魔法具
意識を取り戻したものの、まだどこかぼんやりしたままのウルリケは、それでもアインに問われるがままに、この小箱を手に入れた経緯をぽつりぽつりと話してくれた。
それは、一年一組の教室で運動協議会の組み合わせを決める話し合いをした日のことだった。
図書館に寄る用があるから、と話し合いの途中で教室を出たウルリケは、図書館から寮への帰り道で、不意に誰かに名前を呼ばれた。
その声が、病で亡くなった母にそっくりだったので、ウルリケには無視できなかった。
声は、道の脇の茂みから聞こえてきた。
そこを覗くと、この箱が落ちていたのだという。
「最初は、おかしな魔法具が落ちていただけだと思ったんです」
ウルリケは言った。
けれど、部屋へ持ち帰って眺めているうちに、どういうわけか、この箱には死んだ母の魂が入っていると思い込んでしまったのだという。
「そんなわけ、ないのに。お母さまがこんな箱の中にいるわけなんて」
「本当だな」
冷たい声でそう言って、エメリアが立ち上がった。
「貴族のお嬢さんってのは、常識がないもんだな」
「おい、エメリア」
アインが険しい声を出した。
「さっき、君にも説明しただろう。この箱は」
「次はないぞ」
エメリアはウルリケとレクトを交互に睨んだ。
「今回は助けたが、もう次はない。覚えておけ」
「はい」
レクトが返事をすると、ウルリケも神妙な顔で言った。
「私、あなたにうそをつきました。寮の植え込みのところで。ごめんなさい」
エメリアは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに、ふん、と鼻を鳴らして身を翻した。
「ありがとう、エメリア」
大股で歩き去っていくエメリアの背中に、アインが声を掛けた。
「このお礼は、またいつか」
エメリアはもう返事しなかった。
「許してやってくれ」
エメリアの姿が闇に消えると、アインはレクトとウルリケに言った。
「彼女はこの学院で、誰にも頼らずに自分の力でのし上がってきたという自負が強すぎてね。貴族出身の女子が好きではないんだ。なのでまあ、さっきのは翻訳するとすれば、もう二度とこういうことが起きないようによく気を付けなさい、とそういうことだ」
「いいんです」
ウルリケは首を振った。
「悪いのは、私だから」
「話を続けよう」
ウォリスが口を挟んだ。
「それで、この箱が魔法を教えてくれたのか」
「はい」
ウルリケは頷く。
箱は、ウルリケの母親の声で、魔法の使い方を教えてくれたのだという。
簡単な灯の術や霧の魔法から始まり、浮かし文字の術や緘口の術といったやや高度な魔法まで。
全て、ウルリケの意思一つで簡単に使えるようになった。
だが、それは今にして思えば、ウルリケの魔力を使ってはいたが、魔法は箱自体が使っていたのかもしれない、とウルリケは言う。
その証拠に、ウルリケには今はもうそれらの魔法をどう使えばいいのか、まるで分からなくなっていた。
「エルオン紋の小箱とは、そういうものなんだそうだ」
アインは言った。
「初等部の図書館には、闇に関する書物が少なくてね。中等部の図書館にまで足を延ばしてしまった」
「聞けば教えたのだがな」
ウォリスが言うと、アインは「嫌だね」と肩をすくめた。
「人の受け売りをそのまま喋るくらいなら、最初から全部君に任せるさ」
「さすがは立派なクラス委員だ」
揶揄するウォリスをちらりと睨んでから、アインはレクトたちにも説明してくれた。
エルオン紋の小箱とは、かつて流布した魔法具の一種だ。
箱の中に独自の意志を有する魔力体が収められていて、それと会話をすることができる。また、魔力体は魔法を使うときの魔力のコントロール補助もしてくれる。
だが、その魔力体の中に、闇に侵されてしまったものが紛れ込んでいたのだという。
そういったいわば「汚染された」小箱は、邪悪な意志を持ち、甘言を用いて人を支配下に置き、魔力を吸収して己を成長させようとする。
「じゃあ、私も」
ウルリケが、ようやく事の重大さに気付いたように息を吞む。
「危なかった」
アインは言った。
「レクトが気付いてくれてよかった」
「ありがとう、レクト」
ウルリケがもう一度言った。握り合っている手に、少しずつ温かさが戻り始めていた。
「僕は、おろおろしていただけだよ」
レクトは恥ずかしそうに答える。
ウルリケに誘われてから、自分ではどうしていいか分からず、朝一番にアインを訪ねた。
アインはレクトの話を聞くと表情を曇らせて、それはあまり猶予の無さそうな話だ、と呟き、箱の形状やウルリケの言動を詳しく聞き出した。
その後でレクトに、ウルリケを今夜呼び出すように、と指示したのだった。
最初はアインも、先生に報告すべきだ、と言ったのだが、レクトが必死にそれだけはしないでほしいと懇願した。
ウルリケが学院にいられなくなってしまうような事態だけは、どうしても避けたかったのだ。
「この件は、ヴィルマリー先生に報告すべきだろうな」
ウォリスが言った。
「アイン。君に任せるが、僕はそう思うよ」
「えっ」
レクトはアインを見た。
「そ、それは」
「ウルリケの身体に直接闇が入ったわけではないだろうが、それでも表面を撫でられるくらいのことはしたんだ。ヴィルマリー先生や治癒術のセリア先生のような、しかるべき先生に診てもらうべきだと、僕は思うがね」
ウォリスはそう言って、立ち上がる。
「まあ、いずれにせよ君に任せる」
それから手を伸ばして、アインが持っていた小箱を掴み上げた。
ウォリスが無造作に箱の蓋を開けようとしたので、レクトは思わず身を引いた。
ウルリケも、はっと息を吞む。
だが、開いた箱の中には何も入っていなかった。
ただ、ふわっと嫌な臭いがした。
何かが腐ったような臭いだった。
闇は、臭いを伴う。
エメリアには、この臭いが分かっていたのだろうか。
「もう、これはただの箱だ」
ウォリスはつまらなそうに言うと、アインにそれを返した。
「ありがとう、ウォリス。今日は助かった」
アインの言葉に、ウォリスは薄く笑った。
「アイン。君は本当に人を動かすのが上手いな」
「なに?」
「僕をここへ呼び出したこともそうだが、何よりも僕の言葉では、レクトは動かなかった」
アインは一瞬、何を言っているんだという顔をしたが、すぐに思い当たったようで、
「ああ」
と頷いた。
それは、レクトにウルリケの魔力を感じ取るようウォリスが促した時のことだった。
あのとき、レクトはためらっていた。
その背中を押してくれたのは、自分たちの友情を信じろというアインの言葉だった。
「実に情熱的な言葉だった」
ウォリスは言った。
「僕にはあれは言えない」
「何を言うのかと思えば」
アインは渋い顔をした。それから、ウォリスを挑むように見る。
「ウォリス、あのとき君は正しいことを言っていた。だが正しいというだけでは、人は動かない。だから口を挟んだ」
「そのようだ。参考にさせてもらうよ、アイン」
ウォリスはアインの肩を叩くと、ローブを翻して歩き出す。
「ウォリスさん」
レクトはその背中に声を掛けた。
「ありがとうございました」
ウォリスは振り返らず、左手だけを軽く挙げた。
「さて」
庭園に三人だけになると、アインは改めて二人に向き直った。
「この件は、マイアさんに報告する。マイアさんから、ヴィルマリー先生にも伝わるはずだ」
そう言ってから、ウルリケを守るようにその手をしっかりと握っているレクトを見て、苦笑する。
「そんな顔をするな、レクト」
「いいのよ、レクト」
ウルリケも言った。
「私はきっと、それだけのことをしてしまったのよ。自分でもはっきりとは覚えていないけれど、何かすごく良くないことをしようとしていたことは分かるわ。だから」
「それでも」
レクトは首を振る。
「ウルリケが、自分で望んでそんなことをするわけないじゃないか」
「レクト」
アインは諭すようにレクトに言った。
「お前はこの学院の先生方を見くびり過ぎだ。ヴィルマリー先生だろうがマイアさんだろうが、たとえ僕らの担任のウェシンハス先生だろうが、そのあたりの事情を汲めない先生方ではない」
それでも納得のいかない顔をしているレクトの肩を叩き、アインは、
「さあ帰ろう」
と言って立ち上がった。
それに続いて立ち上がろうとしたウルリケが、ふらりとよろける。
「ウルリケ」
慌てて支えるレクトの反対側からウルリケに手を貸しながら、アインは、
「こういうことだ」
と言った。
「魔力を盗まれている。こんな状態のウルリケをそのままにはしておけないだろう」




