カカポ村、最後の夜
◇◇◇
真夜中、地震と何かの声でシロウは目が覚めた――。
たまに山から聞こえる狼や魔獣の声とは違う声だが、その一吠えで聞く者に深い絶望を与える声だった。
心臓の音がバクバクと大きく音を立てているのは、眠っている時に大きな音を出されたからだけでは無い。
――魔物が山から下りてきた?
カカポ村は山間の辺境だ。当然山には獣も魔物も魔獣もいる。
だが、村には代々伝わる魔除けの魔法陣が組まれているので、獣はともかく魔力を持つ魔物の類は近寄れないはずだ。
それに、国から派遣されている守り人だっている。
30代中頃の屈強な戦士だ。
勤勉な性格で、日々鍛錬を欠かさない。獣10匹を一振りで倒した事だってある。
シロウは宝箱をひっくり返し、旅の古物商が村を訪れた時に買ってもらった双眼の遠眼鏡を取り出し、窓の外を覗く。
広場の方では煙が上がっていた。
そして、寝間着のまま逃げる人の姿がちらほらと目に映る。
――火事か?それならさっきの鳴き声みたいなのは?
その疑問は次の瞬間には霧散する。
走って逃げる人々。それを追って見た事も無い異形の亜人……リザードマンが姿を見せる。
そして、彼らは慈悲も無く逃げる人々をその手に持った槍で串刺しにする。
遠眼鏡の視界がぶれる。
気が付けば手も、足も震えていた。
「……何だよ、これ」
「シロウ!」
バンと音を立てて必死の形相の母が扉を開ける。その後ろには父の姿もある。
「かーちゃん……、外……」
「大丈夫よ」
遠眼鏡を首から下げて、不安そうに震えて外を指さす我が子をシロウ母はギュッと抱きしめた。
母も震えていた。
「悪い魔物達はお父さんたちが全部やっつけちゃうから。危ないからシロウはここから出ないでね。ここは絶対に安全だから」
「あっ……安全ならとーちゃんもかーちゃんもここにいればいいだろ!?むむむ無理だよ、あんなのただの獣じゃ……」
二足歩行をして、武器を扱う。それだけで並の魔物より遥かに危険だろう事は子供のシロウにでもわかる。
母はシロウを抱きしめたまま首を横に振る。
「大丈夫だから」
「だから大丈夫じゃねーって言ってんだよ!」
「シロウ。母さんを困らせるな」
廊下から父の声がした。
「父ちゃん!勝てる訳無いだろ!見てわかんねーのよ!」
父は廊下をキョロキョロと見渡した後でゆっくりと部屋に入ってきてシロウの頭を強くワシワシと撫でる。
「別に勝つなんて言って無いぞ。守るだけだ」
「死んでもいいのかよ!」
「よくは無いが……まぁ、お前が生きててくれたらそれでいい」
そして、父は母と子を一度強く抱きしめると部屋を出る。
「元気でな」
既に父は別離を隠さない。
その表情を見て、シロウも涙目で頷く。
「……わかった」
父はニヤリと笑い、母は最後にもう一度シロウを抱きしめると微笑みながら部屋を出た。
◇◇◇
二人が部屋を出た後、シロウは宝箱(と言う名のおもちゃ箱)を押し入れの奥に隠し、その上に毛布を掛ける。
おもちゃ箱は十分にシロウが入れる大きさだ。
準備が整い、箱の中に入る。
当たり前だが、狭く暗い。そして部屋の中と比べると音はかなり遮断される。
カチカチと自分の歯が鳴る音が箱の中に響く。
何が起こっているのかわからないし、このまま隠れていてどうなるのかもわからない。
『大丈夫』と言った母の言葉と、『守る』と言った父の言葉を信じきっていた訳では無いが、シロウは箱の中で震えながら身を潜めた。
そして、実際には3分にも満たないような無限にも思える時間の後、不意にイズミの事を思い出した。
彼女の部屋にある、お気に入りの洋服が沢山しまわれているあの洋服棚に隠れて、訳も分からず震えながら泣いているイズミが頭に浮かんだ。
――きっと、イズミも泣いている。
そう思うと、一人で狭い箱に閉じこもって震えている事が急に恥ずかしくなった。
宝箱の中から脱出用の縄と、木剣を取り出すと慣れた手つきで縄を家具に結び窓から垂らす。
もう震えは止まっていた。
2階にある自室から縄を伝って外へ出る。
イズミの家は数件先だ。
タっと駆け出すと父の声が聞こえる。
「シロウ!部屋にいろって……」
振り返り、父をキッと睨み叫ぶ。
「イズミのとこ!多分泣いてるから!」
父は呆れた様に、少し嬉しそうに笑うと親指を一本ピッと立てて手を上げる。
「そうか!頑張れ!」
「おう!」
シロウは走る。
広場の方で悲鳴や、聞いた事の無い獣の声が聞こえてくる。
それでも、走る。
手には愛用の木剣を持ち、首からは索敵用の遠眼鏡をぶら下げて。
イズミがお腹を空かせていた時の為に、とっておきの焼き菓子も持ってきた。
イズミの家までシロウは走る。
◇◇◇
「イズミ!」
勢い良く部屋のドアを開けてイズミを呼ぶと、洋服棚からか細い声が聞こえた。
「……シロウ?」
「おう!」
安心させるように元気よく返事をすると、イズミは恐る恐る顔を覗かせた。
「……本当に?」
顔を出してから聞いても遅いだろ、と思うと少し笑ってしまう。
「おう」
「何が起こってるの……かな?」
聞くとイズミもここに隠れているように両親に言われたらしい。
遠眼鏡で見た……トカゲ男が人を殺す場面が頭に浮かぶ。だが、それをイズミにそのまま伝える訳にはいかない。ただ不安にさせるだけだ。
俺は首を横に振る。
「わかんね。山から獣が下りて来たんじゃないか?たまにあるだろ」
自分で言っていて変に思う。
確かに、その位はたまにあるけれどそれでここまでの警戒はしないから。
それをごまかす様に愛用の木剣をビュンと横薙ぎに一閃してポーズを決める。
「イズミ、お前には今日は特別にお姫様役をやらしてやる。悪い魔物に狙われるお姫様」
外ではズズンと軽く地鳴りがした。
でも、イズミはクスリと笑った。
「シロウは?」
俺はニヤリと笑う。
「勇者に決まってんだろ」
外では、獣の声ではない鳴き声や大人達の悲鳴が聞こえる。
明らかに異常な出来事が起こっている。
それでも俺とイズミはクスクスと笑いあった。
悲鳴は段々近くなり、少しずつ少なくなる。
そして、階下から扉が破壊される音がした。
チラリと後ろを見ると、イズミが不安そうな顔をしていたのでニヤリと笑う。
「大丈夫だ」
絶対に大丈夫じゃない。
けど、大丈夫だ。
何回でも言ってやる。
もう足は震えていない。
俺は木剣を構える。
うちの田舎町には教会は無い。月に一度教会の人がやってきて何やらお菓子をくれたり話をするくらいだ。
ダン、ダン、と無遠慮な音を立てて何者かが階段を上ってくる。
うちの村には教会は無い。だから、もしかしたら神様はいないのかも知れない。
それでも、どうかお願いします。
本当に、俺が勇者でありますように。
どんな謎理論でもいいから、魔物を倒す力を下さい。
音はだんだん近づいてくる。
俺は大きく息を吸い込んで、出せる限りの大声を出す。
「うおぉぉぉぉぉっ!かかってこぉぉぉぉいっ!」
次の瞬間、ベキリと鈍い音を立ててイズミの部屋の扉は外されると、明らかに人ではないだろう大男がヌッと室内を覗き込み、笑う。
「ガキか」
俺の足は震えていなかった。
正確には、震えていたのかもわからない。
『腰が抜ける』と言う表現が正に的確なのだろう。木剣を構えたままビシャッとその場に座り込んでしまう。そして、『ビシャッ』と言う音からわかるように、床は水たまりが出来ていた。
「ハハハッ、漏らしちまったか。まぁ、魔王四天王たるこのジギ様の圧を受ければガキならそうなるわな。恥ずかしがる事はねぇ」
「漏らしてねぇ!」
恥ずかしさで顔が真っ赤だが、ジギと名乗る男に剣を向けたまま声を上げるとそいつは少し楽しそうに笑った。
「ふはっ、生意気だ。おもしれぇな、名前は?」
「魔物に名乗る名前はねぇ!」
ジギはニコニコと嬉しそうにそのデカい右手で俺の頭を鷲掴みにする。
「あっそ。じゃ、死ね」
ミシリと頭蓋骨が音を立てた気がして、そこで俺の意識は途絶えた――。




