15話 婚約阻止?
「皆、今日は来てくれてありがとう」
空気が変わり、一瞬ざわついたお茶会会場に、幼い男の子の声が響き渡った。風の魔法を誰かが使っているのか、その声は大きいわけじゃないのに、ちゃんと聞き取れる。
現れたラーク殿下の挨拶に、周りにいる令嬢たちが背筋をピーンと張っていた。この席からだと遠いけど、でもしっかりと殿下の姿は私からも見えていた。
久しぶりに見る殿下は、あの頃のまま。
ああ、ああいう顔だったって、ちょっと思い出した。
同時に、殿下がお姉さまを見捨てた時のことも。
ギュッとつい膝の上のドレスを掴んでしまう。
もう頼らない。
絶対に。
あなたに頼らなくても、私はお姉さまを笑顔にしてみせる。
密に決意を新たにしていると、柔和な微笑みを浮かべていて、ゆっくりとここにきている子たちを見渡している姿がある。うん、あれ、よそ行きの顔。よくやってた。
『……ふーん、あれがねぇ。なるほど』
肩にいるスクルがやけに神妙に頷いている。なるほどって、何がなるほど?
『ああ、うん……うん、そうだよね……』
いや、スクル? 誰かと話してる? 私に話しかけてるんじゃないよね、それ?
スクルの呟きが気になって、視線だけ肩の方にチラッと向けると、スクルもまた私の方を見てきた。え? 何、その手?
『ごめん、フィリア。あの王子さまに魔法効かないっぽい』
――は? はあ⁉
『いやぁ、これが王族ってことかな? 周りにいる精霊たちにも今聞いてみたんだけどさ、かなりの結界の力が働いているよ。王族って他もあんな感じなのかな? 魔力も強いっぽいし』
ふむふむと頷いているスクルだけど、私、それどころじゃないんだけど⁉ あとサラッと精霊たちに聞いたって言った⁉ ここにいるの⁉ 何、その情報、知らないんだけど⁉
『認知阻害無理だわ、あれ。かけても王子さまは気づくと思う。っていうか、あたしのことも気づくんじゃないかな? 今はまだ遠いから分かってないと思うけどね。一応精霊たちに魔力分けてもらって強化してみるけど、バレたらごっめん』
ごっめん――じゃないんだけどぉぉ⁉ あと魔力って分けてもらえるものなの⁉ もういろんな情報を、しかもこんな場所で一気に与えてこないで⁉
「ああ、そのままで。無理に立って挨拶しなくて大丈夫だから。リラックスして、このお茶会を楽しんでいってほしいな。他の家の令嬢たちとお喋りする機会も中々ないだろうから、交流の機会にしてほしいと思ってるんだ」
慌てて立ち上がって挨拶をしようとしていた令嬢を制する殿下の声で、ハッと我に返った。あ、お姉さまが首を傾げて見てる。きっと今、私は変な顔をしているんだろう。いや、血の気が引いているのかもしれない。
――混乱しているんだよ! この場所でいきなりいっぱいの知らないことをスクルが言うから! 前もって教えてほしいことばかり言うから!
いや、まずは落ち着かなきゃ。このままじゃ、お姉さまが不安になるかもしれない。私のことを考えてくれる優しいお姉さまだから。
だから無理やり笑顔を作ったけど、分からなそうにお姉さまパチパチと目を瞬かせていた。
『ま、なんとかなるでしょ。フィリアなら。一応セレスティアの方に認識阻害かけてみるけど、期待しないでね』
スクルのどこか他人事みたいな声に、せっかく上げた頬が引き攣りそうになる。スぅクぅルぅ‼ なんとかなるでしょじゃない! あとで全部全部教えてもらうからね! それと、必要な情報は前もって教えてよ!
「御機嫌よう」
心の中でスクルへの文句をいっぱい唱えていたら、殿下があっというまに近くに立っていた。
……早い! 早すぎるよ! まだ何にも考えてないよ!
殿下はお姉さまの方に視線を向けている。その動きだけで、ひいいいっと恐怖が体を走っていく。お姉さまを視界に入れたってことは、やっぱり魔法効いてない!
「……御機嫌よう」
私の心の内を知らないお姉さまは、相変わらずの静かな声で殿下に挨拶していた。でもちょっと冷静になった。し、仕方ない。お姉さまと会わせたくなかったけど、そう、婚約さえしなきゃいいんだから。
心臓はさっきから緊張でバクバクしてたけど、それを悟らせないように必死に笑顔を張り付ける。
「御機嫌よう、ラーク殿下」
お姉さまに続いて挨拶すると、殿下はよそ行きの顔で、私に振り向いてくる。でもすぐにちょっと驚いたように目を少し見開いていた。
「えーと……」
しかも何故か言い淀んでいる様子。え、なんで? 挨拶しただけなのに?
殿下の様子に困惑していると、殿下の近くにいた侍女が何かを耳元で囁いていた。何話してるんだろ?
侍女の言葉を聞いて、すぐに殿下はいつものよそ行きスマイルを向けてくる。
「……すまない。ローザム侯爵家のご令嬢で合っているかな? セレスティア嬢の名前と顔だけは、前もって知らされていたから分かっていたんだけど」
……あ、私のことが分からないってことでいいかな? 今は初めましてだし、そういえば、お父様がかなり渋っていたからね。もしかしたら、私の名前は伏せていたのかも。……うん、ありえる。
「名乗りが遅くなってすみませんでした。ローザム家の次女、フィリアといいます」
「フィリア……いや、フィリア嬢」
「フィリアで構いません」
改まってそう呼ばれると、なんかしっくりこないし。というか、もう挨拶は済ませたから、早く違うテーブルに行ってほしい。これ以上話すことはないと思う。ほら、後ろにいる令嬢たちがじーっと見ていますよ。
ニコニコと笑顔を貼り付けたままでいると、お姉さまの顔が視界に入ってきた。あれ? 今度はちょっと不安そう?
「そう。じゃあ、フィリアって呼ばせてもらおうかな」
お姉さまに声を掛けようとしたら、何故か殿下が空いている椅子に座った。え、うん? なんで?
「あ、あの、殿下?」
「ん?」
「いや、あの……他の子たちも待っていますよ? 声を掛けなくても?」
「ああ、うん……大丈夫かな?」
――大丈夫じゃない! 早く他に行ってください! なんでそんなニコニコしてるの⁉ さっきまでのよそ行きスマイルどこ行ったの⁉
でもそんなこと口に出せるはずもないから、頑張って笑顔を作る。
前の時間軸ではお姉さまの待遇を何とかしたくて、よく話はしていたけど……今は本当に大丈夫なんですよ! だから私たちに構わず、あの令嬢たちから婚約者を見つけてください!
内心ヒヤヒヤしていると、殿下はチラリとお姉さまを見ていた。視線を向けられたからか、お姉さまも少し体をピクッと震わせている。
さっきまでの不安とは違って、戸惑っているいつものお姉さまの表情だ。傍目には分からないかもしれないけど、私には分かる。前とは違って、ずっと一緒に今はいるんだから。
これ以上、殿下にはお姉さまに興味を持ってほしくない。
そうさせない為に、私は今日ここにきたんだから。
「で、殿下? 聞いてもいいでしょうか?」
「うん? いいよ。何?」
思い切って声を掛けると、殿下が一瞬きょとんとしてから、お姉さまから視線を外してくれた。よし、このまま。
「このお菓子、初めて見たものなのですが、王宮で特別に作られているものなのでしょうか?」
「……そうだと思うけど。いつもの料理人が作ってくれていると思うよ。口に合わなかった?」
「いえ、すっごくおいしかったです! 見た目もすごく綺麗だし! お姉さまとも話していたんですけど、ぜひ私たちの家の料理人にも作ってほしいなって思いまして!」
「それなら、レシピを書いた紙を渡すね。セレスティア嬢も気に入ってくれた?」
「……はい」
ニコニコとまたお姉さまに視線を向ける殿下に、お姉さまが小さく答えていて、つい固まった。
私ってバカ? いや、自分がバカなのは十分知ってるけど! でもなんでお姉さまのことも出しちゃったの⁉ 私だけでよかったじゃない! 機転が利かない自分が憎い! 会話するきっかけを与えてどうするの⁉
でもお姉さまはそれ以上話を広げるつもりがないのか、また静かにカップを口に運んでいる。それを見た殿下もまた、侍女に用意させたカップに手をかけていた。
「……」
「……」
む、無言。二人とも、全く相手を見もしないし、ただ静かに自分のカップに入った紅茶を飲んでいる。
ただそう、飲んでいるだけ。
でもつい、その二人を眺めてしまった。
お姉さまの銀髪が静かに風に揺れて、でも周りの空気は穏やかで、
殿下は居心地がよさそうに、椅子の背凭れに身体を預けている。
これ、知ってる。
一度だけ。
前に一度だけ、この子供の時に、お姉さまの部屋に訪れた殿下を見たことがある。
その時も、二人は特に会話なんてしていなかった。
殿下が窓際から屋敷内の庭園を見ていて、お姉さまは椅子に座って本を開いていた。
でも不思議と落ち着く空間で、
見ていても、どこかホッと安心できる空気で、
なんか、いいなって……そう思った自分がいて。
自分もここにいたいなって……
『婚約、阻止するんじゃないの?』
スクルの声でハッとする。
――そうだよ! あの頃を思い出している場合じゃない! この二人のこの感じってことは、もしかすると、殿下はお姉さまとやっぱり婚約する気なのかもしれないじゃない!
阻止! 絶対阻止!
じゃあ何するって? まずはこの空気を壊さなきゃ! そうだ、話変えよう!
「こ、この紅茶もすごくおいしいですよね! 王宮ってすごいですね! おいしいものばかりで!」
「じゃあ、茶葉も持って帰る?」
「へ? あ、いやいや、催促したわけじゃ――」
え、くれるの? あ、でもお姉さまも気に入ったっぽいよね。味わって飲んでる気がする。気がするだけかもしれないけど。
けどお姉さまにはおいしいって感じたものを飲んでほしいし、この茶葉、絶対タックも持っていない気がする。なんたって、王宮にある茶葉。
「やっぱりください」
『何言ってんの、あんたは⁉ ねだってどうすんのさ!』
すぐにスクルの尻尾が頭に飛んできた。
だって! お姉さまに喜んでほしいじゃんか!
「ぶふっ……」
突然、なんか噴きだした声が聞こえてきた。
え、誰の声? と思って、声の主の方に視線を向けると、殿下が口元を押さえて、体を小刻みに震わせている。ぎょっとした顔で、近くにいた侍女さんが殿下に駆け寄っていたけど、その侍女さんに手を挙げて「大丈夫」と言っていた。
目尻に少し涙っぽいものを浮かべながら、殿下が笑って私の方を見てくる。
「ごめんごめん。まさか本当にくれって言われると思わなくて」
「くれるって言うので」
「僕、一応王族なのに、そんな風に直球に言われるとか予想していなかったんだよ」
ははっと、殿下は何かがツボに入ったらしく、今度は声を出して笑っていた。くれるって言ったから、やっぱりくださいって言っただけなのに。
「お姉さまにいつも飲んでほしいと思っただけです。おいしいから」
「セレスティア嬢に?」
「おいしいものを、私はお姉さまに味わってほしいんです」
「……」
お姉さまが、やっぱりいつもの戸惑った顔で私を見てきた。大丈夫です、お姉さま! 殿下がくれるって言ったんですから、これでやっぱりなしにはならないと思います!
ちっちゃく指で丸を作ってお姉さまに向けると、今度は疲れたように息を吐いていた。あ、あれ? 任せてくださいって意味で合図したのに、なんで?
「どうして、セレスティア嬢に味わってほしいの? 君はいいの?」
「え? 私はお姉さまと一緒のものなら、なんでも味わえますから」
変なことを聞いてくるね、殿下。私はお姉さまと一緒なら、全部おいしくいただけますよ。ご飯もお茶もお菓子も。
お姉さまと一緒に食べるとね、何倍も何倍もおいしく感じることを、私はもう知っているから。
堂々と事実を伝えると、クスリと笑って殿下がお姉さまにまた視線を向けた。
「妹に随分懐かれてるね」
「……」
ふいっと、お姉さまが殿下に答えずに視線を逸らす。若干頬が赤くなってる? え、具合悪くなった⁉
「お、お姉さま? 大丈夫ですか? 熱とかありますか?」
「……大丈夫」
絶対絶対大丈夫じゃない! やっぱり顔が赤くなっている気がする! こんなの初めて! まさか、今日も具合悪かったのに、無理してここに来たんじゃ⁉
こうしちゃいられない!
「殿下、すいません! 姉が具合悪そうなので、帰ってもよろしいでしょうか⁉」
「え?」
「殿下主催のお茶会を途中で離席するのはマナー違反かもしれませんが、姉の一大事なので! お叱りは後で父にたっぷりお願いします! 教育がなっていませんよって!」
慌てて席を立って、お姉さまの手を引っ張った。お姉さまがぽかんとした表情を向けてくる。でも構っていられない! ちゃんとお医者さんに診てもらわないと! バールにも言わないと!
「アネッサ、馬車の準備を!」
「へ? あ、か、かしこまりましたっ」
「お姉さまは私に掴まってくださいね! 殿下、本当にすいません! 失礼します!」
「え?」
「いや、ちょっ……」
私の勢いに圧倒されているのか、アネッサはいつもの冷静な表情じゃなくて、パタパタと足早に庭園を後にする。お姉さまは驚いているのか私と後ろにいる殿下を交互に見ていたけど、やっぱり掴んだ手はちょっと熱くなっていた気がした。
なんで早く気づかなかったんだろう! 私のバカ! バカすぎる! 本当にお姉さまに風邪ひかせてどうするの!
『ちょっと、落ち着きなって! 暴走しすぎ! 大丈夫だって、セレスティアは!』
少し驚いたようにスクルがペシペシと頭を尻尾で叩いてきたけど、スクルもなんで早く言ってくれなかったの⁉ 婚約阻止なんて言ってる場合じゃなかった! 本当にバカだよ、私!
気づかなかった自分に嫌気がさして、泣きそうになってくる。
ごめんなさい。
気づかなくてごめんなさい。
いつもいつも、気づかなくて、ごめんなさい。
馬車の中で、お姉さまの手をギュッと両手で包みながら、大丈夫でありますようにと、心の中で何度も何度もそう祈った。
お姉さまもアネッサも大丈夫だって言ってる気がするけど、気づかなくてごめんなさいって、何度も心の中で謝った。
「健康体ですね」
屋敷でお医者さんが困ったようにそう告げられて、やっとみんなの私の方を心配する目に気づいたんだけど。あ、あれ? 健康体? あれれ?
頭上からスクルのものすごく呆れた声が落ちてくる。
『だから、何度も大丈夫だって言ったじゃん……っていうか、王子さま、めっちゃぽかんとしてたんだけど? 他の子たちもだけどさ、あれ、大丈夫なの?』
……あれ? もしかして、私、殿下置き去りにしちゃった? 王族主催のお茶会、台無しにしちゃった?
それって、ピンチじゃない?
お姉さまが元気なのはすごく安心したけど、ピンチじゃない?




