第68話 ロロ
「ベルンハルト!!」
「シルヴァーナ! 無事か!?」
走る勢いのままシルヴァーナを抱き締めたベルンハルトは、すぐにロロに剣を向けた。
「貴様! 何者だ!?」
「ベルンハルト」
「馴れ馴れしく名前を呼ぶな! 化け物め!!」
(化け物……?)
ベルンハルトの言葉にシルヴァーナはそうではないと咄嗟に言おうとして驚いた。こんなにも怒りがあるのに、剣を向けるベルンハルトを止めなくてはと思っている自分がいる。
自分の心に戸惑っていると、またベルンハルトが怒鳴った。
「屋敷に戻ってシルヴァーナを捜していたら、地下で縛られて気を失っていたノエルを見つけた! ノエルに化けていたんだな!!」
「シルヴァーナを助けるためだ」
「シルヴァーナを奪うためだろう!!」
「奪う? シルヴァーナはすでに私のものだ」
「何を言っているんだ!?」
ベルンハルトは困惑した表情をすると、シルヴァーナを背後へと移動させる。
「シルヴァーナの心を持っている以上、シルヴァーナの身体も私のものだ」
「心!?」
「ベルンハルト、彼は私の心臓を持っているの。だから私は不死なの」
「何だって!?」
シルヴァーナの言葉にベルンハルトは驚くと、さらに怒りを露わにしてロロを睨み付けた。
「シルヴァーナの心臓を返せ!」
「心は返せない。私は心が欲しい。心がそばになければ、私はいつまでも一人だ」
「ロロ……?」
悲しげなロロの表情に、シルヴァーナは前に出ようとした。けれどそれをベルンハルトは遮り、剣を突き付ける。
「シルヴァーナは渡さない。心臓を返せ!!」
「無理だ」
静かな返答にベルンハルトの剣が走った。その途端、ロロの手にも長い剣が現れる。
突然、戦いが始まって、慌ててシルヴァーナは二人から離れと、木の陰に隠れる。
「なぜシルヴァーナを狙う!?」
「シルヴァーナは特別だ」
剣を交えながらベルンハルトが声を荒げる。ロロは表情を変えずにベルンハルトの剣を受け止める。
ベルンハルトはかなり全力で剣を振るっているように見えるが、ロロにはまったく効いていないようにシルヴァーナには思えた。
「君の心も素晴らしい輝きだ。君の心を私にくれるかい?」
「何を馬鹿な!!」
ロロは攻勢に出ると、ベルンハルトに顔を近付けて笑う。
ベルンハルトは怒りにまかせて剣を振りぬくと、一瞬後ろに飛び退いた。
「そうやって心臓を集めているのか!」
「違う。私が欲しいのは特別な輝き。優しく穏やかで、透明な心」
ベルンハルトはまた剣を振り上げて、ロロに切りかかる。
シルヴァーナはその言葉に、やっとロロが何を言いたいのかが分かった。
「ロロ! 心と心臓は違う! 心臓を奪っても、心を手に入れることはできないのよ!!」
「え……」
木の陰から走り出て叫んだシルヴァーナを、ロロは動きを止めて見つめる。
「聞いて、ロロ! 心臓は人にとって無くてはならない大切なものよ。でも心が宿っている訳じゃないの」
「そんな……、でも……」
動揺した表情でロロは剣を取り落とすと、雪の上に膝を突く。
その様子にベルンハルトはゆっくりと剣を下ろした。
「あなたは心を欲してる。でもそれって私やベルンハルトの心じゃないんじゃない?」
「…………」
それは直感のような閃きだった。ロロが求めているのは、自分じゃない。それは何の根拠もないけれど、合っているような気がした。
「誰か、あなたの大切な人を捜しているんじゃないの?」
優しくシルヴァーナが訊ねた瞬間、ロロの目から涙がこぼれた。
シルヴァーナはベルンハルトと視線を合わせると、ゆっくりとロロに近付き隣にしゃがみ込んだ。
「私は……っ……」
「あなたが捜しているのは、誰?」
「誰……、分からない……、私はずっとここにいる……」
「誰かが来るのを待っているの?」
「分からない……」
ぼろぼろと子供のように泣くロロの背中を、シルヴァーナは優しく撫でる。
ベルンハルトも傍らに膝を突くと、困惑した様子ではあったが口を出すことはしなかった。
「あなたは誰? どうしてここにいるの?」
質問をしても、ロロは声もなく首を振るだけだ。
少し困ってしまったシルヴァーナは、袖でロロの涙を拭ってあげた。
「記憶を失ってしまっているのね。自分が何なのか分からないって、とても不安よね……」
慰めるようにそう言いしばらく黙っていると、ロロは次第に落ち着いてきた。
「……私はずっとここにいる。なぜか分からない。けれどシルヴァーナなら話を聞いてくれると思ったんだ」
「それで私の心臓を取ってしまったのね」
「心があればずっとそばにいられると思ったんだ。……でも、それは間違いだったんだね」
「うん……」
ロロの言葉にシルヴァーナは小さく頷く。その顔を見てロロは悲しげに笑うと立ち上がった。
シルヴァーナに手を差し出すので、その手を握りシルヴァーナも立つと、優しく手を握る。
「シルヴァーナ、すまなかった」
「ロロ……」
「君の言う通りだ。私は誰かを捜している。でもそれは君じゃない。それは分かる」
「……ロロ、私の心臓を返してくれる?」
「それは……、できない」
「おい!!」
ずっと黙っていたベルンハルトが、ロロの肩を強く掴んだ。
シルヴァーナは慌ててその手を掴んだが、ベルンハルトの顔は険しいままだ。
「ロロ、お願い。心臓を返して。私は不死なんていらない。ベルンハルトと静かに暮らしていければいいの」
「返してあげることはできる。でもその瞬間、君は死ぬことになる。それでもいいなら、返す」
「え……?」
「どういうことだ!?」
ロロの言葉に二人が声を上げると、ロロは驚いたように二人を交互に見た。
「シルヴァーナはもう何度も死んでいる。私の力でその度に蘇ってはいるが、死は心臓に積み重なっている。それを体に戻せば、一瞬で君は死に飲み込まれるだろう」
「そんな……」
「どうにかできないのか!?」
「……私をここから連れ出してくれ。そうすれば、死を免れる方法を探せると思う」
シルヴァーナはすぐには返事ができず、ベルンハルトと視線を合わせる。
「自分では動けないのか? 王都までは行ったじゃないか」
「あれは、影を飛ばしたようなものだ。力は半分も出せないし、時間がくれば消えてしまう」
「あれが、影……」
ベルンハルトは驚きに言葉をなくしている。シルヴァーナは少しだけ考えると、ロロの顔を見た。
「ね、ロロ。連れ出すってどうするの? 私と一緒に行けばそれでいいの?」
「君が一緒に行くと言ってくれればいい。それで私はここから動ける」
「……私に特別な力はないわ」
「君は特別だ。だから私は外に出られたんだ」
「外? どこの外?」
「籠だ」
「籠?」
「でも本当には出られていない。鍵を開けるには、君が連れ出してくれなければだめなんだ」
ロロの言うことは何も理解できなかった。けれど嘘を言っているようには思えず、シルヴァーナは真剣に考える。
「心臓を元に戻す方法を探す間、私は君を守る。君の力を狙う者から、必ず守る。だから連れて行ってくれ」
「ロロ……」
必死に頼むロロに、シルヴァーナは信じてみようと口を開いた。
「分かったわ」
「シルヴァーナ! ちょっと待て! こいつは魔物かもしれないんだぞ!? 心臓を奪うなんて悪しき者だ!」
「分かってる。でも私は、ロロが魔物だなんて思えない」
ロロから感じるのは不思議なほどの安心感なのだ。アシュトンやライアンから感じた悪意のようなものを、何一つ感じない。
シルヴァーナはその直感を信じることにした。
「ロロ、約束できる? 絶対、人の心臓を取らない。人を傷つけないって」
「約束する。シルヴァーナの言うことを守る」
「……分かった。一緒に行きましょう、ロロ」
シルヴァーナがそう言った瞬間、耳のそばでガシャンと何かが壊れるような音がした。
ロロは自分の両手を見下ろして、今まで見た中で一番嬉しそうな笑みを浮かべた。
「やっと……、やっと解放された……。ありがとう、シルヴァーナ」
涙ぐんでそう言うロロに、シルヴァーナは安堵したような笑みをベルンハルトに向けたのだった。




