第72話 帰郷
王都から3日掛けてメルロー村に帰ると、村に入ってきた馬車を見て村人たちが走り寄ってきた。
「領主様! シルヴァーナ様!!」
「無事に帰ってこられた! おい! 皆に知らせろ!!」
馬車から降りた二人は、村人たちにあっという間に囲まれた。皆目に涙を浮かべて、「良かった、良かった」と口々に言っている。
「皆、ごめんなさい。心配掛けて……」
「何を言ってるんですか! 攫われたって聞いてそりゃびっくりしましたけど、領主様が助けに行ったなら絶対大丈夫だって、皆で話していたんですよ!」
「シルヴァーナ様!!」
「キャシー!」
「ああ! 良かったよぉ!! どこも怪我したりしてないね!?」
ギュッと抱き締めてくるキャシーの温もりに、シルヴァーナも涙が溢れた。
「皆、心配掛けたな。村の方は大丈夫だったか?」
「ええ、あの後、西の砦から兵士が来てくれて、警備をしてくれていたんです」
「そうだったか……」
「療養院は? 患者さんたちは?」
シルヴァーナがハッとしてキャシーに訊ねると、キャシーは笑って頷いた。
「大丈夫さ。シルヴァーナ様がいない間は、お医者様がどうにか診てくれて、シルヴァーナ様のお帰りを待ってくれているよ」
「そう……、良かった……」
「話は後で詳しく聞こう。とりあえず家に、」
「旦那様! 奥様!!」
ベルンハルトの声に重なるように、遠くから男性の呼び声が聞こえた。
そちらに目をやると、ドナートとエルナが走ってこちらに向かってくる。
「旦那様! よくご無事で!!」
「奥様! 良かったぁ!!」
いつもはびしっとオールバックにしている髪が乱れているのも構わずに、ドナートはベルンハルトの前で涙を拭っている。
エルナは走った勢いのままシルヴァーナに抱きつくと、声を上げて泣いた。
「私がちゃんとお守りしていれば、こんなことにならなかったのに!」
「エルナ、あなたのせいじゃないわ」
「いいえ、奥様をお守りできなかったのは、私たち使用人の責任です。旦那様がおられない時は、我等が奥様を守らなければならないのに……」
肩を落として言うドナートに、ベルンハルトは首を振った。
「もうそのことは言うな。お前たちのせいじゃない」
「そうよ。皆が怪我をしなくて良かった」
「奥様……」
「さぁ、皆で屋敷に帰ろう」
「あ、そうだ。皆に紹介するわね。ロロ、出てきて」
それまで馬車の中で大人しくしていたロロを呼ぶと、ロロは小さく頷いて馬車を降りる。その姿を見て、全員が驚いた。
「……異国の方ですか?」
「うん。ロロっていうの。今日から一緒に暮らすから」
「え!?」
ドナートが驚きの声を上げる。エルナも村人も興味津々でロロを見ている。その視線に戸惑った表情をするロロに、シルヴァーナはふふっと笑みを浮かべると、大きく深呼吸をした。
「あー、やっと帰ってきた! ただいま、みんな!!」
シルヴァーナが大きな声でそう言うと、そこにいる全員が口を揃えて「おかえりなさい!!」と答えたのだった。
◇◇◇
「これがシルヴァーナの家……」
「そうよ、ロロ。今日からあなたの家よ」
屋敷に入ったロロは、物珍しげに室内を見上げている。
「シルヴァーナ! ベルンハルト!!」
居間の扉から出てきたクレアの姿を見て、シルヴァーナは目を見開いた。そのまま走り寄って、クレアに抱きつく。
「お母様!!」
「ああ、良く無事で! わたくしはもうだめかと……」
「義母上、ご心配をお掛けしました」
「いいのよ、ベルンハルト……。こうして帰ってきてくれたんだから」
クレアは涙を拭って微笑むと、弱く首を振った。
「たくさん話すことがあるの。でもまずは旅の疲れを癒さなくちゃね。すぐにお茶を用意するから」
「お母様!」
クレアはそう言うと、慌てたように廊下を足早に去っていく。
その背中を見ていたシルヴァーナは、ロロに視線を移した。
「ロロのこと、全然視界に入っていなかったわね」
「そうだな。後でちゃんと話そう。そうだ、ロロの部屋はどうするか」
「私にそんなものは必要ない」
「え?」
ベルンハルトの言葉にそう答えたロロの体が、空気に溶けるように消えていく。
「ロロ!」
「用があるなら呼べ」
「……遠くに行っちゃだめよ!」
耳のそばで声だけが聞こえて、慌ててシルヴァーナが何もないところに向かって言うと、「分かった」とだけ返事がきた。
「い、今のは!?」
驚くドナートとエルナに苦笑すると、シルヴァーナはベルンハルトと肩を竦める。
「とりあえず寝床くらいは用意してやろう。ドナート、頼む」
「わ、分かりました……」
コートを脱いで居間に入ると、シルヴァーナは本当にやっと帰ってきたと部屋を見渡した。
実際の日数よりもずっと長くここを離れていた気がして、すべてが懐かしく感じる。それはベルンハルトも同じだったようで、目が合うとお互いにクスッと笑った。
「本当に無事に帰ってこられて良かった」
「あなたのおかげよ、ベルンハルト」
シルヴァーナがそう言うと、ベルンハルトは弱く首を振りシルヴァーナをそっと抱き締めた。
「俺が油断しなければ、こんなことにはならなかったんだ」
「もう言わないで。誰も悪くないわ」
「……君があいつに槍で刺された時、怖くてたまらなかった」
「見てたの?」
あの酷い出来事を見られていたとは思わなかった。
あんな姿、見せたくなかった。自分がもっと上手く立ち回れば、もしかしたらあんなことにはならなかったのにと、今更後悔が押し寄せる。
「ごめんね。私が上手く立ち回れなくて……」
「違う……。君が不死だと分かっていても、いつでも俺は怖いんだ。君が俺の前から消えてしまうことが、何より怖い……」
「ベルンハルト……」
苦しいくらい抱き締められて、余計にベルンハルトの気持ちが痛いほど伝わってくる。
「私はずっとあなたのそばにいる。聖女じゃないって分かったんだもの。これからはもう、あなたの妻として生きるだけよ」
ずっとそれを望んできた。ただの一人の女性として生きていきたいと。それでも特別な力がある以上、人々が望むように生きなければならないと頑張ってきた。
でも自分の力がロロに与えられた力なのだと分かった今、もう聖女と名乗ることはできない。
「君を独り占めしていいんだろうか……」
ポツリと言った言葉に、シルヴァーナは顔を上げると背伸びをして唇にキスをした。
驚くベルンハルトに、シルヴァーナは微笑む。
「当たり前よ。私の旦那様なんだから」
「シルヴァーナ……」
「愛してるわ、ベルンハルト」
「俺も、愛してる」
じっと目を見つめて言ってくれるベルンハルトに、シルヴァーナの心が満たされていく。
「あ、でも、療養院はどうするんだ?」
「療養院は続けていくわ。私に癒しの力がある限りは助けてあげたい。聖女としてではなく、ただのシルヴァーナとしてね」
「そうか……」
シルヴァーナが微笑むと、ベルンハルトもやっと笑みを見せてくれる。
そうしてもう一度ギュッと二人で抱き締め合うと、甘いキスを交わした。
次回、最終回です。




