竜たちは祝福を与えます(後編)
カルセドニクスの腕にレイリアが手を添えて、並んで歩いていく。レイリアのすぐ横には、狼の姿のリトニスがぴたりと寄り添う。
『今すぐにお嫁に行くと言ったらきっとお父様とお母様をとてもびっくりさせてしまうでしょうから、一緒にお願いしに行ってくださいますか?』
抱擁を解いた後でレイリアがはにかみながら告げた言葉に、すっかりいつもの調子に戻ったカルセドニクスはにこりと笑んで答えた。すでにカロッサ国王陛下からは婚姻の許しを得ている、と。
今2人は、カロッサ国王達の待つ外苑へと向かうため、王宮の大回廊を歩いている。
レイリアが身に着けているのは、かつてアルドノーヴァ国王に母シルビア王妃が嫁いできた時の婚礼衣装。いつの間にか内苑のすぐ外で待機していたテスにあらかじめ用意されていた控室に連れていかれ、それを着付けられたのだ。
美しく結い上げられた白金の髪の上に乗せられたのは蒼玉と金剛石がふんだんに使われた銀の宝冠。こちらは、カルセドニクスが父パイライトと祖父フェルナンに願って借りてきた、彼の母キャロラインのもの。銀糸で精緻な刺繍を施された婚礼衣装と驚くほど調和していて、別々に作られた物だというのが信じられないほどだった。
歩いていく道程で沢山の王宮職員たちに祝福を受けるのだが、皆、レイリアの婚礼衣装姿に驚いていない様子だった。というか、よくよく見れば、王宮内がいつもより飾り立てられている気がするし、式典用の華美な騎士服を纏った衛士も定間隔で配置されている。
(知らされてなかったのは私だけ?)
根回しを万全にしてからの求婚だったのが、いかにもカルセドニクスらしいとレイリアは思う。
「本当に、すっかり外堀を埋められていたのですね」
「全て条件を満たした上で、ただ私の隣に居ることだけを選んでほしかったから。
内心断られたらどうしようかと思っていた。
もちろん、貴女を諦める気はさらさらなかったけれど」
腕に添えたレイリアの手に、カルセドニクスの右手が重ねられた。
「…意外です、カルス様が自信がなかったなんて」
「他人からはそう見えないらしいけど、私は臆病な上に心配性なんです。
さっきの求婚だって結構必死だったでしょう?」
「伝わらなかった?」と少し不満げに呟く様子に、年上の男性相手にも関わらず可愛いらしいと思ってしまう。
いずれにしろ、断るという選択肢はきっとなかっただろうなぁと、隣を歩く男の横顔を見ながらレイリアは思う。そのくらい、彼との別離はレイリアにとっても耐えられないものだったから。
一緒に歩くカルセドニクスの方も、きちんと貴族の正装を身に付けている。
問題はその仕上がり具合である。
『体裁は整えないとね』という彼に、レイリアとしても確かに着崩したままというわけにはいかないな、くらいの認識だったのだが。
髪をさっと結い直し、着ていた貴族服の着崩しを整えて、その上に空間庫から取り出した外衣を羽織っただけなのに。
白を基調とした貴族服に、レイリアの瞳によく似た色合いの蒼い外衣がよく映えている。もともと整いすぎている彼の容姿を正装してさらに飾り立てたことで、なんだか物凄く綺羅綺羅しくなってしまっている。当然、耳飾りの認識阻害機能は解除中である。
2人を祝福するために壁際に控えている侍女や官吏たち、衛士達に至るまで、婚礼衣装の第三王女と彼女に寄り添って歩く美貌の男性貴族に目が釘付けになっているのが分かる。
レイリア自身、姉達に比べれば露出をせず隠れて暮らしてきた自覚はあるけれど、生まれた時から王族として人から見られる立場には慣れていると思っていた。それでもこんなにも視線を集めたことは、たぶん人生初の経験だ。
「……なんだか、皆の視線が痛いんですが」
「貴女が美しいから皆が見惚れているのでしょう。
本当に綺麗です、レイリア。
できることなら誰の目にも触れさせないようにこのまま攫ってしまいたい」
そんな甘やかな台詞付きで眩しい笑顔を向けられてしまっては、レイリアとしてはもう黙るしかない。何か言い返そうものなら、もっと気障で甘ったるい言葉が飛び出してくる予感しかない。
「カルス様的にはこんなに見られるのはいつものことなんですの?」
「東西南北の辺境伯家はフェアノスティ王国では王家に並ぶ古い家で、扱いは侯爵や公爵と同等なのです。
目立つのは好きではありませんが、貴族の規範たるのも高位の者の務めかと諦めています。
王族のレイリアは、私などよりもっと見られてきたでしょう?」
「………ソウデスネ」
視線が集まるのはたぶん貴族位だけが理由ではないし自分はこんなに見られたことはないと喉元まで出かかった言葉も飲み込む。
彼と人生を共にするならこれからはずっとこの視線に晒されることになるのねと、その点に関してはちょっとだけ先が思いやられるレイリアだった。
ようやく辿り着いた外苑には、カロッサ国王アルドノーヴァと王妃シルビアほか、カロッサ王族が揃っていた。
金と青の美しい衣装を身につけているのはアリスティア第二王女。ちゃんと女性の装いをしたグレイシア第一王女と、その手に掴まり目をキラキラさせた弟のケンドール王子の笑顔も見える。
「此度は婚姻のお許しをいただき、誠にありがとうございます」
膝を折ろうとしたカルセドニクスを、アルドノーヴァ王が手で制した。
「貴殿のおかげで娘の命は救われ、竜卵も護られた。それだけではない、我が国が見舞われるかもしれなかった戦乱を未然に防いでくれた。
礼を言わねばならぬのはむしろこちらのほうだ」
「過分なお言葉、痛み入ります。」
アルドノーヴァ王は頷きながら、隣に立つシルビア王妃の方を見遣る。
「三人目の娘がこんなに早く巣立ちの日を迎えるとは思ってもみませんでしたが、先日、夜の内苑での二人の様子を陛下から聞いて、なんとなくこうなる予感はしておりましたの。
本当に素敵な方に巡り合えたわね、レイ」
うっすら涙ぐんだシルビア王妃は、それでも優しく微笑んでくれた。こくりと頷き、レイリアも微笑み返す。
「お父様、お母様。急なことでご心配をおかけするとは存じますが、私はどうしても、この方のお傍に行きたいのです」
はっきりとそう告げる娘に、父と母の顔になったカロッサ国王夫妻は寂しさを堪えて頷いた。
「あの夜の繰り返しになるが、カルセドニクス卿。
娘を、どうかよろしく頼む」
「私の持てる力の全てで、お護り申し上げて参ります」
王族の隣には、封印の護り手の役割を終えた後もカロッサを見守っていってくれるという、原初の氷竜シシティバルムの姿があった。
「内苑からこちらまで、ずいぶん歩かせてしまったようじゃな。
されど、これから飛び立つ雛には狭いあの場所よりも、この広い空の下での門出が相応しいと思うてな」
「来てくださりありがとうございます、シシー様」
「ほんに、よう似合うておるぞ、レイリア。
其方の母や祖母の嫁入り姿を思い出す。
さて、そろそろ来る頃ぞ」
シシティバルムが手にした扇で示す北の空を、一同が見上げる。
透き通るような青い空に煌めく銀翼を広げこちらに真っ直ぐ飛翔してくるのは、偉大なる竜の王ナザレとその使いである竜騎士の一団。
その翼の軌跡は白銀に輝く雲となり、外苑にて待つ者はもちろん、それを見上げるすべてのカロッサの民にとっても吉兆の前触れのように思えた。
竜王ナザレは地上にその巨大な影を落としながら王宮上空で大きく銀雲の環を描いて旋回する。
「大騒ぎになるから翔んできたりしないと言っていたくせに」
目眩しの魔法も無しでの派手な登場に、カルセドニクスは呆れたように呟いた。
美女姿のシシティバルムが、扇で口元を隠しながらさも愉快そうに笑った。
「そう言ってやるでない。竜王の来臨を知らせるには一番分かりやすい方法であろ?
竜騎士と竜卵の代母の婚姻じゃ、我らが見届けずしてなんとしよう」
シシティバルムがそう言う間に、竜王一行はゆっくりと王宮外苑に降り立った。そして、ナザレがその大きな掌を開いて運んできた人物を地に下ろす。
降り立ったのは、先ほど白い船団でカロッサを離れたはずの、フェアノスティ王国王太子ルシアン・アディル・フェアノスティその人だった。
「やぁ、レイリア」
「ルー義兄様!? どうして………」
「見ての通り、ちょっと船からナザレに拉致されてきちゃってさ。」
北大陸に向けて出航した船団に竜王が追い付きルシアンだけを連れてきた、ということらしい。
「他でもない二人のことだもの、この目でしっかり見届けたいからね。
レイリアはまさに輝くばかりだ。綺麗だよ。
カルもいつも以上に美人だね、君の晴れ姿を見れて叔父さん嬉しい」
「ありがとうございます、叔父上殿」
「……素直なカルはちょっと怖いな」
「五月蝿いですよ、殿下」
「あ、いつも通りになった」
ルシアンは「ね?すぐ会えるって言ったでしょ?」とレイリアに朗らかに笑いかけ、アルドノーヴァ王達に目礼してからアリスティア王女と微笑み合いその隣に並んだ。
カロッサ各地で休暇中だった竜使たちもナザレにより再招集されたようだ。一際背が高い1人がフラシオンで、彼に抱えられている小さな竜騎士はクラリッサだろう。
祝うために集ってくれたのは確かだが、竜使長カルセドニクスの滅多に見られないデレた姿を拝みたいという野次馬的な思惑もあるに違いない。白銀の面で竜使達の表情は窺い知ることはできないものの、その下の好奇心に満ちた目を思うと腹立たしい気もする。複雑な思いのカルセドニクスだったが、他でもない晴れの席であることに免じて目を瞑ることにした。
「竜騎士カルセドニクス、並びに竜卵の護り手レイリアよ」
竜王ナザレの声が響く。
カルセドニクスがレイリアの手を引き、見届けるために集った人間と竜の間を抜けて竜王の前へと進み出る。
「我が妹竜ネリーがこの地に封印された時、世界の創り主は、来るべき時に御子と同じ色を持つ盟主が生まれてくることを告げられた。竜の卵がカロッサの地に託されて以降、御子は揺籠に護られながら盟主となる人間が生まれ落ちる時を待ち侘びていたのだ。
揺籠は代替わりの時以外、卵の声を聞くことはなかった。レイリア以外で代替わりでない時に卵の声を聞いたのは、レイリアの祖母、先代の揺籠であったトリーシアだけだ。
卵は、トリーシアに語り掛けた。」
――――モウスグアノ子ガ生マレル
――――ダカラ番ヲサガシテ
「その直後、幼い氷竜が単独で営巣地を離れ北大陸に渡ったことがわかった。
そこで出会った者に庇護され、守護竜の契約を結んだのと時を同じくして、番を探してほしいという卵の声は止んだのだ。
ちょうど、レイリアが母親の胎内に宿った頃のことだ」
ナザレの語った事に、カルセドニクスとレイリアは顔を見合わせたのち、傍らに佇む勿忘草色のリトニスを見る。
レイリアが生まれるより前、北大陸に渡った小さな氷竜は、そこで出会った幼いザクトの嫡男カルセドニクスに保護され盟約を結んだ。
北に渡ったリトニスの行動が、卵の告げた『番探し』だったとしたら。
その番というのが、卵の中で竜の子が待ち続けた盟主となる人間を産むことになる2人を指すのだとしたら―――
「世界の創り主とネリーの産んだ御子は、自らの意思で其方たち二人を護り手にと望んでいる。
いずれ生まれる其方たちの子が、御子が共に生きていく最初の盟主となるだろう。
これからは二人が竜卵の代父母となり、生まれ出でるまで護り育ててやってほしい。」
「…………」
「……カルス様?」
竜王の言葉にカルセドニクスの顔からさっと笑みが消えたのを見て、レイリアが呼びかける。
レイリアの華奢な右手をきゅっと握りしめ、カルセドニクスはちょっと考えるような仕草をした後、真っ直ぐナザレを見上げた。
「フェアノスティ人の恋愛を運命の恋だとか評されるのをよく耳にしますけど、正直なところ、私はずっと運命などというものは妄想にすぎないと思っていました。
でもこうして自分にも愛する人ができて初めて、運命だと呼びたくなる気持ちも少しは理解できました。
私の性格上、神様の思惑通りになったと考えるのはやはり少々ムカつきますが」
「相変わらず口が悪いよな、お前は」
カルセドニクスのなんとも彼らしい物言いに、彼をよく知る竜王やルシアン王太子、そして竜使の間からは忍び笑いが漏れ、隣のレイリアは困ったように額に手をやり苦笑いをした。
そんな周囲の反応など綺麗に無視して、カルセドニクスは言葉を続ける。
「運命でもなんでも、ここにこうして大切な方と共に居られること、この現在に辿り着けるのなら、なんだって構わない。
ましてやそれが、ディアートやリトニスが結んでくれた運命だというのなら―――こんなに嬉しいことはありません。」
繋いでいなかったレイリアのもう片方の手も拾い上げるように握りながら、カルセドニクスは彼女にだけ向ける柔らかな表情で微笑みかける。
両の手に伝わるカルセドニクスの体温と流れ込む彼の暖かい魔力が、レイリアの心を温め、彼女の中の竜卵の鼓動も心なしか嬉しそうに響く。
自分はここに居てもいいのだろうかと不安そうに言った子供。待っていると告げたときのあの嬉しそうな笑顔を思い、レイリアも涙ぐみながら笑う。
「そうですね、私も、とても嬉しいです。
竜に導かれたなんて、いかにも竜に関わる両家らしいと思います」
「しかも竜の子の代父母に、その盟主の生みの親だそうですよ、レイリア。
婚姻もこれからなのに、もう子沢山になったみたいだ」
「でも、カルス様となら、大丈夫な気がします」
「そうだね、2人なら」
微笑み合う2人を見守っていた親しい者たちから暖かい拍手が贈られる中、シシティバルムとリトニスが相次いで光に包まれた。
眩さにくらんだ人々の視界が回復すると、そこには白銀鱗の竜王と共に、白藍の原初の氷竜と勿忘草色の若い上位竜が、二人を囲い護るようにして姿を現していた。
そして、その場のみならず、カロッサ本島すべての者に届く不思議な声で、竜王ナザレが宣言する。
「我、竜王ナザレおよびカロッサの護り竜シシティバルム、その眷属である氷竜リトニス、我ら三体の竜の見届けにより―――――フェアノスティの騎士カルセドニクス・ザクトとカロッサの乙女レイリア・カロッサ、両名の婚姻成立をここに宣する。
カロッサの伝説、神と竜の御子を護り育てる二人の婚姻に祝福を!」
ナザレの声と同時に空に登った光球が弾け島全域に拡がり、天より黄金に輝く花びらが降り注いだ。
突然のことにカロッサの民は驚きはしたが、とてつもない慶事であるのだけは理解できた。
そしてその後すぐ、第二王女の婚姻に先立ち、第三王女レイリアがフェアノスティ王国南方辺境伯に嫁ぐことが王宮から発せられた。
永らくこの島に眠っていた悲劇の母竜が生まれ変わる時を迎えて巡る命の輪に入り、そして隠し護られてきた母竜と神様の御子の宿る卵についに誕生の時が近づいた、という話も、新しい物語としてこれから広まっていくだろう。
黄金の花びらが舞い降りるその中心で、竜たちに祝福された暗銀色の髪の青年と白金の髪の少女が寄り添っている。
眩しいほど幸せそうな笑みを交わし、もう離れないと誓いながら。




