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参謀長は休暇中 ~竜の眠る島~  作者: 錫乃(すずの)


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25/28

参謀長は心から願います


竜王ナザレは今、カロッサ本島中央部にある休火山ヴィオルの頂近くの巨岩の上に立っていた。

眼下には多彩なカロッサの自然が広がっているが、竜王の金の目はその遥か先にある北大陸で繰り広げられている光景を、世界を見渡せる竜の力で見通していた。


立ち昇る、幾筋もの黒煙。

晴天の空から落ちる雷撃。

大地の力を濃く孕んで噴き出す溶岩の火柱も時折見える。

スファルトード公国で拘束した魔導士たちの持っていた通信具を解析し、公国内で実験されていた精製技術の情報が送られた可能性がある魔導士集団の全拠点を洗い出した。

それらの拠点はすべて、どの国家にも属していない山岳地帯に点在しているのが確認済みだ。

今回の件であらためて、竜宮が幻妖(げんよう)の結晶精製に関わる全てを滅するという判断を下したため、今現在、北大陸の竜壁山脈以北にある各拠点を、竜騎士が複数同時殲滅中である。


「カルスの奴、ほんと全開でやってやがる」


ナザレはその金の瞳を閉じ、こめかみに手を遣る。


「私は大雑把だから、山脈の北側の大地ごと沈めてしまうだろうな」


隣から穏やかな声がした。

言っている内容は全く穏やかではないと憮然としたナザレの視線の先には、その身が半ば透けた人影があった。

白絹の髪に金の瞳。古代のエルフのような装束を身に着けた、美しい人。

長く留まることのできない身ではあるが、力を小さく裂いてこうしてたまに世界に降り立つ存在。

8年前は、この世の理の中に身を置くため、自分を産み落とすことになるであろう二人に会いにやってきた。

全てを超越した存在にとっては、この世界における何年とかいうような概念すらあるかどうかわからないが。


拠点を潰したところで、伝わった情報がどこまで拡がっているかわからない。

完全に抑え込めないまでも最小限にはとどめる為に、速さと、苛烈さも必要だと、ナザレは彼の竜騎士に全権を与えたのだ。

この方の言うように竜壁の北を滅すればより確実かもしれないが、その後世界が均衡を保っていられる保証がない以上、その選択は捨てねばならない。かつてこの方自身が、その手段を取らなかったように。


「此度のことはこれで終いとするが、よろしいか?」

「うん。代父殿のされることに、口出しはすまいよ」

「………」


話している傍から、北からの新たな衝撃が大地を伝ってきた。

竜の目では音は感じないが、地竜であるナザレには大地の震えは感じ取れる。

海を隔てていようが、大地は繋がっているのだ。


「最速で終わらせて帰ってくるつもりだな……」


ふふ、と笑う気配がした。


「今回は会っていかないのか?」


いつかしたのと同じような、ナザレからの問いかけ。

指差す先にあるのはカロッサ王宮。

今頃は、帰路に着く前の王太子ルシアンがアリスティア王女と別れを惜しんでいるはずだ。

先ほどよりも薄く透けゆくその人は、そちらを見て目を細めるも、ふるふると首を横に振った。


「二人との再会は、生まれ落ちるその時まで取っておくよ」


その美しい(かんばせ)には、いつかとは違う嬉しそうな笑みが浮かんでいた。


  **********************




到着当日と同じ気持ちよく晴れた空の下。

フェアノスティ王国王太子ルシアン率いる友好使節団は、8日間の滞在日程を終えて帰国の途につくこととなった。

それに合わせ、ルシアン王太子とカロッサ王国第二王女アリスティアとの婚約が結ばれたことが正式に発表された。

出立直前にレイリアが別れの挨拶をすると、義兄になることが決まったルシアン王太子は「またすぐ会うことになるんじゃないかな」と言って笑った。一年後には婚姻式が行われるから『すぐ』ということになるのかしらとレイリアが問うたのには、微笑むだけで答えてはくれなかった。

再び歓喜に湧くカロッサ国民に盛大に見送られ、ルシアン王太子一行はドネリ港から白い船団で出発していった。


竜王ナザレは、昨日レイリアを見舞った以降、王宮から姿が見えなくなった。行きに地行魔法を使って酷い目にあったから、使節団の船団に便乗していったのかもしれない。

レイリアの傍から離れたがらなかったクラリッサも、先ほど別れを惜しみながらも辞去の挨拶をしていった。父フラシオンの束の間の休暇中、クルデの街を一緒に散策して回るらしい。

そしてもう一つ、レイリアにとっては身を裂かれるような別れが待っていた。

原初の氷竜シシティバルムが、カロッサ王宮を去ると告げたのだ。


「ネリーは環廻(かんかい)し、卵は目覚めた以上、我がここに留まる理由はなくなった。

内苑の結界も役目を終えた故、先ほど解いたところだ」

「そんな…」

「何もカロッサを去るわけではない。

我は永らく居たこの島が好きじゃ。

ヴィオルの頂の冬の領域側にある場所に、よき住処を誂えてもらったのでな。そこに移るつもりなのだ」

「シシー様…」

「そんな顔をするでない、愛しい子。

ネリーの封印されておった場所は閉ざした。

内苑はこれより、誰もが訪れることができる開かれた場所に変わるであろ。

卵はもう揺籠(ゆりかご)を出たのだ。

そなたも―――この場所を出て、自由に羽ばたくがよい」


アルドノーヴァ王と話をしてくると言ってシシティバルムが部屋を出た後、レイリアは唯一傍に残ったリトニスを連れ静かになった王宮の回廊を歩いて内苑に向かった。共に歩いているのはテスやダナンではない、王族付きの侍女と護衛だ。

今まで使っていた部屋が幻妖(げんよう)に汚染されたため、眠っている間にレイリアの私室は別に移されていた。新しい部屋は庭園に面した日当たりの良い場所で、内苑への道のりも今までとは違う。

これまでなら会わなかった一般の王宮職員達ともたくさんすれ違うことになって、皆がにこやかに挨拶してくれるのが新鮮だった。


倒れて以来久しぶりに訪れる内苑。

入り口にあった古びた樫の扉は取り外されていた。

護衛と侍女には入り口付近で待機をしてもらうことにして、レイリアは扉の無くなった戸口を潜った。

結界を解いた、とシシティバルムが言ったように、竜の領域に踏み込む時の感覚がしなくなっていた。

潜る瞬間の違和感に一瞬躊躇ったあと、小径を進みはじめたものの、またすぐに足を止めてしまった。

見た目はいつもと変わらない風景だが、何かが違う。

顔に風を感じて視線を上げれば、天井を覆う玻璃の一部が取り外され、カロッサの太陽が直接降り注いでいた。


「静かね」


すり、と寄り添ってくるリトニスを撫でながら、レイリアは変わってしまったこの場所を見回した。

この場所を包み込んでくれていた氷竜の気配も、ここにすっかり溶け込んでいた竜王の気配も、今は遠い。


「独りに、なっちゃったな………」


思わず声に出してしまった呟きが自分でも驚くほど大きく感じた。

止まった足も、動かない。このまま進んで、空っぽになった四阿(あずまや)を目の当たりにするのが怖い。


自由にと、シシティバルムは言った。

でも、手にした自由はどこまでも空虚だった。

役目を終えたらどこに行ってみたいかとレイリアに聞いてくれた人の顔や声を必死で思い出そうとしてみる。

もう一度会えたら、行ってみたい場所に連れて行ってほしいと、はたして言えるだろうか。


「もう一度、会えたら………」


レイリアが呟いてみたとき、ずっと寄り添うように傍にいてくれたリトニスが突然ピンと耳を立てて内苑の奥へ向かって駆け出した。


「リトニスちゃん!?」


レイリアが呼んでも、リトニスは止まらない。その後を追って、レイリアも急いで小径を辿る。

天井の玻璃の無くなった箇所は、直接外に繋がっている。

何故狼の姿になっているのかはわからないが、リトニスは竜なのだ。本来の姿に戻ってそのまま飛び去ってしまうことも出来る。


「待って……」


レイリアの首にかかった銀の鎖が揺れる。

原石を持っていれば、それを受け取りに来る彼と一度は会う機会があると思っていた。

でももしもこれが、彼にとっての唯一無二の物でなかったら?

大切に思っていたのはレイリアの方だけで、石を新しく用意してまたあらためて魔力をこめれば済む、その程度のものだったとしたら?


「待って……!」


リトニスが去り、この原石にこだわる理由がないとしたら、もう二度と、会うことが出来なくなるかもしれない。


「行かないで…………!」


曲がる小径に沿って木立の間を抜ければ、すぐに見慣れた四阿(あずまや)が見えた。

そして、そこには積み上げられたたくさんの資料の山の間で作業をする暗銀色の髪の男性の幻が――――



「リトニス?キミ、なんで()になってるの?

前々から思ってたけど、キミはもうちょっと竜としての矜持を持った方がいい。

ディアートを見習いなさい」


言いながらも、その手はしっかりともふもふの狼の毛並みを撫でている。

見苦しくない程度に着崩した貴族服と、緩くまとめた暗銀髪に、色付き眼鏡。


「カルス…様…?」


レイリアの呟きに顔を上げた男性が、優しい笑みを浮かべた。

幻、にしては、現実感がある。


「レイリア様」


手にした資料を机に置き、ゆっくり立ち上がって歩いてくる。

懐を探って取り出した手巾で、レイリアの額にうっすらと滲んだ汗を拭いてくれた。


(幻じゃ……ない?)


惚けたように見るレイリアの前で、男が色付き眼鏡を外した。

灰青の目が真っ直ぐ彼女を見据えてくる。


「もしかして、走ってきたんです?

転んだらどうするんです、危ないでしょう!?

私が書いていった諸注意、ちゃんと読みました?」


矢継ぎ早に浴びせられた言葉。

無表情の中に滲む心配と、溢れ出る過保護。


(絶対、幻じゃない…!)


うー、と唸るレイリアを見て、カルセドニクスはひとつ深呼吸して圧を抑えた。


「………体調は、いかがです?

昨日、私が北に向かった後に目覚められたと、ナザレから聞いています。」

「はい………大丈夫、です」

「よかった……」


心配しましたよ、と微笑む顔は、一緒に過ごしていた日々と同じ。

たった一人で竜騎士として戦ってきたはずなのに傷ひとつない様子に、レイリアは驚きながらもほっとした。


「カルス様……どうしてここに?」

「戻ると、書いておいたはずですけど。

やっぱり読んでないんですか?」


拗ねたような、揶揄うような口調に、レイリアの気持ちが解けかけた。

しかし、次に告げられた言葉に、彼女の表情が固まる。


それ(・・)を、渡していただけますか?」


肩が跳ねそうになるのを、レイリアはなんとか堪えた。

震えるなと自らの手に念じる。

原石の包みを左手に握りながら首にかかった銀の鎖を外した。

そして彼が拡げた掌の上に、そっとそれを置く。

指先から石に込められている魔力が離れていく感触に、細く残っていた希望もすべて、失われていく気がして思わず目を閉じた。


(ああ、これでもう、本当に)



心を決め、すっと手を引こうとした。

だが、手は離されることなく、カルセドニクスの掌にそっと捕まえられた。

恐る恐る固く閉ざした目を開いて見上げれば、そこには、暗銀色の長い睫毛に縁どられた灰青が、優しく微笑んでいた。

ひっくり返され広げられたレイリアの左の掌の上で、手放したはずの原石の包みがそっと解かれる。

そして原石を乗せたレイリアの左掌に、カルセドニクスの右掌が重ねられ、下から支える左掌とで包み込むようにきゅうっと優しく握りしめられた。


「貴女が目覚めたときには傍にいるつもりでしたのに。

少し遅くなってしまい申し訳ありませんでした」


応える代わりにふるりと首を横に振る。


「お祖父様……陛下の所に寄ってきたもので。」

「フェアノスティ国王フェルナン陛下…?」

「私は正式にフェアノスティ王国ザクト南方辺境伯位を継ぎました。

それと―――大切な方を見つけたことを、報告してきました。

ついでに、ちょうどその場に居た父と、師匠たちにも。」

「え………」


言葉に詰まるレイリアを見て、カルセドニクスの笑みがさらに深く優しくなった。


「貴女に出会ってから、私の世界は色鮮やかに変化しました。

自分がこんなにも強く誰かを欲するとは、これまで生きてきた中で一度も、思いもしませんでした」


そして、灰青の瞳を見つめ返すレイリアの目線がすっと下がった。

重ねた手を離さないまま、カルセドニクスが跪いたからだ。


揺籠(ゆりかご)はその役割を終えました。貴女がこの地に縛られることは、もうありません。

貴女は――――自由です。

できればその自由で、私の傍にいることを選び取っていただきたい」


告げられた言葉に息を呑むレイリアの手の中で、原石が熱を持つ。

それは、彼女と竜卵の魂魄を繋いで護り抜いてくれた、カルセドニクスの温かい魔力。

囁くほどの小声でカルセドニクスが大地の魔法を唱えている。

やがて原石が発する熱が2人の掌と同じ温度になったとき、包み込んでいた掌を解いたカルセドニクスの指先がそれを取り出した。


「これを、貴女に。

どうか受け取っていただけませんか。

私の、心と共に」


少しだけ灰色がかった淡い紫の石でできた、指輪だった。

間違いなく、あの原石から、彼がザクト家の大地の魔力で作り上げたもの。


「わたし、に………?」

「貴女以外の誰にも、私の心は向かいません」


見開いた青い瞳から溢れ落ちた真珠の涙が、指輪に当たって撥ねた。

でも、そこにあるのはもちろん、哀しみでも、寂しさでもない。


「私の手に、自由があるなら………

貴方の傍で、生きていきたいです。

連れて行ってください……っ」


するりと、何の抵抗も感じることなく、指輪がレイリアの薬指に嵌まった。

その指先に、カルセドニクスは恭しく口付ける。

嬉しさに、レイリアの目からまた涙がこぼれた。

立ち上がったカルセドニクスの顔も、今までレイリアが見た中で一番喜びで溢れていた。


「レイリア様」

「………様は、いりません」

「え?でも………」

「一昨日ディアートに会ったときは、レイリアと呼んでくださいました」

「そういえば………そう、でした」

「敬語も、止めてほしいです」

「私のこれは半分、癖みたいなもので………分かった、善処する」


カルセドニクスが小さなレイリアに覆いかぶさるように抱きしめ、唇を耳元に寄せて吐息混じりに囁く。


「愛しているよ、レイリア」

「っ!  貴方は、ほんとにっ!」

「ん?」

「………やっぱり、カルス様は悪い大人だわ」


ぷいと横を向いたレイリアの頬にそっと触れて、カルセドニクスは彼女と正面から目を合わせた。


「レイリア」

「…………はい」

「私の、妻になってほしい。」

「……はい」

「今すぐ。」

「は…………え? 今すぐ!?」


驚いて離れようとするレイリアを逃がさないよう、カルセドニクスは抱きしめる腕に力を込めながらにっこりと笑ったのだった。


最後が近くなってやっと恋愛ぽくなってきた。

読んでいただきありがとうございました。

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