5話 嬉し涙
「あの……お嬢様?」
「タック、今日はあったかいものをお願いします! あ、もちろんお姉さまの分もですよ! 一緒にここで食べるんです!」
「ここでっ⁉ それは私が奥様に怒られ――ってそうじゃなくて! いや、それはそれで問題なんですが! それよりもですね!」
「お姉さま、このタックはですね、ゴツイ顔をしていますが、それはもういつもおいしいご飯を出してくれるんですよ!」
「……」
「セレスティアお嬢様まで……あ、俺、終わったかも……」
厨房の隅にある使用人たちがいつも食べているテーブルの席に、私とお姉さまが座っている。
そんな私とお姉さまにタックは困惑中だけど、お姉さま、大丈夫です! タックはね、いつもお母様に内緒でお菓子くれたりもするんですよ! 新作の料理の試食だってさせてくれるんです!
まあ、タックが一番何に困惑しているって、
「フィリアお嬢様! 言いたいことはちゃんとあるんですが、まず! このサルはなんなんですか⁉」
お姉さまの隣に陣取っている白いお猿さんのことなんだけど。
「キ?」
「お腹空いてるの?」
「キキ!」
「タック、この子も食べたいそうです!」
「そうじゃないでしょう⁉」
いつもは静かに話すタックが、「どうなってんの、この状況⁉」と天を仰いでいた。私もさっきそうだったよ。
そう、さっき。この厨房に来ようとして廊下を歩いていた時に、このお猿さんが何故か私の顔めがけて飛び込んできた。その勢いで私は後ろのお姉さまの方に倒れこんじゃったけど、お姉さまが小さい体で受け止めてくれたのだ。おかげでどこも体は痛くない。優しい。
私の顔から引き剥がすと、このお猿さんはずっと「キ! キキ!」と鳴いていた。クリクリの可愛らしい目を向けてきて、何かを訴えるように。
だけど、全然何を伝えたいのかが分からなかった! というか、一体どこから入ってきたのかも分からない! こんなお猿さん、この領地にいたんだね。
お姉さまもお姉さまでこのお猿さんに困惑していた。首を傾げながらジッと見つめてたんだけど、このお猿さんが何故かお姉さまを見て静かになったんだよね。というか、私のことはほったらかしで、お姉さまにギュッとしがみついちゃって離れなくなった。
私もお姉さまもどうしたらいいか分からないから、というかお腹も空いてたからそのままここにきたんだけど。
「タック、まずは天井見上げてないで、何か食べるものください」
「お嬢様はなんでそんな冷静なんですか⁉」
そう言われてもなぁ。ここにお猿さんがいようがいまいが、私とお姉さまはおいしいものを食べるためにここにきたんだから。それに、早く食べてしまわないとまたジルとお母様が邪魔しに来るだろうし。
「……やっぱり私は」
「あ、ダメですよ、お姉さま! 私のおいしいって思ったものを食べてくれる約束でしたよね!」
「でも」
「でもも何もないですから! ほら、タック! お姉さまも困っちゃいますから! あれがいいです! この前食べさせてくれたかぼちゃのスープ! あと柔らかいパンも! ベーコンも食べたいですね!」
行儀が悪いと思いながらも、バンバンとテーブルを叩いてタックを急かした。
お猿さんっていうトラブルはあったけど、お姉さまに食べさせたい思いの方が圧倒的に強い。お猿さんは食べた後でゆっくり考えればいいんだもん! このままだと、お姉さまのことだから遠慮してまた部屋に籠ってしまう。
あーあー……と視線を彷徨わせつつ、タックが観念したかのようにハアと重い溜息を一つついてから、お姉さまに目を合わせた。なんだか気まずそうだ。いつもタックは「仕方ありませんね」とか言いながら、私にお菓子作ってくれるのに。
「……ちゃんとセレスティアお嬢様にも出しますから。よかったら食べてください。お口に合えばいいんですが」
「?」
「だって、お嬢様、俺の料理嫌いなんでしょう?」
いきなりタックが変なこと言い出した。え、え? 何それ? そんなの初めて聞いたんだけど。
というか時間が戻る前、タックは協力的だったじゃない。お姉さまに食べられるものをあげたいって相談したら、時間が経っても硬くならないパンを持たせてくれたはず……あれ? でもあれってこの年の頃じゃないかも?
必死で前の時間軸のことを思い出そうとしていたら、お姉さまはお姉さまで分からなそうに首を傾けていた。
「嫌いも何も……あなたのこと知らない」
「それはそ――ってそうですよね! あーくそ! 嵌められた! 馬鹿か、俺!」
今度は頭を抱えてその場所にしゃがみ込むタック。あの、タック? 何をそんな自分で納得しちゃってるの? あとお姉さま、本当に知らなかったんですか? タックって見た目は結構ゴツイから、存在感あると思いますけども。
「ハア……すいません、いきなり」
勢いよく立ち上がったタックが次はガバッと頭を下げてきた。でもすぐに顔を上げて申し訳なさそうにお姉さまに視線を合わせている。
「セレスティアお嬢様、何を言ってるか分からないかもしれませんが、俺が悪かったです。もう惑わされないんで、俺にあなたの食事を作らせてください!」
「タックがずっと作ってたんじゃないの?」
「それはっ……まあ、いいんです! フィリアお嬢様、さっき言った献立でいいんですね? すぐ作りますから、二人ともちょっと待っててください!」
あれ? 誤魔化された? まあ、いいか。タックが妙にやる気に満ち溢れている気がするし。
「お姉さま、タックとは初めてですか?」
「……あの部屋から、出るなって言われてるから」
「お父様に……ですよね?」
「……」
沈黙は答え。
そうだ。お母様だけじゃない。お父様のことだってある。あの人たちをどうにかしないと、安心して暮らすことなんてできない。
それでも、この屋敷で一人でもお姉さまの味方がいるんだよって、教えることができたから、ここに無理やりでも連れてきたのは正解かもしれない。
タックはこの屋敷の中でも特別だ。他の使用人たちはお母様を怖がって何もしてくれないけど、タックだけは話を聞いてくれたんだ。タックもお母様たちからお姉さまへの扱いを不憫に思っていたって、前に相談した時に教えてくれたんだよね。
「タックの作る料理は、本当においしいんですよ。今だけじゃなくて、次はお菓子も作ってもらいましょうね!」
「キ」
お姉さまじゃなくてお猿さんが返事した。お姉さまの腕から全く離れる気配がないな、この子。タックはまだ作り終わらないだろうし、改めてお猿さんを観察してみる。
白い毛並みに真っ黒い顔。でもクリクリとした目が可愛い。ただ体はまだ小さい方だから、赤ちゃんかな?
「お姉さまの知ってる子ですか?」
「そんなわけないでしょう」
それにしては、お姉さまから離れる様子はないけども。
お姉さまも気になるのか、指でお猿さんの頭を撫でている。そのお姉さまの指にしがみつこうとして失敗するお猿さん。なんかこの光景、微笑ましい。
「ほら、こっちにもおいで~」
「キ!」
なんで⁉ 私の手を払いのけたんだけど、この子‼
「キキ」
お姉さまにはスリスリと顔を押し付けている。だからなんで⁉ 私、何か嫌われてない⁉
ガーンとショックを受けていると、美味しそうな匂いが近寄ってきた。タック、仕事が早い! もう出来たの?
「お嬢様たちのご所望のものですよ。まだ熱いから火傷しないでくださいね。そんなことになったら俺はクビです」
テーブルの上にまだ湯気が立っているスープの器や、焼き立てのパン、それにちゃんとカリカリのベーコンが上に乗ったお皿を置いていくタック。おいしそう! さすがはタック!
「あと、お前さんはこれな」
お猿さんには切り分けた果物を出している。「というか、結局この猿はなんなんだ?」とブツブツ言いつつも、ちゃんとこのお猿さんにも食べ物を出してくれるなんて、優しいよね、タック。
お猿さんはさっさと果物の一欠けらを手に取って噛り付いていた。よっぽどお腹空いてたみたい。いやいや、こっちも負けていられない!
「お姉さま、食べましょう!」
早く食べてみてほしい。
あったかい料理を、何よりもお姉さまに食べてもらいたかったんだから。
お姉さまは私に促されてか、恐る恐るといった感じでスプーンを手にとっていた。前の記憶を辿ると、たぶん、この年の時にはこういうあったかい食べ物を食べていないはず。
どんな反応するのかと、じーっと思わず見つめてしまったら、「……食べにくいから」と私にもスプーンを差し出してきた。はっ! そうですよね! まずは私が食べて、これが安全な食べ物だって証明しなければ、お姉さまも安心して食べられませんよね!
自分もスープをスプーンで掬って、はむっと口に入れた。かぼちゃの優しい甘みが口いっぱいに広がる。
あま~い! おいし~! そういえば、タックの料理久しぶりかも! お姉さまが亡くなってから、この屋敷に帰らなくなったし、何よりもタックって実はあの時にはもうこの屋敷にいなかったんだよね! 田舎のご両親が病気とかで、帰っちゃったから!
「おいひいでふ!」
「お嬢様、さすがにそれは俺が奥様に叱られますので……」
口に含んだまま喋ったら怒られた。それはそう。ちょっとはしたない真似をしてしまった。まあ、タックはこういう私のしでかしをお母様に逐一報告したりしないでしょう。
「セレスティアお嬢様はどうですか?」
「……おいしいわ」
お姉さまが食べる瞬間を見逃してしまった! でも今おいしいって言った?
スープを飲みこんでから、お姉さまの方に顔を向けると、あまり表情が変わっていないようにも見える。
お姉さまはまた一口、スプーンを口に運んでいた。
あ。
少しだけ。
ほんの、少しだけだけど。
お姉さまの頬が一瞬だけ緩んだ気がした。
タックが嬉しそうにはにかんでいる。
「そうですか。これからはちゃんとセレスティアお嬢様の分も、腕によりをかけて作りますから」
「……ありがとう」
また一口と、お姉さまは食べている。
その瞬間だけ、やっぱり頬が緩んでいるように見える。
「お姉さま、ちゃんとおいしいですか?」
「……ええ」
よかった。ちょっとはおいしいを分かってくれたかな?
目をパチクリとさせて、不思議そうに私のことを見てきた。タックも何故か慌てたように「フィリアお嬢様⁉」と声を出している。どうしたんだろう、二人して?
「なぜ、泣いているの?」
え?
お姉さまのその不思議そうな問いかけで、自分の手で頬を触ってみた。泣いている。気づかなかった。
「お嬢様、美味しくなかったですか⁉」
「……ううん、違う」
ごめん、タック。違うの。
これ、嬉し涙だ。
お姉さまがちゃんとおいしいって思ってくれているのが嬉しいんだ。
ちゃんとした食べ物をあげられて嬉しいんだ。
前、できなかったことを、一つちゃんとできたことが嬉しいんだ。
変な心配かけちゃうなと思って、グイっと袖口で涙を拭ってから、笑顔を作ってお姉さまに笑いかける。
「お姉さま、こっちのパンをね、こうやって浸して食べてもおいしいんですよ」
私のおいしいを、お姉さまも感じてくれて嬉しいんだ。
私がいきなり笑ったからか、お姉さまは首を傾げつつも言った通りにして食べていた。おいしかったのか、やっぱり少しだけ頬が緩んでいる。
こうやって少しずつでもいい。
色々なことを知ってほしい。
「このパンにですね、このベーコンを挟んでもおいしいですよ」
「お嬢様……それ、前に奥様に怒られていませんでしたか?」
確かにお母様に貴族令嬢はナイフとフォークとかを使わないで食べないって言われるけど、でもここにお母様はいないじゃない? だからいいの! お姉さまにおいしい食べ方を教えるんだから!
「キキ」
「あなたも食べるの?」
「キ」
ってちょっとぉぉぉ⁉ 白いお猿さんが勝手にお姉さまのパンを手に取って、ベーコンを挟んで食べてる! いやいやいや、あなたにはその果物があるでしょう⁉
「これはお姉さまの分!」
「キ!」
お姉さまを挟んで白いお猿さんと攻防しようとした時に、タックがハアとため息をついていた。タックもため息ついてないで、このお猿さんに他のもの出して! お姉さまの分を取ろうとしてるんだよ⁉
でもあっという間にお猿さんは自分の口にそのパンを入れて頬張っている。むむっとお猿さんを睨みつけていると、お姉さまは我関せずといった感じでスープを口に入れていた。仕方ないから自分の分をお姉さまにあげたよ。
おいしかったのかお姉さまがまた少しだけ頬を緩ませていたから、よしとしよう!
……あれ? 私の分は? と思っていたら、タックが追加で新しいベーコンとパンを出してくれた。
なんだか前の記憶の時より、全部がおいしく感じた。




