逆転
「ラウディ、お疲れ様」
地面に横たわったまま、まだ起き上がれずに喘いでいるラウディに、レクトは歩み寄った。
「聞いたよ、君がリッケンと競ってくれたおかげで最後にウルリケが勝てたって」
「別にウルリケのためじゃねえ」
ラウディは吐き捨てるように言った。顔を上げると汗が顎から滴り落ちた。
「俺はそのままリッケンの野郎を抜かすつもりだったんだ。それを最後にかすめ取られただけだ」
「……うん」
レクトは頷く。
ラウディならきっとそう言うと思っていた。
自分が誰かのために頑張ったなんてことを、決して認めはしないだろう。
「ありがとう、ラウディ」
「だから、何がだよ!」
苛立ったように叫ぶラウディから離れてウルリケのところへ戻ると、彼女はベルティーナと話していた。
「やっぱり、この前の練習では力を隠していたのね」
ベルティーナがウルリケを睨む。
「まさかあそこまで速いなんて」
「別に隠していたわけじゃないけど」
ウルリケは首をかしげる。
「今日は、心も体も軽かったから」
「それにしたって速すぎるわよ」
「でも、きっと最初の練習の時の私よりも、今日のあなたの方が速かったわ」
「当たり前じゃない、私はあなたに勝つつもりでこっちに移ったんだから」
ベルティーナは悔しそうに言った後で、自分たちの方に近付いてくるレクトに気付き、
「まあ、でも」
と付け加えた。
「今回はあなたの大事なレクトに勝ったから、それで我慢しておいてあげる。あなたに勝つのは、次の機会よ」
「えっ?」
急に名前を出されたレクトは目を丸くして足を止めたが、当のウルリケは全く動揺していなかった。
「ええ。楽しみにしているわ、ベルティーナ」
そう言って微笑む。以前と違い、棘の無い笑いだった。
ベルティーナもその笑顔に釣られたように笑みをこぼす。
きっとベルティーナにとっての好敵手は、ウルリケなんだろうな、とレクトは思った。
ウルリケがどう思っているのかまでは分からないけど。
と、不意に後ろから汗びっしょりの身体に抱きつかれてレクトは悲鳴を上げた。
「うわあ」
抱きついてきたのはライマーだった。
「レクト、ありがとな!」
ライマーは満面の笑みを浮かべてレクトの手を握り、ぶんぶんと振る。
「お前のおかげで活躍できたぜ」
「いや、別に僕のおかげってわけじゃないよ」
「いや、お前のおかげだよ」
ライマーの後ろからそう言ったのは、ジルコだった。汗まみれの顔に、少しばつの悪そうな笑みを浮かべて、ジルコもレクトの手を取った。
「ありがとな、レクト」
「だから本当に、僕のおかげじゃないんだってば」
嬉しさと照れくささをごまかすように、レクトは言った。
「そうだ、今度三人でネルソンさんにお礼を言いに行こうよ」
今日活躍できたのは、間違いなくネルソンのおかげだ。
自分の発見を惜しみなく教えてくれたネルソンには、きちんとお礼をしようと思っていた。
「きっと喜んでくれるよ」
三人が訪ねていったときのネルソンの太陽のような笑顔が、今から容易に想像できた。
結局、ウルリケや、ネルソンルートを通ったライマーとジルコの活躍もあり、一組の障害物競走の合計得点は三クラス中一位だった。
「よし、次は僕らの出番だ。僕らも一位になるぞ」
レオンが張り切った声を上げる。
「さあみんな、行こう」
それに元気よく返事をして、板の塗り替え競争に出る生徒たちが校庭に出ていく。
「へっ、レオンのやつすっかりリーダー気取りだな」
彼らを見送ったラウディが、皮肉そうに口を歪める。
「別にいいじゃない。彼が一番、人をまとめるのがうまいんだから」
ベルティーナが言うと、ラウディは顎でレオンの後ろを歩く女子生徒を示した。
「あいつがいるだろ」
それはクラス委員のルネだった。
ルネは特に気負った風もなく、レオンが率先して動いてくれるのを幸いに単なる一選手として振る舞っているように見えた。
「レオンのやってることは、あいつがやるべきなんだ」
「クラス委員だからって、誰でも人をまとめるのが得意なわけじゃないわよ」
ベルティーナは言った。
「ルネはよくやってると思うわ」
「俺は思わねえ」
ラウディは肩をすくめる。
「それならレオンにクラス委員を譲ればいいだろ」
「レオンだと、あなたが従わないじゃない」
「ルネにだって従わねえよ」
「あら、そう。それなら」
ベルティーナはレクトと話しているウルリケにちらりと目を向ける。
「ウルリケにやってもらう?」
「やめろ」
ラウディは嫌そうな顔をした。
障害物競走で、ラウディはウルリケに二度も負けている。力を信奉するこの少年にとっては、それは重大な事実だった。
「とにかく」
話を変えるかのように、ラウディは大声を出した。
「リーダー気取りのレオンがどれだけチームをまとめているのか、俺はそれを見させてもらうからな」
校庭にたくさんの板が広げられ、出場選手はそれぞれが校庭の隅に設置された各クラスの陣地に集まる。
陣地には、魔力充填用の壺が置かれている。
一組の陣地では、レオンの周りに生徒たちが集まり作戦を話し合っていた。
主に喋っているのはレオンで、それにハイデとケリーがときどき口を挟んでいるように見えた。
やがて開始の合図の太鼓が、どんどん、と叩かれ、選手たちが棒を手に身構える。
「よっしゃ、始まるぜ」
ライマーが嬉しそうに言った。
「がんばれ、一組ー!」
大声を出すライマーに倣って、レクトも声を出して応援する。
「みんな負けるな!」
「レオンがんばって!」
「勝てるぞ!」
「ハイデしっかり!」
他のクラスメイト達も次々に声を出す。レクトはそこにウルリケの声が混じっているのに気付く。
ウルリケがみんなの応援をしている。あのウルリケが。
思わず振り向くと、ウルリケは少し恥ずかしそうに笑った。
「ほら、レクト。ちゃんと前を見て。始まるよ」
「う、うん」
レクトは前に向き直った。
開始の合図とともに、選手たちが一斉に校庭に散らばっていく。
一組の色は青だ。二組が赤、三組が緑。
白く塗られた板が、棒で叩かれるとそれぞれの組の色に変わっていく。
白一色だった校庭が、三色に塗り替えられていく。
それは見ているだけでも不思議な眺めだった。
「うちは連携がいいわね」
ベルティーナが言った。彼女の言う通り、1組はレオンを中心に戦略的に自陣に近いところから色を変えていっている。目につくところからほとんど適当に色を変えている他の組とは動きが違った。
「さすがレオン」
「ふん」
ラウディが面白くなさそうに鼻を鳴らす。
「大したことねえな、二組も三組も。何を練習してきたんだか」
「あなた、どっちの味方なの」
ベルティーナが呆れた顔をする。
「よし、みんなこのままのペースで行こう!」
レオンが自陣で自分の棒に魔力を補給しながら、そう叫ぶのが聞こえた。
「勝てるぞ!」
「面白いわね」
ウルリケが目を細める。
「こうやって薄目で見ると、どこのクラスが優勢なのか何となく分かるわ」
「薄目で? ……あ、本当だね」
レクトもウルリケの真似をしてみた。そうすると確かに板と板の境目がぼやけ、校庭が三色で塗り分けられているように見えた。
「緑も結構多いけど、青が一番多いかな?」
「そうね。赤は苦戦してる感じかしら」
「そうだね」
青色、つまり一組が優勢なまま競技は推移した。
そして、制限時間が終わりに近づいた合図の太鼓が一度打ち鳴らされた。
この太鼓が三度打たれると、競技は終わりだ。
「あと少しだ。油断せずに」
レオンが仲間を鼓舞している。
「こりゃ勝ったな」
しばらく黙って見ていたラウディが肩をすくめた。
「どう見たって青が多い」
「そうね。あとはこのまま逃げ切ってくれれば」
ベルティーナが頷く。
レクトも同感だった。一組の連携は、ほかの二クラスよりも優れている。
レオンとハイデが良く動いている。
「両方の競技で一位だったら、もう総合優勝まであと一歩だな」
とライマー。
「まだ油断できないわよ、コイン集めは配点が高いから」
「油断はしてねえけどさ」
ライマーは嬉しそうに言う。
「気分いいだろ。全部一位だと」
「まあ、それはね」
ベルティーナが頷いたときだった。
「二組が静かだわ」
不意に、ウルリケがそう言った。
「動きが少ない」
「本当だ」
相変わらず薄目で校庭を見ていたレクトは同意した。
「青と緑ばっかりだ。赤がほとんどない」
「もう諦めたんじゃねえのか」
ラウディが言った。
「二組の連中は大人しいから――」
そう言いかけたとき、二度目の太鼓が鳴った。
次に太鼓が鳴ったら終わり。もう終了間際だ。
「ほら。もう終わるぜ」
「あっ」
ウルリケが声を上げる。
「やっぱり」
二組の生徒たちが一斉に陣地を飛び出してきた。
「そっちに二人、そっちにも二人行け。シシリーは僕と来い」
大声で指示しているのは、二組のエルドという男子生徒だった。
「え、ちょっと待って」
ベルティーナが目を見張った。
「赤が、どんどん」
校庭を埋め尽くしていた緑と青が、次々に赤に塗り替えられていく。
「うちの連中は何してるんだ」
ラウディが苛立った声を上げる。
「人が足りないわ」
ベルティーナが言う。
「だって半分くらいの子が、魔力の充填中だもの」
「なんでだよ」
「そうか、そういうことか」
レクトにもようやく、二組の作戦が分かった。
終了間際のこの時間、激しく陣地争いをしてきた一組と三組には、棒の魔力が尽きて自陣で充填中の生徒も多かった。
だが、二組はこの瞬間だけを狙っていたのだ。
全員が魔力を充填して、終了間際の時間が来るのをじっと待っていた。
競技の途中でいくら色を塗り替えたところで、最終的に勝負を決めるのは競技終了時点での色の多さだ。
だから、その瞬間に全力を投入して一気に色を塗り替える。
それが分かってはいても、目の前で自分たちのクラスの色がどんどん消えていくのを見たら、これでいいのかと不安になる。我慢などそうそうできるものではない。
「すごいな、二組も」
敵チームながら、思わずレクトは感心してしまった。
二組の生徒たちが一気に色を塗り替えていったところで、三度目の太鼓が鳴った。
「まだ分からねえぞ」
とライマーが言ったが、結局、一位になったのは二組だった。一組と三組は僅差で二位と三位になった。
「はん。レオンの野郎、口ほどにもねえ」
ラウディが肩をそびやかして立ち上がる。
「だけどこれで面白くなってきたな。コイン集めで勝ったクラスの優勝ってことだ」




