第56話 死のお披露目
「殿下は本当に皆がびっくりするような冗談がお上手ですわね」
「シャロン、来たのか」
「ご紹介して頂けます?」
シャロンと呼ばれた女性はにこりと笑ってシルヴァーナを見つめる。
同じくらいの年齢だろうが、鮮やかな赤い口紅や派手な装いがきつい印象を与えている。
ライアンは小さく溜め息を吐くと、シルヴァーナを抱いていた手を離した。
「シルヴァーナ、王太子妃のシャロンだ」
「王太子妃様……。お目に掛かれて光栄です。シルヴァーナと申します」
深く頭を下げると、シャロンは見たこともない七色の鳥の羽でできた扇を広げて口元を隠す。
「殿下が迎えに行ったのはあなただったのね。どんな女性が来るかと思ったけれど、存外普通のお嬢さんね」
シャロンの言葉にどう返答していいか分からず、シルヴァーナは無言で返す。その様子を見て楽しげに笑ったシャロンは扇をシルヴァーナの顎に添えた。
「あなた、奇跡を起こせるのですってね。ぜひここで見せて頂けるかしら? 皆さん見てみたいと思いませんこと?」
語尾を周囲に向けて言うと、こちらの様子を窺っていた貴族たちが同意の声を上げる。
シルヴァーナは慌てて首を振った。
「む、無理です! 私はそんなことできません!」
「あら。おかしいわね。あなたは癒しの力と不死の力があると聞いたのだけど、あれは嘘なの?」
「そ、それは……」
嘘を吐いた訳ではないと答えあぐねてしまうと、そこにライアンが割り込んできた。
「シャロン、いい加減にしろ。奇跡はこんなところで起こすものじゃない。見世物じゃないのだぞ」
「殿下、ですがこの者が本物かどうか、しっかり見極めなければなりませんわ。ただの娘が聖女を騙っているだけかもしれませんわよ」
「シルヴァーナの力は本物だ。それに、聖女ということを証明させる場はもう考えてある」
「……そうですか。それなら安心ですわね」
ライアンの言葉にシャロンは楽しげだった表情を一瞬で変えると、つまらなそうにそう答え、さっさとその場を去って行った。
その背中を見詰めていたシルヴァーナは、ライアンの言葉が引っ掛かり視線を向けた。
「殿下、証明とは……、なんですか?」
「ん? なに、心配することはない。国民全員がお前を聖女だと認める、そういう場を私が作ってやる」
「私に何をさせるつもりなんですか!?」
「それは後のお楽しみだ」
ライアンの楽しげな返答に、シルヴァーナはもはや反論する気も起きず、奥歯を噛み締め下を向いた。
(なし崩しに全部受け入れてしまっている……。どうにかしなくちゃいけないのに……)
逃げようと思っても部屋出ることも自由にできず、王宮の内外は大勢の兵士が守っている。そんな中をどうやって逃げればいいんだろうか。頼みの綱の祖父はあれから姿を見せず、それも心配だった。
このままでは自分の意思などお構いなしに、ヴィルシュ王国の聖女に祀り上げられてしまう。それだけは絶対嫌なのに、拒否する方法も思い付かない。
その後も華やかな舞踏会は続いたが、シルヴァーナは険しい表情でどうしたらいいかを考え続けた。
◇◇◇
それから3日間、部屋から出ることも許されず、ただ窓の外を眺める以外できなかったシルヴァーナの元にライアンが訪れた。
「良い朝だな、シルヴァーナ」
「殿下……」
「そろそろその格好にも慣れたんじゃないか?」
「…………」
ライアンの言葉に沈黙で答えると、ローブの裾を握り締める。あれからずっと聖女のローブを着させられている。何度か拒否してみたが、やはり他に着るものが用意されることはなく、仕方なく袖を通すしかなかった。
「さて、やっとお前を聖女として皆に紹介できる。付いて来い」
ライアンが腕を掴み無理矢理立ち上がらせようとする。それをシルヴァーナは振り払い、部屋の隅へ走って逃げた。
「嫌です! 何度も言っているじゃないですか! 私はヴィルシュの聖女になるつもりはありません!!」
「まだそのようなことを……。お前に拒否する権利などない。ただ私の言う通りにしておれば良いのだ」
「なぜ私があなたの言う通りにしなくちゃいけないのよ!!」
いい加減腹が立って声を荒げると、ライアンはスッと目を細めてシルヴァーナを睨み付けた。
その冷えた眼差しに怯みながらも、シルヴァーナは両手を握り締めて睨み返す。
「そんな態度を取っていいのか? 入れ」
ライアンがそう言うと、ドアが開かれヒューゴが入ってきた。その背後には剣を突き付けた兵士がいる。その様子にシルヴァーナは目を見開いた。
「お祖父様!!」
「シルヴァーナ……、すまない……」
「お前の祖父がどうなってもいいのか?」
「やめて! お祖父様を傷つけないで!!」
咄嗟にシルヴァーナが叫ぶと、ライアンが口の端を上げて笑みを浮かべ手を差し出した。
「ならば、共に参れ」
その手を見つめシルヴァーナは奥歯を噛み締める。青ざめたヒューゴの顔を見つめ詰めていた息を吐き出すと、肩を落とした。
「分かりました……」
シルヴァーナはそう弱く呟くと、冷えた手をライアンの手に重ねた。
部屋を出て一度行ったことのある教会の方へ進むと、徐々に人のざわめきが聞こえてくる。だが教会の中には誰もおらず、ライアンはそのまま素通りすると、入ってきた扉とは違う扉に向かった。
巨大な両開きの扉を神官が押し開けた途端、叫ぶような歓声が耳に入りシルヴァーナは驚いた。
扉の外は、広い舞台のような場所になっており、高い柵の向こうには、王都に住む人々が立錐の余地がないほどに詰め掛けている。
「こ、これは……」
「皆、お前を見に来たのだ」
思わず足を止めたシルヴァーナの手をライアンが強引に引っ張る。よろめくように前に出ると、人々の歓声はさらに大きくなった。
壇上には国王やシャロンの姿がすでにあり、シルヴァーナを笑顔で出迎えた。
「ついに我がヴィルシュ王国に、ラヴィネラ神より聖女を賜ることができた!」
ライアンの声に人々が応えるように声を上げる。
「聖女シルヴァーナは癒しの力と不死の力を持つ尊い存在である! 流行り病に苦しむヴィルシュの民を救うために、これからその力を大いに振るってくれるだろう!」
詰め掛けた人々の笑顔を見て、シルヴァーナは顔を歪めた。
ライアンは晴れやかに笑ってみせると、シルヴァーナに視線を向ける。
「シルヴァーナ、跪け」
「え?」
「跪くんだ」
「い、嫌です……」
シルヴァーナが弱く首を振ると、ライアンの視線がちらりと流れる。その先にはヒューゴがいて、シルヴァーナは仕方なく膝を突いた。
「皆に見せよう! ラヴィネラ神の素晴らしき力を!!」
(何をするつもりなの……?)
奇跡なんて起こせないのは何度も説明して、ライアンは納得しているはずだ。奇跡を起こす真似事をしてもどうにもならないはず。それとも何か仕掛けでもあるのだろうかとシルヴァーナが訝しんでいると、唐突に背中に衝撃が走った。
「ぐっ……っ……な……に……」
なぜか自分の胸から刃が突き出ている。のどから熱いものが溢れて、たまらず吐き出すと真っ赤な血がぼたぼたと床に落ちた。
観衆からは悲鳴が上がっている。歪む視界でどうにか人々から背後へ視線を向けると、ライアンが長い槍を持ったまま笑っていた。
「な……んで……っ……」
シルヴァーナは声を振り絞り呟いたが、それ以上何も言うことができず、意識は闇に落ちた。




