絶叫
やめるんだ、ウルリケ。
レクトは声を上げようとした。
いちいちお母さまにお伺いを立てるような、君はそんな子じゃないじゃないか。
けれどいくら動かしても、レクトの口からは何の音も発されなかった。
ウルリケは頬を伝う涙もそのままに、レクトにゆっくりと歩み寄って来る。
その手には、大事そうに小箱を抱えていた。
「お母さまが言っていたわ。この学院には、お母さまのような存在を快く思わない人間がいる。だから、秘密は守らなきゃならない。本当に信頼できる人にしか、お母さまの存在を打ち明けてはいけないって」
ウルリケは、悲しそうにレクトを見た。
「だから、私、あなたに打ち明けたのに。あなたを一番信用していたのに。結局、あなたもそちら側の人だったのね」
違う。
レクトは叫んだ。
違うよ、ウルリケ。
僕には、分かる。
それは、君のお母さまなんかじゃない。
だが、その叫びはやはり声にはならなかった。
必死に口をパクパクさせて何かを叫ぶレクトを、ウルリケはじっと見つめ、それから首を振った。
「だめよ、レクト」
ウルリケは、冷たい目でレクトを見た。
「お母さまが怒っているわ。もうあなたを許すことはできない」
レクトの足を締め付けるツタが、その強さを増した。
草がしゅるしゅるとレクトの身体を伝って上に伸びてくる。
身体をよじって振り払おうとしたが、草は蛇のように茎をくねらせて巻き付いてくる。
草が首にまで達した時、ウルリケの意図に気付いたレクトはぞっとした。
もしかして、このままツタで僕を絞め殺すつもりか。
レクトを見つめるウルリケの表情に変化はなかった。
小箱を耳に近づけ、小さく頷いたウルリケは、右手を上げた。
「ほら。お母さまの力があれば、この程度の魔法ならいくらだって使えるのよ」
レクトの身体を締め付ける草が、さらにその力を強めた。
みしみしと、身体がきしむ。まるで大蛇か何かに巻き付かれているかのようだった。
レクトは苦悶の唸り声を発したが、それさえも音にならなかった。
「残念だわ」
ウルリケはぽつりと言った。
「あなたなら信頼できるって、本当にそう思っていたのに」
それから、まだ何か叫び続けるレクトを無表情に見る。
「助けてほしいって? だめよ、お母さまは許さないって言ってるわ」
レクトの首に、草が巻き付いた。それが徐々に締める力を強めていくと、見つめるウルリケの顔に、かすかにためらいの表情が浮かんだ。
けれど、手の中の小箱がかたかたと揺れると、それも消えた。
「さようなら、レクト」
レクトの顔色が、徐々に赤黒くなっていく。
それでもレクトは何かを叫んでいた。
「そんなに助けてほしいのね」
ウルリケは微笑んだ。
「いいわ。最後に思い切り叫びなさい。裏切ってごめんなさい、許してくださいって」
そう言って、ウルリケが緘口の術を解除する。
「叫んだからって、助けたりはしないけどね」
ウルリケは小さな声でそう付け加えた。
「君のお母さまがそんなことを言うわけない!」
だが、レクトの口から出た叫びは、予想外のものだった。
命乞いではない。助けを求めてもいない。
ウルリケは「えっ」と言って目を見開いた。
「君も言ってたじゃないか、ウルリケ。亡くなったお母さまは、君にたくさんの人を助けなさいって言ってるんだって、だから君はこの学院に入学できたんだって。そんなお母さまが、君に僕を殺させたりするわけないだろ!」
レクトは命乞いなどしていなかった。
顔を真っ赤にして、口から泡を飛ばしながら、それでもレクトはウルリケのために叫んでいた。
「そんなものに負けちゃだめだ、ウルリケ! 僕の好きな君はそんなじゃない。君はそんなものに簡単に負けたりしない子なんだ! 君はこれから僕と一緒に約束した森の遊び場に行って、そこで薬草を見付けたりして、それで治癒術の勉強をもっとがんばるんだ、そんな学院生活をするんだ!」
レクトは叫び続けた。
「君は一人でも強いけど、ラウディにだって勝っちゃうけど、それでも誰かの助けが必要なときは、そんな箱じゃなくて僕を頼ればいいじゃないか! 僕じゃ何もできないかもしれないけど、それでも僕は君の担当なんだ!」
自分でも、もはや何を言っているのか分からなかった。
「君の担当はそんな箱じゃない! 僕だ!!」
レクトは絶叫した。
「僕が自分で立候補したんだ!!」
そう叫んだとき、不意に身体を締め付けていた草から力が抜けた。
レクトはその場に倒れ込み、激しくむせた。
レクトの叫びが夜の闇に吸い込まれ、静まり返った庭園に、レクトが咳き込む音だけが響いた。
「……ごめんなさい、お母さま」
ウルリケは呟いた。
「レクトは、殺せない。だってレクトは私の大事な」
そのとき、箱が激しく揺れた。
「きゃあっ」
ウルリケの悲鳴。
箱の中の何かが暴れ、出てこようとしている。
そう思わせるような揺れ方だった。
「ああ」
ウルリケは頭を押さえた。
「だめ。私、もう私じゃなくなる」
「ウルリケ!」
「そこまでだ」
鋭い声。
二つの影が飛び込んできた。
「おい、大丈夫か」
地面に倒れていたレクトは誰かに助け起こされた。柔らかな優しい動きだったので、それが三年生のエメリアだと分かってレクトは驚く。
「しっかりしろ」
「僕は大丈夫」
レクトは呻くように声を絞り出した。
「それよりも、ウルリケを」
「ウルリケ・アサシア」
ウルリケの前には立ちはだかったもう一つの影はアインだった。
「その箱を離せ」
箱はウルリケの手の中でなおも激しく揺れていた。
「今ならまだ間に合う。さあ」
一瞬、ウルリケは泣き出しそうな顔をした。
それから、大きく首を振る。
「いやよ!」
「ウルリケ!」
アインの厳しい声。ウルリケはいやいやをするように首を振った。
「お母さまと、離れたくない」
揺れ続ける箱に、ひびが入る。
それを見てアインは舌打ちした。
「仕方ない」
アインが手を突き出すと、そこから眩い光が迸った。
光は鞭のようにしなってウルリケの手から箱を叩き落とす。
箱は地面に転がって軽い音を立てた。
「やめて!」
ウルリケが叫ぶ。その身体の中で激しい魔力が渦巻いた。
それと同時に、草がアインの足に絡みつき、どこからか飛来した無数の石つぶてが彼を襲った。
それでも三年生のクラス委員は動じなかった。
先ほどの光を今度は幕のように大きく広げて石を防ぐと、足元の草に手をかざす。力を失った草が地面にくたりとくずおれると、アインは地面に転がる箱に手を伸ばした。
「触らないで!」
ウルリケが叫ぶと、箱の下の地面が隆起した。箱は跳ねるように転がっていく。
「くそっ」
アインは毒づいた。
「エメリア、僕に手を貸せ!」
エメリアもアイン同様に舌打ちした。
「情けないクラス委員だ、たかが一年の女子相手に」
そう言うと、腕を大きく振るう。
見えない空気の塊が飛び、ウルリケの足元で土が爆ぜた。
「きゃあっ」
土を頭からかぶったウルリケが悲鳴を上げる。
その隙にアインは素早く駆け、箱を拾い上げた。
「やっぱりだ。エルオン紋の小箱」
箱の模様を確認してそう呟くと、なおもがたがたと蠢く箱を、光を束ねた網でぐるぐる巻きにしていく。
「おとなしくしろ、こいつめ」
箱に光の糸を、何重にも何重にも巻きつける。
「ウルリケ!」
レクトが叫んだ。
突然、ウルリケの身体から力が抜け、糸の切れた操り人形のように地面に倒れたからだ。
「ちっ」
エメリアがウルリケのところに走った。
助け起こすが、意識がない。
「しっかりしろ、おい」
エメリアの呼びかけにも反応しない。
「ウルリケ」
レクトも、痛む身体に鞭打って駆け寄った。
「ウルリケ、目を覚まして」
その様子を見て、アインが顔をしかめて首を振った。
「くそ。呼びたくはなかったが」
そう言って、庭園の奥の闇に呼びかける。
「やはり、君の助けが必要なようだ」
その声には悔しさがにじんでいた。
「頼む」
アインの声に応じて、闇の中から艶やかな金髪の男子生徒がゆらりと姿を現した。
三年二組のクラス委員、ウォリスだった。




