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第8話 妻です。よろしくお願いします

 十数人でぞろぞろと歩くと、よく耕された畑に到着した。村に来るまでに見た畑よりだいぶ広く、ここにすべて種を蒔くなら、確かにこの人数がいるだろうと思った。


「さて、手分けしてやってしまおう」


 ベルンハルトが声を掛けると、村人はそれぞれの持ち場に散っていく。ベルンハルトも手慣れた様子で、持ってきた農機具を土に置いた。


「あの、私はなにをしたらいいですか?」

「あ、えっと、そうだな……。じゃあ、俺がうねに溝を作っていくので、この種を等間隔に置いていってくれるか?」


 ベルンハルトはそう言うと、麻袋を手渡してくれる。中を見ると小さな種がたくさん入っていた。


「分かりました」


 シルヴァーナが返事をすると、ベルンハルトが早速作業を始める。その後を追ってシルヴァーナも歩くと、種を少しずつ蒔いていった。


「この種はなんの野菜なんですか?」

「これはせっかち草の種だ」

「せっかち草?」


 聞いたこともない野菜の名前に首を傾げると、隣の畝で作業をしていた女性が声を上げて笑った。


「領主様! せっかち草なんて名前、あたしらしか使ってませんよ! シェーナ様、これは都会ではソールという葉野菜なんですよ」

「ああ、ソールね。知ってるわ。でもなぜ『せっかち草』なんて呼んでいるの?」

「この野菜は20日くらいで食べられるくらいに葉が出てくれるんですよ。都会にはもっとずっと育ってから持っていくけど、私たちは食べる物が少ない時は、このせっかち草でどうにか食い繋ぐんです」

「へぇ……」


(そんな短い期間で食べられるようになる野菜があるなんて知らなかったわ……)


 シルヴァーナはまじまじと種を見つめ感心する。


「貧しい農家の知恵だよ。育てた野菜はできるだけ売って収入にしたいからね。でもそうすると、自分たちの食べ物がなくなってしまう。ソールは売値は安い野菜だが、丈夫な上にすぐに食べられるから、自分たちのために作っているんだ」

「なるほど……」

「せっかち草をたくさん植えようと言ったのは、領主様なんですよ」


 ベルンハルトの説明に感心して頷くと、シルヴァーナの後ろで蒔いた種に土を被せる作業をしていた少女が言葉を付け足した。そちらに顔を向けると、少女はにこりと笑う。


「流行り病で村人がたくさん死んでしまって、食べる物も少なくて大変だった時に、領主様が提案して下さったんです」

「まぁ、そうなの……」

「ソールを売るためと、食べるためで、別々に育ててみようって。20日で育つとはいえ、とっても小さな葉っぱなんです。それを食べたってお腹は膨らまないって最初は皆、反対してました。でも領主様は一人でソールを育てて村に配ってくれた。結局、それで命が助かった人もたくさんいて……」


 少女が感謝と尊敬の眼差しをベルンハルトに向けて話すのを見て、シルヴァーナはベルンハルトが優しく誠実で、努力を惜しまない性格なのだと感じた。

 このルカート王国は数年ごとに大きな病が流行する。王都ではそれほど被害は出ないのだが、田舎の村などはかなり深刻な被害が出て、死者も相当な数に上る。シルヴァーナは慰問でそういう村を訪問したことがあるが、亡くなった人たちへの哀れみはあっても、生き残り苦しい生活を強いられる人たちの窮状をよく理解していなかった。


「素晴らしいご領主様ですね」

「いや……、俺は何も……。ちゃんとした領主なら、もっと村の経営が上手くいっているだろうし。どうにかなっているのは、村の皆が頑張ってくれているお陰だ」


 照れた顔でそう言うベルンハルトに、シルヴァーナは微笑んだ。

 その後、午前中いっぱい農作業は続き、昼を過ぎてようやく休憩となった。一度村に戻ると、女性たちが広場で食事の準備を始める。木でできた素朴なテーブルに、あっという間にパンとチーズが並んだ。


「さぁさぁ、領主様もシェーナ様もどうぞ。質素な物しかないけど、食べて下さいな」

「え、でも、皆さんの分なのに……」

「大丈夫だ。昼の食事は皆で食べるのが村の習慣なんだ。パンとチーズはうちから提供しているから、遠慮なく食べてくれ」

「そうなのですか」


 ベルンハルトの言葉に納得すると、シルヴァーナはベルンハルトの隣に座った。


「今日は、あたしがスープを作ったからね。皆、食べてちょうだいよ」


 一度家に戻っていた恰幅の良い女性が大きな鍋をテーブルにどんと置く。皆から歓声が上がると、和やかな昼食が始まった。

 切り分けられたパンの上にチーズを乗せて食べると、教会で食べる食事を思い出した。


「こんな貧乏くさいスープ、貴族のお嬢様に出すなんて申し訳ないけど」


 スープを持って来てくれた女性にシルヴァーナは首を振ると、一口飲んでみる。少しの野菜が入ったスープは、薄味だけれどなんだかとてもホッとする味だった。


「とっても美味しいわ。ありがとう」


 シルヴァーナの感謝の言葉に、女性は嬉しそうに笑いまた他のテーブルに向かう。


「いやあ、領主様の奥方様はとても良い人のようじゃないか! めでたいことだ!」

「高慢ちきな貴族のお嬢さんが来ちまったら、どうなることかと思っていたが、こりゃあ安心だ!」


 そばに座っていた男性たちが大きな声でそう言うと、わっと周囲から笑い声が上がる。


「ちょ、な、何を言っているんだ!」

「照れないで下さいよ、領主様。俺たちは常々思っていたんですよ。働き者の領主様の奥方様には、同じように働き者の優しい方がいいと」

「シェーナ様は俺らと一緒に畑仕事をしてくれるような働き者だからな、領主様にぴったりだ!」


 年配の男性の言葉に、全員がうんうんと頷く。ベルンハルトは耳まで赤くしながら、顔を険しくした。


「くだらないことを話していないで、早く食べろ! 午後も仕事はたくさんあるんだからな!」

「ははは! 照れてる照れてる」


 囃し立てる声にベルンハルトはむすっとすると、それ以上何も言わず、パンを口に押し込んだ。

 とても穏やかな空気に、シルヴァーナは昨日からの不安が少しだけ和らぐのを感じた。緊張していた身体から力が抜けて、自然に笑みがこぼれる。


(ずっとここにいられたらいいのに……)


 そんなことができないのは分かっていたが、そう願わずにはいられなかった。

 食事が終わり午後になると、それぞれ別々の畑仕事があるようで、解散となった。


「ベルンハルトさん、また畑仕事をしますか?」

「いや、もう仕事はない。えーと、家に戻るか?」


 ベルンハルトの言葉に、シルヴァーナは少し考えると周囲に目を向けた。


「少し、村を案内して頂けますか?」

「村を?」

「ええ」


 なんだかこのまま屋敷に戻るのがもったいなくてそう言うと、ベルンハルトはぎこちなく頷く。


「何もない村だが……」

「いいんです。お願いします」


 ベルンハルトは「そうか」と答えると、歩きだした。


「ここが本屋兼雑貨屋だな。隣が鍛冶屋だな。鍛冶屋といっても農機具を修理したり、刃を研いだりしてくれるだけなんだが」


 ベルンハルトはゆっくりと歩きながら、説明してくれる。どの店も小さく、民家と何も変わらない。たぶんそれだけで生計を立てている訳ではなく、農業の傍ら、村に必要な物を取り扱ってくれているのだろう。


「あの赤い屋根が教会で、奥が墓地だな」

「小さくて可愛い教会ですね」

「王都の教会に比べたら驚くほど小さいだろう」

「どんな司祭様がいらっしゃるんですか?」

「年老いた司祭が一人いるだけさ。この頃は目も悪くて、ちょっと心配なんだ」


 ベルンハルトはそう言うと、教会に行く細い道で足を止めた。

 小さな村にとってそこにいる司祭は、村の相談役や心の拠り所になったりするものだ。両親がすでに他界しているベルンハルトにとっては、もしかしたら頼りにしている人なのかもしれない。


「領主様!」


 ふいに遠くから声がして顔を向けると、馬に荷車を引かせた男性が近付いてきた。


「ちょうど良かった。ご注文の品をお届けに参りましたよ」

「ああ、リチャード。すまないな」

「おや、随分お綺麗な方をお連れですね。お客様ですか?」

「あ、ああ。ちょっとな。それより頼んでいた物はあったのか?」


 ベルンハルトの質問にリチャードは大きく頷く。


「うちの町にもなくて、王都からわざわざ取り寄せたんですよ」

「王都から? それは手間を掛けさせたな」

「いやぁ、王都からの商人に色々話が聞けるから、たまにはいいんですよ。あ! そう言えば、王都では今、聖女がお亡くなりになったという話で持ち切りだそうですよ」

「え!?」


 隣で静かにしていたシルヴァーナは、思わず大きな声を上げた。ベルンハルトも驚いた顔をしている。


「それは確かな話なのか!?」

「ええ。病気かなにかで急逝したとか」


(病気!? どういうこと!?)


 自分の存在は病死ということで片付けられたということだろうか。


「一回くらい顔を拝んでみたかったもんですよ。あ、商品は全部村に運んでおきますんで」

「あ、ああ。よろしく頼む」


 リチャードはそれで話を終わらせると、馬をゆっくりと歩かせ通り過ぎて行った。

 その後ろ姿を見送って、二人は顔を見合わせる。


「病死ってどういうことでしょう?」

「分からん……。王都で何が起きているんだ」


 ベルンハルトは険しい表情になると、首を振ってそう答えた。

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