花咲侠者 0
意識が戻り、自分の身に何が起きたかを思い出した瞬間、今いるこの空間のように、俺の頭は真っ白になった。
「しまったあああ、すまん千尋。お前に苦労を全部ひっかぶせることになっちまった、マジでごめんよおお」
俺が死んでしまった以上、一家のまとめ役は嫁たちの長である千尋になる。
稼ぎ頭を失った一家を切り盛りしていくのは並大抵の苦労ではないだろう。それを俺が押し付けてしまうことになる。
「俺のことをまったく気にせずに嘆き始めたのはお前が最初だよ。でもそうだよな、それが普通だよな。自分が死んだことを受け入れられずに嘆いたり、取り乱すのが普通だよな。今までのやつらは何だったんだろ」
「ああ、あんた誰? ちょっと待ってろ、今それどころじゃないんだから。え、神様? ちょうど良かった、俺を生き返らせてくれ! まだ俺は死ぬわけには行かないんだ、子供たちだけで紅白に分かれて11対11のフル人数でサッカーをしてるところを嫁たちと一緒にゲーム観戦をするっていう俺の夢をまだ叶えてないんだ! ローンも残ってるし来月は四件も授業参観があるんだから――」
俺が必死に訴えかけているというのに、俺の上司に良く似たおっさんは涼しい顔で憎たらしい。
「落ち着けって、無理だから。地球に干渉する権限はないから、生き返らせることもできないし、家族に向けてメッセージを送ったりとかも一切できない。もうお前と地球との縁は切り離されたんだから」
「いやいやいやいや。ウェイト、ちょっと待ったちょちょっと待った。こうして呼び出しといてそりゃないよ神様。なんかほら、漫画とかアニメでよくあるじゃん、生き返らせるかわりに何か仕事をさせるとか。そういう特例が適用されてもいいと思いまーす」
「リズム良く異議を申し立てしてもダメだ。念を押してもう一回だけ言うぞ、以降同様の質問には答えんからな。俺は地球に干渉する権利を持っていないので、お前がどのような方法を取ったとしても、地球にいるお前の家族に対して何かすることはできない。直接的、間接的を問わず一切不可だ。なお、これはこれから参加してもらうカケラロイヤルに勝った願い事を使ったとしても同様だ」
嘆願をつっぱねるときの顔も、俺の上司そっくりの小憎らしい面付きである。
愛する部下であるところの俺の要求や融通はかなり呑んでくれる上司だったが、淡々と拒否するこのモードに入ったときは、どんな理由を付けても受け入れてくれなかったものだ。
「え、それなら何のために神様は俺を呼んだの? メリットもなしにアゴで使おうとか、そりゃあサラリーマンなめてますよ。せめて地球行き二十九泊三十日の有給休暇くれるとかさ、そんなのがないと」
神様はぐったりした顔で虚空に煙を吐いた。顔に出さない習慣は付いているが、煙草嫌いの嫁がいたのでスーツに臭いがついてしまう煙草は好きではなかった。
「そっか、参ったなあ。できれば気持ちよくレースに参加してほしいんだが、真面目な話、お前にちらつかせる餌がない。普通の人間なら、特典で好き放題できるって言われたら未練を断ち切って頑張ると思ってたんだがなあ」
俺は口調を真面目なものに切り替えて口を開いた。恐らくこの神様は粘っても便宜を図ってくれないと思うが、あがける限りはあがいておきたい。
「なあ神様、本音の本気でもう一回だけ答えてくれよ。俺が何しても、何やっても、俺の家族には干渉できないかい?」
「できない。仮にできたとしてもしない。転生者がいかなる手段を用いようと、地球に一切の影響は与えられない。物理的な干渉や、現地の様子を眺めるだけとかの自己満足も含めて、一切の例外はない」
「そっか、ならしょうがないな。いいぜ神様、俺に何やらせたいかの説明に入ってくれ。どうしても無理ってんなら、ぐだぐだ言っても未練だわな」
「ふむ、それはこちらとしても有難いが。ずいぶんさっぱりしてるな――ああ、いや、失言だった、許せ。言い忘れたが、俺はお前の心を読める。軽率な口を叩いたことを詫びよう」
「いいよ、許す。失恋と一緒さ、どれだけ悲しくても前向きに生きてかないとな。
で、俺に何をやらせたいんだい? 何か用があるから呼んだんだろ? まさかここが三途の川で、あんたが閻魔様ってわけでもあるまいし」
「うむ、それはな――」
「――ってわけだ。理解したか?」
簡潔に要点だけを伝えられたものの、それなりに長い話になったが、事情は飲み込めた。
「ほむほむ。十六人の転生者に特典を与えてカケラとかいうのを奪い合わせると。んで、そのカケラロイヤルに参加するもしないも自由、と。了解した」
「その通りだ。飲み込みが早くて助かる。特典はこのリストから選んでくれ」
神様がふわりと手を振ると、特典一覧の書かれたウィンドウが俺の前に現れる。
「あいあいさっと。また新たにハーレム作りなおさないとな。俺ってば寂しいと死んじゃう仔兎ちゃんだからなー」
ぽちぽちっと、神様がくれた電卓にスキルを入力していく。
「やっぱ男なら勇者プレイっしょ。困ってる女の子を颯爽と助けたらモテモテやろね。あとは、この歳になると夜の耐久力もちょっと欲しいから、精力強化も取って、ちょっと若返っておこうか。顔はなあ、うーん、いじらなくていいや。イケメンを羨んだこともあったけど、顔で女が寄ってきても面白くないし。やっぱ男はハートで口説くのが一番だよなあ。女の子が落ちてくれたときの嬉しさは何度やってもいいもんだ。あと神様さ、このプロダクトマスターっていうの、ちょっとお高くございません? 値引き交渉とかいける?」
「いけない。どの特典も、使い方次第ですさまじい性能を発揮できるようにしてあるから、値引きの類は受け付けてない。例えば大工スキルだったら、空いた土地と、家の材料と、それなりのMPを用意する必要があるが、下準備さえ終わっていれば一瞬で家が建つ。どんな豪邸だろうと本当に一瞬だ。それだけで最高峰の職人が作ったような質の良い家が建つんだぜ。どの生産スキルだろうと同様だ、高くはねえよ」
「お、そりゃいいな。もし俺が死んじまってもローンが残らないってのはいい、大工スキル取ろっと。刺突とか盾術ってのはわかるけど、防具スキルってのは何だい?」
「鎧を着ている状態で攻撃を受けたときに、細かな角度なんかを調整して敵の攻撃を受け流す。ほんの少し身体を動かすだけだから、ほとんど無意識で発動できるはずだ。いわゆる防御力の底上げだな」
「んじゃ、勇者には必要か。それも入れて、っと」
ぽちぽちと、電卓に追加でスキルを入力する。
【取得特典一覧】
ウェポンマスター:20
盾術スキル:7
防具スキル:10
ピュリフィケーションマスター:20
トランキライトマスター:15
精力強化:5
大工スキル:9
年齢退化:8
計:94ポイント
「レベル成長促進も欲しいなあ。取得経験値が五割増しなんでしょ? でも状態異常にかかる勇者なんて微妙だし、そっち優先だよなあ。6ポイントの余りじゃ大したもの取れなさそうだなあ。神様、この初期レベル増加とか所持金増加ってのは
どれくらい貰えるの?」
「1ポイントにつきレベルなら5、金なら500,000ゴルドを渡してる。ゴルドは、二倍すればだいたい日本円の価値と等しい。要するに1ポイントで百万円だな」
「うお、6ポイントあれば年収なみの金額貰えるのか。んじゃ、100ポイント全額を所持金につぎ込んだら一億貰えるのか。でも、色々と便利なスキルと引き換えに一億って聞くと、そうしようとは思わないのが不思議だなあ。この特典にはそれ以上の価値がありそうだし」
「だろうな。人間が一生かけてようやく到達できるかどうかっていう達人の腕前が10ポイント前後で手に入るんだから、実に良心的な設定だとは思わんかね」
「きゃーかみさますてきーどんどんぱふぱふー。それじゃ、残り6ポイントは金にしてくれ。これで100ポイントだ、これで転生させてくれていいよ」
「ふむ、了解だ。これを反映させたお前のステータスがこうだな」
《パブリックステータス》
【種族】人間(転生者)
【名前】キョーシャ・ハナザキ
【レベル】30
【カケラ】1
《シークレットステータス》
【年齢】12(33)
【最大HP】140
【最大MP】8
【腕力】14
【敏捷】8
【精神】8
【習得スキル】
斬術
刺突術
殴打術
射術
盾術
防具術
大工
《精力強化》
『痛覚耐性』
『毒耐性』
『麻痺耐性』
『睡眠耐性』
『石化耐性』
『気絶耐性』
『恐怖耐性』
『幻覚耐性』
『混乱耐性』
『魅了耐性』
【アイテムボックス】
1t
「うんうん、良いじゃないの。これでもかってぐらい頑丈だな。勇者ってより重戦士っぽいけど、そこは格好いい鎧を着れば良さそうだ」
「ふむ、ではスキルはこれで決定でいいかな。最後に一つだけ、失言の詫びがわりに俺からの餞別をくれてやろう」
神様はごほんと咳払いを一つした。もったいぶった仕草である。
「お、なになに? 神様そっくりの上司が同じ台詞を俺に言ってきてさ、貰えるものは貰っとくって言ったら、お前に残業をくれてやるってにやにやしながら言われたことがあってさ。あれ以来タダでくれるものに警戒心抱くようになっちゃったんだよね」
「俺そっくりってのが微妙な気持ちになるが、まあいい。原則として、地球の様子を教えることはできないが、ある転生者候補の話をしよう。そいつは参加者としての条件は満たしていたものの、とある理由から今回の候補から外された。なぜだと思う?」
「いきなり言われてもなあ、無茶振りっすよ神様。わかんないっす」
「なんでいきなり語尾が軽くなるんだ三十四歳。んっとな、転生先での結託を防ぐために、すべての転生者はお互いに面識がないことが前提条件なんだが――その女が、先に参加が決定した転生者の知り合いだったからだ」
俺はへらへらした営業スマイルをやめた。同じ日に死んだ、転生者のうち誰かの知り合いの女?
「彼女の死因だが、自殺だ。痴情の縺れから恋人を刺し殺した後、警察に捕まる前に自宅に帰ってな。同居人に共通の恋人を殺したことを告げたんだ。『これであの人はずっと私のもの』ってな。手元のバッグから血塗れの包丁を取り出したことと、殺害の様子を撮影したスマホを全員に見せたことで恋人の死を信じた同居人の女たちはみんな半狂乱になったんだけどな、リーダー格の女が全員を一喝してこう宣言したんだ。『うろたえるんじゃないよ、あいつの子供をあたしたちが守っていかないでどうするんだ』ってね。姉御肌の彼女は泣きながらそう言ったんだけど、それがかえって他の女性たちに火を付けたみたいでね、みんな口々に私も私もって大変な騒ぎさ。その場から逃げ出した転生者候補の女は、ホテルに舞い戻って恋人の死体の上で喉を突いて自殺、と。そんな顛末があったのさ」
お前には何の関係もない話かもしれんし、そういう転生者候補がいたってだけの話だがな、と神様はそっぽを向きながら告げた。
「――そっか。千尋、俺のために頑張ってくれるんだ。ありがとうな」
ほろりと涙が一筋、俺の目からこぼれた。
「神様、あんたもありがとうな。これで安心して死ねる」
「いやまあ、転生させるために呼んだんだから死なれても困るが」
なぜか笑いがこみあげてきて、神様と二人してふふっ、と控えめに笑い合う。
「それにしても、できれば俺を殺したあの娘だって、助けてあげたかったな。色々病んじゃってたけど、悪い娘じゃなかったのに」
「自分を殺した相手の心配か? すごいなお前は」
神様は呆れ顔で、取り出した煙草をくわえて火を付ける。
「俺がメンタルケアに成功してれば、あの娘もそんなに思いつめなかったんじゃないかと思ってな。俺の責任でもあるし、ちょっと後味が悪いな。本人の自業自得ではあるんだけどさ」
「ふむ、そういうものか、俺にはわからん心境だが。どうだ、一本吸うか? まだお喋りの時間は残ってるし、あくせくと転生することもなかろうよ」
俺は煙草はやらない、と言おうとして、もう煙草が嫌いだった嫁とは会うことはないんだよなあ、と思い出す。一時期はビジネス上の付き合いに必要になるかと思って吸っていたが、スーツに臭いが付くだの口が臭くなるだの嫁たちから言われて閉口してやめたのだ。
「一本、もらおっか」
神様が差し出した煙草を一本口にくわえると、神様が指をぱちんと鳴らして火をつけてくれた。身体は半透明なのに、煙草を咥えることはできるようだ。もしかしたら、神様が今だけ実体をくれたのかもしれないが。
十年以上ぶりになる紫煙を、ゆっくりと、深く吸い込む。当たり前のように、俺はむせた。
「苦いな」
俺がぽつりと呟くと、神様はそうか、と言ったきり、黙り込んで煙草をくゆらせ始めた。
俺も、ゆっくりと時間をかけて、煙草を吸う。




