7『弱い犬程良く吠えるが、吠えなければならない時もある』
義弘たちが出ていった後の学校校舎の表口では地面を揺さぶる程の衝撃を持った凄まじい音がひっきりなしに響いていた。混乱した男子生徒たちが教室の椅子や机を地上めがけて放っているのだ。
冷静さを失い、興奮しきった表情をした男子たちが窓際で怒声を上げ、女子たちは怯え、縮こまった様子でそれを眺めては、恐怖に顔を引きつらせていた。
「ふっざけんな、こっちにくんな!!」
「この野郎、お、お前なんかに食われてたまるかっ」
全力で威嚇するように放たれる咆哮にも似た男子たちの声、放り投げられる物の先には、限りなく黒に近い茶色の毛に包まれた野生の熊が、凶暴な犬よりも更に低い吠え声を蠢かせながら、獲物を求める目つきをして、しつこく歩き廻っている。
彼らは、今、ゾンビ以外の獣と対峙しているのだ。
「おい、これ運ぶの手伝ってくれ」
20代半ばぐらいの男性教員が、下駄箱を持ち上げようと、生徒たちに指示を出す。
「は、はいっ」
慌てながらも、彼らは、外敵から自分たちを防衛しようと忙しなく動いた。裏口、一階部分の教室の窓など、表口以外の外に通じる全ての入り口が校舎内にいる者達によって、封じられていき、そして、生徒と教諭たちに運ばれた下駄箱によって、表口も完全に封鎖された。
そんな中、上の階にいる一人の男子生徒が投げた椅子が、熊の顔面に直撃する。それが効いたらしく、前足で鼻を何度も覆っては、どんどんと後ずさっていく。
「おお、やった。あいつどっかにいくぞ」
「おおっしゃ、戻ってくんなよ、クソ野郎」
「ざまぁ!!二度と来んな」
自分たちを食いに来たであろう熊が、あきらめた風に去って行くのを見て、窓際の威勢のいい男子たち、ワックスなどで頭髪をオシャレに決めたリア充たちが、汚く騒ぐ。やはり、碌に戦ったことがない者たちが危機に陥った時、その余裕の無さが露見するようだ。
荒廃した街並みに熊が消えていったのを見届けると、男子たちは更に騒ぎ出す。女子もそれに合いの手を送るかのように喜んでいた。
しかし、一難去ってまた一難。この一連の騒ぎが、クマ以外の、獣を、地を這いずる亡者たちを呼び寄せていた。
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学校で騒ぎが起きてることなど露知らず、駐屯地の裏門前にいる男子二人は、思いがけない出会いの喜びを分かち合うかのように、お互いの肩を軽く叩き合っていた。
「マジか、マジでナカモンなんだな」
見るからに人がよさそうな朗らかな顔つきをし、義弘と同じく、ややぽっちゃりとした体型の”ナカモン”と呼ばれる男子に、義弘は更に親近感を湧かせる。
「アズヒロの方こそ。いや、まさか、こんな形で会うことになるなんてな。まったく思ってもみなかった。オフ会ならぬ、異世会になちっまたな」
「やっぱり、マジでナカモンなんだな……お前」
このような状況下でもオンライン上で遊んでいた時の様に、冷たいギャグを言い放つ彼に、義弘は、仮想世界の時と同様の冷ややかな目線を送った。しかし、そのくだらない面白さに少し口角を上げると、彼は手を差し出し、本名を名乗り始める。
「俺は吾妻 義弘。クラスは2-D、改めてよろしく」
「”中島 基樹”。クラスは2-A、こちらこそよろしくな」
”ナカモン”こと、中島基樹も握手に応じ、名前とクラスを紹介する。そして、二人の自己紹介が終わると、残りの二人も同様に自身の名前を名乗り、握手を求めてきた。
「俺、”矢島 健太郎”って言います。基樹と同じ2-Dです。健太郎って呼んでください、アズヒロさん。それといつも動画配信見てました。会えて光栄です。握手してください」
「あ、吾妻 義弘です、こちらこそよろしく、健太郎」
小動物のような可愛らしい目元をし、やや横に広がった体型をした彼の求める握手は、自分を認識させる挨拶のものではなく、憧れの人の手に触れたいという欲求そのものだった。
義弘は少し、戸惑っていたが、周囲にゾンビがいないことを確認して、早く済ませなければと、お辞儀をした彼の頭と同じ高さにある手を取り、握手を交わす。
「田島 治樹です。俺も二人と同じ2-Aです。よろしく」
「吾妻 義弘です、こちらこそよろしく」
この4人の中で、一段とふくよかな体型をした彼の汗ばんだ手を取り、義弘は挨拶に応じた。
こうして、全員と軽く挨拶を済ませた義弘。彼は失礼だとは思いながらも、先ほどから気になっていることに目を向けた。
3人の体型をざっと眺め、垂れてくる汗を拭う義弘。彼は誰にも聞こえないように突っ込んだ。
――俺も含めて、此処にいる全員、ぽっちゃりorデブじゃねぇーか!!
恐らくは学園の中でも空気と化しているであろうこのメンバーが、いち早く武器を取ってゾンビと戦おうとしている。このあまりにシュールすぎる絵面に義弘は苦い思いをしながらも、それを表面に表さないように精一杯の作り笑顔を見せた。
――いや、ホントはマジで笑えない。まぁ、これがアニメのワンシーンなら大笑いしてるところだけど……いや、それにしてもマジで笑えない
自分はこの状況の傍観者じゃなく当事者であることに、義弘はこの上なく背筋をぞっとさせた。なんせ、全員が全員運動が苦手そうにしか見えない。田島治樹に至っては、運動してないのに鼻息が荒い。こいつはやばいぞと、義弘が心配してしまうほどだ。
自分を含めたこのデブ4人衆が死なないようにするためにも、いち早く安全地帯を構築しなければと、義弘は改めて固く決心した。
「すまん。ホントはもっといろいろ話したりしたいけど、とにかく今は、一旦、中に入ろう。急いで装備を整えて学校に向かわないと」
義弘が笑顔の余韻を表情に残しながらも、真剣な目つきで目の前の3人にそう語ると、
「待ってくれ、俺ら武器はこのパイプしか持ってなくて、」
ナカモンと呼ばれている、義弘と同じくらいぽっちゃりとした体型をした彼が、自身の持つテント用の支柱パイプを見ながら言葉を返した。
「なら、急いで漁ろう」
先を急ぎたかった義弘だったが、パイプという装備だけで駐屯地の中に入って、死んでしまっては元も子もないなと、引き続き周りの装甲車や機動車を彼らと共に漁り始める。
しかし、高機動車の車内、装甲車の後部ハッチの中にさえ銃器は発見できなかった。物足りない武器を手に苦い表情をして佇んでいる3人に義弘は励ますように声をかける。
「俺がポイントマン(前方全域警戒者)になる。みんなは後ろについてきてくれ。中に行けば武器があるだろうし、装備も揃う。とにかく中に行こう」
中島基樹の肩をポンと軽く押すようにして、義弘は3人に入ることを促す。3人はそれを了承し、義弘の背後に一列に並んだ。こうして、4人の男たちはやっと、駐屯地に足を踏み入れていく。
雑草が生い茂り、割れたアスファルトの上を小走りで行きながら、ゾンビがやけに多く集まっている営庭を横切り、ある施設の前で4人は立ち止まった。ツタで文字が途切れており、良く見えないが、所々から推測して
”本部庁舎”
と、看板には書かれている。それを見ながら、義弘は何かを考えているようで、推理をする探偵の様に右手で顎を撫でていた。
「非常用電源施設が何処にあったか憶えてるか?アズ、義弘」
呼び慣れてない名前に言い直しながら、真後ろにつく中島基樹が義弘に尋ねる。
「あぁ憶えてる、確かこの先だったはずだ。けど、その前に、キーとパスワードをここで取って行かないと、非常用発電室にも入れない」
すると、仮想世界で通った道の記憶を示すように指を向けながら、義弘は答えた。
「え?弾薬庫とかに先に行かないの?」
二人の会話に田島治樹が息を大いに切らしながら割って入って来る。彼は、裏門前にある軽機動車の中で待っていた方が安全だったのではないだろうかと思わせるほど、この短時間で疲弊していた。
もしかしたら、熱中症になりかけているのかもしれない。熱気を帯びた彼の背中を優しく摩りながら、義弘は彼の体調を気遣う
「いや、それより大丈夫か、凄い気分が悪そうだけど……」
非常用発電装置を稼働させ、電力を駐屯地に行き渡らせてから、司令室に置かれてあるキーとパスワードを使って弾薬庫の認証システムを開き、武器を入手することを最優先にしようと義弘は考えていたが、
「ありがと、ちょっと喉が渇いて」
地べたに倒れるかのように座り込み、そう語る田島治樹の顔つきを見た、義弘はすぐさま、そのルートの変更を提案した。彼の体調を回復させることを最優先することにしようというのだ。
「先に”厚生センター”に行こう。あそこなら水の在庫があるかもしれないし、熱中症対策のグッズみないなものも置いてた気がする。それに、戦闘服とか、タクティカル・ベスト、ブーツもあそこで揃うしな」
その言葉に、快く従う中島基樹と矢島健太郎の二人は、田島治樹を支える。そして、4人は厚生センターに向かい始めた。
厚生センターとは、駐屯地で暮らす兵士のための厚生施設で、施設内には隊員たちが必要とする日用雑貨や、衣料品、食料品、被服装備品を取り扱う売店が百貨店内のテナントのように並んでいる場所である。
隊舎などの施設を通り過ぎ、そこに着くや否や、陰になっている涼しそうな場所を4人は探す。そして見つけると、すぐさま彼を休ませようとした。
「よし、治樹。ゆっくりでいいからな」
基樹がやさしく声をかける。
「ありがとな、基樹、健太郎」
肩を借りながら、ゆっくりと田島 治樹は腰を下ろす。
「中がほとんど見えないな……」
着いた厚生センターの外観は他の建物と同様にツタの根と葉に覆われており、窓は泥で薄汚れ、中の状況を碌に確認することも出来ない。義弘はそれを見て呟くと、人数を二手に分け始めた。
「じゃ、俺とナカモ、基樹で調べてくるから、二人はここで待っててくれ。中の制圧ができたら直ぐに呼びにくるし、先に水を発見したらすぐに持ってくる」
義弘はそう言い残し、中島基樹と共に厚生センターの中に入っていった。何時でも照準器を覗いて、精密射撃できるように、ストックを肩に押し当て、銃口を水平にした状態、コンバット・レディと呼ばれる姿勢で頭をブラさずに、体と銃口を動かして義弘は中をクリアリングしていく。
すると、売店に入ろうと、死角に銃口を向けた義弘が、突然と後ろの中島基樹に向かって、拳を見えるように掲げた。手信号だ。
”止まれ”
そうして、死角に隠れるように屈みこんだ義弘は手信号を使って更に指示を出す。
”2体確認、俺がやる、周囲の警戒頼む”
これを見た中島基樹は、
”了解”
と、手信号を送る。
――よし、まずは手前の奴から
倍率が4倍の高度戦闘光学照準器を覗きこみ14、5mくらい離れた場所にいるゾンビの頭部に照準を合わせる。現実では、初めての射撃となる義弘は、仮想世界の時と同様に、ストックの肩付け、頬付けをしっかりし、フォアグリップを親指、人差し指を除いた3本の指で握り込んでいる。
義弘は、ゆっくり、そして長く、息を吐き、照準のブレを安定させていった。




