第60話 心強い味方
謁見が終わると、パトリックと共に来賓室に入った。ライアンはシルヴァーナが共に行くことを咎めず、好きにさせてくれた。
シルヴァーナはそれが不思議でならなかった。
「どうして殿下は二人きりにさせてくれたのでしょうか」
「自信があるんでしょう。僕が力づくでシルヴァーナを連れ戻せないだろうと。どんな企みがあったとしても阻止できると高を括っている」
パトリックはそう答えると、改めてシルヴァーナと向き合った。
「辛い思いをさせてごめんなさい。酷いことをされたと聞きました。僕がもう少し早く着いていれば……」
「いいえ。来て頂いただけでも嬉しいです。それで、あの……、ベルンハルトは……」
「安心して下さい。男爵は無事です。オーエン伯爵もノエルもすでに王都に侵入しています」
「王都に!?」
無事だと聞いて安心したが、すでに王都にいると聞いてまた不安が募る。
「大丈夫なんですか?」
「無茶なことはしないようにと伝えてあります。シルヴァーナ、先ほどは力づくでは連れ戻せないと言いましたが、僕はそうするつもりです」
「え?」
「近日中に僕たちはエクランド侯爵邸に行くことになります。どれほどの警備が敷かれるかは分かりませんが、僕はそこであなたを男爵たちに連れ去らせるつもりです」
「ええ!?」
パトリックは真剣な目でそう言うと、シルヴァーナを座るように促す。
ソファに座ったパトリックは、一呼吸置いてから続きを話した。
「王宮からあなたを連れて逃げるのは不可能に近い。そしてあなたが僕と一緒に王宮の外に出られるのは、たぶんこの一回だけでしょう。僕はこの好機を逃すつもりはない」
「ですが……、きっとすごい兵士の数だと思います。どうやって……」
「詳しいことは男爵たちに任せています。あちらには戦いの専門であるノエルもいる。隠密たちも合流しているから、きっと必ずあなたを連れ出す手立てを考えるでしょう」
「大丈夫でしょうか……」
王都までの道中、すでに一回失敗している。それが不安を増大させていた。無茶なことをすれば、すぐに死に直結してしまう。自分がここにいることを我慢していれば、もっと確実にルカートへ帰れる手立てが見つかるというのなら、そちらの方を選びたい。
もう皆に危険な目に合ってほしくないのだ。
「僕は彼等を信じています。きっとあなたを助けられると」
「信じる……」
その言葉にベルンハルトを思い出した。「自分を信じられないなら、君を信じる俺を信じてほしい」と、聖女として試されたあの時ベルンハルトは言った。
あの強い言葉に自分は勇気をもらった。
そして今、パトリックはベルンハルトを信じてくれている。その真っ直ぐな眼差しを見つめて、シルヴァーナは不安な気持ちを飲み込んだ。
「私も、信じます」
「うん。よし、あと僕たちができることは、できる限りヴィルシュの動向を探ることです。国王や王太子が何を考えているのか、小さな事でも分かったら教えて下さい」
「分かりました。……パトリック様、あの、さきほど謁見で言われていた、お祖父様のことですが……」
ベルンハルトたちのことも気掛かりだったが、祖父のことも気になっていた。パトリックは祖父がもう死んでいると言っていたが、それこそ信じられないことだった。
「シルヴァーナの血筋を持ち出される可能性を考えて調べてきておいて良かった。エクランド侯爵家はすでに途絶えて久しい。母君が爵位を継がなかったので、領地も爵位も国に返されています」
「じゃあ、私に祖父だと言ったあの人は……」
「偽物でしょうね」
「偽物……」
パトリックの言葉にシルヴァーナは肩を落とした。身内の少ないシルヴァーナにとって、祖父がいてくれたことは本当に嬉しいことだった。
(本物のお祖父様だと思ったのに……)
あの優しい言葉がすべて嘘だったと思うと、酷く裏切られた気がして悲しかった。
「なぜそんなことを……」
「シルヴァーナを懐柔させるには身内がいた方が都合が良かったんでしょう。祖父だと信じ込ませることができれば、従わせることもできるでしょうし、人質にして脅すことも可能だ」
「そんな……」
「エクランド侯爵だと名乗っている者の正体は分かりませんが、屋敷に行けば分かることもあるでしょう」
シルヴァーナは言葉もなく小さく頷く。パトリックはその様子を見て、少しだけ言葉を途切らせた後、優しく名前を呼んだ。
「シルヴァーナ。早くルカートに帰りましょう」
「はい……、そうですね……」
労わるようなパトリックの声に慰められて、シルヴァーナがほんの少し微笑むと、パトリックはホッとした顔をして頷き返した。
◇◇◇
その日の夜、パトリックのために舞踏会が開かれた。
表向きはとても和やかな雰囲気の中、たくさんの貴族たちがパトリックに挨拶をしていく。
そうして今回もまた、シルヴァーナはライアンに無理矢理ダンスの相手をさせられた。
「パトリック王子が来て表情が和らいだな」
執拗に密着してくるライアンの手をどうにかどかそうと身動ぎするシルヴァーナに、ライアンはさらに力を込めて腰を引き寄せる。
楽しげに笑いながら顔を近付け話し続ける。
「あんな子供を頼りにしているのか?」
「パトリック様はとても尊敬できる方です。年若いからといって馬鹿にしないで下さい」
「アシュトンの方がよほど有能であったのに、王太子を退けさせるなどもったいないことだ」
「彼は罪を犯したんです!」
「罪など大したことではあるまい。王太子なのだ。適当にもみ消せばいいものを」
あまりの酷い考えにシルヴァーナは開いた口が塞がらない。アシュトンがどんな罪をおかしたか、真実を公表してはいないが、王太子を退位させるほどの罪を犯したためと国民には知らされた。
ライアンはそれを知っていながらもみ消せなどと言っているのだ。
「誰であろうが罪は償わなければなりません!」
「王族にそんなことは関係ない」
「な……」
今度こそ言葉を失くしたシルヴァーナは、もう本当にライアンとは話したくないと、顔を顰め口を閉ざした。
やっと曲が終わりライアンが手を離すと、逃げるようにパトリックの元へ退散した。
「シルヴァーナ、顔が真っ青だ。大丈夫ですか?」
「パトリック様……」
心配そうな顔で訊ねられて、シルヴァーナは声もなく首を振る。
「あの……、随分ライアン王太子と距離が近いような気がしたんですが……」
「……彼は、私を妻にするとか言っていて……」
「は!? なにを……、だって王太子には妃がもう……」
「ですから、第二夫人なのだそうです……」
「な、な……、なんて破廉恥な……」
パトリックは驚きなのか嫌悪なのか目を見開いて呟くと、きつい眼差しをライアンに向けた。
「シルヴァーナ、絶対あなたを守りますから!」
力強いパトリックの言葉に、シルヴァーナは本当に頼もしさを感じて、涙ぐんだ目をパトリックに向け大きく頷いた。
居心地の悪い時間が終わり、やっと部屋に戻れると廊下を歩いていると、ふいに角から王太子妃のシャロンが姿を現した。
「王太子妃様……」
「あら、舞踏会は楽しかった?」
(なぜこんなところに……)
舞踏会が終わった途端、早々に退出していたから、すでに部屋に戻っていると思っていたが、まるで待ち伏せするように現れて驚く。
「あ……、お招き頂き、感謝しております……」
「まぁ、そんな口ぶりでは嬉しくないみたいよ」
「そんなことは……」
棘のある言い方に口ごもると、シャロンはゆっくりとシルヴァーナの周りを歩いた。
「どんな風に殿下を誘惑したのかしら。顔は……違うわね。声? それとも甘い言葉?」
「わ、私は誘惑など、」
「不死だから珍しがっているのかしら。それならすぐに冷めるでしょうけど」
「王太子妃様、私は、」
「あなた、いい気にならないことよ」
誤解を解こうと口を開いたが、シャロンは聞く耳持たない様子で口早に告げた。
「聖女なんてお飾りな立場で思い上がらないことね。殿下の気持ちなんて、空のように移り気よ。今は可愛がってもらっても、明日はどうなることやら」
シャロンはそう言うと、手に持っていた扇でシルヴァーナの顎を持ち上げる。
「聖女は聖女らしく、慎みを持って振る舞うことね。分かった?」
「……はい……」
何を言ってもしょうがないと、シルヴァーナは静かに頷く。
シャロンはそれで満足したのか、にっこりと笑うと、廊下をゆっくりと去って行った。
(酷い言われようだったけど……)
言い寄っているのはライアンなのに、まるで自分が誘惑している風に言われて嫌だったが、結局誤解を解くことはできなかった。
シャロンはずっと笑みを浮かべていたが、その目はまったく笑っていなかったので、怖くて何も言えなかった。
(この国の王族って、優しい人はいないのかしら……)
シルヴァーナは大きな溜め息を吐くと、重い足取りで自分の部屋に戻ったのだった。




