴは活力に満ち溢れた頬をぺちりと叩いた。


「僕が、この大陸とはまったく違う、魔法のない世界から来たと言ったら信じます?」


 さらりと言ってみた。信じるか信じないかは彼次第だが、正直に言ってみてもいいかなと思う。


 脇でカエデが息を飲むのが伝わってきた。捕まって研究対象やら見世物にされるのも嫌だし、極力隠していこうと話し合っておいたので、僕がこの話を切り出したのが意外だったのだろう。


「そりゃ無理だ、信じられねえ。マナや魔法がない世界なんざ想像も付かねえよ。でもよ、多分本当なんだろうなってのはわかる。隠し事を白状してくるときの弟子の顔にそっくりだからな」


 快活にゴーヴは笑った。つられて僕も笑ってから、傍らのカエデをちらと見る。


「カエデ、すまない。彼に紅葉切を見せてあげてもいいかい?」


「ご随意に」


 物質化の魔法を唱え、カエデを短刀の状態に戻す。

 ゴーヴからしてみれば、突然淡い光が広がり、収まったかと思うと連れの女性が消えていた、というところか。


 彼は目を白黒させていたが、僕が懐布にくるんで差し出した短刀を見るなり、眼の色を変えた。


「僕の妻だ。丁重に扱えよ?」


 鞘から抜いた状態で、逆手にもって差し出した紅葉切を、彼は片手でむんずと受け取った。荒々しく見えるが、刃物への敬意は忘れていない丁寧な手つきである。


「なんだ、これは?」


 彼の口調には、隠すことなき驚きの念が篭められている。


 部屋の天井から提げられたランプの光に透かしつつ、色々な角度から彼は刀身を食い入るように見つめる。

 刃紋を眺め、刀身の厚さを調べ、指先で刃先に触れて鋭さを調べている。


「僕の故郷で作られている、伝統的な短剣だ。僕の妻でもある。先ほどの姿は、その刀に宿る精霊のようなものだ」


 ゴーヴは、信じられないものを見るような目つきで僕を眺めた。


「あれほどしっかりと姿が見える精霊っていうのも初めて見るが――それよりもこの短剣だ。カタナって言うのか? 片刃の短剣ってのも珍しいが、突くのも斬るのもできるんだな。いや、そんなことより鉄だ。最上級の鋼を使っているようだが、どうやったらこんな渦巻きみたいな美しい模様が出来る」


「それを作ったのは、八百年ぐらい昔の、僕の故郷の刀匠だ。名前の残っている、腕の良い刀匠だ。細かいことまではわからないが、作り方なら大体はわかる。後で教えようか?」


「ぜひ頼む。ぜひ作ってみたい。いや、これは面白いな。切れ味が凄まじくいい。

研ぎがいいのか? いや、違うな。鉄の質と、鍛え方の問題か。それに、とても軽いな。この軽さでこれだけの切れ味を出す剣が俺に作れるか? ううむ」


 すっかり紅葉切に見入ってしまったゴーヴに苦笑し、僕は咳払いを一つする。


「故郷の武器は日常的に持ち歩く品として作られた物が多くて、その短刀も守り刀、護身用として作られてる。平服同士での戦いを想定されてるから、軽くて切れ味が良いんだ。使っている鉄の量にしては、耐久性も高いって聞いてるよ。折れず曲がらず、故郷の自慢の伝統武器さ」


 ゴーヴは刃の峰に指を当て、弾性を確かめようとし始めたので僕はストップをかけた。


「後でまた見せてあげるけど、こっちの用事を先に終わらせてもらってもいいかい?」


 操作マニピュレイトで依代を動かす要領でマナを送ると、紅葉切はゴーヴの手を離れ、ふわりと宙を浮いて僕の手元に収まった。彼は未練がましく手をさまよわせている。


「あ、ああ。なんだっけ、武器がいるんだっけ」


「そう。僕が戦うための剣だね」


「後でその短剣のこと詳しく教えろよ、絶対だぞ――剣か、どんなのがいいんだ? 両手剣がいいなら、最近の俺が作った完品が実は倉庫に入ってるから、用意できるぞ? 短剣は――こいつを見ちまうと、自信を持って勧めるとは言い難いな。用途は同じでもだいぶ重くなっちまう」


「いや、あれを貰うよ。未熟者の剣」


 僕はさらりと言い切った。またもやゴーヴの目が驚きに見開かれる。


「なんでだ? 同じ値段でもっといい剣を用意してやるぞ? あんたの言った通り、あれは鍛鉄から当時の俺が手がけたから、使ってる鋼の質がちょいと落ちる。切れ味も、耐久力も劣るし、重心の位置が少しだけ手前にズレてるから慣れると振りにくいぜ?」


「重心の位置まではわからなかったけど、それでもあれがいいんだ。僕が刃物を愛してるってさっき言っただろう? あれは言葉通りの意味で、生身の女性を僕は愛せないんだ。あの両手剣は、美しさでは劣るものの、愛嬌がある。作り手から愛されて生まれた幸せに満ちている。あれを、持ってきてくれないかい?」


 まあ、そこまで言うならいいけどよ、とぶっきらぼうに告げて彼は立ち上がった。少し頬が染まっていたので、照れ隠しなのだろう。案外、純情な男である。


 自ら打った剣のことだから、弟子任せにせず自分で取りにいったのだろう。


「ほらよ」


 戻ってきたゴーヴが、未熟者の剣を差し出してくる。展示されていたときとは違い、長い刀身をすっぽりと覆う鞘がついていた。なんと、金属で出来ていて、銀色に光っている。


「どうせなら鞘も作ってみようと思って、当時の俺が作った鞘だ。保管に適した木の鞘の上から、銀板を貼り合わせてある。正直なところ、剣本体よりも出来が悪くてあまり見せたくはねえんだが。純銀だから錆びにくいが、衝撃には弱くて変形しやすいし、傷も付きやすいからな」


 やはり照れているのか、そっぽを向いたまま、おらよ、と受け取るように僕を急かす。微笑ましく思いながら僕が受け取ると、やはり長大な刀身に相応しく、ずしりと持ち重みがした。


 銀の鞘には、何と彫刻まで施されている。たどたどしい腕前ながら、柄の近く、鞘の根元あたりに、クローバーのような四葉の彫り物があった。


「対人用で使うなら長いガードに変えてやるが、どうする?」


 うーん、と僕は考え込む。対人用でも使うが、もちろん日常的な狩りに使うから魔物だって相手取るだろう。むしろ魔物と戦うことの方が多いはずだ。


「いや、このままがいい。魔物とだって戦うから」


「じゃ、そのまま持っていきな。刀身の根元付近――リカッソには刃を付けてないからな。何かしらの手袋さえしてあれば、リカッソを握って振り回すこともできる。叩きつけるように使えるぞ」


「わかったよ。ところで、出来れば鞘ごと欲しいんだが、あいにくと600,000ゴルドしか手持ちがない。鞘はいくらだい?」


「鞘ぐらいなら、タダでくれてやるよ。もともと商売するつもりのなかった剣だしな。カタナを見せてもらった礼として、剣もタダで持ってって構わんぞ」 


「いやあ、きっちりした仕事には相応の代価があるべきさ。敬意の分には少し安いかもしれないが、しっかりお金は払うよ。支払いはここでいいかい?」


 面倒くせえから後で精算所の姉ちゃんに払っといてくれ、と彼はぶっきらぼうに告げた。


 ふふ、その仏頂面がいつまで続くか見物である。


「驚くなよ?」


 にやにやと笑い出した僕に、不穏な空気を感じ取ったのか、眉をひそめるゴーヴである。 


「――契約コントラクト」 


 僕の最大MPからすると些細な量になってしまった25MPが、僕の身体から未熟者の剣に流れこみ、淡く光り輝きだす。ややあって光が収まった後も両手剣に変化はないが、彼が驚くのはこれからだ。


「――実体化マテリアライズ


 再びの、淡い光。両手を広げ、抱えるように剣を持っていた僕の腕が、あるときふっと軽くなった。

 契約は、成功だ。剣の状態から、実体化したことで、僕の腕から剣は消えている。



 

 光が収まったとき、そこには一人の女性が立っていた。大柄で、身長は僕と同じぐらいだろう。銀色の金属鎧プレートアーマーで、全身をくまなく覆っている。兜の面頬は上げていて、少し丸みを帯びた、そばかすの目立つ愛嬌のある顔つきと、左右に分かれた短い三つ編みの赤毛が覗いていた。


 彼女はびしっ、と敬礼の仕草をしつつ、きりっとした真面目かつ生気に溢れた表情で、ゴーヴに対して向き直った。



「お父様! クローベル、お嫁に行って参りまひゅ!」



 場に静寂が訪れた。クローベルと名乗った女性と、ゴーヴの顔がさあっと青ざめていく。

 どう声をかけていいか僕とカエデが迷っている中で、クローベルはかしゃりと面頬を降ろしてうずくまり、ゴーヴは手のひらを顔に当てて何やら呻いている。


「噛んだ、噛んではいけないところで噛んじゃいました――もうおしまいです、クローベルは恥ずかしくて生きていけません――お父様、先立つ不幸をお許し下さい。享年は0歳0ヶ月0日0時間0分42秒――儚い人生でしたね、わたし」


 よよ、と泣き崩れる彼女である。


 率直に言って、僕とカエデはドン引いてしまったので、彼女の為すがままにさせておいた。突っ込みどころが多すぎて、もはやどこから突っ込んでいいかわからなかったのである。


 クローベルと名乗った精霊は、抜き身の両手剣で頑張って喉を突いて自殺しようと試みているものの、あまりに刀身が長くてうまいこと切っ先を自分に向けられなくて四苦八苦している。挙句の果てに、バランスを崩して転んだ。


 よしんば上手いこと両手剣を地面に固定するなりして自殺を図ったとしても、僕は止めなかったかもしれない。だって精霊だから死んだところで二分経てば再召喚できるもの。


「何で、その名前を知ってやがる――」


 ゴーヴはゴーヴで、よくわからない理由で苦しんでいた。身悶えしていると言ってもいい。内から湧き上がる何かに耐えるかのように、顔を覆いながら、ふぐっ、などと呻いている。


 ややあってから、クローベルとゴーヴは、大きく息を吐いてほぼ同時に立ち直った。仕草が妙に似通っていて、血のつながりを感じさせる。自分が考えておきながら、この二人に血のつながりがあるのか疑問であった。


「あ、ちなみにクローベルっていうのは、お父様が当時片思いをしていた女性の名前です。その女性のことをイメージして、お父様は私をお作りになったんです。鞘の四つ(クローバー)も、名前が似てるからって、お父様がお彫りになったんですよー。四つ葉は縁起のいい植物ですから」


「やめろ、やめてくれ、恥ずかしい」


 娘を自称する女性から言葉責めにされて、再び手で顔を覆ってしまうゴーヴである。本当に恥ずかしがっているのか、手からはみ出ている浅黒い顔はイチゴチョコみたいな色に染まっていた。


「親子漫才の途中、真面目な話で割り込んですまないんだけれど。クローベル、君は僕と契約しても構わないかい? 僕と来ると、恐らく人殺しの道具として使われるよ?」


「はい、問題ありません! 先ほどから、お父様との会話を聞いておりました。ご主人様は、刃物が大好きで人殺しが大好きなド変態さんなのですよね? そんなご主人様であっても、わたしを見初めてくれて嬉しかったので付いていきます! でも、罪のない平民とか赤ちゃんとかを手にかけるのは嫌なのでそのときはサボります!」 


 元気だけはいっぱいに、銀の鎧を身にまとった彼女はびしっと挙手をした。

 面と向かってド変態と呼ばれたのは、生前まで含めて人生初である。


「うん、それでいいよ。今のところ、殺してもいい人間しか殺していないから。もし僕の性癖が悪化して、無辜の人々にまで手を出し始めたら、その時は止めてくれ。逆らうも良し、後ろから僕を刺すも良し。そのときは抵抗しないから」


「わかりました! わたしは剣の精霊ですから、戦いのために使われるのは本望ですけど、でもやっぱり後味の悪い殺しはしたくないので、そこんとこはよろしくお願いしますね!」


 ころころと表情の変わる、笑顔の明るい女性である。

 彼女はいわゆるドジっ娘のようであるが、身長が僕と同じぐらいで、鎧を着込んでいる関係上図体はかなり大きいので、各種のオーバーリアクションでこちらが身の危険を感じる。ぶんぶん振り回している腕が、先ほどから僕の顔面すれすれを横切ったりしているのだ。

 果たしてあの面頬を降ろした状態で距離感がつかめているのか疑問である。


「あ、わたしって一応、奥さんってことでいいんですよね? そっちの元カタナの人もそうみたいですし。ベッドインは拒みませんけど、できればお互いのことをもっと知りあってからがいいなって思います。ムードは大事にして下さいね! あと、今は二号さんでもいいですけど、ちっこい奥さんが嫌になったら正妻の座を譲ってくれてもいいですよ? そんな短い武器だと、斬り合いも苦手でしょうし」


 先ほどからカエデの苛々が僕にまで伝わっていたが、「斬り合いも苦手でしょうし」のあたりで、カエデの身体が椅子から跳ねて僕を飛び越えた。


 武器すらも構えていない棒立ちのクローベルに接近するや否や、カエデは兜の面頬を下から掌底でかち上げ、剥き出しになった顔面に短刀を突き込んだ。ぽかんと開いたクローベルの口に、紅葉切の切っ先が半分近く差し込まれている。カエデとクローベルの身長差のせいで、下から上に突き上げるような形だ。


「適材適所という言葉をご存知ですか、南蛮の小娘?」


「ふ、ふぁい」


 頭に血が昇ったカエデを、僕は初めて見た。声質も低く、ドスが効いたようになり、目付きは睨みつけるかのごとく鋭い。


「わたくしは、守り刀です。平服同士の前触れなき揉め事を想定して作られております。ゆえに、取り回しを早めるために、刀身は短く軽い。対して、そなたは鎧を着込んだ武者同士が戦場で斬り合うために作られており、重く長い。それはおわかりですね?」


 紅葉切の先端でちくちく口内をつつかれているクローベルは、こくこくと頷く。


「武器にはそれぞれ用途というものがあります。大きい小さい、長い短いで優劣は決まりません。肝に銘じておきなさい、テツオ様の正妻はわたくしです」


 再びクローベルが頷くのを見届けて、カエデは口内から紅葉切を引き抜き、鞘に収めてから席に戻り、座った。


「あなた様、わたくしにも女子の誇りがございます。閨閥はわたくしが取り仕切りますが、わたくしに飽きましたならいつでも仰せ付けくださいませ。いつでも身を引きまする」


 少し興奮が残っているようだったので、返事がわりに唇を奪ってやると、カエデは大人しくなった。クローベルに社会常識を教える必要性があると先ほどまで思っていたが、この分だと教育は一任して良さそうである。すでに上下関係を叩きこまれたのか、クローベルはがたがたと震えていた。


「あんたも大したタマだなあ。よくそのお嬢ちゃんを飼い慣らしておけるもんだ」


 一連の出来事を眺めていたゴーヴは、感じ入った体で目を丸くしている。


「恋女房だからね。可愛い妻さ」


 あなた様ったら、などと指先で僕はうりうりされた。頬を染めるカエデとは裏腹に、未だにがたがたと震えているクローベルが可哀相になってきたので、そろそろ宿に連れて帰るべく僕は席を立った。なんだかんだ、愛嬌のある可愛い娘である。


「それじゃ、娘さんは貰っていきますね、お義父さん?」


 僕の台詞に、弾かれたようにゴーヴは笑いだした。


「結婚もしねえうちから、弟子でもないやつにオヤジって呼ばれるとは思わなかった。がっははは。それなりに思い入れのある娘だ、大事にしろよ?」


 そこまで歳の離れていない者同士、僕とゴーヴはだっはっはと笑い合った。

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