9『正か邪か』
嵐の到来に、只々、恐れおののく者達は自分たちが徐々に溜める恐怖にどっぷりと浸っていく。
「いやぁぁぁっ、もう嫌っ!!」
「なんなんだよここはよぉ、ふざけんなよっ」
「家に帰りたいっ、お母さん、お父さん」
「嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、まだ死にたくない、死にたくないっ!!」
悪夢のような光景が蠢めいては、校舎に絶望を叩きつける。絶え間なく聞こえる鈍音と、地を這う呻き声を聞く、校内にいる者たちは恐怖で震え上がっていた。
目前で牙をむき、迫って来る、死という名の重圧が、彼らの手足を、心を縛り、思考力を低下させ、逃げるという本能さえも鈍らせてしまう。
そして、いつしか、備蓄の無い”籠城”という愚策をほとんどの者が受け入れるようになってしまっていた。
「ははは、もう無理だ、水もなければ食料もない。外にはあいつらがいる。はは、全員、此処で死ぬんだよ。もう、死ぬしかないんだよ」
日本史を教えていた男性教諭、大野 昭があきらめの笑みを浮かべながら、大声で叫ぶ。彼の近くにいる教員たちがその姿を見て、気が狂ったのかと言いたくなるほどに目はどこか虚ろだった。
その目は、希望などまったく見えていないという目だ。
怯える生徒たちを真っ先に励まさなければならない教師が絶望を前に背を向け、更に生徒たちを怯えさせるという悪循環。これでは生徒たちの目にも希望など見えてくるわけがない。
「まだ終わってない。全員で何とかしよう。力を合わせれば何とかなるって」
それでも、中には震えながらも立ち上がり、一歩を踏み出そうとしている男子もいた。3-Aのスポーツ系男子である”瀬良正樹”がその一人だ。全員の澱んでしまった心に語り掛けるように彼は話す。
「お前ひとりでやってろ」
「だったら、お前ひとりでまず、あいつら追い払ってくれよ。そしたら協力してやる」
しかし、結果は非常に厳しいものだった。如何せん、誰も絶望と向き合おうとしないのである。そして、全員が水も食料もとっていない疲弊した状態の中で精神論を振りかざした彼は、その無責任で根性の無い言葉にさえ何も言いかえせず、苦い表情をして、座り直そうとする。
そんな陰気な雰囲気が立ち籠める中、それをかき消さんとする一人の男子が彼と同様に立ち上がった。
「いや、先輩の言う通りです。このままここでじっとしてたら、本当に全員死ぬことになる」
義弘がハーレム主人公のようだと言っていた坂崎 忍だ。立ち上がった彼を、忍と同じ2-Bで、義弘の幼馴染だった大鳥 結花が心配そうに眺めている。
「あっそ。だったら、お前らだけでやれよ。食われて死ぬより、餓死の方がいいわ」
一見潔い言葉に聞こえなくもないが、こういう輩こそ死ぬ直前になったら、あれやこれやと喚き散らし、最後の最後まで醜く生に執着する。本当に潔い死に方を望むものならば絶望から目を背けないものだ。
「あぁ、僕らだけで行く」
思いがけない忍の言葉に、全員が耳を疑ったかのように、一斉に視線を向け始めた。
「でも、ここは知らない世界だ。土地勘なんて全くないから、全員で動くのは得策じゃない。だから、少人数で動いて、食料や水を確保してくる」
主人公の風格を出しながら、語る坂崎 忍。そんな彼を見て、生徒たちは、やっと、やっと希望が見えてきたと言わんばかりに、目に輝きを宿しはじめる。
そして、その中からは、彼と一緒に絶望の中に身を投じようという者たちが名乗りを上げ始めだした。さすがは、ハーレム系ラノベ主人公の風格を持つ者だ。それなりのカリスマ性を有している
「坂崎、俺も付いていくぜ」
――これで、食料と水を持って帰ってくれば女子にモテまくる
「俺も行くよ」
――ふふっ、じっとしてても死ぬなら、最後くらい女子にモテて死のう
「当然、俺が言い出したことだからな。勿論、俺も行く」
精悍な顔の振りをして、ゲスな企みを抱く、リア充でもなければ非リア充にもなりきれない至って普通のモブ系男子2名と違い、瀬良正樹は誇らしげに参加を表明した。彼は正義感に溢れ、自衛官を目指しているような男だ。だから、純粋にこの状況を見過ごせなかったのだろう。
「私も行く、此処にいてもみじめに死ぬだけだから」
冷ややかな目つきをして生徒を見回し、そう語る女生徒。彼女は2-Cの”赤松 葵”という生徒である。
数多いる女生徒の中で一際、目を引く端正な顔立ちと、魅力に満ちた体型、やや毛先に癖のあるロングヘアは、妖艶な雰囲気を醸し出しているが、ポケットに両手を突っ込み、足を組んでいる仕草や目つきからは、どうもその態度の悪さが窺える。
「私もいきます」
彼女に続いてもう一人、女生徒が名乗りを上げた。3-Bの”篠宮 紗代”だ。彼女もまた赤松 葵に負けず劣らずの容姿、スタイルの持ち主で、長く伸ばした髪の前髪は両側面に流すようにして後ろで纏められている。その彼女の大人びた雰囲気を纏う静かな美貌は、どこか女王様を彷彿とさせるため、男子生徒たちからは”氷の女王”と呼ばれた。
「んじゃ、俺もいく」
「俺も」
「おれも、おれも」
学校の1、2を争う美人の二人が参加すると知るや否や、集る虫の如く男子生徒たちが次々と声を上げだした。女子たち二人は自分たちの参加で、こうなっていると分かっているのか、不機嫌そうな目つきをしている。
「いや、篠宮先輩で最後にします。それ以上いたら少人数じゃなくなってしまう」
坂崎忍は募集を締め切ったかのように、そう言って、参加者6人とその場を後にした。そして、屋上に向かい、周りの風景を見て作戦を練り始める。
「こっち側には”あいつらが”うようよいるから……あそこなんてどうかな」
坂崎忍が裏口方面から見えるホームセンターのような建物を指さしながら語る。すると、赤松葵がすぐさまその案を却下すした。
「あんた馬鹿なの?ちょっと、距離がありすぎる。荷物を運ぶだけで一苦労っ、却下」
彼女の高圧的な態度にも、忍は”ごめん”と笑顔で謝った。随分と腰が低いハーレム系主人公だ。
「私なら、あそこに行く。あのフェンスが長く張り巡らされているところ」
今度は赤松葵がある場所を指さして、提案した。
「確かに、私もあそこなら賛成です」
その彼女の案に篠宮紗代が風でなびく髪を払いながら、一票を入れる。彼女たちが行く気になったある場所、そこは義弘たちが向かった駐屯地だった。
「ちょい待ち。なんであそこなの?」
モブ男の一人が、二人に問いかける。
「あの面積の広いグラウンドに佇んでる2つのドーム型の建物。あんな場所にあるってことは、ヘリの格納庫ぐらいしかない。ってことは、あそこは恐らく駐屯地」
「軍の施設ってことは、備蓄にも期待できるし、武器がある可能性も高い」
赤松葵の”駐屯地”という言葉に忍が、閃いたかのような明るい顔をしながら返事をする。
「そういうこと」
すると葵は、ポケットに入っていた棒付きキャンディーを口に含ませ、涼し気に答えた。唯一の食糧かもしれないものを遠慮することなく味わう彼女を見て、男たちは唾液の分泌量が増えるのを感じていた。しかし、女子なだけに分けてくれとは口が裂けても言えない。
「でも、待って。軍の施設なら、そこに避難した人達がゾンビ化してるって可能性も……」
「それはないっ」
忍のその不安を葵が真っ先に、そして強く否定する。
「いや、なんとなくそう思っただけ。別に、深い意味はない」
彼女がどこかばつが悪そうに、付け加えながら答えて、駐屯地の方を見た時、妙な音が聞こえ始めた。妙とは言っても、それは聞きなれた音で、文明社会に暮らすものなら1日に1回は聞くであろう、文明の利器がもたらす重低音だ。そう、車のエンジン音だ。
「なんだ、なんだ!?」
「俺たちの他に誰かいるのか!?」
駐屯地の方から徐々に近づいてくるその音に、モブ男たちが騒ぎながら言葉を発する。そんな彼らの視線の先にいる、音に引き寄せられ交差点を歩くゾンビが2体が一台の装甲車に撥ねられた。
「あれ、軍隊の車だろ。やべぇ、超カッコいい。上にでけぇ銃、積んでるぞ。こっちに呼んだ方がよくないか」
「やめなさい。あれが助けてくれる人だと言う保証はどこにもないのよ?」
モブ男の一人が興奮した口調でそう語り、手を振って叫びだそうとした瞬間、篠宮紗代がそれを制止する。しかし、彼が呼び寄せようとせずとも、装甲車は彼らのいる学校の裏門に突入してきた。
「下に行きましょう!!」
紗代がそう言って屋上を後にすると、全員がそれに反応し、階段を駆け下りていく。そして、裏口が見える2階部分の窓から様子を見ようと向かったが、そこはもう、数多の生徒で埋め尽くされていた。
そんな中、裏口に寄せるように止まり、エンジンを停止した装甲車のハッチからいかにも軍人という雰囲気が前面に押し出されている恰好をした者が顔を出した。その者の顔は、頑丈そうなアーマーのようなもので覆われており、性別すら判断ができない
2階にいる生徒たちに声をかけ始めて、彼が男であることが判明した。青年くらいの年齢であろうか、声が何処か若々しい。
「ゾンビがここ一帯に集まりだしてたから来てみたのですが、大丈夫ですか?」
「助けてくださいっ!!水も食料もなくて」
彼らが何者であるかすら分からないのに、20代半ばの女性教諭が”待っていました”と言わんばかりに声を張り上げる。それは他の生徒たちも同様で、その様子はもはや狂気だった。
なりふり構ってなんかいられない、浮いているものならば、なんでも手繰り寄せて縋るような勢いだ。
「分かりました。すぐにお助けしますし、水と食料もある程度ならばあります。だから、とにかく、とにかく皆さん、落ち着いてください。奴らは大きい音に集まります。なるべく静かに。それと中の人数や状況を確認したいので、入れて頂けるとありがたいのですが」
ややこもった声で彼がそう語ると、全員が”助かった”と安堵した表情を見せた。そして、女性教諭がすぐさま彼に返事をする。
「分かりました。今すぐに開けます」
そして、彼女は男子生徒や教諭を伴って、生徒たちの間を縫うように、階段方面に向かっていく。
裏口のドアをあけ放つつもりだ。そんな彼女を止めようと篠宮 紗代は息を切らして、彼女を追った。
しかし、時すでに遅く紗代が裏口に着いた時には、バリケードは取り払われ、ドアも開かれていた。
息を整える彼女の視界の中に男が小銃を構えている姿が映る。




