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16話 もう貴方に譲らない


「びっくりしたよ。あんな風に帰るとは思わなかったから」


 あははと、屋敷にいきなり来た殿下の笑った顔に、サーっと血の気が引く思い。


 先日、お姉さまが具合悪いと思い込んでお茶会を飛び出してきた私は、それはもう怒られた。主にバールに。


『お嬢様、早とちりはさすがにいけませんよ?』


 いつもは怒らないバールだけど、その時ばかりは眉間に皺を寄せて、額に青筋が浮かんでた。笑顔だけど怖かった。


 お母様も予想外の私の行動だったのか難しそうな顔をしていたし、お父様は私に激甘だけど重い溜息をついていた。


 大人たちが皆して暗い表情だったから、さすがにやってしまった感がある。


 王族主催のお茶会をあんな風に一方的、しかも思い込みの理由でさっさと帰ってきてしまったんだから。王族から殿下のことを蔑ろにしていると思われても、仕方ない。どんなことを今後言われるのかも見当もつかない。


 お父様たちが頭を抱えるのも分かる。いや、自分でやったことだし、それに後悔もないけれど。お姉さまの体調の方が私にとっては優先事項だからね。


 ……ただ、ちょっと、その、さすがにこれで王族の人に睨まれるのは、避けたがっていたお父様に悪いかなとは思っている。私も王族――というか殿下と関わりたくないし。


 お姉さまはちょっと心配そうに私のことを見ていたけど……お姉さま、その、今回ばかりは私が悪いと思っています。だから心配しなくても大丈夫です。


 お姉さまには安心してもらうために笑顔を振り撒いて、でも内心、今回の事をお父様は何とか出来るのかなぁとか思っていた時に、王族――というより、殿下から、『伝えたいことがある』という、地獄からのメッセージみたいな手紙が直接届いた。


 それで、今この状態。

 ニッコニコとよそ行きスマイルの殿下と、それに対面してお父様と私、それに後ろにバールが立っている。殿下が名指しで私の名前を出したからだけど。


 お姉さまは自分の部屋でお勉強中。スクルはバレるかもしれないからと言って、お姉さまのそばにいる。お母様は絶対私のことでうるさく言ってくると思うし、お姉さまのせいにしそうだったから、バールが部屋から出させないようにしていた。それはありがたい。


「……この度は、娘がとんだ失礼を」


 どこか悔しそうにお父様が座ったまま頭を下げるから、慌てて私も同じように頭を下げた。でもお父様、どんだけ王族嫌いなの⁉ 空気だけで『とっとと帰れ』オーラが出てるの分かるよ! 隣の席、息苦しいよ! 私のせいだけど!


 内心ハラハラしていたら、「ですが」と頭を上げたお父様が言葉を続けた。


「まだ幼い子のしたこと。そこを踏まえて、今回、お茶会を望まれたのはそちら側です。まだ教育が終わっていないというこちらの言い分を押しのけたのも。まさかこのような些末な事で、王家は長年仕えてきた我がローザム家を処罰なさるおつもりですか?」


 めちゃくちゃ敵意が籠ってるよ、お父様! 喧嘩吹っ掛けてるように聞こえるんだけど⁉ それ、大丈夫⁉ 普段はお姉さまに塩対応で私に甘々の態度だから、どこの誰と思っちゃうんですけど⁉ しかも相手の殿下もまだ子供だよ⁉ 九歳だよ⁉ というか、教育が終わってないって何⁉ ちゃっかり実は断ろうとしてたの⁉


「ローザム侯爵、そんなことで僕は今日ここに来ていないよ」


 ――殿下もすごいね! 大人の敵意をサラッと躱したよ! すごい余裕の笑顔だよ!


「今回の件、咎めることは何もないよ。陛下にもそう言ってあるから大丈夫」


 ニコニコした顔で言う殿下だけど、え、本当に? 結構失礼なことをしたと後悔しちゃってたんですが? スクルもあの時に『なんで人の話を聞かないの? あたしがついていった意味とは?』とか嫌味を言ってきたんですけど? ほら、お父様もすっごい疑わし気に眉間に皺を寄せてるよ?


 ちょっとポカンとした私と、めちゃくちゃ不機嫌そうなお父様を置いて、殿下は後ろにいた侍女さんに視線を向けていた。何かをその侍女さんが殿下の手に渡している。箱?


「これをね、渡せなかったなと思って持ってきたんだ。ほら、君が言っていただろう? お菓子のレシピとあの時に飲んでいた紅茶の茶葉だよ」


 そういえば、そんなことを言ったような……。もうお姉さまのことで頭がいっぱいになっちゃって、忘れてた。あれ? でもこれでタックにあのお菓子作ってもらえるんじゃない? お姉さまも喜ぶんじゃない? わぁお。やった。


「ありがとうございます。遠慮なく」

「ぶふっ」


 箱を受け取ろうとしたら、殿下が笑いだした。口元を押さえてたけど、明らかに笑っている。「お嬢様……」と後ろからちょっと冷たいバールの声も届いてきた。え、なんで⁉ くれるって言ったのに⁉


「君……この前もそうだったけど、本当、王族に対して遠慮がないよね。これもローザム侯爵の教育?」

「……」


 お父様が黙ってしまった。あ、あ、あ、あれ? 前の時間軸の時も、殿下は色々とくれたんだけどな。普通だと思ってたんだけど、違うの? 最低限のマナーのことは分かるけど、こういうのも本来駄目だとは思ってなかったんですけども。


「天真爛漫なところが、この子のいい所ですので。いい面を伸ばしてあげたいと思うのが、本来の親の役割では?」

「……痛いところを突くね、侯爵は」


 いやいやお父様、子供相手に何言ってるの⁉ それ、めちゃくちゃ王様たちのこと貶してない? 貶してるよね? それを殿下に言ってどうするの⁉ 子供相手に大人げないと思うのは私だけ⁉


 と思ったら、後ろでバールがわざとらしい咳払いをした。バールもそう思ったみたい。でもお父様は何にも思ってなさそうに殿下に視線を向けたままだ。やっぱり大人げないよ、お父様。


「それで? 用件はそれだけでしょうか? いつまでもここにいたら、王妃様がそれはそれは心配なさるのでは?」

「まさか。あの人が僕を気に掛けるわけないよ。それは侯爵も知っているでしょう?」


 困ったように笑って殿下はお父様に答えている。バールも殿下は側妃様の子だって言ってたなぁ。


「今回の件は、母が勝手に進めたんだ。お茶会に呼ばれた子たちには申し訳なく思っているよ」


 勝手に進めたんだ。前の時間軸の時も会ったことなかったけど、実際どんな人なんだろうね、殿下のお母様って? まあ、そこまで実は興味なかったんだけど。殿下がお姉さまのことで手助けしてくれることだけで頭いっぱいだったもの。


「では、何故今日ここに? まさかその手に持っている茶葉とやらをお渡しにきただけではないでしょう?」


 え、ん? お父様? いきなり何を言ってるの? この前のお茶会の無礼はお咎めなしで、その茶葉とレシピを届けにきてくれただけでは? 


 ……まさか、あのちょっとした会話で、お姉さまを気に入った⁉ 婚約者にするつもり⁉


 ちょちょちょ、それはちょっと困るんですけど! それは絶対阻止なんですけど! はっ! そうだよ! これを機会に、あの時いた他の子を勧めてみては⁉


 それはいい考えだと、私の頭の中でのもう一人の私が囁いてくれたので、にっこりと笑顔を作って殿下に口を開いた。


「殿下、もしかしてあのお茶会の時に、婚約者を見つけたのですか?」

「え?」

「そうですよね。あの時にいた皆さん、可愛らしかったですから。殿下がお心に決めた方も出来ますよね」

「ああ、うん。それはないかな」


 ……ないんですか⁉ いや、あってよ! そこはあってよ! そんな笑顔で言われても困るんですって! あれ? でもそれだと、お姉さまも婚約者に選ばれてない?


「皆や母はそれを気にしているけど、婚約者の話はひとまず置いといて……侯爵が聞いてきた今日の目的を伝えようかな」


 置いとかないで⁉ それ、重要! ものすごくお姉さまの未来に重要! 目的って何⁉ 茶葉とレシピの受け渡しではなく⁉ お父様の言う通りに、他の目的があるの⁉


 そんな私の内心を全く知らない殿下は、ものすっごく胡散臭そうな笑顔を浮かべていて、ちょっと背筋がヒヤッとする。


 何か、すごく嫌なことを言いそうな予感が――



「今日来たのは、フィリア嬢とセレスティア嬢に、僕の友人になってほしくて」



 ――すっごく嫌なことを言ってきた。


 友人? 友人⁉


「恥ずかしい限りだけど、僕は王族というのもあって、友人って呼べる人がいないんだよね」

「……」


 殿下が照れくさそうに頬をポリポリと指で搔いているけど、絶対これ演技。お父様の方をチラッと見ると、絶対信じてなさそうに目を窄めていた。分かる。


「……何が目的ですか?」

「だから、友人になってほしいんだよ」

「何が目的ですか?」

「嫌だな、侯爵。そんなに信じられない?」

「信じる要素がどこに?」


 問い詰めているお父様に、ハハハとものすごく嘘っぽい笑い声を出す殿下。いやいや殿下。私もお父様に同感です。


 っていうか、前の時間軸で言ってたじゃないですか。


『友人? 王族に生まれた以上、友人はできないよ。皆が何かしら王族に求めてくるから』

『私は友人じゃないんですか?』

『ああ、確かに……うん、フィリアは何にも考えなくていい存在かもね。でも友人――とはちょっと違うかな』


 そう言って笑う殿下は、やっぱりその後も親しい誰かを作る素振りもなかった。


 殿下は、私とお姉さま以外の人に会う時、絶対に壁を作る。


『信じられないんだよ』


 はっきりと、殿下は友人を必要としないと言った。


『セレスは静かだから、楽なんだ』


 出会った頃のその言葉で、私は殿下を信じた。


 グッと膝の上でスカートを掴んでしまう。

 自分の愚かさに、不甲斐なさに、そして殿下への憤りに。


 怒りと失望と悲しさが、胸の中でぐちゃぐちゃと掻き乱れて、苦しくなる。


 ジッと殿下の真意を見定めたくて見つめると、殿下がクスリと笑って私を見返してきた。でも言葉はお父様に向けている。


「侯爵、貴方も分かっていると思うけど、僕だって息を吐く場所が欲しいんだ」

「……」

「ちゃんと呼吸ができる、そんな居場所を僕は求めている」

「…………」

「この前のお茶会でね、セレスティア嬢とフィリア嬢のテーブルが、一番楽だったんだ」


 ――でも、あなたはお姉さまを見捨てた。


 これから、あの未来が起きたら、また見捨てるんでしょう?

 信じられないと言った、他の人の言葉を信じるんでしょう?


 そんな言葉は言えるわけがないから、必死で堪える。お父様も黙り込んだままだ。


 困ったように、殿下はまた笑った。


「やっぱり駄目かな?」


 殿下の問いかけに、お父様が静かに静かにゆっくりと息を吐いていた。


 お父様、お願い。それは無理ですって言ってよ。お茶会の時に、教育が終わっていないとか言って断ろうとしたんでしょう? だから、言って。断ってほしいよ。


 懇願に近い眼差しでお父様に視線を向ける。でもお父様は一瞬だけ困ったように眉を顰めて、瞼を閉じた。後ろに立っているバールもまた、困ったように息を吐いたのが分かった。


「……たまに、話し相手程度でしたら」


 お父様が呟いた小さな言葉に、どこか期待していた心が萎んでいく。


 ……分かっていた。王族の言葉に逆らえるはずがない。いくら王族が嫌いだと言っても、お父様は臣下だ。断れるわけがない。


 お父様が断れなかったっていうことは、つまり……自分もここで嫌だって言えるはずがない。さすがに私がここで我儘を言っても、通るはずがないことくらい分かる。自分はバカだけど、それぐらい分かる。


「よかったよ、そう言ってくれて」


 満足そうに殿下は笑う。

 いつものよそ行きの笑顔で。

 本当は自分の思惑通りだって思っているくせに。


 何が目的で、殿下は友人にって言ったのかは分からない。

 殿下の本当の目的は分からない。


「フィリア嬢もこれからよろしく。よかったら、楽しくお喋りしてくれると嬉しいよ」


 その作られた笑顔の裏で、何を考えてるかなんて分からないけど。


「……はい。殿下とお友達になれて嬉しいです」


 それでも、お姉さまのことで貴方に頼ることはない。


 そっちがそう来るなら、こっちはこっちでお姉さまに何もさせない。


 お姉さまの笑顔を、心を、命を、



 ()()()()()()()()()



 無理やり口角を上げて、差し出された殿下の手を握ると、一瞬だけ殿下の作られた笑顔が崩れた気がした。


 だけど、すぐにいつもの笑顔を作って、その日は早々と王宮へと帰っていった。あーやっと帰ったと思っている横で、「……面倒臭いことこの上ない」と、お父様がボソリと呟いていた。


 そう思うなら、断ってくれてもよかったのに! まあ、出来ないのは分かるけどさ。王族の願いを断ったら、それこそもっと面倒臭いことになりそうだもんね。バールも「困ったことになりましたな」とかボヤいていたし。


 あのバールが困ったこととか言っているから、やっぱり王族との関わりは自分が思っているよりずっと大変なことなのかもしれないって思い知っちゃった。


 あー疲れたとか思っていたけど、


『あ、おかえり~』

「……おかえりなさい」


 部屋に戻った時のお姉さまのその言葉で一気にテンション上がっちゃったよ! 今、お帰りなさいって言った⁉ 言ったよね⁉ 初めて言われた!


「ただいまです!」

「……言葉がおかしい」

「いいんです! ただいまです!」

『うっわ……なんでそんなテンション高いの? 王子さまに会ったんでしょ? どうなった?』


 スクル! そんなのは今はどうでもいいの! そんなことより、お姉さまがちゃんと私にお帰りなさいって言ったんだよ⁉ 私がこの部屋に帰ってくるのが当たり前になってるんだよ⁉ こんな嬉しいことないでしょ!


 えへへとつい笑いながらお姉さまの手を取った。きょとんとしている顔、ちょっと慣れてきたけど、私もちょっと癒しが欲しいんです!


 掴んだお姉さまの手を自分の頭の上に置いてみる。


 あったかいお姉さまの優しい手。


「……何?」

「ちょっと、撫でてほしいなって」


 訳が分からなそうにお姉さまが首を傾げていた。

 だからお姉さまのその手を自分で左右に振ってみる。


『いや、何やってんの?』


 呆れたスクルの声が聞こえたけど、それでも構わずにその手を動かしていたら、お姉さまが自分でゆっくりと撫で始めてくれた。戸惑っている顔だったけど、伝わったみたい。


 ……うん、これが今は嬉しいかも。


 優しいその手を頭に感じて、自然と頬が緩んでいく。


 殿下と友人になっちゃったし、これから殿下と会うことは避けられないけど、


 それでも、


 この手が感じられるから。



 だから、私、頑張れますよ。



 えへへと笑うと、お姉さまはまたゆっくりと頭を撫でてくれた。


 嬉しいの伝わってるかな?

 伝わっているといいな。


 その日はしばらくお姉さまが頭を撫でてくれて、ちょっと幸せな気分を味わった。


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