第73話 幸せな日々
村に戻ってあっという間に3週間が過ぎた。
シルヴァーナとベルンハルトは、農作業や療養院での仕事をのんびりとこなしている。
今日も朝から、村人たちと手分けをして食用の花を摘んでいたシルヴァーナは、一度頭を上げた。
「もうすぐお昼かしら」
「そうですねぇ。そろそろ療養院に行った方がよろしいかもしれませんね」
「そうね。じゃあ、ここは任せていいかしら?」
「はいはい。早く行ってあげないと、皆腹を空かせてしまいますよ」
キャシーが笑ってそう言うので、シルヴァーナも笑って頷いた。
「そうね。皆もちょうど良いところで手を休めてね」
「はいよ」
シルヴァーナは畑にいる皆に呼び掛けると、それぞれが返事をする。そのバラバラの声に笑いを漏らすと、畑から出た。
「ロロ。お昼だから療養院に行きましょ」
「ああ」
畑の脇のあぜ道で寝転がっていたロロは、ゆっくりと立ち上がると後ろを付いてくる。
あれからロロは消えたりしている時もあるが、大抵はシルヴァーナのそばにいるらしく、呼び掛けると姿を現した。
村人も最初は異国の姿に驚いたものだが、黙ってシルヴァーナの後ろを付いて歩く姿を見ている内に無害だと思ったのか、別段指摘してくる人はいなかった。
「あ、ねぇ、ロロ。ずっと聞きそびれていたんだけど」
「なんだ?」
「なんで私の育てた野菜を食べると皆の病気が治るの? それもあなたの力?」
「ああ、それは、癒しの力が溢れてしまっているからだろうな」
「溢れる? どういうこと?」
ロロはあぜ道で拾った草を指先で遊びながら話を続ける。
「君の心臓を生かすために、箱の中には常に癒しの力が満ちている。その力が心臓から君の体に流れ込んでいる訳だ。その力は人に触れた程度では相手に流れ込むことはないが、種から育てた野菜には手を掛ければ掛けるほど力が移ってしまうんだろう。なにせ植物というのは、何もかもを取り込む力があるからな」
「何もかもを取り込む力?」
「ああ。水も光も土の養分も。自分を育てるものならば、どんなものでも取り込もうとする。植物というものはそういう強欲な存在なのだ」
「なんだかすごい言い様だけど、なるほど……、そういうことだったのね」
やっとこれで自分の謎が解明されて、シルヴァーナはとてもすっきりした心持ちになった。
療養院に着くと、病室にはエラルドとクレアの姿があった。
「お疲れ様です、お兄様、お母様」
「お疲れ様ね、シルヴァーナ」
「すぐに昼食にしますから、皆さんもう少しお待ち下さい」
患者の方へ向かってそう言うと、エラルドがそばに寄ってきた。
「ベルンハルトはどうした? 一緒じゃないのか?」
「もうすぐ来ると思うけど。あ、ほら、来たわ」
窓の外を見ると、ちょうど広場にベルンハルトの姿が見えた。他の村人と一緒に畑から引き上げてきたようで、農機具を下ろしている。
「一緒にいないと危ないじゃないか」
「ロロがいるから大丈夫よ。それにそんなに四六時中一緒にいたら、仕事にならないわ」
「だが、」
「お兄様は心配し過ぎよ。さてと、私は料理をするからキッチンに行くわ」
「お、おい! シルヴァーナ!」
エラルドを軽くあしらって、シルヴァーナは足早にキッチンに向かう。
村に戻ってきた当初は確かにずっと一緒にいたが、さすがにそれでは仕事にならないと徐々に別々に仕事をするようになった。
これはシルヴァーナからの提案で、ベルンハルトも最初は同意しなかった。けれどロロがそばにいるし、そこまで過保護にする必要はないと思った。
また危ないことがあるかもしれないけれど、できるだけ日常を過ごしたかった。それがシルヴァーナの願いだったのだ。
「ホリー、お昼の準備はどう?」
キッチンに入り声を掛けると、ホリーは笑顔で頷いた。
「シルヴァーナ様、あともう少しです」
「良かった。私が作る分はすぐやるからね」
「お願い致します」
料理長の男性とホリーが忙しく手を動かしているのを見て、シルヴァーナも腕まくりをするとすぐに料理に取り掛かる。
自分で育てた野菜を細かく刻み、スープに入れる。毎日作っているのでもう慣れたもので、あっという間に出来上がった。
「お待たせ! さぁ、皆に配りましょう!」
「はい! シルヴァーナ様!」
お皿にスープをよそうと、どんどんホリーが運んでいく。
人数分を用意すると、シルヴァーナもワゴンに皿を乗せて病室に戻った。
「皆さん、お待たせしました。たくさんあるので、いっぱい食べて下さいね」
患者一人ひとりに皿を手渡していき、介助が必要な老人にはシルヴァーナが食べさせてあげた。
「なんとありがたい……、聖女様にこのようなこと……」
「気にしないで。それに私はもう聖女じゃないのよ。シルヴァーナって呼んでくれていいから」
「そんな……、恐れ多いことでございます……」
目に涙を浮かべて首を振る男性に、シルヴァーナは苦笑して、それ以上は指摘することはしなかった。
自分の気持ち的にはもう『聖女様』と呼ばれたくはないけれど、年老いた人たちにそれを強要するのも違う気がして、強く訂正はしていない。
村人や若い人たちは、名前を呼ぶ方が親しみが持てると、もう『聖女様』と呼ぶ人はだいぶいなくなっていた。
「シルヴァーナ様、ここは私たちでやっておきますので、どうぞお食事をして下さい」
「そう?」
「はい。領主様もお待ちでしょうし」
広場では村人たちの昼食が始まっている。いつもそちらに行ってベルンハルトと食事をするのがこの頃の日課になっている。
「シルヴァーナ、行っておあげなさいな」
「お母様」
「そうだぞ、シルヴァーナ。ベルンハルトが待ちくたびれて干からびてしまうぞ」
「お兄様ったら……。分かったわ。じゃあ、ここは皆に任せるわね」
エラルドの言い様に笑ってしまいながらそう言うと、シルヴァーナは早足に療養院を出た。
目の前の広場ではもう食事が始まっていたが、ベルンハルトは腕を組んだまま皆の話を聞いているだけだ。
「お待たせ、ベルンハルト」
後ろから声を掛けると、パッと笑顔で振り返る。その顔に微笑み掛けながら、隣に座った。
「毎日待たなくていいのに。お腹空いてるでしょ?」
「いい。一緒に食べたいから」
「ありがとう、ベルンハルト」
「うん。食べようか」
「ええ」
わいわいと賑やかな広場で、皆それぞれ食事をしている。子供たちはもう食べ終わって、なぜかロロの周りで楽しげに遊んでいた。
「なんだかロロって子供たちに人気よね」
「ああ。大人たちは仕事で忙しいからな。あれでなんやかんやと子守りをしてくれているんだ」
「まぁ、そうなの?」
「大人にはあの姿は少し異様な感じに思うが、子供たちには関係ないんだろう」
「子供たちはロロが悪い人じゃないって分かっているのね」
村に馴染めるか心配だったけれど、これならきっとやっていけると安心した。
自分が何者なのかを探すのは、今度はロロの番だ。どうやって探せばいいか、シルヴァーナには皆目見当がつかないが、それでも助けてあげたいと思う。
その先に、自分の心臓を取り戻すことができる日が来るかもしれない。
「なんだかまた人が増えたな」
「そうね。療養院に来て、そのまま居ついちゃう人もいるからね」
村の中心の広場から見える景色は、以前は空き地も多かったけれど、今はどんどん新しい家を建てていて、隙間がなくなりつつある。
家を建てるために隣町から来ていた職人も、いつの間にか村に引っ越してきてくれて、そのスピードはかなり速くなった。
子供も増えて、今は読み書きを教えるために、教会を改築する案も上がっている。
「こんなに人が増えるなら、少し村の周囲をどうにかした方がいいかもなぁ」
「周囲?」
「うん。今は村の境界には何もないだろ? そこに柵か塀か、何か作った方がいい気がするんだ」
「それは良い案だな、ベルンハルト」
突然、背後から声がしたと思ったら、そこにはノエルが馬を連れて立っていた。
「ノエル!」
「ノエル様!」
突然の来訪に二人が驚いていると、ノエルは楽しげに笑いながら近付いてくる。村人たちは見目の良い騎士が突然現れて、興味深々な様子で見つめている。
「久しぶりだな、ベルンハルト、シルヴァーナさん」
「どうしたんだ、突然」
「陛下からの命令で来たんだ」
「陛下から?」
そう言ったノエルは、懐から封書を取り出す。
「シルヴァーナさんの警護のため、メルロー村に騎士を常駐させることが決まった」
「騎士を!?」
「それに当たって、村に騎士を駐在させるための、兵舎を建てる」
ノエルから封書を受け取ったベルンハルトは、その中身を見て目を見開いた。
「軍の施設か……」
「そうだ。常に数名が村の警護に当たる。これでシルヴァーナさんの安全はかなり保障されるはずだ」
「私のために……、そんなこと……」
自分一人のために騎士に守られるなんて、それこそ恐れ多いと呟くと、ノエルは笑って首を振った。
「これは陛下からの詫びだと思ってもらいたいとのことだ」
「詫び?」
「ああ。今回シルヴァーナさんを守れなかったのは自分に責任があると仰られて、城でこれからのことを話し合っていたんだ。当初はシルヴァーナさんを城に呼びたいと陛下は考えていたんだが、王妃様がそれを反対されて、メルロー村での警護を強く勧めたんだ」
「王妃様が?」
「ああ。できる限りシルヴァーナさんの気持ちを汲んであげてほしいと。それで今回のことが決定した」
国王と王妃の優しさに胸を打たれて、シルヴァーナは目に涙を浮かべる。
ベルンハルトはノエルの話を真剣に聞いていたが、ハッとしてノエルの顔を見た。
「まさか、常駐する騎士って……」
「そう、私だ」
「ええ!? ノエル様が!?」
二人が同時に驚くと、その顔を見てノエルは楽しそうに笑い大きく頷いてみせる。
「ノエル、だがせっかく近衛騎士になれたのに……」
近衛騎士は騎士の中でも優秀な者しかなれない。常に王族を警護する花形の仕事だ。
そんな人がこんな田舎の村に常駐なんて、左遷のようなものだ。
「なに、ちょっと忙し過ぎたからな。田舎でのんびりシルヴァーナさんの警護をするのもいいと思ってな」
ベルンハルトの心配そうな声に、ノエルは笑って答える。
「しばらくは泊まるところもないからな。お前の屋敷に住まわせてもらえるとありがたいが」
「え!?」
「もちろんです! ノエル様! 今、お兄様も村に手伝いに来てくれているんです! これでもっと賑やかになるわ!!」
嬉しそうな笑顔のシルヴァーナとは反対に、ベルンハルトは少しだけ顔を曇らせる。その顔を見てノエルは声を上げて笑った。
「ははは! ベルンハルト。伯爵にロロに私にと、新婚を邪魔されてむくれているな!?」
ノエルの言葉にまさかとシルヴァーナがベルンハルトの顔を見ると、ベルンハルトは顔を赤くして目を吊り上げた。
「ノエル!!」
ベルンハルトが大声を上げて立ち上がると、それをずっと見ていた村人たちから笑い声が上がった。
ノエルもまた楽しげに笑い、あっという間に広場に笑いが広がっていく。それを見てシルヴァーナは笑みを浮かべると、立ち上がってベルンハルトの手を握り締めた。
「たくさん人が集まって、皆幸せそうで、嬉しいわね。ベルンハルト」
流行り病でたくさんの人が亡くなって、寂しいばかりだった村に、今はこんなにも温かい笑いが満ちている。
皆が幸せそうな顔を見て、シルヴァーナは本当に胸がいっぱいになった。
「……うん、そうだな。本当に、俺も嬉しい……」
呟くように言ったベルンハルトが、ギュッとシルヴァーナの手を握り返す。
そうして二人はそっと視線を交わすと、穏やかに微笑み合った。
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