ヤハウェ 1
「おはようございます、旦那様」
「おはようございます」
部屋の入り口から頭を下げつつ挨拶をしてきた男性に、俺は咄嗟に返事をした。
目を覚ますと、ベッドの中にいた。全身を伸ばしても足の先が木の枠からはみ出ない、ホテルで用いられているような大き目のベッドだ。スプリングはやや硬いが、シーツは白く清潔である。
部屋に余分な家具はないが、配置の妙なのか、殺風景な印象はない。
自分のベッド、書類を認めるための文机、ソファと小さな丸テーブル。家具らしい家具はそれだけで、絨毯すら敷かれていないが、明るい色の、言い換えれば安っぽい木材で作られた床は掃除が行き届いて艶がある。
「お食事の用意ができております。自室でお召し上がりになりますか?」
「そうしてくださ――そうしてくれ、ミハイル」
使用人に対して敬語というのもおかしなものだと思い、意識して口調を改める。
唯一の家族であり、執事でもある初老の男性。名前はミハイル。
貴族である父、コンスタンティ家当主が身分を偽って街の視察に出かけた際、見初めた町娘に孕ませたのが俺であり、化粧代と称して手切れ金代わりに寄越したのがこの屋敷であり、その屋敷とセットで付けてくれた使用人がミハイルである。
俺にとっての両親とは誰かといえば、もちろん日本に住んでいた両親であるからして、いきなりこちらの世界で新たな両親ができたことに違和感を覚えなくもなかったが、そこは慣れるしかないと割り切る。どの道、こちらの両親とはそう接点が多いとも思えない。
(なるほどね。町娘の母親は死亡済み、父親は貴族で訪ねてこない。ある意味、天涯孤独の境遇ってわけか。家族は使用人のミハイルのみ、と)
もし俺が転生者でなければ、母が孕んでからはほとんど訪ねてこなかった父を家族愛の薄いやつと憎んでいたのかもしれないが、あいにくと俺は日本育ちであり、物の見方が少々ヒネている。
父がこの屋敷へ通ったのは数回にも満たなかったが、それだけの相手に対してちゃんとした屋敷を送り、しかも自らの子と認知して貴族を名乗らせることを許してもいる。しかも母が死んだ後も、月々の生活費まで渡してきているのだ。数回ヤっただけの相手に対して、数億の出費をしてくれているのである。責任感の強い親父どのであると言えよう。
これら、ヤハウェ・コンスタンティとしての知識が、誰に聞くまでもなく、俺の中にはあった。どうやら転生先の知識を詰め込んでおいてくれるだけではなく、あの神様は名前まで俺の希望通りにいじってくれたらしい。ヤハウェは父が付けてくれた正式な名前ということになっていた。
「お待たせ致しました」
庶民が使うような、木製の小さな机にミハイルが皿を並べていく。生活水準は庶民なみであり、いちいちナイフとフォークを使うようなコース料理めいたものが我が家で出てくることはない。
俺は絹で出来たやわらかなチュニックと黒の長ズボンを履いているが、脇に控えるミハイルはトーガ姿である。ミハイルのみ質素な服装をしているのは、平民でありなおかつ仕事中だからということもあるが、主人より目立たないための執事の心得なのだとか。
「ミハイル、商売を始めようと思うんだが」
どかりとソファに座り、朝食を口に運びながら、俺は単刀直入にそう告げた。
薄くスライスした堅焼きパンを、牛乳と卵に浸して焼いたフレンチトースト。他には小皿に二切れのチーズと、ほうれん草に似た野菜を茹でたものが乗っていて、飲み物は牛乳だ。
「旦那様が、でございますか?」
「ああ。料理をな、売ろうと思うんだ。屋台のようなところで料理を売り、評判が上がるとともに複数店舗に規模を広げ、最終的には各街に支店を持ちたい。うちの財産は、現金でどれぐらいある?」
「私の給金のみ、ジブリール様から毎月送られてきておりますので、屋敷の維持費用はかかりませんが――食費で少しずつ、貯蓄は削られておりますので、残りは五百万ゴルドほどとなっております」
ジブリールはコンスタンティ家当主であるところの、父の名前である。
「商売の下見に出たい。今日は、案内を頼めるか?」
「は、かしこまりました――非礼を承知で申し上げます。商売とは、中々に難しいものでございます。その道を何年もやっている平民とて、どうにか食っていける程度にしか稼げぬ者も少なくありません。どうか、ご再考のほどを」
「気にするな。ミハイルの意見も取り入れるが、採算が立つ見込みはある。黙っていたが、実は俺には特別な能力があってな――ほら」
食べ終えた後の空の皿ごと、アイテムボックスに机を丸ごと収納する。ミハイルからすると、俺が触った机が一瞬にして消えたように見えたことだろう。
「なっ――!?」
「昨晩、神の啓示のようなものを受けたんだ。気づいたらいくつかの特別な力が使えるようになっていた。料理も上手いぞ、今度食わせてやろう」
驚くミハイルの目の前に、アイテムボックスから取り出した机と食器一式を取り出してみせる。収納したい物に触れてさえいれば、持ち上げたりせずともアイテムボックスは使えるようだ。
「さて、時は金なり、だ。ガンガン稼いでやるぜ」
にやりと、俺は笑ってみせた。
「なんだこれ、予想外だぞ。日本と大差ないじゃねえか」
何種類かの硬貨――1ゴルド銅貨や500ゴルド銀貨、10,000ゴルド金貨といった、
それぞれに別の人物の顔が彫られたコインの入った革袋の財布をミハイルに持たせ、俺は商店街へと繰り出していた。
「何か仰いましたか? ヤハウェ様」
「いや、いい。何でもないんだ」
使用人の手前、平静を取り繕ったが、内心はかなり動揺していた。
それもそのはず――商店街は、渋谷や秋葉原もかくやというほどに賑わっていて人通りに溢れ、客引きも多く、煽り文句も多彩であった。人々のざわめきの上に呼び込みの叫び声が重なり、騒がしいことこの上ない。すさまじい活気である。
「ずいぶん、人が多いんだな」
「ジブリール様から頂いたお屋敷は、同じ首都でも街外れの閑静な農地区でございますので。商業区に入ってしまえば、見ての通り、人の山です――貴族と一見してわかるヤハウェ様に好んで絡みたがる輩はいないと思いますが、私が先導致します」
「ああ、頼む。ともかく、ぶらりと街の様子を見て回りたい」
会話ですら、声を張らねばかき消されてしまうほどの喧騒だ。
ミハイルは胸を張りながら、人の波を押し分けるように歩き始める。少し強引な進み方だったが、貴族連れということで文句を言ってくる通行人はいない。俺は絹のチュニックを着ているから、誰が見ても貴族ということがわかるのだろう。それでも、歩む速度を大幅に落とさねばならないほどの密集度であった。
「仕立屋『ドロレスの薄衣亭』の二号店はこちら! 熟練の職人が丁寧に縫い上げた薄物の婦人服なら当店へどうぞ!」
「食事どころ『できたて窯』はこちら! 焼きたてのふわっふわのパンで肉とスープが食べられるよ!」
「酒場『飲んだくれの兄弟樽』亭、今日の目玉料理は甲殻海老の白葡萄酒蒸しだ! 曜日が変わるまで追い出さねえからしこたま飲み食いしてってくんな!」
耳に入ってくるいくつもの屋号を聞きながしつつ、俺は街の様子をつぶさに観察する。
「メシを食わせる店が多いんだな」
「煮炊き用の設備を揃える手持ちがなかったり、借家住まいの庶民などは、すべて外食で賄いますからな。このあたりは、職人街ではありませんので、食事所の多いところでございます」
これはいい情報である。外食の需要が高いというのは朗報だ。
「食事所の多いこの地区に先ほどの仕立屋が店を構えているのが、むしろ例外ですな。本店は職人街に居を構えていて、二号店では受注品を受け付けず、完成品のみを陳列販売していたはずです」
「なんだよ、詳しいな、ミハイル」
「ほほ。もう少し若かった時分に、女性を口説くときに使いましてな。とても喜ばれたものです」
「なんだよ初耳だぞ。今度教えろよな」
週末である光の日だけ、昼から夜にかけてミハイルにも休みがある。
彼はともかく、俺としてはつい数時間前に初めて顔を合わせたばかりではあったが、彼の人となりについての知識があるせいか、あっさりと気を許すことができた。謀反気のない、頼れる従者なのだ。
やがて建物が並ぶ区域から、屋台がひしめき合う露店場めいた広場へと辿りついた。今日の目的の一つは、ここらの屋台の実地調査である。
「よっ、そこ行く執事のおにーさん、若様にも食ってみてもらったらどうだい!
揚げ鳥を平焼きパンで包んだ定番の首都サンドだよ」
「二つ貰おう。ミハイル、金を払ってくれ」
屋台の売り子を一瞥もせずに過ぎ去ろうとしたミハイルを呼び止め、首都サンドとやらを購入してみる。ナンに似たクレープ状のパン生地に、揚げた鳥と刻んだ葉野菜を挟み込み、半固形の赤いソースがかかっている。
一口かじってみたところ――何重もの驚きが俺を襲った。
まずは、美味い。塩味だけでなく、胡椒か何かの香辛料をまぶして揚げられた鳥肉は、やわらかくて噛み締めると肉汁がにじみ出る。
(塩も胡椒も庶民に出回っているのか。しかもそれだけでなく、使っている油の質もいい。廃油のような変な臭いがしない、良い油を使っている)
注文を受けてから、目の前の鉄板でクレープ状の生地を焼き上げると同時に、作り置きしていた揚げ鳥を鉄板の上であたためるというスタイルにも無駄がない。肉の芯まで温まるわけではないが、表面は少なくともカリッとするし、ほんのりとした温もりが冷たいソースと合わさって食べやすい。
(しかもこれは――トマトか。この世界には、トマトがあるのか)
トマトベースの、少しピリッとした辛さのあるソースと葉野菜のさくさくした食感、そして脂の旨味が、食欲を引き立てる。
日本のファーストフード店で売られているようなハンバーガー類と比べると味の完成度では劣るが、庶民レベルで作り上げたにしてはかなりレベルの高い持ち歩き料理だった。
「ミハイル、これいくらだった?」
「ああいう屋台物は、いくらか割高な値段で売っていますので。一つ300ゴルドでした」
「物価がいまいちわからんな。300ゴルドで何が買えるんだ?」
「三人家族の一日分のパンが、一斤で100ゴルドです。法により厳格にパンの長さ太さが決められていまして、朝食にヤハウェ様にお出ししたフレンチトーストで使った量が十分の一斤ほどでございます。大人の鶏が一羽で300ゴルドほど、卵一ダースで100ゴルドが相場ですな」
概ね、1ゴルドで2円ほどの価値だろうか。とすると――600円で首都サンドが買える計算になる。
俺は、手に持ったかじりかけの首都サンドに目を落とした。
まず、使っている肉はクレープ生地からはみ出るほどの、立派な一枚肉である。コンビニで売られているような、平べったくて小さなチキンなんかより、二回りは大きい。自然と、クレープ生地も広げた手のひらより大きいものになる。
その中に、邪魔になりすぎない程度にしっかりした量の刻み野菜とソースがたっぷり。
(これが、600円か)
俺は唸った。軽食としてみれば、かなり食いごたえのある大きさである。
一食分として考えてしまうと、男子高校生としてはちょっと物足りない量だが、
成人女性であれば満腹になれる大きさであろう。これが600円で、しかも割高な価格設定だという。
(少なくとも店を流行らせるなら、これ以上の物を作らないとダメ、か)
かなり高いハードルである。
それに、接客についても当てが外れた。
少なくとも地球において、日本の接客というのは、世界的に見てもかなり高い水準を誇っていたと記憶している。なので、この世界の人々はろくな接客をしておらず、そこに俺が日本式の接客を持ち込めば話題になると思っていたが――予想に反して、この世界の接客は質がいい。人の良さそうな笑顔で呼び込みをするおじさんたちからは熱気、活気が伝わってきて、無味乾燥なコンビニ店員の愛想笑いなんかよりずっと良かった。
(リングワールドは日本人でも馴染みやすい環境に造ったって神様が言ってたが――その通りだな。やり過ぎだよ神様、チェーン店で荒稼ぎをする俺の戦略が頓挫しかけてるぜ)
劣悪な衛生観念や仏頂面の店員が普通という世界観なら稼ぎやすかっただろうが、そうはいかないらしい。
「おじさんおじさん。へへっ、粉、あるよ。ご主人様へのご機嫌取りに、いかがだい?」
自らの身を盾に、客引きを遮ってくれるミハイルであったが、路地の隙間から鋭く声をかけてきた薄汚い身なりの少年だけは、わざわざ肩のあたりを蹴り飛ばして追い払った。
「粉?」
俺が聞くと、ミハイルは渋い顔をして答えた。
「幸煙粉です。粉を燃やして煙を吸うと、多幸感が得られます。常習性があるために禁制品なのですが、扱う業者は後を絶ちません。こういう売り子はスラム街などで寝起きする下っ端なので、捕まえても大元の業者にはたどり着けませんので」
「煙草みたいなもんか」
「おや、ご存知で。香草と混ぜて固め、細巻状にした形で流通しています。もしやとは思いますが――ヤハウェ様、手を出してはいないでしょうな?」
ミハイルの目がすっと細められる。元から皺が多く、彫りの深い男性的な顔立ちではあるが、その彼が剣呑とした空気を放つとそれなりに怖い。
「ないない。興味があっただけだ、煙草がどういう形で売られてるのか」
「それは結構でございます。亡くなった母君様には、良くして頂きました。ヤハウェ様が法に触れる薬物で身を滅ぼしたなどとあっては顔向けができませぬ故――見ての通り、煙草は一切が禁制品で、表では売っておりませぬ。けして、興味本位で手出しなさいませんように」
「わかったわかった。それにしても、転生組の喫煙者は大変だな」
日本ではごく当たり前に手に入る煙草も、こっちではドラッグ扱いらしい。
あの神様、自分でも煙草を吸っていたくせに喫煙者には厳しいのな。
「何か仰いましたか?」
「いや、何でもない」
喫煙習慣のない俺には関係ない話だ。
そんなことよりも、今は金になる商売を一刻も早く見つけなければならない。
特殊な戦闘スキルをほとんど取得していない俺は、レベル上げ合戦になったら圧倒的に不利だ。カケラロイヤルを勝ち抜くには、他の転生者がレベルを上げ切る前に一定量の金を稼ぐ必要がある。
しかし――俺は失敗したかもしれない。
何を失敗したのかというと、化学調味料の作り方を知らないのだ。
化学調味料。うまみを感じる成分を科学的に結晶化させた調味料であり、日本の外食産業において不可欠の薬品である。近年は化学調味料のメーカーがイメージアップのためにうま味調味料という新たな言い方を定着させようと苦心しているらしいが、ラーメン好きの俺としては「無化調」などの謳い文句にあるように、化学調味料という呼称の方がしっくり来る。
さすがにこの世界に化学調味料があるとは思えないから、あれが作れれば、一気にチェーン化計画が進められる。ただのフライドチキンであれ、化学調味料さえまぶしておけば人々はこぞって喜ぶだろう。
先ほど食べた首都サンドも美味ではあったが、無化調の素朴な味わいを脱してきれていなかった。
「原理だけは知ってるんだがなあ。サトウキビとかの糖分を微生物の力で発酵させて、そこからうま味成分だけを抽出する――問題は、それをどうやって再現すりゃいいんだ」
いくら料理スキルといえど、サトウキビから化学調味料の精製はできまい。それは料理ではなく、文字通り化学の分類になってしまうからだ。
「何とかして作りたいなあ。錬金術スキルがあれば作れたのかなあ。ポイントをやりくりして錬金術スキルを取っておけば良かったかなあ」
日本にいたころ、「ハマる」人が続出すると噂の、デカ盛りが特徴のラーメン店に行ったことがある。モヤシやニンニクが山ほど盛られたそれは、舌が痺れる上にしょっぱいばかりで美味いとは思わなかったが、数日してから評価を変えた。身体がそのラーメンを欲しがっているのである。
メカニズムは簡単だ。化学調味料をふんだんに使った味で舌を慣れさせてしまったために、普通の物を食べても味気なく感じてしまうのである。それ故に、おいしくないと感じたはずのラーメン店に再び行きたくなる。行ったら行ったで、求めていた化学調味料の濃さを次第に美味しいと感じはじめ、逆に普通のものはどんどん食べたくなくなる――まさにドラッグと同じだ。
俺はそれに気づいてからは、そのラーメン店には行かなくなったが――よく出来ているものだと感心したものだ。合法的にあの中毒性を生み出しているのだと考えれば、商売としては非常によく出来ている。
あれと同じことが、この異世界でも出来ないものだろうか。
「――別に、化学調味料にしなくてもいいのか?」
散々悩んでいたが、あるとき、ふと気づいた。粉状の化学調味料に精製はできなくても、同じ味付けを料理にできれば同じことではないか?
「なあミハイル。海藻の類って安く手に入るか? 昆布みたいなもの」
「安く、というのがどれほどの価格なのかがわかりかねますが、干し昆布でしたら
私の出身地である海沿いの街でしたらただみたいな値で手に入ります。このあたりで買うとなりますと、輸送代が割増しされているかとは思いますが」
「それだ。良くやったミハイル、展望が開けてきたぞ。もう一つ聞くが、一番安くて庶民的な肉は何だ?」
「私は何もしておりませんが、お役に立ちましたなら喜ばしく思います――それは鶏肉でしょう。牛や豚、羊などと比べて飼育が安上がりですし、卵も産みますから。一部の魔物の肉は食用になるらしいですが、すべての肉を安さだけで比べれば鶏肉に軍配が上がりますな。ただし、食肉用の若い鶏でないと売り物にはならないかと思われます。卵を産ませるための成鳥は肉が堅いですので」
「よし。帰りに色々と買って試そう。鶏肉を数羽分と、昆布を一束、あと必要なものは油か。油ってどれぐらいの値段だ?」
「食用油でよろしかったですか? 火山地域で栽培されている油ヤシの木から採取した油でしたら、リットルあたり500ゴルドほどが相場です。当家にも少しだけ備蓄がございます」
「う、意外と高いんだな。それが一番安い油なのか?」
「燃料としての油でしたらもう少し安く買えますが、食用にはなりません。料理屋を始めるというお話でしたので、量あたりで最も安い食用油をお探しということでしたら、やはりヤシ油になります」
「わかった、ヤシ油も買って帰ろう。しかし、そんな高い油を使ってるっていうのに、さっきの屋台はよく採算が成り立ってるな。あまり古くなってない、いい油だったぞ?」
「たまたま油を入れ替えたばかりだったかもしれませんが、確かに良い油でしたな。値段は高めでしたが、その価値はある首都サンドでした。廃油が石鹸の加工業者に売れますので、そのあたりで何か工夫をしているのかもしれませんな」
「石鹸まで流通してるのか。それじゃあ廃油の売却も視野に入れるか。いや、料理スキルを使ったときに廃油は出るのか? 何にしても、一度作ってみてからだな」
何にしろ、目処は立った。後は実現に向けて動き出してみる段階だろう。
「じゃあ、買い物をするために市場へ行こう――おっと、失礼」
向かいから歩いてくる人と、肩と肩がぶつかった。
この屋台通りは人が密集しているので、どうしても他人との接触は増える。
スリにあっては適わないので、財布はミハイルに預けてあるので安心だ。
「ああ、すいませんねぇ」
「いえいえ――」
先に謝られたので、反射的に俺も言葉を返そうとして――途中で、絶句した。
俺とぶつかってきた男性が、白のトーガの上から黒のジャンパーを羽織っていたからだ。それも、横須賀ジャンパーである。長袖には竜の模様と英語の刺繍が施されている。
異世界言語の特典があるので、この世界で俺たちが目にするのは日本語しかありえない。
(それなのに、英語の書かれた服を着ているということは――)
とっさに僕は、相手のステータス画面を表示させた。
【種族】人間(転生者)
【名前】フヒト・シムラ
【レベル】80
【カケラ】1
(――転生者!)
突然驚いた表情で自分を凝視されたことで、相手の男性――シムラ氏は一瞬、挙動不審になって目を泳がせた。一瞬遅れて視線の意味を理解したのか、おそらくは彼も俺のステータスを見て、同じ転生者だと気づいたのだろう。狼狽の表情になる。
「き、君も転生者なのか」
「え、ええ」
まさかの、予期せぬ遭遇である。
この広い、何十万人が住んでいるかわからぬ首都で、お互いに面識のない転生者同士が出会うなど、奇跡のような確率なのではなかろうか。
(マズいな、相手の方がレベルが高い。襲われたらマズいぞ――)
俺は自衛手段をほとんど持っていない。風属性魔法だけだ。レベルも、ごくわずかに初期レベル増加の特典を取得しただけであり、俺が60なのに対して相手は80レベルである。
彼が好戦的な転生者で俺に襲いかかってきたら、人ゴミに紛れて逃げ出すしかないと咄嗟に俺が考えていたところ――
「ぼ、僕はカケラロイヤルになんて興味ないんだ。巻き込まないでくれ!」
俺よりも先に、彼は踵を返して人の波へ割り込むように逃げ去っていった。
彼の姿が視界からまったく見えなくなってから、俺は深く息を吐いた。
「良かった、穏健派の転生者で」
危機が去ってしまうと、俺は冷静さを取り戻した。
彼の性格を洞察する余裕まで出てきた。
(あまり立派な大人じゃあなさそうだな)
面と向かって相対したら狼狽する癖に、着古してボロくなったスカジャンの対比がアンバランスである。勝手な俺の思い込みかもしれないが、スカジャンはチンピラが着ているようなイメージがあって、彼のような小心者には似合っていない気がした。小心者だからこそ、外見で人を威圧しようとするのかもしれない。
「まあ、カケラロイヤルを勝ち抜こうとしてない転生者は、歓迎だ」
俺が恐れているのは、レベルをひたすら上げる「やる気」の転生者だ。
日和見主義の転生者は、増えれば増えるほどにありがたかった。
(そういう意味では、さっきの人物といい――俺の目論見は、正しかったようだ)
恐らく。
あくまで、恐らくではあるが、このカケラロイヤルという競争は、単純な殺し合いに終始する性質のものではない。
バトルロイヤル、つまりたった一人の勝者枠を争うゼロサムゲームという本質は変わらないものの、血生臭さはかなり薄れるはずだ、と俺は見ている。
(ルールが緩すぎるからな)
カケラロイヤルは、殺し合いをさせることが主目的で開催されたのではないと断言できる。
(まず、時間制限がない)
荒事を嫌うなら、他の転生者に出くわさないよう、逃げ続けることができる。
奥深い山の中にでも逃げてひっそりと暮らせば、まず他の転生者からは見つからない。カケラロイヤルの勝利条件は、誰か一人が十六個のカケラを集めることだから、一人でも逃げ出してしまえば条件を満たせない。
これが普通のバトルロイヤルなら、逃げてばかりいたら何かしらのペナルティが課せられるルールになっていなければおかしい。
殺し合いを眺めるのが目的なのに、肝心の選手が逃げてばかりいたら、面白くも何ともないからだ。
(神様は、後から下界に干渉することはないと約束していた)
つまり、ルールが勝手に書き換えられたり、後から追加されることはない。
みんなが逃げ出して収拾が付かないから、例えば立ち入り禁止区域を設定したりして、何とか転生者同士がカチ合うように仕向けたりもしないということだ。
この点から、カケラロイヤルはかなり長期化すると俺は睨んでいる。
(次に、カケラの譲渡が可能だということ)
ある意味で、これがもっとも大きなポイントかもしれない。
死にたくなければ、他人にカケラを渡してしまえばいいのだ。
快楽殺人者がいないとは断言できないものの、普通の人間は殺人を忌避する。
手を汚さずに脅迫だけでカケラを奪えるのなら、大抵の人間はそちらを選ぶ。
(つまり、だ)
転生者の全員が、生き残りのために仕方なく他の転生者に襲いかかり、血みどろのバトルロイヤルの様相を示す――
まず、そうはならない。
極限状態に置かれてもいないのに、危険を犯してまで他人に襲いかかる人間などいないはずなのだ。つまり、カケラロイヤルは、かなりぐだると俺は見ている。
競争が長期化するであろうという予想の元、俺は戦闘の手段ではなく、金儲けに特化した特典を取得した。自分で言うのも何だが、俺の予想は合っているという確信があるし、長期的な観点でみれば、俺の選択は最適解だという自信があった。
12/27 当話終盤に微修正入れました。
書き溜めストックは既存投下分とほぼ同量ありますが、
展開が先々まで固まってから掲載したいので本日から投稿速度は低下します。




