4『突然の嵐が来ても動じるな。我が道をゆけ』
自分の置かれた状況に慌てふためく、男子や女子の生徒に、ゾンビが蔓延る仮想世界と同じ世界に来てしまったかもしれないと説明したところで、”はい、そうですか、ならばあなたの言うことを聞きましょう”と素直に聞いてくれるとは思えない。
義弘は、自衛の為にも、自分の意見に説得力を持たせる為にも学校の外に出て、武器や装備を調達しなければならないと更に足を動かす速度を速めた。
――この世界があの世界と違ってゾンビの出ないところなら、それに越したことはない。だけど、もし、奴らがこの世界にいるのなら、俺は何としてでも戦える装備を手に入れないと。ゾンビもやばいけど、警戒すべきは生徒と教師だ。この秩序がない世界では何をしでかすか分からない
動揺しているせいか、走っているせいか分からないが、とにかく汗が吹き出し、全身の体温が上がる。つんのめるような勢いで、生徒たちが騒いでいる廊下を走り、贅肉をブルンブルンと揺らしながら、義弘は階段を駆け下りた。そして、息を大いに乱して、裏口へと辿り着く。
―やばい、やばいっ、やばいっ!!こんだけでこんなに息を切らしてたら、間違いなく俺は死ぬぞっ。くそっ、くそっ、こんなことになるなら、もっと早くに鍛え直しておくべきだった!!
壁に自身の体を倒れるようにもたせ掛けた義弘は、立てた片膝を何度も叩いた。彼は、危機的状況に陥って、やっと自分のだらしなさを、これでもかと嘆いている。
――だけど、鍛え直すにしても時間がかかる。それまでは安全な場所と、充実した装備がいる。初動が肝心だ。なんとしても、装備を揃えないと
ここは自分が良く知っている世界と瓜二つの世界。知っている世界なら動きようがあると、記憶を掘り起こして地理を頭の中に描く。
このゲーム世界では安全区域でない場所で自前の武器や装備が無くなった時の補充方法は、各場所に臨時に設置された武器・弾薬庫や弾薬ボックスから補充するか、大通りに止めてある乗り捨てられた装甲車、戦車の中や、ゾンビと化した兵から弾薬などを回収するか、駐屯地で回収するかに分けられる。
しかし、武器・弾薬庫、弾薬ボックスは、誰かが任務として運んでくれないとそこに現われないため、義弘の知っている場所に確実にあるかどうかは怪しい。
残る選択は2択だが、大通りはゾンビの数も多い。下手すれば武器・装備回収時に死亡という未来が濃厚なイメージとして湧く。
ならばと、
――消去法だ。この裏門から出て通りを直進していけば、駐屯地があったはず……よし、
彼は駐屯地に行くことを選択した。この世界が彼の描く地理通りならば、各地に捨て置かれた陸上、航空の駐屯地がそれぞれ点在している。
その場所に向かおうと、ざわめく心を落ち着かせるようにゆっくりと息を整えた。
――あれは、倉庫か、ドアが開いてる……もしかしたら、
校庭の端に見える体育倉庫。遠目にそのドアが開いているのを発見すると義弘は倉庫の方へと歩き出した。
学校の運動場の倉庫と言えば、必ずと言っていいほど運動会の時用に、テントの支柱パイプを仕舞ってある。少々、心許ないが、ないよりはましかと、探してみることにしたのだ。
倉庫の壁に張り付き、ゆっくりとドアの方に近づく。
――嫌な予感がするな……あぁ、
ドアの間近まで来た義弘の表情に力が入る。予感が的中したのだ。彼の感じていたざわつきが喉だけで出しているような呻き声となって倉庫の中で微かに響いている。倉庫の中には明らかに先客がいらっしゃるようだ。
ツタが覆いつくした状態で半開きになっているアルミ製のドアから中をゆっくり覗きこむ。
――よし、やっぱりあった……
義弘が思った通り、様々な備品が仕舞いこまれていた。そして、その中に、何本もの支柱パイプを見つけるが、
――それに、やっぱりいたな
乱れた服を纏った若い男女のゾンビもそこに発見してしまう。
――それにしても、恰好が
どちらともが中途半端に下着が見えるような恰好であることから、情事に及びながらゾンビになったのかと義弘は疑いたくなってしまう。
――まぁそれにしても、この世界は、やっぱり、あの世界と同じなんだな
そうであってほしくはなかったと、義弘は上空を虚しく眺め、ため息を吐く。そして、壁に寄り掛かっていた彼は眉を細め、真剣な表情になると、男女のゾンビに自身の存在を気取られないようにドアの反対側に回り、引くようにそれを開き始めた。
ギギっと、スムーズに動いてくれない建具が力加減に比例して鳴る。それでも完全に開放しきると、義弘は急いで倉庫の陰に身を隠した。
建付けの悪いその音が鳴ったことで、彼らはドアの方へ呻き声を上げだし、近づいて来る。そして、彼らは、義弘の隠れた場所には近づかず、開けた場所に歩を進ませていった。
目に鋭さを持ち、半身になって身構えながら息を潜める彼の姿は、ぽっちゃり体型だけに様になっていないが、凄まじい威圧感を放っている。
さすが、武術の経験者、仮想世界で好成績を残していただけのことはあるようだ。
彼らを誘導するために義弘は手頃な石を拾い上げ、放り投げる。
音に敏感に反応する彼らの習性を利用したこの策。彼らがゲーム内のゾンビと同じ”音に敏感な習性”を有しているのならばこの策は難なく成功するはずだ。
そう思いながら、義弘は地面を擦るようにして歩くゾンビの足音に全神経を集中させた。
――よっし、よし。そのまま行ってくれ
倉庫から出た彼らを確認した義弘は中に入り、目当ての支柱パイプを袋の中から抜き取った。そして、外で呻く彼らの方を見やる。
――やらなきゃだめだ、彼らを始末しないと誰かが殺される
その感触を確かめながら、義弘は葛藤する。ゲームの中では何のことはないが、この世界は仮想現実じゃない。まさに、現実だ。
当然、あの世界では制限されていた表現である血などは、まざまざと自身の目の前に現れるだろう。考えただけで吐き気を催しそうになる。嵐の中に突然と投げ出され、恐怖が自分の前で佇む中、助けを求めるようにして家族との日常を思い出す。
しかし、思い出せば、思い出すほど、すぐさま会いたくなる気持ちが強まり、心の中は家族一色に染まっていく。何時ぶりだろうか、こんなにも家族を恋しく思ったのはと義弘は瞳に涙を溜める。
当たり前になってしまっていた平穏に再び戻るにはどうすればいいのかと、考えても分かるはずもなく彼は今を生きるために記憶を辿る。
”義弘、戦うことだけは、戦うことだけは恐れるな。武士が戦わななければならないときは、己や誰かを守らなければならないときだ。己を守るために、大切な人が苦しまないように腕が振るえようとも、足が竦もうとも、恐怖に苛まれようとも最善の道を行こうと努力しろ。生きるか死ぬかの場面で事がうまく運ぶかなど分かるものじゃない。その場に臨んでは只、悔いのないように、その一瞬、一瞬を死ぬ気で生きて我が道を行け。武士道というは死ぬことと見つけたりとはこのことだ。まぁ、常にこんな気持ちでいたら、肩がこるから、自分が命を懸けなきゃいけない戦いに臨むとき以外は気楽に平穏を楽しめ”
肥前国佐賀鍋島藩士・山本常朝が口述した武士の在り方を纏めた書物である『葉隠』を自身に読み聞かせ、解説していた叔父の講義。
重大な局面に臨んだ時、いつも思い出す叔父の言葉を振り返りながら、義弘は戸惑いを生む恐怖を振り払うように自分を鼓舞した。戦いに臨んでは覚悟を決めて生きなきゃダメなんだと。
――尋常じゃなく手が震えてるな。とんでもなく怖い。でも、俺は生きたい。父さんや母さん、有希のいる家に帰りたい。なんで、こんなことになったか分からないけど、何があってもここで死ぬわけにはいかない。自分を守るために、誰かを守るために力を尽くそう。叔父さん、俺は死ぬ気で戦うよ
義弘は死ぬ気で我が道を行く己の覚悟を込めるように、震えを武者震いで相殺させるかのように、パイプを両手で握りしめ、槍や長刀を構える武者の様に半身になって構えた。そして、じりじりと間合いを詰めていく。
――すまん、成仏してくれ
踏み込んだ義弘が長刀を振るうように遠心力を大いに使って、パイプを振るい、朽ち果てた男女のゾンビの頭に斜め上、下から勢いよく叩きつけた。そして、歯を食いしばり苦い表情をしながら義弘は倒れこむゾンビに止めを刺す。
その瞬間に、どす黒い血しぶきがグラウンドの砂利の上に散った。気色の悪いそれを見た義弘の鼻に、ドブの匂いなど比較にもならない異臭が纏わりつく。いくら鼻を覆って、口呼吸に変えても、その匂いが鼻腔を暴れまわる。
「はぁはぁ、うぅっ」
こみ上げてくる吐き気に身を任せ、嘔吐した。気持ちの悪さが悪臭を追い出そうと、全身からあふれ出そうとしている。それは吐しゃ物となり、涙となり、震えとなり、感覚を歪ませた。
倒れないように砂利をしっかりと踏みしめ、よろよろとしながら倉庫の壁に身を預けて少し休む。体に熱が籠るのを感じるが、それでも”動かなきゃいけない”と、彼は裏門を抜け、駐屯地を目指して、走り始めた。
”覚悟を決めて生きなきゃダメなんだと”の文章を打ち込んでいるとき、どうにも有名なディズニー映画のワンシーンを思い出してしまいました。それだけです、すみません。




