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短編

【書籍化進行中】嘘告されたので、理想の恋人を演じてみました

作者: 志熊みゅう

 私、ソレイユ貴族学園に通う侯爵令嬢ブリジットは、ある日の放課後、伯爵家次男のアルセーヌに校舎裏に呼び出された。真っ黒な髪の私と違って、金髪碧眼のアルセーヌはいかにも貴族然とした青年だ。確か騎士科だったはず。


「ブリジット嬢、ずっと前からお慕いしておりました。俺とお付き合いしてください。」

(ああ、変な賭けしなきゃよかった。どうして、俺が魔眼持ちに告らなきゃいけないんだ。)


 ……なるほど、これは“嘘告”というやつか。


 私は生まれつき、人の心の中が読める。これは持って生まれた真っ赤な瞳、"魔眼"の力だ。


 このソレイユ国の北部には昔、魔王の城があった。勇者が魔王を倒して、世界は平和を取り戻した。けれど魔王の魂は砕け、破片が国中に飛び散ってしまった。それ以来、魔王と同じ赤い瞳を持つ子が、ごく稀にソレイユ国に生まれるようになった。


 "魔眼"は魔王の能力の一部を受け継いでいる。私は人の心を読めるだけで大きなことはできないが、伝承では睨むだけで命を奪い、見つめるだけで人を服従させた者もいたと語られている。だから魔眼は人々から恐れられる。けれど同時に大事な国家財産として扱われ、各人の能力は重要な国家機密になっている。一目見ただけでこの赤い瞳は魔眼だと分かるのに、どんな能力があるのか分からないのであれば、余計に怖いだろう。


 平民だった私の両親は、幼い私をジャカール侯爵家に売った。みんな魔眼を恐れる一方、貴族であればどこの家でも魔眼の子を欲しがる。魔眼持ちであれば、例え平民の子であっても国に重用されるからだ。私を引き取った侯爵家の人たちは、私にきちんとした令嬢教育を受けさせてくれた。それは感謝している。でも私がちゃんと"家族"として扱われたことは、一度もなかった。学園卒業後はこの能力を活かして、国の諜報員として働くことが決められている。


 アルセーヌを上から下まで品定めするように眺める。顔立ちは悪くない。騎士を目指しているだけで体格も素晴らしい。おまけに、声もいい。この先、国の諜報員になる私が、恋愛ごっこをできるのも学生の間くらいかもしれない。これも何かの縁だと思った。


「はい、分かりました。アルセーヌ様、お付き合いしましょう。」


「ええ!」

 (相手は侯爵令嬢だし、自分から申し出たのに無下にできない。ど、どうしよう。ブリュノとカミーユ助けてくれ。)


 心を読むまでもなく、極度の緊張と焦りで、ぐっしょり汗をかいている彼を見て、にっこりと微笑んだ。ちょうどいい退屈しのぎだ。少し楽しませてもらおう。


***

 私とアルセーヌは"恋人"になった。恋人といっても、普通科の私と騎士科の彼では、必修以外の授業は別で、昼ごはんを一緒に食べるくらいの関係だ。


「今日はお弁当を自分で作ってみたの。お口に合うとよろしいのだけど。」


「え、ブリジットが作ってくれたの!うれしいありがとう!」

(貴族が料理なんて、分かりやすい嘘つくなよ。だまされないぞ。)


 せっかく恋人ごっこをするのなら、私は彼の理想の恋人になろうと思った。そしてそれは心が読める私とって、簡単なことだった。彼の好みは貴族令嬢らしい女性よりも、市井にいる普通の女の子。だから、派手に見えないように、化粧もヘアスタイルも極力ナチュラルにした。手製のこのお弁当だって、彼が平民のカップルを見て憧れているのを知って、作ってきたのだ。


 疑いながらも彼は一口、鶏肉を口の中にいれた。


「――このチキンのソテー、少し味が濃くないか?」


「すみません。慣れないもので、味を調整しようと思って調味料を足したら、少し濃くなってしまいました。お口に合わなければ残してください。」


「いや、今日はよく動いたから、このくらいがおいしい。ありがとう。」

(まさか、本当に作ったのか!侯爵令嬢の彼女が!)


 アルセーヌの顔が少し赤らんだ。よしよし。料理は諜報員の訓練で何度か作ったことがあったけど、どうせ自分が作ったと言っても信じないだろうから、わざと少し味を濃く作ったのだ。


「おーい、アルセーヌ!今日もブリジット嬢と仲睦まじいな。」


「ブリュノに、カミーユ!」

(お前らニヤニヤしていないで、何とかしてくれよ。俺が魔眼で殺されたらどうするんだよ。)


 彼らは騎士科の同級生。心の声曰く、三人で今年の騎士大会の成績を賭けたのだそう。そしてアルセーヌは運が悪く、優勝候補の一人と初戦で当たった。呆気なく負けた彼は、仕方なく私のところに"告白"しに来た。


 ――かわいそうなアルセーヌ。魔眼持ちのバケモノ女の恋人なんて。


「アルセーヌ、そうだこれ。最近の流行の劇の特等席だ。姉さんに婚約者と一緒に行けって渡されたんだけど、俺、この日どうしても行けなくて。チケットやるからブリジット嬢と行って来いよ。」

(『勇者と魔王』のチケットだぞ。魔王の眼を持つ女と、恐ろしい魔王の話を観に行くなんて実に滑稽だ。)


 魔眼持ちはみんな、特別な力を持っていても、細々と暮らしている。魔眼持ちが起こした事件なんて聞いたことがない。でも、これだけ他人の心の声を聴いていると、悪意には自然と慣れてしまった。だからどうとも思わない。


「まあ!私この劇、観に行きたかったんです。ありがとうございます、ブリュノ様。」


「礼はいいよ。行くぞ、カミーユ。」

(あの女、こっち見やがった。呪いとかかけてないだろうな。)


「おい、ブリュノ待てよ。」

(アルセーヌの奴、よくあんな女と一緒にいれるな。怖い怖い。)


 そんなに怖いなら、私に話しかけてこなければいいのに。アルセーヌがチケットを覗き込んだ。彼も劇の演目に気づいたみたいで、ゴクリと唾を飲んだ。


「――せっかくの初デートだし、他の内容の観劇にする?これは、確かに有名な劇だけど。」

(ブリュノの奴、悪趣味過ぎるだろう。仮にも魔眼持ちのブリジットとこれを観に行けなんて。)


「いいのよ。私、気にしていないし。」 


 アルセーヌが私の瞳を覗き込んだ。


「そ、そうか。嫌なことはちゃんと嫌って言ってくれ。騎士は鈍感な人間が多いんだ。」

(それにしても、こんなルビーみたいできれいな瞳、魔王の遺物だなんて、言われなきゃ分からないよな。)


 悪意には慣れているが、自然な好意を向けられるのは初めてだった。驚いて思わず目を丸くした。


(ブリジットの異能ってなんだろう。この瞳をきれいと思うなんて、もしかして"魅了"か。だとしたら、俺はとっくに術にかけられているのかもしれない。)


 マジマジと瞳を見つめるアルセーヌの心の声が聞こえてくる。……魅了ね。そんな便利ものを持っていたら、もっと生きやすかっただろうな。そう思って、小さなため息をついた。


 観劇のチケットはテストが終わった週末だった。とてもいい席だし、ブリュノのお姉さまという人は、本当に弟たちのことを思って、チケットを渡したのだろう。小さい頃、家族に売られた私はその愛が純粋にうらやましかった。


 テストは、私の能力を使えば楽勝だった。授業に出て、教師の話を聞いていれば、だいたいどこが出るか心の声で教えてくれる。明らかにズルをしている自覚はあるけれど、罪悪感はなかった。だって私はこの瞳が無ければ、この能力さえなければ、貴族たちが通う学園で教育を受けることはなかった。田舎で本当の両親たちに愛情を注いでもらって、そろそろ結婚の話も出ていたはず。そう考えると、全てが虚しく思えてきた。


 放課後はアルセーヌと一緒に勉強した。彼が勉強を教えて欲しいと頼み込んで来たのだ。いかにも脳筋男子で、勉強はからきし苦手なようだった。


「古代王国史が、全然覚えられない。今回、範囲が広すぎだろう。」


「そうでしょうか。出るところは限られていると思いますよ。」


「え、そうなの?ほら、過去問を見ても毎回違うところが出ているじゃん。」


「ふふ、おそらく今年は、初代王が建国の際に制定した憲法と、勇者一行の偉業が出ますわ。そこだけ抑えておけば大丈夫のはずです。」


「もう時間がないから、優等生のブリジットに言われたところにヤマを張る。」


 最近彼は、少し気安くなってきたのか、割と頭の中で思っていることと、言動が一致している。もしかするとテストで余裕がないだけかもしれない。


 テストは私の"予言"通りの問題が出た。アルセーヌはとても喜んだ。


「ありがとう!ブリジット。頭がいい人に勉強教えてもらったことがなかったから、助かったよ。これからもお願い。」

(まさか言われたところが全部出るとは思わなかった。もしかしてブリジットの異能はテスト問題を当てることなのか!嘘の告白だったのに、こんなお世話になって、少しずつ罪悪感湧いてくるな。)


「ふふ。また勉強しましょうね。アルセーヌ様。」


 恋人ってこんな感じなのかしら。所詮、嘘から始まった仮初の関係だけれど、裏表のない彼の心に触れて、生まれて初めて温かい気持ちになった。


 アルセーヌと別れて一人、寮に向かう。白金の髪を一つに束ね、真っ赤な瞳でこちらを見つめる男。彼はシリル殿下だ。彼は王家の出だが、現王の御落胤だ。私と同じ魔眼持ちで、時間を少しの間止めることができる。諜報員として籍もあるが、今はこの学校で教師をしている。


「ブリジットが、他の生徒に気安くするなんて珍しい。」

(恋人のつもりか。魔眼持ちを愛する者なんている訳がないのに。仕事を増やしやがって。)


「これはシリル殿下。心配なさらなくても大丈夫ですよ。分かってますから。私の能力をお忘れで?」


「ああ、愚問だったな。お前の能力を知ったら、相手は激しく幻滅するだろう。」


「ええ。ご心配なく。それも存じ上げてますわ。こうして自由にできるのも学生時代だけですから。」


「諜報員としての責務を分かっているなら、それでいい。」


 この眼をもって生まれて来てしまった以上、やはり私は普通の人生を送ることはできない。頭では分かってはいる。しかし学園で普通の令息、令嬢の日常を見れば、見るほど、この理不尽がどうしようもなく許せなくなるのだ。


***

 観劇デート当日は、事前に心を読んで、彼の好みに合わせた清楚な白いAラインのワンピースを選んだ。


「……ブリジット、じゃあ行こうか。手を。」

(嘘だろう。ほんとにかわいい。かわいい。ブリジット嬢がこんなにかわいいなんて聞いていない!)


 顔を赤らめながら、心の中でかわいいを連発するアルセーヌに、思わずこちらが動揺してしまう。これでは、"罰ゲーム"や"恋人ごっこ"じゃなくて、本物のデートみたいだ。


 劇場前は、既に着飾った平民たちであふれかえっていた。私たちは貴族席の特等席に通された。案内係は丁寧に案内してくれたが、心の中では私の瞳を怖がっていた。


 本日の舞台『勇者と魔王』は二部構成。はじめは魔王の悪政で、人々が苦しむところから始まる。魔王や魔物たちには、心がない。だから自分の欲に忠実で、思いやりや助け合いという概念もない。こういう創作物のせいで、魔眼持ちも、一般人には魔物のように扱われている。私たちにだって心があるのに。実は一般には伏せられているが、その能力や差別に苦しみ、心を病む者、自死を選ぶ者も少なくない。私はそんな彼らの苦悩をたくさん見てきた。


 二部は魔王は、勇者一行と契約を結んだ魔物たちの裏切りにあう。魔物たちは勇者一行が優勢だとだまされたのだ。魔王は最期、一人で戦い、一人で死んだ。――今の私みたいだ。勇者一行は、魔王を倒した後、契約を破り、味方になった魔物たちを全員討伐した。魔眼持ちの私からすると、どっちが、本当の悪だか分からない話だ。


 ふと、涙が一筋流れた。自分でもよく分からなかった。史実として知っている話だ。今更どうという話でもない。


「ブリジット、大丈夫?」

(魔眼持ちの彼女からしたら、やはりショッキング内容だったのか。)


 心配そうな顔をして、アルセーヌがハンカチを渡してくれた。


「大丈夫。自分でも何で涙がでているのか分からないの。」


「――でも本当の正義ってなんなんだろうね。だまし討ちなんて。」

(ブリジットに嘘告をした俺が言うのもなんだけど、よく考えると酷い話だよな。)


「ありがとう。あなたがそう言ってくれるだけでうれしいわ。」


「無理はしないで。俺には、俺にだけは本心を打ち明けてくれるとうれしい。」

(こうして見ていると魔眼持ちって言っても、彼女も普通の年頃の女の子なんだよな。)


 普通か。魔眼持ちだって人間なのに。私たちにはその普通が許されていない。


「今度はさ、もっと楽しい劇を観に行こう。また誘うよ。」

(次はブリジットが笑っているところがみたい。きっとかわいいから。)


「そうね、楽しみにしているわ。」 


***

 私たちの仮初の関係は、時にアルセーヌの友達であるブリュノやカミーユから揶揄われた。


「どうだった?観劇は。姉さんが特別に融通してもらった席だから、さぞ良かっただろう?」

(まさか本当にバケモノ女とあの劇を観に行くとはな。)


「ああ、今度はもっと楽しい劇を観に行こうと思ったよ。俺はブリジットの笑顔が見たいからね。」


「そ、そうか。――それはそうとお前、大丈夫か?恋は盲目というからな。」 

(だいたい罰ゲームの嘘告だろ。なのに一緒にご飯を食べたり、デートをしたり、アルセーヌの奴、何のつもりだ。もしかしてこれが魔眼の力なのか?恐ろしい。)


「カミーユ、心配しなくても、ブリジット嬢のおかげで成績も上がったし、騎士の稽古にも集中できている。いいことづくめだよ。ねえ、ブリジット。」

(これ以上、ブリジットを害するようなことを言わないで、さっさと失せろ。)


「そう言ってもらってうれしいわ、アルセーヌ様。」


 付き合ってみて分かったことがある。アルセーヌは素直な男だ。私が善意を向ければ、こうして善意を返してくれる。きっと優しい両親、親切な友達の中で、何も疑うことなく、愛されて育ったのだろう。幼いころから他人の悪意に触れてきた私からすると、この世にここまで純粋な人間がいるということが、まさに青天の霹靂だった。


 その一方、急に成績や剣技が伸びたアルセーヌを疎ましく思う生徒は多かった。だから私は自分の力を使って、悪意を向ける者たちから、彼をひそかに守った。今まで、自分に悪意を向ける人間は気にしたことなかったのに、自分でも不思議だった。


 私たちは、あの観劇のあともデートを重ねた。約束通り、喜劇も観に行った。後ろの方の席だったけれど、すごく面白かったし、たくさん笑った。遠乗りも馬で連れて行ってくれた。底抜けに明るい彼と過ごす時間はとても楽しかった。「好きだ」「かわいい」「愛している」と心から私のことを思ってくれるのも心地よかった。


「ブリジットは卒業後どうするの?」 


「私は騎士団参謀本部第二部隊に就職予定よ。」


 ――騎士団参謀本部第二部隊。別名を"月の使徒"。ソレイユ国の諜報機関だ。


「例え、守秘義務のある第二部隊であっても、同じ騎士団員なら結婚を許されているだろう?」


「ええ。そうね。」


「侯爵令嬢の君と伯爵家次男の俺では釣り合っていないのはよく分かっている。でも必ず武功をあげて、騎士伯をとる。だから、その、だから――俺と結婚して欲しい。」


 ――心の声と言葉が一致している。つまりこれは嘘ではない。彼の心からの言葉。


 だけど、私は素直に喜べなかった。だって今まで彼に見せてきた私は、心を覗いて、彼の理想に近づけた私の姿。本当の"私"をみて、彼がどう思うかなんて分からない。それに、ジャカール侯爵令嬢であり、月の使徒として国に服する運命にある自分に結婚を相手を自由に決める権利なんて、おそらくない。


「返事はすぐに求めない。だけど、俺は君を愛している。どんな君であっても。だから真剣に考えて欲しい。」


 この仮初の関係は、学校を卒業したら終わりだと思っていた。でも今、嘘偽りのない言葉を聞いて、手放したくない、彼の隣にいたい。そう願ってしまった。


 彼のプロポーズを受けてから、私は真剣に悩んだ。多分この国にいては、一生搾取されるだけだ。だったら、全てを捨てて、この国から逃げたっていいんじゃないか?この能力さえあれば、どこでだって生きていける。


 でも、同じことを彼に求めるのは酷だと思った。家族の話をする彼はとても楽しそうだし、騎士団に憧れてずっと鍛錬を続けてきた。彼のことを知れば知るほど、自分には不釣り合いな人だと思った。私がここで身を引けば、きっと素直な彼は、この先もっと素晴らしい令嬢と出会うことができるはずだ。


 そんなことを考えて、学園の廊下を歩いていると、シリル殿下に声をかけられた。


「おい、ブリジット。ぼーっとしてどうした?」


「いえ、少し考え事を。」


「あの"恋人"のことか。貴様、月の使徒として使命を理解しているのか。」


「ええ。もちろんですわ、殿下。」


「なら、話が早い。私もそろそろ妃を娶るように、陛下に言われている。お前は平民の出だが、今は侯爵令嬢だ。身分としてもちょうどいい。」

(俺が誰かを愛することはない。ただの契約相手ならお互い利害の一致した相手が便利だ。)


「――私に殿下の妃は、務まりません。」


「私は貴族夫人として最低限の義務以上のものを君に求めない。さっそくだが学園を卒業したら、婚約しよう。」


「私は平民の出ですので、紙切れだけの関係に興味はありません。愛のある結婚に憧れているのです。」


「長く侯爵家にいれば、貴族の結婚がどういうものか、お前もよく分かっているだろう。お前の義父に書状を送れば、泣いて喜ぶはずだ。」


「……月の使徒とはいえ、結婚相手を選ぶ権利までは奪われないはずです。」


「ふっ。お前の能力について、アルセーヌ殿に話したことは?」


「――それは機密ですので、家族以外の者に伝えたことはありません。」


「じゃあ、彼が知ったらどう思うかな?」


「そ、それは。」


「魔眼持ちが普通の幸せを求めようとするな。それは破滅へ向かう落とし穴だぞ。」

(君が無駄に傷つく必要はない。私の言う通りにしておけばいい。)


「――はい。」


「分かればいい。さっきの話は真剣に考えておくように。」


 どうして殿下の妃が私なんだろう。魔眼持ちだから?窓から差し込む夕日に照らされて、殿下の影が長く伸びた。私がアルセーヌを諦めれば、全ての歯車がきれいに回ることは分かっている。彼の幸せを願うなら、彼を解放してあげるべきだ。


 それから間髪を入れずに、シリル殿下からの結婚申込書が実家に届けられた。義父は私に何も確認せずに、卒業後にすぐに婚約をさせると返事をした。卒業が間近に迫った時期、私は意を決して、アルセーヌに言った。


「私ね。シリル殿下から求婚されたの。父はこの話を受けると返事をしたわ。あなたも知っていると思うけど、彼も魔眼持ちよ。魔眼を取り巻く世間の感情は決して好意的ではない。だから王家の後ろ盾があるのは私にとっても心強いの。――だから、あなたとは結婚できない。」


「ねえ、ブリジットはそれでいいの?父上といっても君はあの家の養子だろう?」

(嘘だろ。シリル殿下が?そんな素振りなかったじゃないか。)


「ええ。だって私には選択肢なんてないもの。」


「ねえ、ブリジットじゃあ俺と一緒に逃げよう。魔眼のことを誰も知らない国に。」


 彼の言葉を聞いて涙が出た。だって心の声と完全に一致していたから。でもこの選択は彼から、全てを奪うことになる。だから、私は断らなくてはならない。


「私はあなたとは違うの。幸せな家族も、信頼できる友達もいない。あの劇の魔王と一緒。だから別れましょう。この眼をもって生まれた時から、私は"人間"じゃないの。」


「じゃあ、何で涙が出るの?ブリジットは魔物じゃない。人間だよ。」


「あなただって、私の本当の能力を知ったら、きっと私を怖がるわ。」


「そんなことはない。君がたとえ一睨みで人を殺せるような人間でも俺は君が好きだ。」


 彼がそこまで言うのならば。これが最後だと思って、私は彼に自分の能力や生い立ちを一つ一つ説明した。他人の心が見えること、本当の両親は魔眼を持った私を気味悪がり、妹が生まれたと同時に、私を高く買い取ると言ったジャカール侯爵家に連れて行ったこと、小さい頃から令嬢教育だけではなく、諜報員としての訓練も受けていたこと。


「だから、あなたが罰ゲームで私に告白してきたのも、初めから知っていたわ。学園生活くらい普通の女の子として過ごしたかったの。だから利用させてもらった。」


「う、うん。」

(え、俺が嘘告したのバレてたの!?)


「それにね。あなたが好きだって言ってくれた私は、全て虚像。私はあなたの心の中が見えるから、あなたが思う理想の相手を演じていただけなの。」


 ここまで言えば、諦めてくれるはずだ。ただ私の能力は重大機密。家族以外に、私の秘密がバレてしまった場合、その記憶を忘却薬で消さなければならない。私の記憶を丸ごと、楽しかった思い出ごと、彼の中から消し去らなければならない。私と過ごした日々を忘れて、またブリュノやカミーユのもとに戻っていった方が、きっと彼にとって幸せなはずだ。


 アルセーヌの心の中は、私が今言ったことを何度も反芻していた。混乱しているのだろう。


「どう、嫌いになったでしょう?だから、全部忘れて頂戴。」


 ポケットから忘却薬をとりだした。蓋を開けようとしたが、涙で前がよく見えない。


「ねえ、もしかして、ブリジットは俺に好かれるために、俺の理想のタイプを演じてくれてたってこと?無理してお弁当を作って、髪型やメイクを変えて。服装も俺好みのワンピースを着て。」

(え、それ、めちゃくちゃかわいくない?すごく健気でかわいい。)


 ん?思っていた反応と違う。私の方が困惑してしまう。


「それに知っているよ。カミーユが、剣技の試験の前に俺の剣に悪戯しようとした時、ブリジットが守ってくれたんだろう?カミーユとほとんど話したことがない君がなぜって、ずっと不思議だったんだ。」


「あなたが今思っていることも、分かるのよ。ねえ、怖くないの?」


「だって俺、今ブリジット隠したいことなんてないし。だからその手に持った小瓶も必要ないね。」

(好きだ。好きだ。好きだ。絶対離さない。ずっと一緒にいたい。)


 私が怯んでいる隙に、彼は私が手に握った忘却薬を取り上げ、放り投げた。


「シリル殿下の求婚を無下にすることは難しい。それにこのままだと、君は諜報員として一生国にこき使われる。だから逃げよう。」


「あなたは全てを失うことになる。家族も、友達も、貴族としての恵まれた生活も、騎士としての矜持も。」


「でも君を手に入れることができる。それに……君には俺しかいない。これは俺の思い上がりじゃないだろう?」


「アルセーヌ……。私ね、普通に生きたいの。赤い眼を持たずに生まれてきたなら、当然与えられたであろう小さな幸せが欲しい。」


 アルセーヌは何も言わなかった。私をただしっかり抱き寄せた。「大丈夫、俺について来て」と心の声がした。


***

 学園卒業後すぐ、私たちは駆け落ちした。旅商人の格好をして分厚い眼鏡をかければ、意外と庶民は魔眼のことに気づかなかった。時たま出くわす騎士団員は、やはり私たちの行方を探していた。もし魔眼保持者が他国に流出したとなれば、国家的な大損失だからだ。


 ただ騎士の心の声から、シリル殿下が中心になって私の行方を探していることが分かった。あの人は、一度も私のことを好ましいとなんて思ったことがないのに、どうして婚約者としての私に執着するのか分からなかった。もしかすると彼にとってちょうどいい結婚相手に逃げられたのが、癪に障ったのかもしれない。私たちは追っ手を避けながら、隣国の自由交易都市・パラディを目指した。


 読心は、外界でこそ役に立った。特に初めて会った人間の悪意に気づけるのは大きかった。おかげで騙されてお金を取られたり、危険な目に遭うこともなかった。


「アルセーヌ、この護衛の依頼が終わったら、次の街に立ちましょう。さっき町長の心の声で、騎士団がこの町に来るって聞こえたわ。」


「ありがとう、ブリジット。本当はもう少しこの町で稼ぎたかったけど、仕方ないね。」

(次はどこに寄ろうかな?ヴェールの街は森がきれいだと聞くし、薬草を取って他の街で売ればそれなりの稼ぎになる。この時期だと特産のレーヴベリーも美味しいだろうな。ブリジットも喜んでくれるかな。)


「ふふ、アルセーヌ。私もヴェールに行って、レーヴベリーを食べてみたいわ。」


「じゃあ、決まりだな。」


 何も持たずに逃げてきた私たちは、色々な街に寄って、少しずつお金を稼ぎながら、南へ南へと向かった。はじめ私は、生粋の貴族令息であるアルセーヌが、すぐに逃亡生活に根をあげるかと思った。けれど彼はもともと庶民の生活に興味があったらしく、驚くべき順応を見せた。そして、私への愛はさらに深まった。


 集めたお金で海を渡り、隣国のパラディにたどり着いた。ソレイユ国の騎士たちも、ここまでは追ってこない。私たちは町はずれでカフェを始めた。たくさんの花や植物を飾った小さなカフェ。ずっとずっと夢に見た普通の生活がそこにあった。


「お姉ちゃんのおめめ、真っ赤できれいね。」


「アルセーヌはきれいな嫁さんもらって、幸せもんだな。」


 パラディは、色々な文化的背景や宗教的価値観を持った人が集まる交易都市で、肌の色も瞳の色も人それぞれ。私の容姿も自然とこの街に馴染んだ。それにこの町には、ソレイユの魔眼の伝承を知っている人もほとんどいなかった。稀に知っている人がいても、異国に伝わるただの言い伝えくらいにしか思っていないようだった。


 魔眼のことを誰も知らない、こんな悪意のない環境に身を置くのは初めてだった。普通の暮らしが、こんなに楽しく、そして幸せなことなのか。


 そんな落ち着いた日々の中で、すぐに子宝にも恵まれた。アルセーヌによく似た金髪で碧眼のかわいい女の子。リュシーと名付けた。ある日の終わり、リュシーを寝かしつけた後、アルセーヌに尋ねた。


「ねえ、アルセーヌ、これで本当に良かったの?――初めは嘘告だったのに。」


「え、今更そんなこという?俺はとっても幸せだよ。何も言わなくても俺のこと分かってくれる美人な奥さんと、かわいいリュシーに囲まれて。」


 彼の笑顔がまぶしい。魔眼は私をたくさん不幸にしたけれど、大きな幸せも運んでくれた。嘘、演技から始まった私たちの"恋"は、やがて"真実の愛"になった。もう十分わかっているはずなのに、その愛を全身で確かめたくて、私は彼の胸に飛び込んだ。

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