5『ゾンビが持つ菌という名の恐怖』
『人類は未曽有の危機に見舞われた。世界各地で、ある感染病が流行し、数多の国が滅びたのである。
この感染病にかかってしまった患者は程なくして生命の維持に異常をきたし、やがて仮死状態に陥る。症状は咳、鼻の粘膜からの出血などから始まるが、この咳の症状が非常に厄介だった。飛沫感染によって更に細菌が拡大していってしまうのだ。人口が集中している場所でこの感染病にかかっているものがいると、瞬く間に、全員がこの細菌に侵されて仮死状態に至ることになる。
しかし、この細菌の恐るべきところは、それだけではなかった。信じられないが、完全には死んでいない人の体を細菌が操り始めたのだ。彼ら感染者は細菌に感染していない非感染者を襲い、更に感染を拡大させる。噛まれたものが飛沫感染で周りの者達に細菌を広げ、最終的には、歩く亡者となって、非感染者に直接感染させる。まるで、菌が意思を持っているかのように人間のみを食らい始めたというわけである。人がいとも簡単に細菌に蹂躙される、その様はまさに地獄絵図だった。
我が浦安国は島国であったが故に感染病の波に呑まれずにすんでいたが、それも長くは続かなかった。国内で感染者が確認されたのである。我らは急ぎ、戒厳令を敷き、検疫所を設け、非感染者を離島、海上基地に避難させていたが、民の大半が感染者となり、菌に操られた。最後の望みを掛けて我々は研究者・技術者とともに国と呼ぶには小さすぎるこの離島の地で安寧を取り戻すために菌の解明に2年間心血を注いできた。そして、やっと、やっと全人類が待ち望んだ抗”国死病”ワクチンを開発したのである。これから、各地に部隊を派遣し、文明を取り戻し、安寧を取り戻す。我らはやっと国死病に反撃ができるのだ』
ゾンビモードのプロローグとして流される映像の中で、女性の声で大雑把に説明された世界観。その中でも、今の義弘にとって特に重要な情報である感染した際の症状が出現していないか、咳、鼻血の有無を何度も義弘は確認していた。
「咳もないし、鼻血も出てない。確か、感染したら30秒も経たずにゾンビになるんだったよな……もう、それ以上経ってるけど何の異常もなし、、はぁ、よかったぁ。感染してない」
先ほどゾンビを相手にする際に自身が感じていた恐怖の中で、最も強く感じていたものが取り払われると、義弘は体を預けている寂れた自動販売機への密着面積をさらに増やした。
「はぁ、腹痛いし、それにしても、暑っっついし、いいことが何一つねぇ」
駐屯地に続く通り上にゾンビがほとんどいないとはいえ、体力づくりを怠り、体力を衰えさせていた義弘にとって、走り続けるのは正直言って辛すぎた。早くも横腹に痛みが出だしたのだ。
それに、照り付ける太陽の熱さと運動によって生まれた熱量が合わさったことで、全身に汗が滲み出てきては、体をべとつかせ、額からは湧き出た汗がこれでもかと滴り落ちている。
せめて、秋か春であれば、此処まで苦労はしなかっただろうと義弘は何度も汗を拭った。
「水が飲みたいぃ。このままじゃゾンビに殺されるよりも熱中症で死ぬ気がする」
気分の悪さは大分和らいだが、その余韻が未だ胸にへばりついている。
気分が悪くなり、息が切れる。汗が落ちては、喉が渇く。この生理現象が嫌でも現実世界だという事実をまざまざと彼に突きつけてくる。それをもとに未来を考えれば絶望しか見えてきそうにないが、義弘は生き残るための希望を見据えた。
――この寂れた現実世界を生き残っていくには武器も必要だが、水、食料の確保も不可欠だな。万が一の時の為に医薬品や医療道具もいる。駐屯地に水や食料、医療品の備蓄があるかは分からんが、無ければ近くの量販店や薬局、病院を探すしかない。それに安心して眠れるような安全な居住地もいる。いっそ駐屯地を要塞化するか……、もし、なかにある重機を使えたら何重にも堀を掘って堡塁を築ける。そうしたら、やばい、胸熱。城みたいな立派な要塞ができあがるぞ……いや、まぁ、それは後で考えよう。今は装備を整えるのが先だ
息を整え終えた義弘は裏門を抜けた後に脱いでいた上着を、パイプにうまいこと縛り付ける。万が一戦闘状態になったとき、振った遠心力、叩いた衝撃を抑えきれず、汗で滑ってすっぽ抜けることを避けるためだ。
――戦闘は最小限にしないとな
勿論、相手に存在を明かしたくないような隠密行動中の戦闘は最悪の手段だ。ゾンビ世界なら、なおさらにその重要性は上がる。ここに来るまでにも、何体かのゾンビに遭遇したが、義弘は無駄な戦闘をせず、器用に交わしてきた。
彼らの最高速度はせいぜい義弘の小走り程度。それに一定の距離が開けば追ってくるのを止める。大人数でもない限り、さほどの脅威には成り得なかった。
――なんか、この戦い方、子供の頃にやったゲームのクリア方法みたいだな。あのゲームに出てくるようなボスが出てきたら……やべぇ、いくら主人公補正がかかっても勝てる気がしない。一発食らっただけで絶対死ぬわ
ゾンビを上手く躱す様子を振り返ると、各エリアに出てくるゾンビやモンスターを相手にせずに駆け抜けて、次のエリアにいくというゲームのクリア方法を思い出してしまう。
彼は、この世界観がそのゲームの内容と重なることが”ありませんように”と、にやけながらそっと祈った。
「行くか」
パイプを杖代わりにして、立ち上がり、歩き始めたその時だった。義弘の何歩か先にある民家の玄関から呻き声を上げながら、ゾンビが通りに出てきた。その急な出来事に、彼はすぐさま踏み込み、薙ぎ払うようにゾンビの頭部にパイプを叩きつける。武術の経験者である義弘でなければ此処まで正確に捉えることはできないだろう。
棒術や槍術や長刀術の技を応用し、放たれた彼の一撃はゾンビを、出てきた玄関側に戻すように吹き飛ばした。
「っく」
まだ、門の傍で小さく唸っているが止めを刺す暇はない。今の音を聞かれていたら、集まってくる可能性がある。1体のゾンビと戦闘をし、音を立ててしまえば、何体ものゾンビがその戦闘音に引き寄せられることはゾンビ世界では常識だ。
それ故に、急いでこの場を離れる必要があった。荒くなった呼吸を少し整えると、義弘は先を急ぐ。
――よかった、駐屯地だ。ちゃんとある
自身の目線の先で見慣れた駐屯地のフェンスが見えてくる。ちゃんと自身の記憶通りに駐屯地があることを自分の目で確認した義弘は取り敢えず安堵感を示した。
しかし、忍び返しの鉄条網が設置されているため、ここをよじ登って入ることは不可能。だから、北門である裏門の場所に向かうため、再びフェンス沿いにゆっくりと腰を低くしながら走り出した。
義弘の歩く道路上には何体かのゾンビが徘徊しながら、呻き声を上げている。彼らの近くを横切る際、義弘は戦闘を避けようと、拾い上げた石を勢いよく壁に投げ込んだ。そして、音の方に寄らせてから、悠々とゾンビの背後を抜けていく。
その作業を何回か繰り返した後、義弘は無事に駐屯地の裏門に着いた。門の前に何重にも設置されたフェンス型のバリケードや乗り捨てられた装甲車や軽、高機動車も他の景色と同様、自然と同化しかけ、装甲車にいたっては迷彩柄が施されていることもあってか、そのカモフラージュ率はかなり高くなっている。
装甲車や機動車に搭載されている機関銃の銃身などから、ここが厳重に警戒されていたという厳かな雰囲気が伝わってくるが、この周辺にはあまりゾンビの影は見当たらない。
――そもそも、この駐屯地の周辺の通りにゾンビが大量発生してないことがこの世界観のおかしいとこなんだよな。普通、国民は武装組織に守ってもらおうと大挙して駐屯地に押し寄せたはいいものの、結局、集団感染して、徘徊するようになるのが、ゾンビ世界のお約束みたいなものなのに、ここにはそんな跡が全くもってない。他のプレイヤーもこれを不思議がってったけ。
まぁ、今はそれを気にかけても何の意味もないため、義弘はすぐさまバリケードを抜けて中に入っていく。
――駐屯地に入る前に漁っとくか
膝を下ろし、慎重に軽装甲機動車の下の空間にゾンビがいないか安全確認を行う。
――よし、いない
ドアに張り付いたツタを取り払うと、車内を覗き込んだ。すると運がいいことに、光学照準器やフォアグリップの付いた小銃が置かれてあるのを発見。義弘は、思わずガッツポーズをとり、再び、慎重になってドアが開くか、試みた。




