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第66話 忘れていた記憶

「あの日、君はこの墓に来て、傷ついたリスを見つけた」


 ノエルは遠い目をして話し続ける。


「リスはもう虫の息だった」

「リス……」


 ノエルの言葉に記憶がまざまざと甦る。



◇◇◇



 大きな屋敷の中は、ずっと慌ただしかった。

 母は最初泣いていたけれど、その内難しい話をたくさんの大人たちとし始めた。兄はそんな母にくっついていた。誰も自分に構う人がいなくて暇を持て余すと、一人で屋敷を出た。

 一度行ったお墓にもう一度行ってみようと、裏庭に向かう。気持ちの良い春の風を感じながら木立を抜けて、すぐに墓地に着いた。


「おじい様、おばあ様……、会いたかったなぁ……」


 なんで母はもっと早く連れてきてくれなかったのだろう。挨拶もできないまま、お別れなんて悲し過ぎる。


「お花……」


 お墓には大きなリースが手向けられていたが、まだ足りない気がしてお花を摘もうと、木立に戻った。

 細い道の脇には、白い花がたくさん咲いている。その花を摘んでいると、草花の中にリスがいた。


「リス!」


 シルヴァーナは一瞬笑みを作ったが、寝ていると思ったリスは怪我をしているのか、身体に血が付いている。

 その様子に眉を歪めた。


「怪我してるの!? どうしよう!」


 リスはピクピクと動いてはいるが、もはや立ち上がる様子はない。シルヴァーナはどうしたらいいか分からず、リスを見ていることしかできなかった。


「リスさん! 死なないで!」


 励ますことしかできなくて声を上げるが、それでは意味がないことくらい知っている。


「お医者さん……、お医者さんに診てもらもらわなくちゃ……」


 シルヴァーナは意を決して手を伸ばすと、そっとリスを抱き上げた。

 けれどそれはもう遅かった。リスはピクリとも動かず、シルヴァーナの目にみるみる内に涙が溢れる。


「リスさん……、リスさんも死んじゃったの……?」


 涙をぽろぽろと流しながら、シルヴァーナは動かないリスを見下ろして呟く。

 しばらくそのままでいたが、とぼとぼと歩きお墓まで戻ると、土の上にそっとリスを降ろし、祖父母のお墓の隣の土を素手で掘りだす。

 すぐに指先は痛んだが構わず土を掘り続ける。そうしてリスの体がすっぽり入るくらいの穴ができると、リスをそっとその中に寝かせた。


「リスさんもここでゆっくりおねんねしてね……」


 真っ黒になった手を合わせてお祈りをする。母は祖父母のお墓に向かって難しい言葉を言っていたが、覚えられなかったので自分が感じたことを口にした。

 一度だけ指先でリスの体を優しく撫でてあげると、少しずつ土を被せていく。こんもりとした小さな山ができ、シルヴァーナはまた立ち上がると、木立に走り白い花を摘んだ。

 小さな山を囲むように花を飾った後、隣の祖父母のお墓にも花を置く。上手くできたと小さなお墓を見つめ、また手を合わせた。


「おじいさま、おばあさま、リスさん……」

「君はなんて優しい子だろう」


 ふいに背後で声がして驚いて振り返ると、見知らぬ青年が立っていた。

 真っ赤な髪に真っ赤な瞳の、不思議な異国の服を着た青年は、シルヴァーナを見つめて穏やかに笑う。


「お兄ちゃま、だぁれ?」

「私は……、ろ……、ろ……」

「ロ、ロ? ロロ?」


 それが名前なのかどうなのかよく分からず首を傾げると、青年は眉を歪めて苦しげな表情になった。


「……君の名前は?」

「私はシルヴァーナ」

「シルヴァーナ。良い名だな」


 名前を褒められてシルヴァーナは笑みを浮かべる。立ち上がり青年のそばに寄ると、整った顔立ちを見上げた。

 炎のような赤い髪はとても長く、細い三つ編みは膝裏に届きそうなほどだ。これほど長い髪を見たことがなかったシルヴァーナは、そっと髪に触れた。


「きれいな髪ね。それにとっても長い」

「シルヴァーナは優しいね。こんなに小さな動物の死を悼んであげて」

「いたむ?」

「その優しい心が、……欲しいな」


 青年はそう言うと、ゆっくりと膝を突いて視線を合わせる。

 間近になった瞳もまた炎のような不思議な輝きがあって、シルヴァーナは吸い込まれるように瞳を見つめる。


「心が欲しい?」

「そう。君の心が欲しい」


 意味が分からずシルヴァーナはまた首を傾げる。


「心ってどうやってあげるの?」

「難しくはないよ。取り出して、大事にする。傷付かないように、ずっと守ってあげよう。だから君の心をくれないか?」

「……わかんない。お兄ちゃま、魔法使いなの? それとも天使? 私、絵本でお兄ちゃまみたいな姿を見たことあるわ」

「そんなものかな」


 青年の返事にシルヴァーナは目を見開いた。絵本で見た不思議な存在が、本当にいるのだと嬉しくなる。


「私の心が欲しいの?」

「うん。君の優しい心があれば、私は癒されると思うんだ」

「お兄ちゃま、病気なの?」

「そうだね。そうとも言える。君の心があれば生きていけると思う」


 シルヴァーナはよく分からないながらも考える。死んでしまった祖父母と、リスと。何もできなかった自分。

 何かしてあげたかったのに、全部間に合わなかった。だからこのどこか悲しそうな、この青年を助けてあげたいと思う。


「じゃあ、お兄ちゃまに私の心をあげる」

「本当かい?」

「うん!」


 シルヴァーナが笑顔で頷くと、青年はシルヴァーナの胸の前に大きな手をかざす。

 すると目映く輝く何かが、シルヴァーナの胸からゆっくりと取り出された。それを青年は大事そうに両手で包み込む。


「なんて美しい心なんだ。闇に輝く星のように輝いているね」

「これが、心なの?」

「そう。純粋で透明な、なんの穢れもない心」


 青年の手にある輝くものを見つめ、シルヴァーナは目を凝らす。眩しくてよく見えないが、それはトクトクと動いているように見えた。


「これで君の心は私の物だ。ありがとう。私が心を壊さない限り、君は死に怯えることはないよ」

「死?」

「そう。ずっと私と、永遠に一緒だ」


 嬉しそうに言う青年の言葉は、やっぱりよく意味が分からない。それでも青年の嬉しそうな顔を見たら、自分は良いことをしたと思えて同じように笑みを作った。


「私、もうすぐお家に帰るの。お兄ちゃまはずっとここにいるの?」

「ああ。ずっといるよ」

「ずっと? お家はないの?」

「私はここから動けない。連れて行ってくれるかい?」


 その時、遠くから母の呼び声が聞こえた。


「ママが呼んでるわ」

「シルヴァーナ」

「……ごめんなさい。一緒にお家にはいけないわ。ママがきっと怒るもの」


 シルヴァーナがしゅんとして答えると、青年は小さく頷いた。


「そうか……。それなら仕方ない。シルヴァーナ、私を忘れないでくれ。君の心は私が持っている。決して忘れないでくれ」


 徐々に近付いてくる母の声に、シルヴァーナは首を巡らせる。

 母に頼んだら、もしかしたらこの青年を、家に連れて帰ってもいいと言ってくれるかもしれない。


「シルヴァーナ、ここにいたのね」

「ママ! 聞いて! このお兄ちゃまが、」


 そう言いながら、青年の方へ視線を向ける。けれどそこに青年はおらず、シルヴァーナは驚いた。

 きょろきょろと周囲を見渡してみても、誰もいない。


「どうしたの?」

「ママ……、ここに、ここにね! ……ううん、なんでもない」


 なんだか夢を見ていたような気がして、シルヴァーナは言い掛けた言葉を飲み込んだ。

 不思議そうに首を傾げた母は、けれどそれ以上何も聞かず、シルヴァーナの手を握る。


「まぁ、こんなに手を汚して。綺麗にしたら、昼食にしましょう。エラルドが待っているわ」

「うん……」


 母はそう言うと、ゆっくりと歩きだす。シルヴァーナは隣に並んで歩きながら、もう一度お墓の方を振り返った。

 そうして、もう誰もいないお墓に向かって、心の中で「ばいばい」と呟いた。

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