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第58話 怒りと恐怖

 エクランド侯爵家の屋敷を出たベルンハルトたちは、旅人を装って王都へ向かった。本当はシルヴァーナの乗った馬車を追い掛けたかったが、街道を守る兵士の数は多く、迂闊に近付くことはできそうになかった。

 もはや道中でシルヴァーナを取り戻すことはできないだろうと考え、3人は兵士の包囲網を潜り抜け王都へ侵入する作戦に切り替えた。

 王都に到着すると、街中が聖女の噂で持ち切りだった。明日、教会の広場で聖女のお披露目があるという知らせがあり、市民たちは本当に聖女なのか、何が行われるのかと期待に胸を躍らせていた。


「聖女のお披露目ということは、本当にシルヴァーナをラヴィネラ神の聖女に仕立て上げるつもりなんだな」

「教会の外に出てくるのなら、そこでシルヴァーナを取り戻せないでしょうか」

「隙があれば、もしかしたらいけるかもしれないな」


 エラルドとベルンハルトが話しているのを、ノエルは黙って聞いているだけだ。

 その様子に気付いたベルンハルトが、ノエルに顔を向けた。


「ノエル、お前はどう思う?」

「無謀だな。観衆の中で、どうやって取り戻すというのだ。街中には兵士も多くいる。よしんば取り戻せたとしても、逃げおおせることなどできぬだろう」

「ノエル……」


 ノエルならきっと同意してくれると思っていたので、ベルンハルトは少し驚いた。

 昔からどちらかというと自分より無謀なことを言って、こちらが振り回されることもあったのに、ここに来て現実的な意見を言われるとは思わなかった。


「だが慎重にしていては時間が過ぎるばかりだ。捕えられているシルヴァーナが危険になることだってあるかもしれない。そうなる前に取り戻さなければ」

「……まぁ、そうですね、伯爵。とにかくやれることはやりましょう」


 エクランド邸を出てから口数がめっきり減ったノエルは、それだけを言うとまた黙り込んでしまう。

 ベルンハルトはその沈黙が、何も上手くいかないと言われているようで、重苦しい気持ちになった。



◇◇◇



 次の日、大勢の民衆に紛れて3人は教会の前の広場に向かった。教会の前には高い柵が設けられていて、教会の中には入れないようになっている。

 その様子にベルンハルトは肩を落とした。


(これでは助けるなんて無理だ……)


 柵の幅は狭く、肩さえ通り抜けられそうにない。それに本当に多くの市民が詰めかけていて、もはや身動きも取れないほどになっている。

 そしてその周囲には兵士が数多く出ており、ほんの少しの騒ぎも起こさせない様子だった。


「義兄上……」

「しょうがない……。とにかくシルヴァーナの無事を確認するだけでもしよう」

「分かりました……」


 険しい表情のエラルドがそう言うと、3人はシルヴァーナが姿を現すのをじっと待った。

 そうしてしばらくすると、鐘の音と共に大きな両開きの扉が開かれ、ぞろぞろと人が出てきた。


「あれは国王と教皇だな。あとは教会の者と……、女性は王族だろう」


 エラルドの説明を聞き、豪奢なマントをした国王をベルンハルトは睨み付ける。国としてシルヴァーナを攫ったというなら、ヴィルシュの王族はまともではない。

 ベルンハルトが怒りをぶつけるように国王をきつい目で見つめていると、すぐにまた誰かが姿を現した。

 白いローブを飾る金の装飾品が太陽の光に輝いている。頭に付けた金の飾りが歩くたびにチリチリと音がする。その神々しい姿にベルンハルトは目を見開いた。


「シルヴァーナ……」


 ライアンに手を取られて前に出されたシルヴァーナは、青ざめた顔を真っ直ぐ前に向けている。

 美しい装いとは裏腹に、表情は強張り、明らかに怯えているように見えた。

 ベルンハルトが思わず前に出ようとするのを、ノエルが肩を掴んで止める。


「落ち着け、ベルンハルト」

「……分かってる」


 舞台の中央に進み出ると、ライアンが高らかに声を上げた。


「ついに我がヴィルシュ王国に、ラヴィネラ神より聖女を賜ることができた!」


 市民から歓声が上がる。ここにいる人々は、シルヴァーナが連れ去られてきたことを知らないのだ。王族の嘘を信じて心からシルヴァーナを歓迎している。「こんな茶番はやめろ」と叫びたいのをどうにか堪えて見ていると、シルヴァーナが跪いた。


「皆に見せよう! ラヴィネラ神の素晴らしき力を!!」


 そう言ったライアンは兵士の持つ槍を手に取ると、躊躇なくシルヴァーナの背中を突き刺した。


「シルヴァーナ!!」


 ベルンハルトの声は観衆の悲鳴に掻き消えた。

 ライアンは槍をすぐに引き抜き、倒れ込むシルヴァーナの体を膝の上に抱き上げる。

 女性たちは手で顔を覆い、男性も青ざめた顔で「何をしているんだ」と困惑した顔を見合わせている。

 ベルンハルトは固唾を飲んで、ぐったりとしたまま動かないシルヴァーナを食い入るように見つめる。


「あれは絶命しているな」

「なんてむごいことを……。不死ということを証明するためにこんなことをするなんて……」


 ノエルがそう言うと、エラルドは怒りで声を震わせて答える。ベルンハルトは話すことなどできなかった。

 ただとにかく早く生き返ってくれと、両手を合わせて祈り続ける。

 ベルンハルトにはとてつもなく長い時間に感じたが、しばらくしてシルヴァーナの体が動いたように見えた。


「見よ! 聖女が息を吹き返した! これがラヴィネラ神の与えた不死の力だ!!」


 ライアンが槍を振り上げて、突然高らかに叫んだ。

 観衆は互いの顔を見合わせて、まだ戸惑いの声を上げている。すると、シルヴァーナがよろりと立ち上がった。

 血塗れのローブに、顔も口から溢れた血で汚れている。聖女というにはあまりにも凄惨な姿だったが、確かに死んだと思われた者が、自らの足で立ち上がった瞬間、戸惑いの声は歓喜の声に変わり、大歓声が沸き上がった。


「シルヴァーナ!!」


 血の気の失せた真っ白な顔で立つシルヴァーナは、真っ直ぐに前を向いてはいるが、何も見えていないようで目は虚ろだった。


(生き返ったばかりで、こんな無茶な……)


 命を取り戻したばかりの後はとにかく疲労が酷く、あんな風に立つことなど無理だ。それを観衆にアピールするためだけに無理矢理立たせるなんて、ライアンに一欠片でもシルヴァーナを敬う気持ちがあればさせないだろう。

 あまりの怒りに何も考えられずにいると、ライアンがシルヴァーナを抱き上げて舞台を去った。周囲を警備する兵士たちが、「今日の集会は終わりだ」と散開を促している。


「ベルンハルト、伯爵、一度宿屋に戻りましょう」


 その場を動けずにいた二人にノエルが声を掛ける。


「あいつらはシルヴァーナを大切に扱うつもりはないんだ……」

「早く取り戻さなくては……」


 握り締めた両手が微かに震えている。シルヴァーナの血塗れの姿が脳裏に焼き付いて離れない。怒りと恐怖で頭の中はぐちゃぐちゃだった。

 それはきっとエラルドも同じで、ノエルが促しても歩きだしそうにない。


「……本当にシルヴァーナを愛しているんだな」


 ノエルはベルンハルトをじっと見つめそう言うと、もう誰もいなくなった教会の方を向いて目を細めた。



◇◇◇



 宿屋に戻った3人は、イスに座ったままただ黙り込んでいた。

 あまりにも酷い光景を見せつけられて、半ば放心状態だったのかもしれない。

 シルヴァーナを取り戻す計画を立てなくてはいけないのに、何も考えられないまま時間だけが過ぎた。

 そうして日が暮れる頃、ドアからノックの音が響いた。


「お客さん、お連れの方が到着しましたよ」


 宿屋の店主がドアの向こうでそう告げる。

 3人は怪訝な顔を見合わせると、慌てて立ち上がった。


「……私が出る。油断するなよ」


 エラルドがそう言うと、ノエルとベルンハルトは剣の柄に手を掛けて、互いに距離を取って立った。

 ついに兵士に見つかったかと緊張の中で、エラルドが慎重にドアを開けると、店主の後ろに立っていた男がフードを降ろした。


「やぁ、やっと追い付きましたよ」


 笑顔でそう言った男性は見たことのない男性だった。30代ほどの見た目で、ぼさぼさの茶色の髪に、あまり特徴のない顔をしている。

 兵士が押し入ってくるような気配はなく、男性一人だと分かったエラルドは、二人に目配せするとまた男性を見た。


「……よく来たな」


 エラルドがそう言うと、店主は軽く頭を下げて去っていく。

 3人はそれを見送ると、じっと男性を見た。


「何者だ?」

「パトリック殿下より伝令を持って参りました」

「殿下から!?」


 突然鋭い声でそう言った男性の言葉に、ベルンハルトは剣から手を離した。

 エラルドが慌てて部屋に入れると、男性は小さな筒を取り出し差し出した。


「パトリック殿下が、まもなく王都に到着致します」

「なに!?」

「すでにシルヴァーナ様が王都に入られてしまった以上、御三人では奪還も難しいかと。パトリック殿下が王宮に入り、シルヴァーナ様を外へ連れ出すので、その隙を付いて取り戻せとのことです」


 筒から書簡を取り出したエラルドは、目を通すとベルンハルトに渡す。

 小さな紙には確かに国王の紋章が押されていて、本物だと分かる。


「君はよく私たちを見つけたな」

「我等は隠密ですが、かなりの数が王都にすでに入っております。捕捉するのはそれほど難しくはありませんでした」

「そうか……」

「俺もパトリック殿下に合流できないだろうか?」


 パトリックが来るのなら共に行動して、一刻も早くシルヴァーナのそばに行きたいと思ったのだが、伝令の男性は首を横に振った。


「男爵の顔はライアン王太子に知られています。共に行くのは得策ではないでしょう」

「ベルンハルト、ここは堪えろ。必ず殿下がシルヴァーナを王宮から連れ出して下さる。その機会を待つんだ」


 エラルドに諭され、ベルンハルトは肩を落とす。

 焦りは禁物だと分かっているが、つい感情か先走ってしまう。


「またご連絡致します。それまで敵に捕まらぬよう用心して下さい」


 伝令の男性はそう言うと、部屋を出て行った。


「殿下が来て下さる。これで活路が見えたな、ベルンハルト」

「はい、義兄上……」


 沈んだ声で頷くベルンハルトに、エラルドは元気づけるように優しく肩を叩いた。

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