13話 お茶会の前に
「お姉さまは結婚したいですか?」
「……は?」
最近の日常になりつつある、厨房でのおやつタイム中。
あまりにも唐突な質問だったのか、お姉さまが普段は言わないような低い声で、「は?」と返してきた。いつも戸惑う様子なのに、今回ははっきりと何言ってるんだ? みたいな顔をしている。
スクルはスクルでお気に入りのリンゴをシャリシャリしながら、首を傾げていた。侍女のカンナとアネッサは驚きのあまり目を見開いている。私がそんなことを聞くとは思わなかったんだろうな。
でも、ちゃんと聞いてみたいと思ったんだよね。……もし、もしもお姉さまが殿下のことを好きって言ったら、結婚したい相手だって言ったら、どうしようかなと思って。
「結婚したいかなと思いまして」
「……誰と?」
「殿下とか」
「……何故?」
明後日開かれるお茶会で、お姉さまが殿下の婚約者に選ばれるからです! と言ったところで信じてもらえるはずもないのだけど。
「ほら、明後日の殿下のお茶会に呼ばれてるじゃないですか。だから、その、お姉さまは殿下と結婚とかしたいのかなぁと思って」
「……」
お茶会のことを正直に話したら、何故か考えこむようにカップを持つお姉さま。
今回のお茶会の理由はもうみんなが知っている。というか、お父様がお姉さまに伝えた時にそう言ってたんだよね。私ももちろん、前の時間軸のことがあるから知ってるけど。
本当は、お姉さまと殿下の婚約は阻止したい。
何故なら、前と違ってもう殿下の力に頼る必要がないんだから。
今はバールもタックもいる。それに、カンナとアネッサだって。この屋敷に、お姉さまの味方がちゃんといる。スクルっていう、絶対裏切らない味方がいるのも大きい。
それに、
それに、殿下はあの時、お姉さまを信じなかった。
脳裏に浮かぶのは、お姉さまが全く真実と異なる噂を流された時。
誰も私の言葉なんて信じてくれなかった。
何度違うと言っても、誰もが憐みの目を向けてくるだけ。
ずっとお姉さまのことで頼ってきた殿下ならって、そう思っていたのに、殿下さえも信じてくれなかった。
『君は優しすぎるよ』
困ったように笑ってそう言った殿下に、目の前が真っ暗になった。
この人は、お姉さまを愛していたんじゃなかったのか。
だから今まで、お姉さまの待遇を改善しようと、お母様とお父様に進言してくれていたんじゃなかったのか。
今までやってくれたことが、何もかも信じられなくなった。
私は、殿下もお姉さまも愛し合っていると思っていたのに。
だって殿下はお姉さまに会いに、この屋敷に頻繁に来ていた。お姉さまはお姉さまで、殿下に会う時は、どこか安堵した表情になった気がした。
ああ、この人なら。
この人ならお姉さまを助けてくれる。
そう信じた自分は、なんて愚かだったんだろう。
学園で、お姉さまと殿下は一緒にいなかった。殿下の配慮なのかなと思った。
殿下はこの国の王子だから、だから他の生徒たちのことを優先的に考えているのかなって。その殿下の立場を、お姉さまはちゃんと理解してるんだろうなって。だから一緒にいないんだろうなって。
そう考えた自分は、どこまで何も見えてなかったんだろう。
殿下の考えなんて分からない。
でもはっきり分かったのは、あの時、殿下はお姉さまを切り捨てたってこと。
『君の母君が言うことが全てだったんだね……』
お母様と何かを話した後で殿下がお姉さまの部屋を訪れた後、お姉さまはこの部屋に閉じこもった。部屋の全てを凍らせて。
お姉さまと殿下が、何をあの時話したかは私には分からない。分かったのはお姉さまからの明確な拒否。
『……もう無理か』
拒絶された後、殿下は静かにそう言った。
背筋が冷えていく感覚がした。
見捨てるんだと、その声が伝えてる気がした。
殿下は、お姉さまを愛していたわけじゃない。
それがはっきりと分かった瞬間だった。
だから、殿下とお姉さまが婚約しても、お姉さまは幸せにならない。
笑顔にならない。
そんなの、私は絶対嫌だ。
でも、
お姉さまは?
お姉さまは、どうなんだろう?
何も言わないまま、カップの中を見つめている今のお姉さまを見る。
お姉さまは、殿下のことを好きだったのかな?
だからあの時、殿下に何かを言われてショックだったのかな?
「……父に言われたから、行くだけ」
氷の部屋に閉じこもったお姉さまを思い出していると、ボソッとお姉さまが呟いた。
「結婚とか、よく分からない……」
続く言葉に、ホッと息を吐いてしまう。
静かにカップに口を寄せている姿を見ると、本当によく分からなそう。というか、興味なさそう。
……それもそうか。まだ今のお姉さまは殿下と会っていない。今の段階じゃ、お姉さまが殿下を好きかどうかなんて分かるわけない。
それでも、どこか安心した自分がいる。
まだ分からないけど、お姉さまの気持ちが変わるかもしれないけど、お姉さまが殿下との結婚を望んでいるわけじゃないっていう事実に、胸の奥が温かくなっていく。
『あんた、結婚させたいの? 阻止するとか言ってなかった?』
みんなには鳴き声にしか聞こえないスクルの言葉が耳に届いた。いや、そうなんだけどね。そうなんだけど、やっぱりお姉さまの気持ちをちゃんと聞かなきゃと思って。でも、早すぎたけど。
「旦那様も、それは願ってないと思いますよ」
「ええ。王族との繋がりは、旦那様にとっても迷惑なだけでしょうから」
カンナとアネッサが次々と口を開く。あれ? なんか二人も安心してない?
「お父様、迷惑なの?」
「旦那様は平穏に暮らしたいと子供の頃から仰っていましたからね。本当はここじゃなく、領地の方で過ごしたいと。煩わしいことはお嫌いな方ですからね」
年配のアネッサが困ったように笑っている。そうなの? 王族との繋がりって、そんなに迷惑なんだ? カンナもそれを分かってるのか、「お嬢様たちにはまだ早いお話ですね」と、困ったように笑っていた。
うん、実はよく分からないんだよね。立場とかの話なのかな? そういえば殿下もそんなこと言っていた気がする。権力がどうのって。学園にいた時には、殿下と一緒にいると、よく羨ましいとか言われてたんだけど。
『なんか、人間って面倒臭いよね』
あーんと興味なさそうにスクルがリンゴを齧っている。ねえ、それ、何個目?
「それでも、セレスティアお嬢様のドレスを見繕ってくださって、大変助かりましたね」
「ふふ、アネッサの言葉には、さすがに旦那様も首を縦に振るわけにはいかないですよ」
「あら? 私は普通の事しか言ってないわよ、カンナ?」
「よく言いますね。あれだけ圧がかかっている顔で迫られたら、旦那様じゃなくても怖気づくと思いますよ?」
クスクスと笑っているカンナに、アネッサがそうかしらと頬に手を当てて首を傾げていた。
そっか。ドレスの件は前の時間軸でも結局お父様が用意してくれたから、特に心配していなかったけど、今回はアネッサが頼み込んでくれたんだ。
「殿下主催のお茶会に、普段着で赴くのはどう考えてもおかしすぎるじゃない? そんな誰でも分かり切っていることを、私は淡々と伝えただけだけども?」
「それが旦那様に効いたんですよ。ああ、でもアネッサが伝えてくれてよかったです。肝心のバール様が今は領地に戻っていますから、どうなることかと実はハラハラしていました」
カンナが言った通り、バールは今領地に戻っている。すぐに用事を終わらせて戻ってくるとは言っていたんだけど、領地と王都ではやっぱり距離があるから、すぐには戻ってこれないんだよね。
お茶会に行く時のドレスは、本当にお姉さまに似合っていて、やっぱり綺麗だなって思うんだけど……。
『それで? どうやってそのお茶会行きを阻止するつもりなのさ?』
スクルがリンゴを飲み込んでから私の方に視線を向けてきた。……そうなんだよ! これだとお姉さまのお茶会行きを阻止できない!
当日に私が駄々こねるとか? いやいや、そんなので阻止できないでしょ! じゃあ、当日お姉さまが行けないようにするとか? 風邪を引いてもらう? 無理無理無理! そんなの私が嫌です! お姉さまに苦しんでもらうのは論外!
「……食べないの?」
ぐむむと口を尖らせていたら、お姉さまがソッとケーキが乗っているお皿を私の前に置いてくれた。色々考えていたら、全く手をつけていなかった! はっ! なんか心配してそうな顔をしている! いつもがっついてるの知ってるから!
「食べますよ! 美味しそうですよね、今日のかぼちゃケーキ! お姉さまはもう食べました? 美味しかったですか?」
「……」
無言で何故か疑わしそうな目を向けてくるお姉さま。し、しまった。さすがにわざとらしかったかな? っていうか食べてるの分かるじゃん! もうお姉さまのお皿にケーキないじゃん! 何を聞いているんだ、私は!
「……殿下に、会いたいの?」
え?
全く予想外のことを聞いてきたお姉さまに、目をパチパチと瞬かせてしまう。
殿下に? 私が?
……全く会いたくないんだけど!
自分の言葉を信じないで、挙句の果てには周りの言葉を優先して、お姉さまを見捨てる人に会いたいはずがない!
「あ、あはは! 私が殿下に会ってどうするんですか! 会うのはお姉さまですよ?」
「……」
――って私の馬鹿ぁ‼ これじゃあ、お茶会に行ってきてくださいねって背中押してるんですけど! 私は行かせたくないんですよぉぉ! スクル! そんな呆れた目を向けてこないで⁉ ちょっとこの場を切り抜けられる案を出してよ! お姉さまが殿下と婚約したら、結局前の時間軸と一緒なんだよ⁉
ぐぬううっと頭がこんがらがっていると、お姉さまが、また小さい声で呟いた。
「……結婚、したいのかと」
それが、すごく寂しそうな声で。
「父に言えば……来れるんじゃないかって」
だけど、私のことを考えてくれていて。
「同世代だから、私じゃなくても、いいんじゃないかって……思っただけ」
キューっと胸が締め付けられる。
ずるい。それはずるい。お姉さま、ずるいです。
婚約をなんとかしたくて、風邪引いてもらってでもお茶会に行かせたくないとか考えてたのが、すっごい小さい人間に思えてくる。
だって、お姉さま、私のことをちゃんと考えてくれてるから。
私がどうしたいとかを考えて、苦手なお父様にも言おうとしてるなんて、ズルすぎる。しかも自分よりも私を優先しているし。
そんなの、嬉しすぎるに決まっている!
殿下と結婚したいとか全く思っていないけど、その気持ちが優しすぎて浄化されそう。
「セレスティアお嬢様に招待状が来られたのですから、フィリアお嬢様はさすがにお留守番ですね」
困ったように笑って言ってくるアネッサとカンナに、お姉さまが「……そうよね」と、また悲しそうに呟いた。お姉さまを悲しませるのは本意じゃないけど、さすがにこればかりは――
――ちょっと待って?
別に、お茶会に行くことは大丈夫なんじゃない? そうだよ。殿下との婚約さえ阻止できればいいんだから。
そのお茶会に、私も一緒に行ければ……阻止できるのでは?
「お姉さま!」
「?」
ガシッとお姉さまの両手を掴むと、きょとんとした目を向けてきた。カンナとアネッサもいきなりの私の行動に驚いているみたいだけど、気にしちゃいられない。
「私も一緒に行きます!」
そうだよ! 一緒に行こう! そして婚約阻止! それしかない!
それに、
「絶対一緒に行きます! お父様にも言ってみます! お姉さまのそばにいないと意味ないですから!」
目をパチパチとさせているお姉さまの、さっきの寂しそうな声がまだ耳に残っている。
『……結婚、したいのかと』
絶対ありえないけど、私と殿下が結婚するの、ちょっとは嫌だったのかなって。
ちょっとは悲しく思ったのかなって。
「きっとバールが何か案をくれると思います。だから、一緒に行きましょう」
そうだったらいいなって、思っている自分がいる。
お姉さまが、少しは寂しがってくれると嬉しいなって。
私と一緒にいること、ちょっとは楽しい時間になっているのかなって。
「……一緒に?」
「はい! 一緒にです!」
そう答えると、ほんの少し、ほんの少しだけ、
お姉さまの頬が緩んだ気がした。
気のせいかもしれない。でもそうだったらいいなって思う。
お姉さまが、私と一緒にいることで、ちょっとでも安心してくれているといいなって思う。
それに、お茶会には他の令嬢たちもいっぱい来るんだよね? だったら余計に一緒に行って、お姉さまを守らないと! 何をしてくるか分かったものじゃないし! ケーラみたいなこともあるかもしれないしね!
なんかやる気がかなり上がってきた! 目指せ、婚約阻止!
『お茶会阻止はどこ行ったの?』
……スクル! 話はもう変わったんだよ! だからお願い! 婚約阻止のこと、一緒に考えてくれない⁉ そんな呆れた顔しなくてもいいと思うよ⁉




