12話 覚悟を決める
「そろそろ来るはず……」
「何が?」
深夜、部屋の隅っこでスクルがあーんとお気に入りのリンゴを頬張っている。もちろん、スクルが張ってくれた結界の中で。
その隣で私はこれからのことをうーんうーんと考えていた。
「そろそろね、例のお茶会があるはずなんだよ」
「お茶会?」
あ、そっか。スクルは前の時間軸のこと知らないもんね。
「前の時間軸で、お姉さまには婚約者がいたんだけど……スクルってどこまで知ってるの?」
「全部知らないけど」
「全部?」
「だって、あたしが会ったのはもう棺の中にいたあの子だからね」
ちょいちょいっとスクルがもうベッドの中で寝ているお姉さまを差していた。時間逆行の魔法を出す時が、初めて会った時なんだ。
……すっごい疑問が出てきたんだけど?
「あのさ、精霊王さん――っていうのが、お姉さまのお父様なんだよね?」
「そうだよ」
「じゃあ、なんでお姉さまが死んだあとに、いきなり出てきたの?」
今更だけど、すっごい疑問。なんでお姉さまが死んだあと? 最初からお姉さまのことを助けてくれていれば、お姉さまは死ななくて良かったんじゃないの?
それを今更出てきて、娘だから助けますって……よくよく考えると、都合よすぎない? 助けてくれるっていうなら、もっと早く登場して、お姉さまをお母様から助けてほしかったんだけど。
そう考えたらなんだかモヤモヤする。スクルをわざわざ来させて、時間巻き戻して今度は助けますって、遅いよ。遅すぎるよ。今まで何してたの、精霊王さん。
私の胸中が分かったのか分かってないのか、シャリシャリと顎を動かして、何故かスクルは心底面倒くさそうに眉根を寄せていた。
「ま、そうだよね。そうなるよね。お姉さま大好きのあんたから見たら、そう思うのも当然だと思う」
今度はハアと溜め息をついている。溜め息ついてないで、ちゃんと説明してほしいんですけど?
「でもさ、これには事情がもちろんあるんだよ」
「うん。どんな?」
「あの人、実はずっと眠らされてたんだよね……」
……眠らされてた?
「あんたのお姉さま、セレスティアのお母さんとのことが、精霊王にバレてさ。人間と子供作るなんて、精霊界じゃ禁忌も禁忌。だから、幽閉されてたんだよ」
ゆ、幽閉? なんかとんでもない言葉が出てきたぞ? そもそも精霊王がお姉さまのお父様なんじゃ?
「えーっと……精霊王さんが、お姉さまのお父様なんだよね?」
「だからそう言って――って、ああ。ごめんごめん。正確には、次の精霊王。その修行中にあの子のお母さんと会ったってわけ」
つまり、お姉さまのお母様と次の精霊王さんが出会って、恋して、お姉さまが生まれたと……。それでそれがバレて、幽閉されたと……。どこかの国の物語かな?
「で、幽閉されている間に、あんたのお姉さまは死んじゃったわけよ。それを感じ取った主が、無理やりあたしをこっちに飛ばした」
「飛ばした?」
「精霊界からこの人間界にってこと。の~んびりお茶飲んでお菓子食べてたところを、あのバカ主がそれはもう乱暴に無理やりあたしを飛ばしたわけ。ハア……いくらあの人に仕えてるって言っても、こんなことまでやらされるなんて聞いてないっつうの」
あーやだやだと言いたげにスクルは首を振っているのを無視して、必死に頭の中を動かした。
話をまとめると、お姉さまのお父様は禁忌を犯した罰として、眠らされて幽閉され、お姉さまが死ぬまでそれが分からなかった? だから助けにこれなかったってことでいいのかな?
「じゃあ、今の時間軸のお姉さまのお父様は、眠ってるってこと?」
「そうだね。気づきもしてないんじゃない? だってこっちからの呼びかけに全く応えないし」
「それでどうやって、お姉さまが死んだことに気づいたの?」
「あー……それはさ、なんか感じ取れるらしいよ。血の繋がりなのか、魔力の繋がりなのか分からないけど、存在? って言ってたかな。お姉さまが生まれた時に、眠らされた状態でも分かったんだって。でも何かをすることも出来なかったらしくて」
え、でもお姉さまが死んだ時に、スクルを来させたんだよね?
「あんたのお姉さまが死んだときに、もうどうしようもない怒りを感じたらしくてさ。火事場の馬鹿力ってやつ? 分かんないけど、そこでやっと自分の魔力を暴走させられたとか言ってたよ」
それは……お姉さまのことが悲しくてってこと? そんなことある?
「まあ、主がそうなるのも分かるけどね」
「分かる?」
「それはもう。あんたのお姉さまのお母さんへの惚れっぷりを知ってたら、誰だって思うよ。よく精霊王のおっちゃん、あの人を抑え込めたねって思うもん。それで自分の娘がってなったから、キレっぷりは想像できる」
そんなに? そんなに精霊王さんは、お姉さまのこと想ってくれてたんだ?
「本当は自分でここに巻き戻りたかったんじゃない? でもさすがにそれは出来なかったから、あたしを来させたってとこかな。それに、ここに主がいなくて良かったなって今は思うよ」
「え?」
「だって、どっからどう見ても、セレスティアは心が死んでるもん」
ズキリと胸が痛む。
そうさせたのは、間違いなく私のお母様だ。そして無関心のお父様と、言われるがままの侍女たち。
何よりも……何も出来ないって諦めていた私。
「前の時間軸で、どう生活していたなんて分かんないよ。でもさ、つい最近来た私でも分かるよ。こんなこと言いたくないけど、あんたのお母さんのあの恨みっぷり、どこかおかしいもん」
いくらバールが生活を整えてくれたと言っても、お母様は何度もここにきている。あのヒステリックに叫ぶ声も、お姉さまを睨みつける様も、スクルは何度もその目で見ているし、その耳で聞いている。
お姉さまは、やっぱり表情を変えない。
傷ついているはずなのに、悲しいも、怖いも、何も表情に出さない。
それを見るたびに、そうさせてしまったのは私だって、
私のせいだって、
苦いものが喉を伝って、胸がギューっと苦しくなる。
つい自分の胸に手を置いて俯いてしまうと、スクルの呆れたような溜息が聞こえてきた。
「なんであんたがそんな顔してんの?」
「……私のせいでもあるから」
「あんたじゃなくて、あんたのお母さんの方でしょ」
どこか慰めてくれるようなスクルの声に、苦く笑ってしまう。
「私のお母様なんだよ……」
間違いなく、お姉さまを苦しめているのは、私を愛してくれているお母様なんだよ。
その事実が、やっぱり悲しい。
もうお母様のことは知らないって、吹っ切れてはいるけど、やっぱり悲しさは胸に居続ける。
ハーアとまたまた重い溜め息が聞こえてきたと思ったら、ペシンと最近慣れてきた柔らかいものが頭を叩いてきた。
「あんたがそんなでどうすんの? お姉さまを助けるって息巻いていたあんたはどこに行ったのさ?」
……仕方ないじゃん。どうやってもお母様がお姉さまにしていることは――ううん、してきたことは消せないんだよ。お姉さまの中で、もう心の奥深くに突き刺さっているんだもん。
「笑顔にするんでしょ?」
「そうだけど……」
「あたし、言ったよね? すっごい大変になるって。それはあんたのお母さんのことだって例外じゃない。セレスティアを傷つけているのがあんたのお母さんなら、そのお母さんを何とかしなきゃいけない」
「それはもう十分すぎるくらい分かって――」
「分かってない。全く分かってない」
私の言葉を遮って、またペシンペシンと柔らかい尻尾で叩いてくる。痛くないけど、さすがにそう何度もやられると、こっちだってムカムカしてくるんですけど!
やめさせようとして、ついスクルの方に顔を上げると、思ったよりも真面目な顔で私のことを睨みつけている顔があった。
「いざって時に、お母さんは切り捨てなきゃいけない。傷つけなきゃいけない。何よりも優先するのはセレスティア。あんたの中でその覚悟がなきゃ、この先、どう転んでもあんたの目的は果たせないよ」
果たせない。
ハッキリと告げてくるスクルに、胸が軽くなる。
そうだよ。
こんなことで諦めるわけにはいかない。
お母様のことは、もう分かり切っていたことじゃない。今更悲しんだところで、お母様が変わらないのも十分知っているじゃない。
お母様じゃない。
私にとって、今一番笑顔にしたいのは、お姉さまなんだから。
覚悟を決める。
簡単なようで、とても難しい覚悟。
お母様をなんとかしたいじゃない。
お父様もなんとかしたいじゃない。
それが夢物語だったってことを、もう私は知っている。
一番大切なのは、お姉さまの笑顔。
揺らいじゃ駄目だ。
「うん! ありがとう、スクル!」
「別にお礼を言われること言ってないけどね――って何やってんの?」
お礼を言って、すぐに立ち上がってからお姉さまの寝ているベッドに向かうと、スクルの声が飛んできた。何って、そんなの決まってるよ。
「お姉さまと一緒に寝る」
「は? さっきお茶会がどうのって言ってなかった?」
「それはほら、明日にでも考えよ」
殿下のことも確かに考えなきゃだけど、今私がすることを再認識したからね! お姉さまと一緒にいる! それはつまり、お姉さまと一緒に寝ることだよ!
後ろからはスクルのやっぱり呆れたような溜め息が聞こえてきたけど、そんなの今は気になんない。今一番落ち着くお姉さまの温もりに触れたいから。
そそそっと、お姉さまを起こさないように布団の中に潜り込むと、スクルもボフッと枕元にやってきて、私のことを見下ろしてきた。結界の張り直しはしないみたい。
まあ、そのままでもスクルの声はあたしに聞こえるんだけどね。逆行魔法の時に私が干渉したせいだって言ってた。他の人には鳴き声に聞こえるらしい。
『あんたって、繊細なのかどうかが分かんない』
「繊細な性格してたら、お姉さまのこと守れないでしょ?」
『それはそうなんだけど、切り替えが早すぎるって』
そう? 覚悟しろって言ったのスクルなのに。
そっと、隣で眠るお姉さまの横顔に視線を向ける。
やっぱりお姉さまはあったかい。この体温が今は一番落ち着くんだ。
起こさないように、静かにお姉さまの肩に寄り添った。ポカポカと胸の奥まであったかくなってくる。
お姉さまの心が死んでいる?
じゃあ、この暖かさは偽物?
違う。偽物じゃない。
ちゃんと、お姉さまの心はまだ生きている。
だって、こんなに温かさを感じるから。
お姉さまは感情を表に出さないけど、戸惑っていることはよく分かる。それはきっと、お姉さまの中で、ちゃんと心が動いているってことだと思う。
戸惑いながらも、私を宥めるために置かれる手は優しいことを知っている。
ふと、お茶会のことが脳裏に過る。
殿下とのお茶会で、お姉さまはクッキーを持ってきてくれた。お腹を空かせていたはずなのに、私にそれを渡してきた。
私を宥めるためだったのかな?
それとも、お母様に怒られないためだったのかな?
考えても分からないけど、その時、ちょっとでも私のことを考えてくれていたらいいなと、お姉さまの温もりに包まれながらゆっくり瞼を閉じていった。




