参謀長は休暇を申請します
長くなりそうなので連載という形でちょこちょこ投稿していこうと思います。
同じシリーズ内の時系列でいくと、『妖精王の茶会』の八年後。ルシアン王子が約束の白い船団を率いてアリスティア王女に会いに行く数日前から物語は始まります。
妖精と魔法の国、フェアノスティ王国。
王国の首都エリサールは小高い丘の上に幾段かの層が重なるように築かれた城塞都市である。
一番外側でかつ郊外の土地と高さが近いのが商業層と騎士団詰所、次に隔壁と門で区切られた上層に一般市民や貴族の邸宅がある居住層、さらにその上に外城と内城の二層から成る王城が乗る形で建てられている。外城は事務官たちが働く内政府、騎士団本部、外部から来た貴賓を迎えるための部屋などがあり、最上層の内城は主に王族たちの住まいとなっている。
外城と内城の間を繋ぐように位置する区画に、王が執務を行うための部屋がある。大国の王が代々使ってきたはずのその部屋は、所謂”王様の部屋”然とした華美なところが一切ない空間だった。華美さという点では、身分を問わず優秀な若者が集う王立学院の学院長室の方が煌びやかかもしれない。そうなったのはおそらく、初代国王であるルーファウス・フェアノスティが残したとされる、
『王なんぞ、貧乏くじを引かされたやつのする仕事だ。そこを飾ってどうする』
という言葉に原因があるのかもしれない。
その質素極まりない部屋に、今日は普段滅多に訪れない人物の姿があった。
「もう発つのか?」
執務机の前に立つその人物と彼が差し出した書類を交互に見ながら、この部屋の主たる国王フェルナンが尋ねた。
「これから南都に行き、ターレ港から民間船でカロッサに向かいます。
ゆっくり船旅を楽しむのも”休暇”の醍醐味ですので」
淡々と、しかし”休暇”の二文字をことさら強調して言った若者は、カルセドニクス・ザクト。王立騎士団第三師団に所属し、弱冠22歳にして参謀長を務めている。
父は王立騎士団総騎士団長を務めるパイライト・ザクト南方辺境伯で、カルセドニクスは彼の一人息子である。
背は騎士団の中でもかろうじて高い部類には入るくらいで、低くはないが大柄でもない。建国当時から南方辺境伯を務める武の家門のザクト家出身にしては珍しく、ごりごりの筋肉質というよりは引き締まったしなやかな体躯をしている。
長く伸びて後ろで一つに結い上げている髪は暗めの銀。垂れ目がちな灰青の瞳と、端正を通り越して女性と見紛うほどの美しい顔立ち。
参謀長の激務の合間に通常の訓練にも参加し一般兵を鍛えているにもかかわらずほとんど日焼けすることがない白い肌は、ご婦人方からしたら羨ましいことこの上ないほど滑らかで美しく、騎士連中の間ではザクト参謀長に魅了されて新しい扉を開きそうになったものがいるとひっそり噂になっているほどだ。
王国一の美姫と謳われた母キャロラインに生き写しと言われるほどの美貌なのだが、如何せん表情が乏しい。
剣を父パイライト、魔法を魔導師団長カルロア・ガレリィ、諜報と情報戦を宰相クラウス・ミュラーという、国の上層部における笑わない男トップ3に各分野を仕込まれたためか、はたまた元来の彼の性格によるものか。とにかく、普段はあまり感情を表に出さない青年なのである。
が、今日はその灰青の瞳がいつになく輝いているように見え、国王は苦笑する。
「で、せっかくだから使節団より前入りして現地調査をする、と?」
「今回私は王子の友人兼貴族のはしくれとして使節団に加わります。
ですが、主目的は”竜宮”の管轄事項の調査です。
恐らく何かあるとしたら使節団到着後でしょうから、船団到着前に現地でいろいろ調査をしたいのです」
「現地調査って……
”竜宮”から調査のあらましについては報告が来てはいるが。
其方の狙いは、どちらかといえばカロッサ島固有種の植物調査の方だろう?
いったいどっちが主目的なのだか……」
「どちらもです。
カロッサは南洋に浮かぶ火山島なのに氷河地帯もある、全ての季節が混在する特別な島です。
自生する植物の種類、分布、そこに息づく動物との関係性、すべてが非常に興味深い。
できれば移住して研究し尽くしたいほどです」
「ヤメナサイ」
カルセドニクスは幼い頃より植物全般に大変興味を持っており、今でもちょっとした隙間時間を見つけては大陸中の植物分布を調べたり、希少種を採取して育てたりしている。そのおかげで、新種の植物や既知の薬草の新しい効能が見つかったりすることもあるから、たかが趣味だなどとは誰も言わないのだが。
とにかく、植物のこととなると目の色が変わる(ようにみえなくもない)のだ。
彼は王立騎士団において参謀長を務めており優秀な諜報員と分析官を多数抱えているため、宰相クラウスと連携して仕事を行うことも多い。先日も、南大陸の商業国との間の条約締結に向け、宰相の指示で情報収集と分析、情報操作などで休みなくずっと動いていたと報告が来ている。
休暇を与えてやりたい気持ちはもちろんある。
ただ、彼とその部下数名がそろって休む期間は、おそらく騎士団参謀本部だけでなく宰相周辺の仕事も滞ることになるだろう。宰相はじめ、関係各所から苦情があがることは想像に難くない。
ましてや王国を離れ移住するなんて言い出した日には大変な騒ぎになりそうだ。
しかし、”竜宮”からの指示で動くとなれば、否やとは言えない。
”竜宮”とは、サザランド北方辺境伯領内の地図に載っていない場所、竜壁山脈のどこかにあるコルベリオ地下迷宮にある特殊な機関だ。世界の黎明期に妖精王と共にやってきた竜王ナザレと守護盟約を結んだ竜伯を長とし、竜に関する研究とその営巣地の保全を行っている。
王国建国前から妖精が守護するこの地を見守ってきた竜王ナザレの元、竜と妖精が関係している事案について調査し、必要な場合には国家の枠組みを超えてその事案に介入を行ってきた。
竜や妖精という異界から来た存在により、この世界の理をこれ以上歪めないために。
カルセドニクスの今回のカロッサ行きは、表面上は友好使節団に加わった一貴族だが、実態は竜宮からの命を受けた”竜使”である。
まあ、当の本人はそんな大層な使命などついでだと言わんばかりに、カロッサ島での珍しい動植物の調査に気もそぞろなようだが。
「其方のことだ、船旅の途中で海洋調査もするつもりだろう?」
「余暇とは普段できないことをするためのものです」
「地行魔法で地脈を辿ってサクッと行く……のは、駄目か。
なら、使節団と一緒に行けばいいのではないか?」
「使節団と一緒に渡航したのでは到着と同時に竜宮の方の案件が発生する恐れがありますし、第一それでは休暇になりません。
ですから陛下、申請の通り休暇をご裁可いただきたく」
無表情なまま目力だけ増した美しい顔をずいっと近づけて訴えられ、期間短縮などの譲歩も難しいとフェルナンは悟った。
「わかったわかった。
第三師団参謀長カルセドニクス・ザクトおよび申請のあった数名については、本日から王太子率いるカロッサ王国への友好使節団帰国までの期日、騎士団の任務から離れることを許す」
とうとう申請通りに休暇をもぎ取られてしまった。
関係各所には詫び代わりの差し入れでも手配しておいてやろう、と王はため息交じりに思った。
「ありがとうございます」
礼を述べるもカルセドニクスの表情はやはりほとんど変わらない。それでも目元が少しだけ、ほんの微々たる程度朱に染まり、喜んでいるようにも見える。
「キャロラインが、其方が植物についての話をする時は表情が分かりやすく浮ついて言葉数が増えるのだと、言っていたな」
「母上がそのようなことを?」
「其方がまだ幼き頃にな」
カルセドニクスの母キャロラインは、現国王フェルナンの第一子で元王女だった。つまり彼らは王と臣下でもあり、祖父と孫の関係でもある。
『旦那様もカルスも、表情は硬いですけれどちゃんと感情表現はしてくれますのよ?』と話してくれた愛娘の笑顔が、フェルナンの脳裏に浮かんだ。
「もう……8年になるのか」
「…はい」
「あの凶年……我が国は、多くのものを喪った。
そして我が家族も」
「………」
王の言葉に、青年が少しだけ目を伏せた。
8年前―――カルセドニクスがまだ王立学院に通う14歳だった年のことだ。
留学先の南大陸友好国から第二王子ギャレットが帰国した。
ザクト南方辺境伯領都ディアダンにあるターレ港に到着後、王子とその一行が一時的に身を寄せる予定となっていたのがカルセドニクスの生家である南方辺境伯領城館で、ザクト伯一家はこの時第二王子の帰国にあわせて領地に戻っていた。
ところが、彼らのうち下働きをしていた船員の幾人かが、ターレ港に着く直前に嵐を避けて予定外の寄港をした島で、病をひろってしまった。
最初、ただの風邪のような症状で始まるその病は、数日の間にじわじわと身体全体を侵してやがて高熱を引き起こす。
熱が出て数日すると黒い血を吐き、多くの場合がそのまま衰弱し亡くなってしまう。もともと南の海域の島では数年に一度ほどの頻度で流行る病で、その地域の住民は罹っても死に瀕するほどに悪化することはあまりない。
だが、罹患した経験のない北大陸のフェアノスティの民の間では病名すら分からないまま瞬く間に広まってしまった。
王国南部でじわじわと病が拡がりつつある中、それを突くように北方からマルタラ帝国とスレイヤール聖導王国の連合軍が侵攻してきた。
救いだったのは、北に異変の兆候ありという報を受けてパイライト総騎士団長が領地から呼び戻されたのが、かろうじて疫病の発生前だったことだ。
南部の病と、北部の侵略。
続く凶事に下がる一方の兵の士気を鼓舞するため、総騎士団長パイライト・ザクト率いる第三師団とともに、炎の魔法の使い手である第一王子クリストファーも戦場に赴くことになった。
後にサザリア戦役と呼ばれるこの戦いは半年の長きにわたって続いたが、王国はなんとか相手連合軍を押し戻し、民と領土を護りきることができた。
疫病についても、隠棲していたエルフの郷を出て千年ぶりに姿を現した銀星公アーネスト・シルヴェスターにより、離宮星影宮の敷地内の薬草園が開放され薬が作られたことでなんとか終息に導くことができた。
だが戦乱の中で多くの兵が命を落とし、第一王子は前線での怪我で右目と右腕を失った。
そして王国南部では、病の対処と調査の指揮を執っていた第二王子ギャレットと、倒れた弟王子を看病していた南方辺境伯夫人キャロラインが、病に侵されて亡くなってしまった。
病と戦で国土は荒れ果て、多くの民と共に、王位継承権を持つ王族が複数亡くなるという大凶年であった。
「儂は息子と娘を、パイライトは妻を……そして其方は母を喪った。
怪我を理由に王位継承権を放棄したクリスに代わり、ルシアンは残された王子として王太子にならざるを得ず、其方にも継承権二位を押し付けることになった。
大人に頼ることも、甘えることも許されず、逆に自らが大人になり周囲を支えざるを得なかった。
二人ともまだ学院で学ぶような齢であったのに……其方たちから無心に遊び学ぶ子供時代を奪うことになってしまった。
本当に、すまぬ……」
まるで懺悔するかのように告げるフェルナン王に、カルセドニクスは緩く首を横に振る。
「戦も病も……外からもたらされたものに対し、皆がそれぞれ自身に出来得ることをしたのです。
けしてお祖父さまだけの責任ではございません」
「……其方にお祖父さまと呼ばれたのは、いつ以来かな。
はは……感傷に浸っての詮無い泣き言も、たまには言ってみるものだな」
苦い悔恨を飲み込み、王は目を細めてくしゃりと笑った。
戦乱と疫病で荒れた国土を立て直すべく、国全体で少しずつ復興に向け努力を重ねた。以前と同じとまではいかなくとも、民がまた未来に少しずつ希望を見出せるようになるまで、8年かかった。
そうしてようやく、ずっと後回しにしてきた王太子の婚姻に向け動き始めてもよいだろうという判断が下った。そのための使節団が七日後、ターレ港を出港する予定だ。向かう先はソラン海に浮かぶ島国カロッサ王国。そちらの第二王女を是非にという、ルシアン王太子たっての希望である。
凶事の直前、妖精の悪戯により導かれた先で相手の王女に出会っていたというから、こちらも8年の時が経ったことになる。
「ルシアンももう20歳か。
ずいぶん待ったな」
「国内が落ち着くまでは、と自分のことは後回しにしていましたから。
まあ、ここに至るまでの間、この縁談に反対する者を説き伏せ、自分の娘を王太子妃に推すものには別の縁を用意し、と、水面下ではいろいろやっていましたけど」
8年前から今までずっと、王太子ルシアンの左耳からは約束の王女から貰ったという”翡翠の耳飾り”が外されることはなかった。国の復興のために働き続け、懸念事項全てに片を付け、満を持してのカロッサ行きだ。
今頃は、来るべき再会に向けて求婚の言葉でも反芻しているかもしれない。
「ようやくの春だ、恙なく迎えられるよう力添えを頼む」
「ここまできたら私の言うことなど、訊かないでしょうが」
「かもしれんな。
それにもしかしたら、旅先で其方にも出会いがあるやもしれんぞ?」
「可能性として、覚えておきます」
まるで他人事である。
フェルナンは半分本気で言ったのだが、さらりと流されてしまった。これは初ひ孫に会える日はまだまだ遠そうだなと、ため息も漏れるというものだ。
「さあ、奥の庭園で王妃が待っている。
早く発ちたくて気は急くだろうが、祖母孝行だと思って会っていってやってくれ」
「はい」
失礼しますと立ち去りかけたカルセドニクスが、そういえばと立ち止まって振り返った。
「今回の件、”ナザレ”もカロッサに向かうそうです。
まあ本体ではなく、”竜鱗体”でしょうが。
カロッサ側にはもう話をつけてある、と申しておりました」
あらためて一礼し、カルセドニクスは執務室を出て行った。
静かに閉まった扉を見ながら、フェルナンは椅子に深くもたれかかって息を吐いた。
竜宮は竜王ナザレの御座所。
所在地こそフェアノスティ王国内にあっても王国政府の管理下にはなく、完全に独自の判断で動く。
現在の竜伯は、カルセドニクスの父パイライト・ザクトだが、総騎士団長兼辺境伯である前に竜王の盟約者としてナザレの意思と共にあり、いざとなれば竜伯としての立場を優先するだろう。
竜宮は、竜王ナザレから加護を与えられてその力を取り込んで戦う竜騎士の育成も行っており、竜宮での修練を終えて竜騎士となった者は平素はそれぞれ騎士団なり魔導師団なりに属し、竜宮からの命が下った場合は竜使として竜王とその代理たる竜伯の下に集う。
竜宮が護るのは特定の個人や国家の利益ではない。竜や妖精の力により世界の理が乱されないようにするために、竜宮は存在する。
竜宮との関係は一見危険な二面性をはらんでいるようにも見えるが、フェアノスティ王国が”妖精の守護者”たらんとする限り、竜宮と袂を分かつことはないのだ。
「竜宮……ナザレが動くか」
竜王ナザレは自らの鱗から”竜鱗体”と呼ばれる分身のようなものを作り出せる。本体ではなくとも”竜鱗体”が同行するということは、今回の件には竜宮としても危機感を持って臨むということだろう。
「何事も、起こらなければよいのだがな」
民の命と財産を預かる国王として、そして漸く自分の幸せに向けて踏み出せることになった息子を想う父として、フェルナンは心からそう願ったのだった。
お読みいただきありがとうございました。
続きも頑張ります。




