7話 味方?
「え、部屋を隣に?」
「ええ、隣の方がお世話するにも便利ではないでしょうか」
ニコニコ顔で執事のバールがそう提案してくれた。
ルンルン気分でお姉さまの手を取って、周りを踊っている時に、そんなことを言われたから、思わず呆けた感じでバールを見上げてしまったのだけども。お猿さんは床に降りて目を回していた。
バールはお父様のお父様、つまりおじい様の代から仕えてくれている執事だ。
老齢だけど、見た目は若々しく、この屋敷の全てを取り仕切っている人でもある。実際は他の人に任せてるみたいだけど。お父様が王宮での仕事で領地を見れない時は、このバールが領地のことを任されているから。
前の時間軸では、バールはほとんど領地にいた。ここに来る時はお父様に領地のことを相談する時だけ。私も実はあまり話したことはない。今が初めてだったりする。だって、前はバールがこの屋敷に来ても、すぐに領地に帰っていたから。
こんな風に笑うんだなって内心思っている私に、バールはチラッとお姉さまの方に視線を向けた。
あれ? バールってお姉さまのことどう思ってるの? 考えたことなかった!
「セレスティアお嬢様も、フィリアお嬢様がお傍にいた方が安心するのでは?」
嫌っているのか、好意に思っているのかも分からないバールの問いかけの声に、お姉さまはビクッと体を震わせていた。これ、怖がってる? だとしたら、近づけさせないようにしないと!
「ば、バール! だめですよ! お姉さまにそう怖い目を向けちゃ!」
ババッと腕を大きく広げて、お姉さまとバールの前に立ちはだかると、バールがきょとんとした目で見下ろしてきた。
私にとっては普通の目だけど、お姉さまが怖がるなら駄目です!
んぐっと口を引き締めて、精一杯バールに牽制していると、目の前でいきなり「ブフッ」と口を手で押えて体を震えさせた。え、ん? あれ? どういう反応?
「ふ……ふふ……すいません。まさかの行動だったもので……」
ふうっとすぐに息を整えたバールが、優し気な瞳で私とお姉さまを見下ろしてくる。これ、別にお姉さまを嫌っていないのでは?
「バールは、お姉さまのこと嫌ってないです?」
「はて? どうしてわたくしがセレスティアお嬢様のことを?」
あ、あれ? なんか、意外かも。この屋敷で、タックの他に普通の人がいたの? え、でもお姉さま、怖がって……と思ったところで、お姉さまの方を振り向くと、複雑そうに私とバールを交互に見ていた。
「お姉さま、バールのこと怖いです?」
「……初めてだから」
「初めて、ですか?」
「ふむ。そうですね。赤子の時に会って以来ですし、こうやって話すのは初めてかもしれませんな」
顎にある髭を撫でながら、バールがしみじみと言ってるけど、え、初めて⁉ 私もあまり顔合わせてなかったけど、それでも知って――あ、そうか。お姉さまはずっと部屋にいるように言われていたから、バールに会えるはずがないじゃない。
ずっと、ずっとあの部屋で、一人ぼっちでお姉さまはいたのを知ってたのに。
キュッと胸の奥が苦しくなる。
そうさせていたのは家族で、
そうさせていたのは、動く勇気が出なかった私自身で。
後悔が胸の奥に渦巻いていく。
でも、もうそんなことはさせないって決めたんだ!
ギュッとお姉さまの手をまた両手で包み込んだら、お姉さまが目をパチパチさせていた。
「お姉さま、これからはずっと一緒ですからね!」
「……え?」
「ずっとずっとずぅぅぅっと! お姉さまと一緒にいますからね!」
ご飯を食べる時も、お勉強する時も、どこかへ出かける時も! ずっと離れないから! お姉さまが嫌だって言ったって、私の事が嫌いでも、それでもお姉さまのそばにいますからね!
……やっぱり嫌われるのは嫌かも。
「これはこれは、随分と聞いていた話と違いますな」
訳が分からなそうに首を傾げているお姉さまを決意を込めた目でジッと見つめていたら、バールの声が落ちてくる。いるの忘れてた。ん? でも聞いていた話?
「フィリアお嬢様がこんなにセレスティアお嬢様を慕っているとは」
疑問に思ってバールを見上げると、どこか楽しそうに口元に笑みを浮かべていた。何を言っているんだろう? それってもしかして、私がお姉さまを嫌っていると思っていたの? ありえない。
「バールから見て、私がお姉さまを嫌ってるように見えるんですか?」
「いえいえ。そうは全く思えませんな。ただ」
「ただ?」
どこか嬉しそうに、バールは目元を細めた。
「本当に旦那様は困った方だと、思っただけでございますよ」
……お父様が? え、なんでここでお父様? さすがに分からないんだけど。
それはお姉さまも同じようで、私と一緒に首を傾げて、分からなそうにバールのことを見上げていた。ふふっと楽しそうにバールがお姉さまに笑みを向ける。
「セレスティアお嬢様は、あの方に似てきましたな」
あの方?
「バール、あの方って?」
「セレスティアお嬢様の母親ですよ」
お姉さまのお母様? 私の母親が嫌っている? そういえば、肖像画とか見たことないかも。見てみたいけど……きっとお母様はもう捨ててるんだろうな。前の時間軸で、一回も見たことないもの。似てたのかな?
じっとまたお姉さまをつい眺めてしまったら気づいたのか、気まずそうに目を逸らされてしまう。あ、これきっと今私のお母様のこと思い出したんだ。気を遣わせてしまった。ごめんなさい。
「お姉さま、私のお母様のことは気にしないでくださいね」
「……」
気にしてる。ものすごく気にしてる。何も言わないで目を逸らしているのが証拠だ。お姉さまにとっては、お母様に何かされる理由になってるから。
どうにかして、お姉さまに気にしないで貰える方法とかないかな。難しいとは思うんだけども、本当にお母様のことは何とかしなきゃ。
「……なるほどなるほど。本当に私が聞いていたのは、まやかしだったわけですな」
バールが今度はまやかしとか言い出した。一体何を誰に聞いていたんだろう?
「キ」
グイッとお猿さんが腕を引っ張てきた。そうだった。この子もいるんだった。お姉さまのお母様のことばかり今は気にかけていられない。気になるけど。
まずはこの子とお姉さまと、一緒にいられるような環境にしなきゃ。あとお母様が何かしてくるのを止められるように。
さっき、バールはお姉さまの隣の部屋にと言っていた。でもそれだけじゃまだ不安。寝てる時にお姉さまが何かされるかもしれない。
……お父様、確か、私の要望通りにってバールに言ってたよね?
「バール、お姉さまの隣の部屋じゃなくて、一緒の部屋じゃだめですか?」
「理由を聞いても?」
「お母様から、お姉さまを守りたいんです」
即答で答えると、バールは目を丸くさせて、握っていたお姉さまの手が少し震えた。離されないようにギュッと強く握る。
でもこれが私の本心だから。
私がちゃんと守りたい。
諦めるんじゃなく、誰かに委ねるんじゃなく、ちゃんと私がお姉さまを守りたい。
もうあんな後悔はしたくないから。
願いを込めて、ジッとバールを見続けていると、バールが嬉しそうに目元を細めて微笑んだ。
「本当に、私は大馬鹿者でしたね。これは旦那様のことを言えませんな」
またここでお父様? っていうか、それってバール、お父様のこと大馬鹿者だって思ってるってこと⁉ この屋敷でそんなこと言えるのバールだけじゃない⁉
予想外のことばかり言ってくるバールに戸惑っていると、バールが今度は膝をついて、私とお姉さまに視線を合わせてくれる。
「フィリアお嬢様、貴女は私が思っているより、ずっと強く、優しい方です」
「ふえ?」
いきなりの誉め言葉に変な声出ちゃったよ⁉ 突然何を言い出してるの、バール⁉
「そしてセレスティアお嬢様、貴女も、とても思慮深く、誰かを思いやれる優しい方です」
「っ……」
反射的になのか、今度はお姉さまが、視線はバールに向いたまま私の手を握ってくる。これ、そんなことないとか思ってないよね?
今のやり取りで、どうしてバールがそう感じたのか分からないけど、お姉さま、お姉さまは優しい方ですよ。だって私、忘れられませんから。前の時間軸でお姉さまが殿下とのお茶会でのお土産で、お菓子をくれたの。
そんなお姉さまと私をゆっくりと交互に見てから、バールが柔らかく目元を細めた。
「ですから、私にお二人が幸せに育つためのお手伝いをさせてください」
……え?
「バール……それって?」
「これから、ここで平和に暮らせるために何が出来るのか、私にも考えさせてくれると嬉しく思います」
ちょっと楽しそうにバールは笑う。
……でもそれどころじゃないんだけど、私!
だって、それって……助けてくれるってことだよね⁉
まさかの味方⁉
「さすがに虫がよすぎますかな?」
困ったように微笑んでいるバールに、すぐに返事が出来ない。
いやいやいや、だって、こんなこと今までなかった! 前だってずっと領地にいたし、たまに会っても、お姉さまのことも私のことも気にかけてくれている感じじゃなかったのに!
なんでって疑問の方が圧倒的に頭を占めているんですけど⁉
「……いいの?」
戸惑っている私をよそに、お姉さまがポツリと呟いた。お姉さま⁉ 信じるの⁉ だってお姉さまは今日初めてバールと顔合わせたんですよね⁉ さすがに不用心すぎるのでは⁉
「セレスティアお嬢様、貴女が思っているより、私への旦那様の信頼は揺らぎませんよ」
そっちの意味⁉ お姉さま、そっちを心配してのさっきの『いいの?』って発言だったんですか⁉ というか、バールはすぐに理解できたんだね! 私よりお姉さまの理解度あるって、それちょっと悲しいんだけども!
「フィリアお嬢様は私は信用できませんか?」
今度は色々と混乱している私にバールが問いかけてくる。
し、信用って。信用してないわけじゃなくてね。
……正直に言えば、助かる。
バールがいてくれれば、助けてくれるならば、侍女たちやお母様とかの嫌がらせとか絶対なんとかできる。
まだこれから殿下の問題のことだってあるし、平和に暮らせるなら、それに越したことはない。
なにより、私は、お姉さまを守りたい。
お姉さまが笑っていられる場所を作りたい。
だったら、答えは一つだ!
「そんなことないです! バールが助けてくれるなら、助けてほしいです!」
勢いよく言ったからか、また驚いているようにバールが目を丸くさせていた。でも、すぐにさっきみたいに微笑んでくれる。
「ええ。私にできることで、お二人が健やかにお育ちになられるよう、お力添えいたします」
頼もしいバールの言葉に、つい心が弾んだ。
お姉さまの手を握る力を強めたら、お姉さまも反射的になのかさっきより強く握り返してくれて、それがとても嬉しかった。




